912 20090626 いろいろ  伊藤さん、タケをお大事に!

 日比さんが東京にお引越しです。近かくなりました。まだお目にかかってません。近々にお目にかかって高台にあるという新居のお話もうかがいたいと思います。かわいいポポとリリの様子も聞いてきます。

 で、その日比さんの新しいお住まいのある高台の下を小田急で通り抜けて箱根塔ノ沢の福住旅館に行ってきました。このHPの作成会社の金承福さんと一緒。ほんとうは芦ノ湯まで行きたかったのですけど、飛んで行って飛んで帰らなくちゃいけなかったので、塔ノ沢にしました。それに福住旅館の円風呂に湯坂山の新緑が移っているところも見たかったし。

 金承福さん、それから韓国の作家の姜英淑さんと三人で青森の蔦温泉に行ったのはもう2年も前のことです。金承福さんは蔦温泉をすごく気に入ってくれたようです。だから、木で作った円い湯桶のふちを、銅の枠で囲っている円風呂もお気に召していただけるんじゃないかと思いました。

 旅館について女中さんと話していると、少し前まで蛍が飛んでいたとのこと。宿の前を流れる早川は、前日までの雨で水量が増してごうごうと音を立てていました。早川に蛍が飛び交うのは例年6月10日前後なのだそうです。私、今まで一度も蛍を見たことがないのです。だから来年はぜひ蛍を見に来たいと思いました。金承福さん、来年、また、蛍見物に付き合って下さい。 911 20090614 あれはペギー・ロッシュだったのか  銀座のシネスイッチで映画を見てきました。和光の裏と覚えて出かけたのですけど、道を一本間違えて、少しうろうろ。初めて行く映画館でした。

 見たかったのは「サガン」。この間「ココ・シャネル」を試写会で見たついでに、こっちのほうも見たくって出かけました。「ココ・シャネル」は仏、伊、米の合作でシャネルは「英語」を喋ってました。歌を歌うところだけ仏語。サガンが英語! なんてことはないだろう。フランス映画だしと思いつつ、映画館の前に到着。

 チケットを買って、少し時間があったので、2件となりの洋服屋を覗いて、お買い物。映画館は地下なので、ゆるくカーブした階段をそろりそろりと下りていました。左目が曇っているので、初めての階段を下りたり登ったりする時は、ゆっくりお婆さんふうに行かないと、思わぬときに躓くのです。すると上の方から「お客様」の声。洋服屋さんに忘れ物をしたのでした。「映画に見に来たの」をしゃべっていたのが幸い。店員さんが追いかけてきてくれました。
 これは、本当にお婆さんだなと思いながら、再び、階段をそろりそろり。と、今度は下から「先生!」。ゼミの島田君が白いYシャツにネクタイで、受付にいました。今日はなんだろう! 学校ではネクタイを締めているところは見たことがなかったのですけど、やっぱり男性はネクタイを締めるとなかなか立派に見えます。
「ねえ、ここって全部、禁煙かしら?」
「あ、全部、禁煙です」
「じゃあ、外に行って煙草を吸ってくるから、チケットの半券を返してもらえないかな」
「再入場券があります」
 てなことを問答をして外に出してもらい、煙草を吸って戻りました。だって、この間、見た「ココ・シャネル」はずっと煙草を手放さずに、コレクションの準備をしていたんだから!それにサガンもシガレットは大好き。うちに30年前にサガンと対談をした時、もらったサイン入りの肖像写真があるけど(どっかにあるはず。でも、このごろ、見ていない。探せばあるはず)その写真も煙草を吸ってました。

 で、30年前の夏、サガンに会った時からずっと気になっていたことがあったのです。サガンの隣にいた栗毛色の髪をした背の高い美人は、誰だったのだろう? ってことが。サガンとは親密な様子で、吸いかけの煙草を二人で吸ってました。編集者? 日本の編集者とは雰囲気が違うのですが、フランスの編集者って付き合ったことがないからわからないし? マネージャー? そう思ったほうがすっきりするのですが、外国の作家ってマネジャーがいるのかしら? って疑問は消えず。この時は小学館の女性週刊誌の依頼で、サガンと対談したのですが、小学館の編集者も「?」でそれが誰だったか判らないのでした。だからなぞのまま。

 サガンとの対談はホテルオークラでしました。ロビーでデビ夫人を見かけて「あれ、デヴィ夫人は日本にいるんだあ」見とれたのを覚えています。で、編集者と一緒に客室へ。なぜかダブルのベッドルーム。きているはずのカメラマンの姿は見えず、編集者と顔を見合わせて「???」でした。どう考えても部屋の真ん中にダブルベッドがあるその部屋では対談ができるはずがありません。フロントに問い合わせたり、会社に電話をかけたりのてんやわんやがあって、結局、ホテルサイドか小学館サイドか、ミスの原因は判らないのですが、フロアを間違えていたことが判明。あわてて階段を駆け上がると、なぜか、また、デヴィ夫人と遭遇。と言ってもすれ違っただけですけど。

 サガンの到着が遅れたので、まあ、相手様が来ないうちになんとかすべり込むことが出来ました。この時、サガンは初来日で、あとで五木寛之さんとの対談の中でご本人が言ってましたが、超過密スケジュールを組まれていたそうです。だから、お話なんか「もう、うんざり」という顔をしてました。で、聞き手の私のほうはひたすら「隣の女の人は誰なんだ?」という興味と、サガンの首に豆絞りの手ぬぐいが巻かれていたのが気になって仕方がないという状態。自分の緊張をそっちにそらしているということもあったと思います。それから、サガンの肌がめちゃくちゃにくすんでいたこと。艶がないというよりも、粉をふいたような状態。無数の小じわがあり、それを大きな皺が分断してるという感じ。これには写真を撮っていたカメラマンの人が驚いていました。
 
 対談は小学館の週刊誌のためでしたが、あとで新潮社の「波」に7枚(枚数は間違っているかもしれない)ほどのエッセイを書くことになりました。これが、今まででいちばん悪戦苦闘した原稿でした。たった7枚のエッセイで10日間以上も書いては直し書いては直しをしたあげくに「書けない!」と絶叫。当時、住んでいた西荻窪の家の近くの蕎麦屋でざる蕎麦を10枚食べてもまだ書けないし、最悪だったのは眠くすらならないという状態に追い込まれたのでした。
 だって原稿を書こうとすると「あの女の人は誰だったの?」という疑問が頭をもたげてきて、これはあんまり依頼された原稿とは関係がなさそうだから書けないなあと、筆が止まっちゃうのでした。今だったら、うまくこ疑問を原稿の中に取り入れちゃうかもしれませんが、その頃はまだそんな芸当は思いも付かず、次に浮かんでくるのは、カメラマンをも驚かせたサガンの皺、皺、皺。まさか「サガンは皺だらけだった」と書き出すわけにも行かず、また、そうは書きたくもなく、さあ、どうしたらいいんだの10日間でした。

 結局、豆絞りの手ぬぐいをスカーフ代わりに首に巻いていたことは書けそうだと書き始めはしたものの、「豆絞り」と文字にして書いたとたんに、頭の中に「へい! いらっしゃい」となぜかおすし屋さんが浮かんで、そこからどうしても前へ進めないという状態に。ざる蕎麦を10枚食べたのは、この時。ざる蕎麦で邪魔なすし屋を撃退してなんとか原稿を書き上げました。

