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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

帰りたくなった

2008年05月31日(土)

別に何があったわけではないが、里心がついたというのか、帰ってトメの宿題を見て、できないのにいらいらしたり、ぐずぐずしてたら文句いっていやがられたりしたい。母はこのあいだの「外出」から元気になって、ちゃんとしゃべれる。もちろん10年前の母を100としたら5年前の母はすでに80くらいに落ちていたし、3年前は65くらいで、今は20だ。しかし帰った当時の母は5くらいだったので、たいへんな復活である。父は10年前の父が100としたら3年前も95くらいはあった。それがどんどん落ちていって、きのうなんか35だ。きょうはすこし盛り返して45になった。父の前でのあたしは、ちゃんばらと殺人事件と女子バレーボールが大好きで、藤沢周平と池波正太郎がさいこーと思っている、てなふりをしている。娘たちは母がいなくても、だいじょうぶ、と信じて疑わないふりをしている。きのうの状態の父を見ていたら、10年前にNさんと別れることになって、カリフォルニアに子どもつれて移住しちゃったあたしの行動、それは後先考えない、親不幸な、刹那的な行動であったと思わないでもなかったが、それがきちんと意味のあることだったというのがやっとわかった。あたしは、Nさんのいなくなった熊本で、父と母の家庭の中に埋もれて刺激がなくなっていくのがいやだったのである。カリフォルニアの生活を選んだのである(不満は多かったけど)。ううむ、なるようにしてなったのだ。市現代美術館のショウを見た。「ピクニックあるいは回遊」というのである。宮井正樹さんのデビュー展でもある。やはりハルジョオンの写真がどきりとするくらいよかったのだ。あと、「まきば」の写真も。同じ展覧会で、なんとかシスコというたいへん年取った女の絵が、好きというのではなく(どっちかという好きじゃない)とても奇妙で力強く感動した。

お習字

2008年05月30日(金)

朝、「女の絶望」を筆で書いた。何十枚も書いた。午後、A上さんの紹介で書道のJ野さんという人に会って、たいへんおもしろかった。夜、女たちがうちに来た。たのしかった。Aちゃんも来た。女の力をもらってくれればいい。

暑かった

2008年05月29日(木)

NTT病院に母の薬をもらいにいき、買い物して、父のところに行き、犬を散歩させ、父にお昼を食べさせ、母のところに行き、お昼を食べさせ、父のところに行き、犬を獣医に連れて行き、父のところに行き、家にかえってついとろとろと仮眠し、はっと起きて母のところに頼まれていた錦松梅を届け、買い物して、父のところにいって父に夕食を食べさせた。これだけで一日が終わった。ちくしょうめ。エネルギーが底をついたようだ。なんとかドリンクでビタミンその他を補給した。コリャドの「懺悔録」を読んだ。何回めかだが、今回はイソポが頭の中にあるので沁みること沁みること。朝、ごみ出しにいったら近所のT満さんと出会い、足の虫さされの話をしたら、うちの主人に‥‥といってくれて(ご主人は皮膚科だった、そういえば‥‥)今まで使っていた薬をみせたら、これはきかない、これもだめ、これもなんにもならない、とシイタケとにんじんをはねのけるシュトレーゼマンのようにはねのけられて、かわりに抗生剤入りの軟膏をもらった。これできかなかったら処方薬を、とのことであった。
ところでこの頃の漫画状況は「デトロイト・メタル・シティ」なのである。

大雨と母の帰還と善き人のためのソナタ

2008年05月28日(水)

母が「外出」ということで父のいる家に五時間帰ってきて、コーヒーのいれたてを飲み、トーストのやきたてを食べ、タバコを吸い、ビールを飲み、おすしを食べ、妹たちと電話で話し、孫たちと電話で話し、来たときよりしゃっきりして帰って行った。その間じゅう豪雨だった。朝、病院に車でいき、介護タクシーに同乗して父の家に行き、介護タクシーに同乗して帰るときに車の鍵を忘れてきたので、歩いて家に帰り、車の鍵をもってまた歩いて病院に帰った。ふと見ると母の下痢便が、あたしの腕にも髪にも服にもついていた。車の通る道とはちがう道をとおって行ったら、河原の草地の中に子ども用遊び場が出来ており、ちょっと失望した。そこは「河原荒草」を書いてるとき、さんざん通った草地だった。車をとって、帰りに入浴剤とムヒEXという強力かゆみ止めを買って帰った。入浴剤は、容器にごてごてと色の無いのを選ぶのに一苦労した。この頃色の氾濫に心底うんざりしていて、ものを買う基準が「色」なのである。こないだ湯沸かし器を買ったときもさんざん苦労して、ピンクや黄色じゃない黒のを手に入れた。オーブントースターも、花柄や縞柄じゃなく、でかでかと説明やイラストの(ピザは何分、トーストは何分などと)ついてないのを選ぶのが一苦労であった。ともかく中身の入浴剤は色がついてていいんだが、容器に色のなるべくないのを買った。きょうの電話でトメが見にいった「ナルニア」の話をしていたので、カスピアンとリーピチープ、レイトショーで見にいこうかと思っていたが、豪雨なのでやめた。借りてあった「よき人のためのソナタ」を見ることにした。虫にさされた足は、腐りかけ、かつ治りかけ、掻きすぎで膨れあがり、ひかひかになり、薬のぬりすぎで、こてこてになっている。お湯によーく浸けて、かさぶたを洗い落とし、虫の唾液の入った漿液も洗いながして、よくかわかし、そこに化膿止めをすりこんで、周囲にかゆみどめEXをぬると、良いようである。普段ならば飛び上がるほどの熱さのお湯に足をじゅっと浸けたら、ああああ、かゆさ変じて快感と成る。信じがたいほどの生理的な快感が襲いかかってきたのである。
‥‥そしたらこの映画がいいのなんのって。ナルニア見にいかなくてよかった。豪雨でよかった。主人公がだれかに似てると思ったら、T川S太郎さんとケビン・スペイシーを足して2で割ったような顔なのであった。

少女たちとケーキ

2008年05月27日(火)

T本さんが詩をかく少女を紹介したいというので文学館にいったら、Hちゃん、とってもカワイイ子で、つい連れ回していっしょにトロワ・グリュにとうとう念願の「オペラ」を買いに行き、うちに連れて帰っていろんな詩をいっしょに読んだりした。おもしろかった。カノコやサラ子やAちゃんを思いだし、こないだAちゃんが遊びに来たいといってたのに忙しいからなどといってたのが悔やまれて、Aちゃんに電話して、お泊まりにおいでよと誘った。このあいだ阿蘇のO津さんちに差し入れ持ってきてくれたトロワ・グリュのご夫婦に、あたしは繊細ななかにもパンチのあるケーキが食べたいんですというと、うちのケーキはパンチがありますよ、といわれた。とくに「オペラ」がおすすめといわれた。だから遠いけどがんばって買いに行ったのである。パンチのあるケーキがすごく食べたかった。さしいれのアップルパイはとてもうまかった。そしてオペラにはたしかにパンチがあった。Hちゃんが選んだのは、なんとかフロマージュという、チーズケーキが雲の中に入って出てこられなくなったようなものであった。これも雲なのにパンチがあった。

晴れたら暑かった

2008年05月26日(月)

きのう「ゾディアック」を借りたので、ゆうべからきょうにかけて、寸暇を惜しんでそれを見切った。父に呼ばれたり、電話が入ったり、寝なくちゃいけなかったりしながら、最後まで飛ばさずに。ということはすごく引き込まれたのである(つまんない映画は早マワシしたり、てきとうにつまみながら見たりする)。コワイところはときどきあったけど、ヘッドフォンの音を消して、コンピュータの画面を傾けたら、なんとか見つづけられた(ジツは残酷シーンがいやで、いやで、家で見るときは、トイレを出たり入ったりしている)。犯罪物の正しい描き方であると思った。犯罪者が、ダサくて薄気味悪くてぜんぜん魅力がないのである。

疲れはてた

2008年05月25日(日)