 サガンの隣にいて青いブラウスの襟を整え、サガンの吸いかけのたばこを吸っていたのはペギー・ロッシュでした。映画を見て30年来の疑問が氷解。サガン役のシルヴィ・テステューもサガンの表情や喋り方の特徴をよく映していましたが、ペギー・ロッシュ役のジャンヌ・バリバールも驚くほどペギー・ロッシュの特徴を出していました。サガンよりも記録の写真や映像は少ないはずだから、これには驚きました。で、そのペギー・ロッシュは誰なのかというと元モデルで、後に「エル」誌の編集長(だから、なんとなく編集者の匂いもしたのねと、映画館の座席で納得)それからスタイリストとなり、サガンとは15年間、同棲していたという人物でした。なるほど。なるほど。で、映画を見ていた気づいたのですが、あの夏のサガンはまだ40代前半の年齢だったわけで、それであの皺では、カメラマン氏も驚くはずです。たくさんの皺に中に、写真でよく見知っているサガンの顔がうずもれているという感じでした。うずもれてはいるけれども、消えちゃっているわけではないの。むしろこんなに皺だらけでもサガンはサガンの顔をしているとそういう顔をしていました。カメラマン氏と「カミュは交通事故で死んじゃったけれども、サガンは助かったんだから」という話をしました。 910 20090610 カナルカフェに蛍  市ヶ谷経済新聞によると外堀のカナルカフェで蛍がいるらしい。それから東京大神宮のせせらぎにも蛍がいるとあった。「へぇ」である。というのも、実は蛍をまだ見たことがないので。

 子どもの時、家の近くの農家の知り合いが「蛍をみにいらっしゃい」と誘ってくれたことがあったのを覚えているのだけれども、実際には見に行ったことがない。田んぼ一面に蛍が飛んでいるという話を聞いただけ。で、それからすぐに農薬の影響で蛍はいなくなってしまいました。そのうちに蛍見物に行きたいなあと思いながらもまだ見たことがないのに、案外、近くにいるものだと感嘆。関東は今日、梅雨入りしたそうです。 909 20090529 家の中でキャンプ  水曜日から給湯管の工事をしています。お湯が来る管なの。で、台所と洗面所とお風呂場とトイレが、交互に使えなくっています。昼間はトイレも使えないんだけど、工事が止まる夜はトイレは使えます。でも、台所は水曜日から金曜日の夕方まで使えませんでした。

 それで缶詰でご飯食べています。家の中でキャンプ状態。この間、伊藤さんと明治屋に行ったんだから牛肉の大和煮とコンビーフを買ってくればよかったなあと少々後悔。それにしても小さな子どもがいないと、家の中のキャンプもそう悪くはないなあと思っています。

 缶詰は「万が一」の時に食べるものだからと、子どもの時に言われてました。「万が一」ってどんな時なんだろう?と思っていました。「大洪水」「大地震」「高潮」「津波」などが「万が一」なのだと聞かされていました。あんまり、子どもの時に何度の聞かされので、感覚が逆転して、缶詰を食べると「万が一」になりそうな気がします。例外はキャンプでした。これは缶詰を食べてもいいの。

 洗面台とか流し台を動かすと下から、昔の壁紙(クロス)や床のシートが出てくるんです。こんな柄だったなあって、すっかり忘れていても実物見ると思い出します。 908 20090528 よなよなエールとKOEDビール 伊藤さん、ありました。よなよなビールじゃなくてよなよなエールでした(つまりビールなんだけど)それからKOEDOも見つけました。両方とも缶ビールを通信販売で買うのが一番手軽な入手方法みたいです。しかも両方とも複数の種類が出ております。

 以上、調査報告でした。 907 20090527 伊藤さんと行った靴屋で靴を買う。  伊藤さん、無事にアメリカにご到着。なによりです。靴を買いました。伊藤さんと靴屋さんに行った翌日、あの靴屋さんに行ったんです。

 正確にはサンダル。ええと、足首と足の指の上と、その両方ともをマジックテープで止めるドイツ製のサンダルです。赤いやつ。ほんとうは、上履きみたいな金色のバレーシューズが欲しかったんだけど、そっちは、私の足にあうサイズが品切れでした。24センチなの。で、なぜか、どれもこれも24センチだけないのでした。
 どうして24センチだけないんだろう?よっぽどあの靴屋さんは24センチの人が好きなのかしら?

 実はあの靴屋さん、伊藤さんと行った時が初めてではありません。昔、数えてみると10年くらい前かもしれないけど、一度、靴を買いました。履きやすくて気に入っていたんだけど、どういうわけか、すぐに穴があいたの。ええと、私が靴の木型を無理やりに入れたせいかもしれません。でもすぐに穴が開いちゃったから、それからあの靴屋さんで買い物をしていませんでした。

 伊藤さんと一緒に覗いたら、ちょっとまた欲しくなったの。それから明治屋の玉ねぎ、おいしかったです。ごちそうさまでした。 906 20090505 四天王寺の聖霊会  4月22日の四天王寺の聖霊会に行ってきました。

 法政大学のネルソン先生にお聞きしたら「あそこの舞楽はまだ生きている舞楽だからおもしろいよ」とのお話でした。ネルソンゼミでは春合宿で四天王寺の聖霊会を見学したそうです。

 聖霊会は聖徳太子の命日が2月22日であることから、もともとは2月22日に行われていたそうです。朝早くから深更まで続いたそうで、今では4月22日に行われるようになっています。池の上の石舞台で、舞楽が奉納されますから、2月じゃあ、寒くて、やるほうも、みるほうも、それはたいへん!

 4月22日は良いお天気でした。四天王寺の山門をくぐると「どんどん」と鈍く響く音が。写真の大きな太鼓を叩く音でした。最初は昼の花火かと思ったくらいです。見物の人が「今日は風もよくって、気持ちよさそうに舞っているなあ」と簡単していました。

 楽人は右方と左方に分かれて、交互に演奏します。それじたいは本で読んで知っていたのですが、2つのグループに分かれているから、長丁場の演奏を続けることができるわけだと実際に見て納得しました。事前にネルソン先生に様子を伺ってのは、せっかく出かけても何か手続きをしなければ見物できないなってことはありはしまいかと思ってのですが「そんなことはありません」というお返事で、そのとおりでした。ふつうのお祭りのお神楽でも見るように、みんな、思い思いに池の周囲に集まって見物していました。池の上に石の舞台があるので、とくに囲いなどしなくてもすむわけです。

 池の中では亀たちが、小さな島にあがって、どういうわけか、舞台のほうではなくて、見物人のほうを向いて甲羅干しをしていました。古道具屋さん、古着屋さん、それから金物屋さんや小間物屋さんの出店が出ていて、洗濯バサミなどを買って帰るお婆さんの姿もありました。雅楽というと宮内庁の楽部などを連想するので堅苦しい気がしていましたが、四天王寺はいたって庶民的でした。以前、このお寺に来た時、あちらこちらに「ご供養受けます」とか「お葬式受けます。ただし当寺に納骨することが条件」とかいろいろと書いた掲示物があって、お寺のお堂では、御供養のお経を上げてもらう人がいたりして、お寺のデパートみたいだなという感じがしたものですが、そういう身近な感じは聖霊会でも変わりませんでした。 906.jpg 905 20090428 豚インフルエンザ  先週、金曜日の夜は大阪移動でした。で土曜日は大阪芸術大学へ講義。それからちょっと遊んでいたら、新幹線がなくなってしまいました。で帰りは日曜日。日曜日の新幹線の電光掲示板はしきりに「豚インフルエンザ」のニュースを流していました。

 いったいいつそんな騒ぎになったんじゃ?とびっくり。なにしろ金曜日の夜の時点では草なぎ君の裸騒動一色でしたから。それにしても、このごろの警察はやりすぎなんじゃないかと、薬物反応も出ていないのに「家宅捜索」はないだろうと面白半分でいたところです。

 豚インフルエンザじゃあ、面白半分でもいられないなあと電光掲示板を見ていたら、大阪から同行してきた長谷川郁夫さんが「豚じゃあ、鳥とちがって処分がたいへんだねえ」って。そういう問題じゃないだろう!「でも食べても大丈夫なんでしょ」それはそうですけど。なんだかへんてこな会話でした。隣の福江さんは白河夜船。我々、3人のように新幹線で東京、大阪をくたびれきったまま往復しているような人間がいちばんインフルエンザで死んじゃう可能性が高いんですけどねえ。まあ、心配してもしょうがない。どういう展開するのかわからないんだから。

 新幹線の中でこれは、この後の進行の速度の問題だなあと思い、家に帰ってネットを見ようとしたら、なぜかPCのネット閲覧ソフトが新しいものにごっそりと入れ替わっていて、いったい、どうしたらこんなことがおきるのだろうと「???」でした。PCも何かに感染したのかしら?