枝元先生御一行は、朝9時の始発で離熊された。疲れ果てて何もする気にならず、家の中を少しずつ片づけている。疲れ果てたのはだご汁とたかな飯のせい‥‥どこへいってもだご汁を供され、高菜飯を供された。一生分の高菜飯とだご汁を食い果たしたかもしれない。天然うどは酢みそで和えてもてんぷらにしてもうまかった。普段食べない、鶉肉や鴨肉や猪肉には前世、関ヶ原で落ち武者していたときの思い出が蘇った。枝元先生が、鶉肉をばァりばァりかみ砕いているあたしを見て、前世は落ち武者だったろうとしきりにいうので、なんとなくそんな気がしてきたのだ。どこへ行っても食べ物を供されるので(ミヤマキリシマ以外)またそれがどれもたいへん素材が良くてうまいので、いちいちがつがつ食べているうちに腹がぱんぱんに膨れあがってきた。で、びろうな話ですいません。枕が変わっても安眠できるが、便座がかわると便が出ない体質なのである。苦しかった。全身に毒が回った。そればかりか草原で悪虫にさされたあとが腫れあがり、熱を持った。身動きするたびに足と胃がみしみしと痛んだ。落ち武者、虫さされと食い過ぎでとうとう運の尽き、こんな所で野垂れ死ぬなら、せめてもう一合戦、はなばなしく斬り死にしたほうがよっぽどましだ、という妄想はバガボンドの読み過ぎ。
4日間でいろんな人に出会い、いろんな人にいろんな人をつなげてもらった。文学隊もここが正念場つたい。がんばるけん。(少しあやしい熊本弁である)

新五足の靴第二弾「食と食育、そこから文学」

2008年05月24日(土)

文学隊隊長として報告。
「新五足の靴」第二弾 枝元なほみ「食と食育、そこから文学」
5月21日 同行者は枝元、D藤、K下、A上、あとからB場、そして伊藤。
俵山わきの台湾料理「龍駿園」にて
熊本名物タイピーエンを食べる。
M森さんの赤なす「ヒゴムラサキ」を見る。
なすを生で食べる。
O津さん夫婦の「オアシス米」と「あか牛」を見る。
さし入れの「トロワ・グリュ」のアップルパイを食べる。
オアシス米のおにぎりと高菜漬けを食べる。
地獄温泉清風荘にて田楽(うずら 鴨 いのしし サトイモ 豆腐 やまめ)とだご汁とむかごとビールと米焼酎。

22日 同行者は枝元、D藤、K下、B場、K原畑、S田、M脇他おおぜいと伊藤。
阿蘇高校にて家庭科の先生たち、生徒たち、阿蘇生活改善グループの女たち六人に枝元、伊藤も加わって、調理実習。「だご汁、じり焼きだご、うどの酢みそ和え、高菜めし」ついでに残った葉っぱときのうのなすで「うどの葉とヒゴムラサキのてんぷら」 
山から採りたてのウドは美しかった。
アスパラガスとトウモロコシを見つつ、まんじゅうをもらって食べる。
阿蘇神社に行き、わき水(かため)を飲み、火振神事のときのもてなし料理としてS代さんの「かずのこ、たたき牛蒡、せりのごま和え、牛蒡とさらし鯨の汁」それに神社の賄いとしてI野さんの「のっぺ汁」。
阿蘇町の「阿蘇の四季」という旅館で「おはぎ、うどの白和え、芋と天草のたこの煮物、じゅんさいとごま豆腐の汁、馬刺し、うどと赤なすのてんぷら、あか牛の岩盤焼き、釜飯とだご汁、しのぶ竹の焼いたもの唐辛子マヨネーズ添えとビールと地酒れいざん。

23日 同行者は枝元、D藤、K下、B場、K木、しかし伊藤は食べ過ぎと虫さされで死んでました。
仙酔峡に行き、ミヤマキリシマ(食べてません)。ロープウエイで火口まで。手野地区に行き、わき水(やわらかい)を飲み、国造神社の大杉を見る。
阿蘇神社にもどり、I野さんの「お献(こん)の儀」(神様の婚姻を祝う)のときの神前食「青高菜と豆腐のみそ汁(豆腐は二きれ)、漬け物が二きれ、焼かない豆腐の田楽がすすきの串に刺さって二本」(二きれは夫婦の意)を食べる。
賄いとして「ちらし寿司 きゃらぶき二種 ぜんまい」も食べる。
M本さんのトマトとイチゴを見る。イチゴを食べる。