 伊藤さん、くれぐれもお大事に。ご家族の皆さんも御身体御大切に。そうそう、うちの娘は昨晩、私が咳をして「豚インフルエンザかしら?」と言ったら「ただの豚で、インフルエンザはまだついてないから平気、平気」などと言ってました。 904 20090423 おくやみ申し上げます。  伊藤さん、PCだけじゃなくて、ご自身の御身体も御大切になさってください。どうぞ御気落としなく、お過ごし下さいますように。 903 20090421 住吉大社のうさぎ  お手水の水の噴出し口はうさぎでした。住吉大社は卯の花でも有名なのだそうです。今年は急に暑くなったので、卯の花もそろそろ咲き出しそうです。 903.jpg 902 20090420 住吉神社の猫  本殿裏のお稲荷様に猫がいました。招き猫はもともと狐だったそうです。 902.jpg 901 20090413 住吉大社の新郎新婦  住吉大社に行った日は結婚式の多い日でした。お嫁さんとお婿さんが次から次へに。 901.jpg 900 20090411 うちの桜  家のとなりの住宅展示場が撤去されたのは昨年の暮れのことでした。あとには日用雑貨を売る4階建ての店ができるはずだったのですが、1月16日からの工事が今現在に至ってもまだ始まっていません。だからきれいな空地。
 この土地は住宅展示場になる前は製紙会社の工場でした。土手に桜が植えられたのは、住宅展示場が出来たときですから、かれこれ24、5年前です。

 桜の木も25年もたつとたいそう立派な木になります。建物がなくなったので、今年は実にのびのびと花が咲いていました。この花の昨日の風であっという間に散って行きました。桜もこれでおしまい。ではないのです。この土手には八重桜も植えられていて、お花見の大騒ぎが終わった頃合を見計らって、ぼってりとした色の濃い花を咲かせます。 900.jpg 899 20090410 光が丘の桜  今年の桜は咲き始めてから満開になるまでが、ほんとうに長い桜でした。

 満開になった桜がいっせいに散ってゆきました。散った花びらが地面に白く敷き詰められていました。桜の花びらの絨毯の上にシートを敷いて、静かのお花見をする女の人がふたりいました。自転車のおじさんは花びらの絨毯の上をくるりくるりと蛇行しながら走っていきました。

 乳母車に乗っていた男の子が、白い花びらの上にトンととびおりて、あたりを不思議そうに眺めていたかと思うと、いきなり地面に向かって「ばいばい」「ばいばい」と小さな手を振り始めました。乳母車を押していたお母さんが「何にばいばいしているの?」と聞いても、答えずに一身に地面を見つめて「ばいばい」を繰り替えていました。白い絨毯に、桜の枝が影を落とし、光の波模様を描き出していました。風がさあっと吹くと、白い花びらがまた舞い上がりました。 899.jpg 897 20090409 花まつり  花まつりでした。近くのお寺で小さなお釈迦様のいる厨子を軒先に出していました。「どうぞおまいりしてください」の張り紙。そばには甘茶のポットと福あめそして金平糖が出ていました。小学生くらいの男の子がお茶を飲んでいました。近づくと男の子は「こんにちは」とご挨拶。それでお茶を飲み終わるとさっと姿を消してしまいました。お釈迦様に甘茶をかけて、お賽銭を置いてきました。

お釈迦様は生まれたとき、天上と地上を指差して天にも地にもわれ一人と言ったそうですが、赤ん坊は指差しこししないものの、たいてい天にも地にも我ひとりと言いたそうな顔をしています。で、中学生くらいになると、わざわざ「一人で生まれてきたみたい」な顔をするようになるの。赤ちゃんの時の自信の有効期限が切れちゃったんでしょうねえ。赤ん坊ってのは、どうしてあんなに自信に満ち満ちているのでしょうか。 897.jpg 898 20090409 上野の山の桜  久しぶりに動物園に行ったらずいぶんきれいになっていました。パンダの檻には「カンカンは慢性心不全で死にました」という表示があり、ジャイアントパンダの代わりにレッサーパンダがいました。そうかパンダも心不全だったのねえ。と妙にパンダに同情。そのことを知り合いに話したら
 「だから痩せろって言ってるだろう。パンダも太ってたじゃないか」
 だって。
「痩せたパンダなんか誰も見たくないでしょう」
「そんなにパンダがよければ笹でも食べな」
 と、そんな会話。で、天草のたけのこをいただきました。馬場さん、どうもありがとうございます。私は笹よりたけのこが好きです。 898.jpg 896 20090407 醍醐寺の桜  豊臣秀吉が死の半年前に花見をしたという醍醐寺の桜を見てきました。「そうだ京都へ行こう」のポスターも今年の春は醍醐寺の桜が使われています。大阪からの距離感を知りたかったので、大阪を基点に醍醐寺に行ってみました。JR大阪駅ではちょうど、敦賀行きの特別快速がホームに入ってきたところに行き逢いました。で、その特別快速で山科まで、だいたい30分くらい。

 山科から地下鉄東西線の醍醐駅まで、10分。醍醐駅にはお花見の人のための循環バスが出ていました。周辺は新しく開発された団地。醍醐駅も花見の季節以外は、たぶん平凡な郊外の駅なのでしょう。循環バスに乗ってみました。最初は歩くつもりだったのですが、案内表示にしたがって歩くとどうしても団地の中に入っていってしまうので、降参して循環バスに乗ることにしました。でも、この循環バスは醍醐寺の駐車場に近づくと、渋滞に巻き込まれて一寸も動かなくなってしまいます。

 醍醐寺は京都の中心街から少し離れているので、ふだんは観光客も少ないようです。最近になって観光地を意識しだした様子がなんとなく境内の雰囲気から感じられました。三宝院のしだれ桜を見て、それから金堂へ。

 醍醐寺は山すその下醍醐と山中の上醍醐に分かれるそうです。上醍醐の入り口には、鳥居がありました。仏教のお寺ですが、修験道の寺でもあるようです。それで、以前、京都じゅうの瀧に打たれているというタクシーの運転手さんがいたのを思い出しました。何かの取材の時に瀧に打たれる話を聞いたのです。京都の周辺にはけっこうたくさんの瀧があるとのことでした。

 写真は上醍醐へ入る手前の講堂の桜。ちょうど満開でした。上醍醐はまたこの次の時にしようと、今回は下醍醐だけで引き返してきました。人の流れについて行くと地下鉄の駅に行く人々は団地の敷地の中に入って行きます。団地の真ん中に遊歩道風のゆるやかな下り坂があり、その坂はそのまま、駅ビルのショッピングセンターの二階へと続いていました。だから、案内表示に従って醍醐寺に行こうとすると、団地の中に入っていってしまうのでした。

 地下鉄の醍醐駅から山科には戻らず、六地蔵に出ました。地下鉄の六地蔵から京阪宇治線の六地蔵までは、川を一本渡りました。川の土手にたくさんの菜の花が咲き、菜の花の群れのなかに「一級河川 山科川」の看板が立っていました。京阪宇治線は書中島で本線と合流。この書中島が昔の伏見の中心地だったようです。電車に乗ってみて「なるほどなあ」と納得。今の観光用ガイドブックでは、醍醐寺と伏見、大阪はまったく別世界のような扱いを受けていますが、電車の線路は、昔むかし、淀川を30石船が上り下りした時の同じ流れで動いているのが判りました。書中島で京阪の淀屋橋行きの電車をつかまえ、大阪に帰りついたのでした。

 その京阪の駅に「造幣局の通りぬけは、今年は4月8日から15日まで」というポスターがありました。醍醐寺のしだれ桜が満開だったことを考えると少し遅いような気がしましたが、あとから知っている人に聞いてみると大阪造幣局の桜は、八重桜なのだそうです。しかもいろいろな種類の八重桜が植えられているそうです。八重桜ならば、少し遅れて咲くのも通りです。造幣局そのものは文字通りに通り抜けるだけですが、造幣局の外側の川岸には露天も出て賑やかなお花見ができる場所があるとのことでした。 896.jpg 895 20090404 住吉大社  この太鼓橋を渡らないと住吉大社にお参りしたことになりませんという案内がありました。それで、赤ちゃんにのしめを着せてお宮参りをするおばあさんまで、おそるおそる太鼓橋を渡っていました。

 実際に渡ってみると写真でみるよりもずっと急な感じがします。太鼓橋は源氏物語絵巻にも描かれています。太鼓橋と言えば鎌倉の八幡宮にも石の大きな太鼓橋があって、子どもの頃は、その太鼓橋を無理やりに渡ったものです。でもどうして、神社には太鼓橋があるのでしょうか? 空に上る虹と関係はあるのかしら? 今度、誰か知っていそうな人を見つけて聞いてみようと思います。 895.jpg 894 20090403 四天王寺の桜  以前、四天王寺に行った時はちょうど4時の閉門時間で、西門の鳥居だけを見て帰ってきました。四天王寺はお寺だけど、西門に鳥居があるのです。あたりは上町台地とか夕陽ヶ丘を呼ばれている高台で、西門の鳥居は極楽浄土に通じているということです。西門のそばに陀羅尼助をいう薬を売る店があって、ああ、ここは吉野にも通じているのだなと思いました。それで、今度はちゃんと境内に入れました。

 中世まで遡ると、四天王寺のしたまで海が入り込んでいたみたいです。四天王寺から住吉大社の前をとおり、堺まで路面電車が走っていますが、その電車の線路がだいたい中世の海岸線のようです。埋め立てが進み、海は遠くなりましたが、実際にその場所に言ってみると、昔の地形が別の姿をして残っていることがよくあります。吉田兼好は徒然草に「辺土のもの」はすべてかたよっていてあまりよろしいものはないけれども四天王寺の舞楽だけはすばらしいと書いています。京の都からみれば天王子あたりはもう「辺土」だったのですね。田舎じゃなくて辺土。そう言う兼好法師はわざわざ関東まで下ってきているいますが、それこそ地の果てにくるような感じだったんでしょうかねえ? 兼好法師が褒めた舞楽は4月22日にあるそうです。石舞台があって、そのうえで舞楽が行われるとのことでした。見てみたいものです。

 写真は方丈という建物から庭の桜を見たところ。この日は曇りで、私のほかに桜を見物する人は誰もいませんでした。桜もまだ2分咲き3分咲きといったところでした。 894.jpg 893 20090402 大阪城  大阪城は一度行かなくちゃいけないなあと思いながら、行ったことのある人が「つまらない」というので、ずっと二の足を踏んでいました。「つまらない」理由は「ただ広いだけ」なのだそうです。確かに地図で見てもかなり広い。ホテルニューオータニの客室から眺めてもほんとうに広い。で、つまらないかどうかは別として広いなら、夏の暑い時、冬の寒い時はさけたほうがよさそうだなとかねがね、時期を考えていました。

 淀屋橋のたもとから乗れる水上バス。こちらのほうは一度、乗ってみたいと思っていました。で、水上バス乗り場に行くと「臨時便 大阪城行き」の表示がありました。渡りに船とはこのことです! さっそく大阪城までの切符を買いました。大阪の川や堀など、つまり水路について感覚的に知りたかったので、城中まで船が行けるとしたら、これに越したことはありません。

 今年の桜は、大阪でもお彼岸には咲き出したのに、そのあとは寒い日が続き、開花は遅々として進みませんでした。船の上から造幣局の通り抜けの桜、桜の宮の桜を眺め、さらに遠く大阪城の天守閣を見ました。あと中ノ島の先端がとんがっているのも見ることができました。昔は大阪から伏見まで船で行き来したそうです。で、南へ下れば天王寺、住吉大社、堺へと連なり、大阪湾から瀬戸内海、瀬戸内海を出ればそこは玄界灘で、行きたければマニラでもルソンでも行けるというわけ。淀川は世界に通じる通路です。って、そういうスケールにふさわしい大きさが大阪城にはありました。

 確かに大阪城は広い。熊本城も広かったけれども、大阪の広さはなんと行ったらいいのか、広々と開けた広さです。この広さを楽しめたので大阪城はつまらないということはありませんでした。大きな梅林があり、冬に来てもよさそうでした。夏の暑いときだけは止めたほうがよさそうです。お城というのは外堀、内堀に囲まれたひとつの街だと考えたほうがよさそうです。西洋では街を城壁で囲ってましたが、どうしたわけか日本は堀で街を囲って「城」と称しています。河川や沼沢を利用して堀を作れば、物資の輸送にも便利だし、非常事態の時は防備の役割も果たすと、そういうふうに「堀」を利用することを考え出したのはいったい誰だったのでしょう?

 東京だって、飯田橋の外堀のふちから皇居の真ん中まで歩けと言われたら、ちょっとねえと考えてしまします。大阪城の船着きから天守閣まで行くのは、感覚的にはちょっとそんな感じでした。船着きに近い青屋門から地形の高低差や石垣の組み方を見ながら歩いていたら、これがたまらなく楽しく桜門まで行き着きました。天守閣を見物する前に豊国神社でおみくじを引いてみました。「医者はむやみにかえるな」とあって、太閤さんにそう言われたような気がしました。あと、中国、韓国からの観光客がたくさんいました。朝鮮半島も大陸もみんな、みんな、春休みというところでしょう。

 韓国の小説家の姜英淑さんと熊本城にいったとき、時代衣装を着たお城の番兵を見て、姜英淑さんは「こわいですね」と言っていました。日本の番兵の姿は秀吉の朝鮮出兵の時にことを思い出させる怖い姿ということでした。で、大阪城を見物した韓国人は何を思うのでしょうか? なにしろ、秀吉は朝鮮の国土を大混乱に陥れた大悪人ですから。ちょっと聞いてみたいような気もしました。きっと熊本城を作った加藤清正は、大阪城に憧れていたのでしょう。話を聞けるものなら、加藤清正にも話を聞いてみたいような気がしました。

 天守閣の最上階まで上がってみると、東西南北、大阪がすみずみまで見渡せて、これも広い、広い。そういう大阪城でした。帰りはくたびれて、城内を走っていた汽車形をしたバスに乗りました。桜門から森の宮の駐車場まで。となりはかわいい坊やとお母さんが乗っていました。 893.jpg 892 20090401 嘘ではありません。  豆蔵さん、なんで4月1日にお知らせを出すのでしょうか?明日になったらもとのHPに戻っていたりして(笑)

 いやいや、嘘ではありません。リニューアルしました。これから新しいコンテンツもふやします。皆様「豆畑の友」をどうぞよろしく!