24日
豪雨の中、熊本近代文学館で「食と食育、そこから文学」
文学館のみなさま、近代文学館友の会のみなさま、ご共催、ありがとうございました。熊本ジャパレンのみなさま、ご協賛、ありがとうございました。枝元先生とD藤さん、ご協力、ありがとうございました。文学隊のみなさん、ほんとに、おつかれさまでした。
豪雨のため、帰りの飛行機はキャンセルされて枝元先生と写真のD藤さんは熊本に居残られたのであった。

電気湯沸かし器とジャパレンと文学隊

2008年05月21日(水)

やかんの空だきをした。今回帰ってきて2度目である。さすがに危機感をかんじて、電気湯沸かし器を買いに走った。カリフォルニアでも、だいぶ前に夫が、あたしがあんまり空だきするから、電気湯沸かし器を買ってきたっけ。便利である、というそばから、スイッチいれてメールチェックしにここに来て、そのまま忘れてるよ、オイ。
きょうNちゃんが熊本にくる。いっしょに阿蘇に行く。K下さんも行く。D藤くんも行く。A上さんも来る。K木さんも来る。夜はB場さんも来る。
これは「五足の靴」第二弾。
熊本文学隊である。車はジャパレンさんに借りた。ジャパレンさんには、いつも文学隊の活動を協賛してもらって、今回もただで貸してくれた。前回の井上さん企画のときも、ボブサムさん企画のときも、そうである。ほんとうにありがたい。

ブロークバックマウンテン

2008年05月20日(火)

時差ボケで早くおきるので、映画を見ている。おとといはキングコングを見た。今朝はブロークバックマウンテンだった。これは映画館で見て、たいへん感動したが、みんな訛ってるし、ぼそぼそいってるし、何にもことばがわからなかったので、無声映画みたいだったのである。きょうのには字幕がついていた。するとそこに会話があるのであった。それがまたイイのであった。朝っぱらから号泣した。いきたいなあ、ブロークバックマウンテン。

雨っ

2008年05月19日(月)

熊本ではめずらしくないのだろうが、カリフォルニア帰りとしては興奮してしまうのであった。バラが随所にいたるところ。うちの庭にさえ赤い木立のがさんざん花をつけている。ゼラニウムのピンクの色が、カリフォルニアのゼラニウムのピンクとちがう。朝から電話につぐ電話で忙しい。これが日本の生活というものだな。くせでつい「ハロー」と出ちゃうけど、相手はみんなべらべら日本語をしゃべる。すてき。「日本に帰ってきていいのは、どこにでもふつうに漫画がころがってることだ」と「とめはねっ」の縁くんのお父さんがいってたが、ほんとうに、心の底から、それには同感。

文学隊

2008年05月19日(月)

ちょうどみんなが佐木隆三講演会にあつまったので、そのあとはじめて役員たちが顔をつきあわせて謀議をした。いいかげんな組織なので、まだ重要な役員たち、幹部たちが、何人も洩れていたのは、いうまでもない(さきに連絡してきちんと招集かけておけばよかったと後悔している)。マジで子ども期の「ひみつけっしゃ」や「ひみつきち」遊びを思い出してたいへんおもしろかった。みんな「遊び」とわかっていてもものすごく真剣であった。
時差ボケがぜんぜん直らないので、日中ずっと眠いし、早寝早起きは反社会的なくらい。

熊本

2008年05月16日(金)

ぼろぼろ。

ごあんない

2008年05月13日(火)

6月8日(日)17:00から一時間。
三宿のStar Poets Gallery にて
朗読します。
「詩人の肉聲とコトバとを聴く La Voix des poetes(詩人の聲) 」という企画の一環、以前やった「巡回朗読会」や「Poetry Voice Circuit 」と同じ企画、名前だけ変わったそうです。