 写真は大阪城の桜門から天守閣を見たところ。堺から大阪を歩き回ってきました。堺、住吉大社、それに水上バスに乗って大阪城に行ってきました。水上バスから大阪造幣局や桜宮それに大阪城あたりの桜を見ることが出来ました。と言っても桜はまだ満開までに少し間がありました。もっとも満開になっていたらものすごい人出で、ゆっくり景色を楽しむ閑もなかったかもしれませんから、ちょうど良いときでした。 892.jpg 891 20090326 卒業おめでとうございます。  みなさん、卒業おめでとうございます。

 3月31日お花見をしましょう。OBのみなさんもお気がむいたらどうぞ起こし下さい。

 OBの方、来られるようでしらた御一報下さい。でも私は30日まで大阪出張ですから、ご返事は30日の夜になります。 891.jpg 890 20090324 伊藤さんへ  ええとあれはテイカカズラではないとのこと。そんなんですか。あんまり無花果の実によく似ていたから、びっくりしたんですけどね。

 そういえばヘクソカズラって気の毒な名前の植物もありました。

 カポーティの「冷血」を読んでいます。一家4人が惨殺されるやつ。で、その晩はたまたま娘が外出していて一人でした。なんだか怖くなり、家の鍵がかかっているかどうかを確かめに行きました。

 布団に入って寝ると、死んだはずのおかあちゃんが「ただいま」と帰ってきました。私が寝ていたのは、子供の時に住んでいた家の子供部屋。で、なぜかおかあちゃんを抱っこして、お布団に寝かせました。ちゃんとお布団をかけて寝ないと風邪を引くよと言って自分の部屋に入り、これで安心だとすやすや眠る夢を見ました。夢の中で寝ているの。でも寝ている場所は、子供の時に住んでいた家の子供部屋で、風が窓ガラスにぶつかる音がしていました。

 途中で「あ、これは夢の中で寝ているんだ」と気づいたのです。時々、寝ている夢をみます。どうもややこしんだけど。で、これは寝ている夢を見ているんだと気づいたときに、なぜか、これまた、死んだはずのおとうちゃんがにやりと笑う顔が見えました。

 たぶんカポーティの「冷血」なんかを読んで寝たからだとその夢の話を人にしたら
「お彼岸だからだよ。おはぎでも食べたらいい」
 と言われました。ああ、おはぎを食べるまえに注射をぶしゅっと打たなくっちゃ。インスリンの注射。お腹に打つんです。伊藤さん、とらやで羊羹を買ってきました。今度、羊羹を持って遊びに行きますね。このごろ、時間にしばられるのや、義務にしばられるのがすっかり嫌になっちゃって、浮かれて遊んで歩きたいの。 889 20090322 夜の海  3月の初めには熊本近代文学館の庭のこぶしが真っ白に咲いていました。楠に巻きつくテイカカズラには実がなっていました。テイカカズラに無花果のような実がつくのを伊藤比呂美さんに教えてもらいました。東京でもこぶしは白い花をたくさんつけるようになりました。桜も咲き出しました。今日は春の嵐。空には黒くもが、風がびゅんびゅん吹いています。でもすごく暖かです。

 瀬戸内海を行くフェリーの話の続き。乗っていたのはトラックやトレイラーの運転手さん。それから、対外試合に行く様子の運動部の生徒たち。船内には大浴場があって、夕食後で混雑していました。それに、ビュッフェ式の食堂。こちらもけっこう人が入っていました。食堂は夜は21時まで、朝は5時から営業していました。

 瀬戸内海は波のない静かな海ですから、船が進んでもほとんど揺れることはありませんでした。この晩の海は一面の霧。霧の中にぼんやりと陸地の灯が見えました。私は個室をとってあったので、試合に行く高校生たちとはちょっと離れた船室でゆらりゆらりと揺られて白河夜船。以前、五島列島に行った時も、博多から夜の船に揺られて行ったことを思い出しました。瀬戸内海から九州沿岸は今でも、船便がけっこう活躍している様子です。

 船室の壁にサイドブレーキの引き忘れによる重大事故が多発しているという掲示がありました。国土交通省が出したもので、死亡事故の実例が書いてありました。慣れた作業でも、注意を怠らずにという通達でした。

 静かに航海を続けて朝焼けの大阪に。昨年から大阪芸術大学へ通っているので、大阪港が見えてくると半分、帰ってきたような気がしました。街の向こうに山並みが見ていました。大阪港からは地下鉄で(今度はほんとに地下鉄です(笑))新大阪へ。

 私が乗った船は博多から大阪までノンストップの船でしたが、沿岸の港に寄港する船は夕刻でも早い時刻に出船するようでした。夏の日の長い時にそちらに乗船すれば、瀬戸内海の夕景色を楽しむこともできるようです。 888 20090312 波の枕霧の毛布  写真は朝日を浴びる大阪港です。

 豊肥線というとなぜか笑う伊藤比呂美さんです。たぶん頭の中に別の字が浮かんでいるのでしょう。熊本からの帰りは別府から船に乗って大阪に出るというと「ホウヒ線で行くの?」と聞かれたのですけど、そのときはとくに自分の考えに疑問もなく「福岡に出てから別府に行くの」と答えました。

 まさかね。福岡にも「別府」があるとは思わなかったのです。「別府(福岡)」と書いてあっても、まったく無視していました。今日、改めて調べてみたら兵庫にも「別府」がありました。福岡は「べふ」ですが、兵庫のほうはなんと読むのか解りません。

 いろんな人に聞いてみると、瀬戸内海を行く船便は今もで便利に利用されているそうです。フェリーで車も積めるので、修学旅行とか長距離トラックの運転手さんが利用するそうです。経済対策で休日の高速道路が一律に1000円乗り放題になると、こういうフェリーが打撃を受けるのではないかという新聞記事を見つけました。

 熊本駅は市街地より少しはずれたところにあって、灰色の四角い駅舎。なかなかいい感じでした。乗ったのはリレー特急「つばめ」。これが、濃いチャコールグレーの車体なのです。昔の機関車をイメージしたのかもしれませんが、私の目には「なんだかダースベーダーみたいな電車だなあ」と見えました。

 福岡へ向かう途中で田原坂公園というところがあって、桜の名所だそうです。そう、あの越すに越されぬ田原坂で有名な西南戦争の激戦地です。なせか、田原坂の桜を見てみないなあと思いました。話があとさきになりますが、大阪についてから今度は津山城の桜のポスターを見て、これも行ってみたいなあと思っていました。津山は、あの惨殺事件があった場所です。「血と桜」ってどうも、自分でもなんだか解らないのですけど、妙に気になる。どうしたわけでしょう。雨模様の中を福岡まで、ところどころに黄色い菜の花の群れが花をつけていました。

 福岡の200円では別府(大分)まで行けないと気づいたのは前述のとおり。大急ぎでJRの駅に駆け戻って飛び乗ったのはソニック特急。車両の色やデザインをまったく覚えていないのはあせっていたからです。でも座席はなんとなく革かなと思えるふかふかのシートでした。ここのところ、飛行機と新幹線で駆けづりまわっていたので、特急の車両がこんなに贅沢になっているとは知りませんでした。

 小倉で車両は向きを変えて走るので、みんなで、座席の位置を直しました。それからうとうとして、目が覚めると

 「Next station is USA」

 の文字が表示板に流れて行くではありませんか。なになに、USA(アメリカ合衆国)だって!夢の中でカリフォルニアと熊本の往復している伊藤さんのことを考えていたので、一瞬「ややや!」でした。もちろん太平洋を渡ったのではなくて「USA(うさ)」でした。で、ソニック特急が別府に到着して、大阪行きのフェリーが出るまでには20分しか時間がありません。別府到着直前には「もし船に間に合わなかったら、今晩は別府温泉に泊まっちゃおうかな」と下心も。
 が、ちゃんとタクシーの運転手さんが港まで急行してくれました。 888.jpg 887 20090311 心筋梗塞後遺症  熊本の皆さん、どうもありがとうございました。飛行機に乗るとき、気圧の変化に耐えられるかなと少し不安でしたが、おかげさまで特段のこともなく熊本に到着できました。7日8日と大勢の皆さんに起こしいただきましたことを御礼申しあげます。

 熊本文学隊の皆さんから「大丈夫ですか?」と尋ねられたのですが、心臓のほうはとくに後遺症も残していないので、元気です。後遺症といえば「死んじゃったら、あれもしなくてもいいし、これもしなくてもいいのに」とフイに思うというのが、後遺症でしょうか。どうも義務ってやつが少々メンドクサクなっていまして、いけません。それで生きているうちにやりたいことってのもあまりないものですから、このまま、この後遺症にどっぷり浸かっているとものすごい怠け者になりそうです。いや。もともとなまけものですが。

 それから熊本近代文学館の鶴本さん、お騒がせしました。帰りは別府から船便で大阪に出ることになっていたのですが、福岡に「別府(べふ)」という地下鉄の駅があって、私がその「べふ」と大分の「別府」を混同していたので、大騒ぎをさせてしまいました。ほんとうにそそっかしくてすみません。

 間違っているのに気づいたのは博多で地下鉄の切符を買ったときでした。博多から「べふ」まで200円。幾らなんでも200円じゃあ別府にはい行けないだろうと、JRの駅に駆け戻って16時20分発の大分行き特急に飛び乗りました。別府に到着したのは18時27分。タクシーで関西汽船のフェリー乗り場に急行して、なんとか18時50分の大阪行きのフェリーに乗りました。その間、皆さんが私の勘違いに気づいてご心配いただいているとは、つゆ思わず、携帯の留守番電話と着信に気づいたのは、船がゆらりゆらりと瀬戸内海の波に揺られている19時50分になってからでした。

 大阪到着は翌朝の6時30分頃。それから地下鉄で新大阪に出て新幹線で東京到着は11時50分。熊本駅まで送っていただいたのは前日の13時45分でしたから、だいたいまる一日かけて東京に戻ってきました。それでも「三四郎」に比べたらもうすごい超特急です。
 
 九州の特急と船の旅の話はまた明日にでもします。 886 20090306 これから  熊本に行ってきます。飛行機が揺れないといいなあ。 885 20090304 文章は気合だ!  そういうわけで、卒業が決まったM君、気合を入れて一日だけがんばってみて下さい。気合が入ると思いがけずすごい文章がかけます。

 「なんだかわからん」と思った皆さん。なんだかわからんままにしておいてください。

 文集担当のMさん、ごめいわくをおかけしますが、どうぞよろしくおとりはからいお願いします。

 誰か法政の学生でここを見ていたら「気合だ!」と叫んでいたとM君にお伝え下さい。ではでは、

 本日は私信でした。 884 20090223 出てきた。  かげもかたちもなくなちゃった保険証。このコラムを書いているときに「あ、もしかしたら落としたのかもしれない」と思い当たりました。それで遺失物の届けを飯田橋の交番に出しに行くと、(これは再発行をお願いしたときに係りの人から遺失物の届けを出しておいてほうがいいですよと忠告されたから)あったのです。どなたかが警察に届けてくれていました。麹町警察まですぐにとりに行きました。取得者の名前はあかさないということでした。

 拾ってくださった方、どうもありがとうございました。 883 20090217 消えたもの。出てきたもの。  病院へ行こうと思って保険証を出したのです。それから病院へ持って行く書類といっしょにクリアファイルに入れました。そこまでははっきり覚えています。ファイルをハンドバッグに入れて、病院へ付いたら保険証がないのです。病院に到着するまではハンドバッグは触ってないのに。と、ここまで書いて、突然、思い出しました。病院への道順を調べるためにファイルを一度出しました。

 そうか。そのときに落としたのかもしれない。それなら解る。いや、病院へついたら保険証がなくなっていて、それで家に帰っても見当たらないので「謎」でした。病院は順天堂で紹介された糖尿病のクリニック。ほんとにあわててしまいました。

 それから、去年の暮れから見当たらなくなっていたストールが出てきました。12月28日に新宿まで買い物に行き、関節が痛みだして、熱も出たので、車を拾って家に帰ってから、ストールが見当たらなくなっていました。クローゼットにしまったような気がしていたのに、ないのです。インド製で手で唐草の花柄を刺繍したもの。同じものを探してもおそらく日本にはないでしょう。で、ものすごくがっかりしていました。だって、刺繍の色に合わせて手袋まで買ったのですから。
 こっちは出てきました。クローゼットの中にありました。上に別の上着をかけて仕舞ってあったのです。

 消えたものと出てきたものの話でした。保険証は出てこないだろうなぁ。 882 20090216 ジンガロ  夏休みに馬に乗りにいったとき、乗馬クラブの壁に「ジンガロ」のポスターが張ってあるのを見つけました。
 前回の日本公演の時は「これが最初で最後」と言われていたので、さっそく6ヶ月先のジンガロ公演を予約。それが2月15日のチケットです。

 行ってきました。ジンガロ公演。前回はチベット僧の読経の声が入るエキゾチックな演出で、馬の足運びを見せるという興行でしたが、今度はジプシー音楽を背景に猛烈なスピードで馬が疾走する舞台でした。今回のほうが解りやすし、馬術や乗馬を知らなくても楽しめる舞台でした。

 場所は木場公園のテント。観客の入場は開演15分前から。テントに入ると馬の匂いがしました。中央に丸い馬場があり、馬場の真ん中に円筒形に水が流れていました。で暗い馬場に馬の姿が。4頭。最初は動かないので作り物の馬かなと思いましたが、なんというか生き物の迫力というのか気配がするのです。すると1頭が頭を下げました。ほんものの馬なんだと確認。馬場が明かりに照らし出されてみると。なんと15頭もの馬がもう馬場に入っていたのです。それだけでもびっくり。

 遠景の馬場に南側に弦楽器のステージが、北側には打楽器と管楽器のステージがあり、この両者がジプシー音楽を奏でます。牧草が雨にぬれたような、幾らか物悲しい音色と、夕日のなかに埃がきらめいているようなにごった感じの音色で、リズムの早く曲が次々と演奏されました。馬も猛烈なスピードで馬場を周回し。馬上の人は体操の鞍馬の演技でもするように自由自在に動き回っています。いや、早い、早い。

 どきどきしました。ステントが二個入っている心臓がちょっと痛くなりました。正直、不安でした。すごい!と興奮するのですけど、こんな狭い馬場であんなに疾走して大丈夫なのかなと怖くもなりました。馬上に立ち上がってバイオリンを弾く人もいれば、スーザホンを吹きながら、曲芸をやってのける人も出てきました。あまりに早い演技で、ええと、何が先で何があとなんだかちゃんとは思い出せません。ハイスピードのメリーゴーランドの上で曲芸をやっていると思って下さい。終盤では熊が登場。なんとこの熊が馬ののるのです。熊を連れてきたおじさんが、走る馬と一緒に走って「立て」と叫びます。これが日本語だと気づくまでに少し間がかかりましたが、日本語と気づいた瞬間に熊の馬の上に立ち上がりました。それまで本物の熊だと思っていたけれども、立った瞬間に着ぐるみだと解りました。が、直後に熊は馬から飛び降り客席に乱入。客席の女性に抱きついて、熊使いのおじさんに頭を叩かれていました。

 前回の日本公演で、絶妙な馬の足裁きを披露したジンガロ氏は今回は、最後に驢馬に乗って登場。なんとあの耳の長い驢馬まで、疾走していたのです。これにも驚き。疾走する驢馬なんて、しかも人間を乗せて疾走しているのです、初めてみました。驢馬を馬だと思って乗っていたドン・キ・ホーテがみたらさぞうらやましがることでしょう。疾走する驢馬がひっこんだ後は白い馬が馬場の中央に集まり、水を浴び、あおむけになって背中を砂にこすり付けるという場面。それから、北と南の陣取っていた楽団が馬場におりて、スラブ的な音色をたっぷりきかせながら、闇に沈んで行くというステージでした。まじで心臓が痛くなるくらいわくわくしました。 881 20090215 壊れる壊れる  家のなかにもののけがいるんじゃないかと思いたくなるほど、散らかることがあります。もののけはほんとうにいるのかもしれません。

 退院してきてから、ものが壊れる。壊れる。身代わりになっているみたいにいろんなものが壊れました。まず洗濯機。これは11月ごろからエラー表示がでて洗濯が途中で止まってしまうのです。1月に修理依頼いしたんですけど、まだ修理屋さんが来ないの。もう一度、修理依頼をしなおさなくちゃ駄目みたい。