前回のがやたらによくできたので、今回はやる気まんまん。日本語わからないもの相手に朗読するのはとてもつまらない(境遇のせいで、そっちのほうが多い)。しかし前回、あの三宿のギャラリーでは、ことばのひとつひとつが意味を持てた。

その前に
5月24日13:00から
熊本近代文学館にて
枝元なほみさんと「食と食育、それから文学」という企画。
これは熊本近代文学館および熊本文学隊の「新五足の靴」の第二弾。文学隊のひとりひとりが、自分の足で、それぞれの靴をはいて、九州を、熊本を、再発見していこうかというユルくてアツい企画。前回第一弾は、高橋睦郎さんに一足はいてもらった。今回は枝元さんにも、一足はいてもらおうというのである。この調子でいくと「五足の靴」どころか「何十足かの靴」になりそうな気配だが、それでもかまわないのである。

かくのを忘れていた

2008年05月12日(月)

何をやっていたんだろう。
フクシアの世話をしていたような気がする。すぐ花やつぼみが落ちるし、ベゴニアよりずっと水がいるので、気になって仕方がない。

2008年05月09日(金)

きのうはDンとGルといっしょに、ソーカ大学まで、Gルの展覧会を見に行った。このごろGルは人の頭に凝っていて、大きいのや小さいのや、人の頭のかたちをしたものが、上に下に、ここにあそこに、ギャラリーいっぱいにうち並んでいた。「首実検」とか「おあん物語」とか「小塚原」とか「山形のみいら」とか「市中引き回しの上打ち首獄門」とか「熊本市現代美術館の生き人形展」とか、さんざん思い出したが、Gルに語ったのはそのごく一部であった。

大家さんも「次郎物語」の愛読者でしたか。A上さんもそうなんですって。こんど熊本に来たら、次郎ツアーしましょう。佐賀だって、あたしのレンタ軽でふっとばせば、すぐです。佐賀には、次郎物語には出てこなかったけど、カササギがいるんですよ。

次郎物語

2008年05月08日(木)

きのうは一日、必死で「次郎物語」を読んでしまった。もういっこもういっことやめられなくなって、第五部まで。青空文庫に入ってるのである。青空文庫は、やはりこういう境遇なので愛用させていただいている。ふりがながカッコつきでついてるのがうっとうしく、Wordにうつして、縦書きにして(でないと、読んだ気がしない昔の人間なのさ)カッコつきのふりがなを取ったり、旧かなを新かなに直したり(子どもたちに読ませたいとき‥‥うちのや日本人学校のや)しているうちに、本で読んでるより熟読できる。
「次郎物語」は、子どもの頃、第三部まで、ほんとうにこれでもかというくらい読み耽ったものだ。子どもの頃の愛読書といえば、「ドリトル先生」とか「ロビンソン・クルーソー」とか「家なき子」とかばっかり思い出していたが、そういうのはごく小さいときで、小学校後半から中学校前半は「次郎物語」で明け暮れていたことを今、思い出した。引用されている「葉隠」にもしびれたものだ。
40年たって読んでみても、さして印象は変わらない。一部より、二部や三部のほうが好きなのも以前のとおりである。これが佐賀のはなしであるとはうすうす知っていたが、先日熊大のA上さんと話してたとき、ふと「次郎物語」の話になって、「下村湖人は五高ですよ」とA上さんがいった。縁かもしれない。年譜を読んでみたら、下村湖人の父親が酒屋を熊本市内で開いていたそうだ。縁かもしれない。
その上今回は、上京してからの青年塾の場所が「下赤塚」というとこに設定してあることに気がついた。下赤塚といえば板橋区‥‥縁かもしれない。
次郎の子ども時代の風景、木々や川や空気のにおいと、上京してからの風景とが、ぜんぜんちがうことには、九州がどこか知らずに読んでいた40年前にも、気がついていた。こうして九州に住み着いてみると、よくワカル、その違いが。照葉樹林の濃いい九州と、武蔵野の漠然とした雑木林の平地である。40年前にいたく感動した、堀を干してとったうなぎの蒲焼きは、40年後も、とてもうまそうに読めた。鶏をしめてつくる具だくさんの鶏汁も、つぶれたようかんも、箱いっぱいのかすてらも、とてもうまそうに見えた。