 急須の蓋が真っ二つに割れました。これは退院した日のこと。洗っていたら、真っ二つになっちゃったんです。それから、ガラスのポットの底が抜けました。割れなかったけど、お茶がどんどん漏ってしまって使い物になりません。さらには私の部屋の時計が止まっちゃいました。電池を入れ替えたんだけど、ぜんぜん動かない。ドイツ製の安い時計だから20年も使ったら寿命なのかもしれません。

 なんでこんなに次から次へと壊れるのだろうと不思議になるくらいです。時計は昨日、新しいのを買ってきました。日本標準時を自動で受信するという時計で、ちくたくちくたくという音がしません。いつのまにか時計屋さんって少なくなっちゃったのはどういうわけでしょうねえ?携帯とかパソコンとかそういう機器で時計の役割も持たせちゃっているのでしょうか? 2年ほど前にいつも使っている時計を修理にださなければならなくて、修理から戻るまでの間の合わせで腕時計を買おうと思ったら、街から安売りの腕時計が消えているのに気づいて困ったことがありました。

 それにしてもここ2週間は「壊れる壊れる」です。なんだか電気釜の怪しい動き方をしています。これって家の中のもののけが身代わりになってくれているみたいな気がします。もしそうなら、ふだん、家の中を散らかすくらいのいたづらは大目に見てあげてもいいんだけどなあ。 880 20090214 「おたあジュリア異聞」完結  今日「おたあジュリア異聞」完結します。夕刊ですからまだ配達にはなっていないと思いますが。ともかく今日で最終回です。というのは静岡の話。熊本日々新聞で読んでくださっている皆さんはまだ数日続きます。たぶん、来週の半ば頃に完結です。

 皆様、御愛読ありがとうございました。

 飛行機では離陸後の10分間と着陸前の10分間はたいへん緊張するそうですが、連載小説も最初の1ヶ月と最後の1ヶ月は、ちゃんと書き始められるか、ちゃんと終われるかで、緊張します。急性心筋梗塞の入院騒ぎはちょうど、その1ヶ月手前のことでした。
 飛行機なら着陸のベルト着用のサインを点灯させて、客室乗務員もコックピットも緊張するようなタイミング。ミニチュアの模型のようだった滑走路が、パイロットの視界の中でだんだんとリアルな大きさになり、誘導灯も目視できるようになってきているところって感じです。もう着陸態勢に入っちゃっているのに、中断させたくなかったのです。

 飛行機と違って着陸に失敗しても、乗客が死ぬようなことはない(あ、書いている作家本人が死んじゃうのは別ですが)ので、その点は気楽といえば気楽ですけど。
 とにもかくにも、皆さんのご協力と御はげましで完結までこぎつけました。どうもありがとうございます。
「おたあジュリア異聞」は集英社から本になる予定です。本にするには手を加えようと考えているので、やや時間がかかるかもしれません。本ができましたら、またお知らせします。 879 20090213 田原総一郎ノンフィクション賞  というわけで、退院しました。入院中お世話になったお医者さん看護士さんどうもありがとうございます。御礼申しあげます。

 で、ここからは心臓に悪い話。作家の宮崎学さんが私を大急ぎで探しているという報告は、息子からも、このHPの管理人の豆蔵さんからも報告が入っていました。
「はて、なんだろう?」とは思いましたが、集中治療室から出てきたばかりじゃあ、どんなに探されても何もできません。それで、豆蔵さんにも息子にも「心筋梗塞を起こして入院中だ」と伝えてもらうように頼んでおきました。

 そんなに大急ぎなら一週間も過ぎてしまえばもう「御用済み」だろうと思っていたら、退院してみると宮崎さんから「連絡を下さい」と留守電が入っていました。

 私が歯槽膿漏の痛みを抱えていた時、新幹線の中で数学者の森毅さんに出会ったことはこのコラムにも書きました。森さんとは同じ車両だったので、新幹線に乗り込むときにご挨拶をして立ち話をしてます。「この頃、知り合いがようけい死によって」というお話をしたのです。同じ新幹線には宮崎学さんも乗っていました。が、こちらは恐ろしいほどの痛みで、それどころではなかったのです。この時、ホームを歩いている二宮清純さんも見かけました。なんだ、この新幹線は、月刊誌の目次みたいじゃないかと、思いつつ、歯医者さんに電話をしたのです。痛みが尋常ではなかったので、飛び込みで診療してもらう気になりました。例の痛いで歯医者さんに連絡をとったのはこれが最初。

 宮崎さんを一番最近に見たのはこの時ですが、そんなわけでお話もしませんでした。この時の痛みの帰結はここまでに書いてきたわけですが、今度はその宮崎さんから「連絡を下さい」の伝言。

 電話してみました。すると、宮崎学、魚住昭、佐藤優で「田原総一郎ノンフィクション賞」を作るのだというのです。こう言っちゃあなんですが、想像するだけで、なんか心臓に悪そうなメンバーだなあと、電話を聞いている私。出版社やテレビ局の支援を受けない独立系の賞にするということで、資金援助を申し入れた版元もあったけれども断ったということでした。ますます心臓には悪そうな話であります。

 ノンフィクションというのは、取材で小さな事実証言を積み上げ、さらには、その事実や証言のウラもとるので本はいきおい厚くなるのです。8ポ2段組400ページなんて当たり前。賞を制定するなら、その分厚い本なり原稿なりを読まなくちゃならないのです。運動なら心臓リハビリでどの程度の運動が可能か知れべられますけど。読むのもけっこうこれで身体を使うのです。なにもフィクションの作家である私をひっぱりださなくても、ねえ。昨日まで病院にいたんだし。「女の人にひとり入ってもらいたいんで」というのがその理由でした。

 急いでいたのは記者会見までに、私の意志が知りたかったというのが理由でした。1月22日に記者会見があったそそうです。
「それで、もうどなたか決まったのでしょ」
「いや、選考委員をさっき言った『3人ほか』ということにして、『ほか』は誰だと聞かれたけど、交渉中ということになってます」
 そんなあ。ああ、やっぱりこれって心臓には悪いよ。運動検査じゃなくて読書検査ってのがあればやってもらわなくちゃ。1日に200ページ以上は読むなとか。

 この件を知人に話しすと
「それでどうしたの?」
 と聞かれたので
「うん、と言っちゃったんだ」
「じゃあ、やっぱり今までと変わらないじゃ」
 とまあ、そういうことなのです。どう考えても心臓に悪そう。 878 20090212 糖尿病教室  インシュリンの注射は、ご飯が最初に出た時から始めていました。最初に習ったのが「低血糖症とその対処法」。インシュリンを使い始めたらまず、これを覚えておかなくちゃならないみたいです。インシュリンを使い始めたらずっと使い続けなくちゃいけないと聞いたことがあったので、その点をヨシダセンセにお尋ねしてみました。

 幼稚園や保育園には小さいのに、とても冷静で博士みたいな顔をした坊やが必ずクラスにひとりくらいはいます。ヨシダセンセは小さい時はきっとそういう坊やだったのだろうなと思わせる先生です。で、そのヨシダセンセは「ううん、づっと使い続けなくちゃいけないかどうか、今のところちょっとわかりません」でした。わからないということは、使い続けなくてもいい場合もあるわけだなあとぼんやりと理解。2、3日したら「注射じゃなくてお薬の服用に戻せるかもしれませんよ。今は心臓を保護するのに即効性の注射を使っていますけど」というお返事がきました。

 この即効性という意味がよく解らなかったのですが、要するに何かを食べる直前に注射をするとすぐに効き目が出るという意味らしいのです。だから最初に看護師さんから低血糖の説明があったわけです。それから「退院後に通う病院を決めて下さい」とも言われました。順天堂は大混雑ですから、慢性病の糖尿病の治療に通うのは不向きなので、どこか病院を決めてから退院して欲しいということで、決めなくちゃ退院させないよとまで言い出しそうな感じでした。最初は自宅の近くが良いとのことでしたが、お話をして行くうちに飯田橋に順天堂系列の専門クリニックがあって、ビジネスパーソンのための夜間診療もしているということが解り、その病院がよさそうだと、そこに通うことを決めました。
 その間にも、ご飯のたびに血糖値の測定とインシュリンの注射の方法を練習していたわけです。