2008年05月07日(水)

この時期に雨というのはそうとうめずらしい。これでピンクの花がもっと咲くかもしれない。隣の荒れ地にピンクの花が、今年はじめて咲いたのが先々週の金曜日。いまはあっちにもこっちにも点々とある。これが咲くと春もおわりだ。雨の多かった年はピンクの花がよく咲いた。少なかった年は咲かなかった。どんな花かというと、ホンモノの花というよりは子どもが絵に描いたような花、いかにも「花」でございというような花。サクラ形の五片の花びらに、色はどピンク、まん中はほんのり白く、めしべとおしべは黄色っぽい。茎は10センチほどで、葉はあるかなきか。まるで春先のクロッカスのように、地面からにゅうと咲く。晩春の荒れ地に散り咲く。

H田からメール。

Hとフクシャ

2008年05月06日(火)

Hの夢をみた。これで3回目だ。
今回もまた、会って、「ああどこにいたの?」といってる夢だ。

先日、パーティーのために、フクシャを2鉢買った。ほんとはベゴニアの吊り鉢を買いたかったが、いい赤緑ベゴニアがなかったのだ。フクシャは前に何鉢も買ったけど、みんな枯らした。でもここ数日、フクシャを世話しているうちに、少しずつフクシャっていうものがわかってきたような気がする。フクシャ(英語ではフューシャという、さいしょの音はF)は水がいる。ベゴニアはからからになるまで待ってやったほうがいいのに、フクシャはそこまで待たずに水をやる。(カリフォルニアの)日向に出すとすぐ萎れるが、あんまり日陰においても花が落ちる。花もつぼみもどんどん落ちるが、たんなる新陳代謝と思うべし、それにびびってはいけない。

パーティーのあと

2008年05月05日(月)

全身が痛い。いい年して地域のスポーツ大会に出てはしゃぎまわったあとのようだ。洗面器なんばい分もの卵焼きをつくり、食べても食べてもなくならないくらいの焼きおにぎりをつくり、気が遠くなる量の野菜やネギや生姜を切りきざんでいたからだ。しかもこの家の台所の働き台はあたしには少し高いので、ハイヒールを履いてそういう作業をしなければならなかった。それでさらに足腰がこわばってしまった。
料理は大量に残った。多すぎたのだ。料理担当はPで、あたしは補佐であった。Pはたし算とかけ算はできてもわり算とひき算ができないラシイ。だからこういうことになる。感謝祭も、クリスマスも、Pがつくるといつもこうだ。あたしが手順や量について異議をのべても、何もきいちゃいない。Pの妻のCは、ものを捨てるために生きてるような女で、きのうの夜のパーティーのあとも大活躍だった。
あたしの友人たち、CルやGルやJデイやDアンやBリーが、「あたしたちってプアな親戚みたい」といいながら、よってたかって残り物を袋につめて持ち帰ってくれなければ、地球の環境からいってもたまったもんじゃなかった。

パーティーと大家さんの無事確認

2008年05月04日(日)

ご無事でなによりです。韓国でしたか。神出鬼没というやつですね。
うちはいよいよパーティーが今日だ。
まだはじまってないけど、卵4ダースぶんの卵焼き、お米2升8合ぶんのおにぎり、せんめんきより大きいザルに山盛りのタマネギやきゅうり、いくら食べても食べきれないくらいの揚げたなすやみじん切りのセロリ、あたしの担当はそこまででほかに肉や海老やかすてらや‥‥。ぐりとぐらかガルガンチュアだな、こりゃ。もう疲れはてて口きくのもいやだけど、ミセス伊藤はよっこらしょと腰を上げ、花はあたしが買ってくるわといったのである。

大家さん、生きてますかー

2008年05月02日(金)

このごろ大家さんの日記の更新がない。4月18日の桜の記事で終わっている。ベランダの桜の満開の下で、なんかあったのか? 鬼か?
あたしは昨日、雲と雨と露と霜と為をお習字した。

   
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