 火曜日に糖尿病の授業をふたつ受けて下さいと言われた時「90分ですか?」と尋ねると「60分です」というお答え。「試験もあるのかしら」と半分冗談で聞いたら「試験はありません」というお答えでした。でも試験問題はありました。

 二度目の火曜日に糖尿病教室に行くと受講生は4人。おじさんが二人とお婆さんそれに私。午前中は糖尿病一般についてのお話。毎日、病室で出されているご飯は身長を基準にしたものだそうです。実際に食べた感じで覚えて下さいという説明。すると私の隣にいたおじさんが
「俺に食べさせないで女房に食べさせてくれ」
 といいました。確かにそのほうが実際的かもしれません。
「奥様にも入院してご飯を食べてもらうコースもあります。保健適応ではありませんが」
 というお答えで、へえと思いました。
 説明が進むうちにまた隣にいたおじさんが
「こういう糖尿病のメニューを弁当にして届けてくれるとか宅配してくれるってのはないのかしら」
 と言うのです。すると
「割高ですけど、そういう宅配メニューもあります」
「それを注文して女房に食べさせればいいんだ」
 とおじさん。確かにそれはいい考えです。
「奥様だけじゃなくて一緒に食べて下さい」
 それはそうだ。
「病院のご飯はおいしくないかもしれませんが、食べた感触で一日の摂取量を覚えていただくといいのです」
 と先生。するともう一人のおじさんが言いました。
「病院のご飯はまずくないよ。おいしいです」
 そうなんです。病院のご飯はおいしかったのです。
 午前中はこんな具合でお終い。
 午後は「糖尿病と使用する薬」の話。プリントが配られました。プリントを見ると最後に括弧の中に正解を書き入れる問題が10題ほど出ています。10題のうち2、3題はひっかけがありそうな曲者の問題。ほうらね、試験はないけど問題は出てくじゃんと思っていたら、お話の最後のほうで、この問題をとくことになりました。どういうわけだか、ひっかけ問題ばかり私の回ってきました。ま、私が講師でもスムーズに講義を終わらせるために同じ選択をしたかもしれませんが。

 授業のあとで病室に来たヨシダセンセが「お教室はどうでしたか?」と尋ねるので「糖尿病のことがよくわかりました」と当たり障りのないお返事をしました。
「間食をしていただきたくないというのがあのお教室のねらいなのです」
 と、これを聞いて、それまで糖尿病一般について円を描くように教えてもらったという印象が、急に一本の筋が通って全体の狙いが見えました。ああ、そういうことかと納得。何かを食べれば血糖値は上がるのは当たり前なことで何も食べないわけには行きません。そこで、一日24時間のうちにどうやって血糖値が低い時間帯を確保するのか、それが重要だということになるわけです。お話していて、そのポイントがぴんと来たわけです。

 病院にいる間に次々にいろんなことを説明されました。説明されて理解できるうちはいいけど、もっと年をとったらどうなるのでしょうね?だんだん新しいことや面倒なことは理解しにくくなるわけで。
 大学の教授会でさえ、新しい概念や考え方が入っているたびに、もめるというのではなくて、概念の理解や考え方の理解がうまく行かなくて迷走することがあります。そんなの年中で、説明ってのもなかなかむずかしいもんだなとため息が出ることも珍しくありません。

 それはともかくとして、これで退院です。家からはもう退院用の靴も上着も届いていました。でもスカートだけは届いていなかったのです。スカートがなくちゃ病院の外に出られないじゃん。たぶん娘がそうしたのでしょう。やれやれ。もちろん、翌日には息子と娘がスカートを持って迎えに来てくれました。 877 20090211 ハニートラップ  ハニートラップは通常は男性に対して美女がしかける甘い罠ですが、私の場合は「甘味の罠」。心臓神経症の頃、かなりの鬱状態で、心臓神経症も鬱状態の延長でおきたのですけど、この「鬱」を乗り切るのに、大量の糖分を摂取しているんです。簡単に言えば甘いコーヒー、紅茶それにコーラを飲んで鬱を迎え撃っちゃったんです。甘味は気分を安定させて頭の働きをよくしますから。たぶん糖尿病と高脂血症はその後遺症みたい。お医者さんが聞いたらなんというか解りませんが。

 話は戻りますが、一般病棟に移ったときから、内分泌科の先生たちの治療も始まっていたわけです。火曜日は眼科を受診。「白内障」と聞いたときは「しめた!」と思いました。網膜症と違って白内障なら手術で症状が改善します。もっとも、網膜症があるかどうかはまだ解らないのですけど。で、同じ日に保健委員先生が糖尿病の病状説明。
 
 ご飯は糖尿病用のメニュー。少なかったご飯の量が増えたのは、木曜日でした。ご飯を増やしましょうと言われて楽しみにしていたら、おかずはふえずにご飯の量が2倍になりました。その昔、糖尿病にかかるとご飯をひかえろと言われたのですけど、今はたんぱく質などを控えてかわりにご飯を食べるようにと指導しているみたいです。昔のお医者さんはこんなに豊富に食べ物が出回る時代がくるとは思わなかったのでしょう。

 金曜日になると「退院は火曜日に糖尿病教室の授業を2つ受けてからにして下さい」と言われました。だから退院は翌週の水曜日ということになりました。糖尿病の教育入院のコースに割り込ませてもらったみたいです。血糖値の測定とインシュリン注射はご飯を食べ始めたときから、少しづつ覚えるようにしてました。

 病棟実習生君がハンマーと音叉を持って病室に現われたの木曜日の午後。反射神経の検査と手足の神経の検査をさせて下さいということで、応じました。
 「どうでしょう」と尋ねると「まだ二人の患者さんにしか試していないのでよく解りません」というお返事でした。イング先生が来て同じ検査をしたのが金曜日の午後でした。この日は息子が彼女を連れてやってきたので、彼が帰る時、病院のエントランスまで見送りに行きました。病院の入り口のあるレストランは「山の上ホテル」が出しているレストランでした。「へぇ、山の上ホテルなんだ」と3人で覗きこんでしましました。息子が「ご飯を食べて行こうかな」というので「それでもいいよ」と言ったのですが、水道橋のシビックホールでのリハーサルに間に合わないかもしれないと、ホルンを背中に背負ってエレベーターを降りてゆきました。

 翌日の土曜日、夕方、娘が来たので、やはり帰りにエントランスまで見送り。娘はレストランでサンドイッチを、私はお砂糖を入れないストレートティを飲みました。日曜日にはお見舞いにもらったお花がくたびれてきたので、片付けました。病院の入り口の日比谷花壇を覗いたらいんげん豆の花を売っていたので、これを買ってきて活けておいたら、月曜日には花が散って、小さな豆がなりました。熊本から大きな花かごが届いたのは月曜日。菊の花が良い匂いをたてていました。看護師さんが感心してみていました。

 二度目の月曜日はいちばん閑な日になりそうだと思っていたら、午後になって予定になかった心臓リハビリの呼び出しがかかり、例によってストレッチと自転車漕ぎを20分。ついてにウォーキングマシーンで20分のお散歩もしました。病室に戻ってくると病棟実習生君が現われて「もう一度、検査させて下さい」と病室にやってきました。同じ検査を再度試みた病棟実習生君は、首をかしげています。
「さしつかえない範囲でいいですから、先生の検査と君の検査はどの程度、結果が違うのか教えて下さい」
 と尋ねると
「先生の検査だと足には少し感覚の鈍磨があるのですが、僕の検査だと正常なんです」
 というお答えでした。
 インゲ先生の叩く音叉はたとえて言えば遠くで聞く除夜の鐘ですが、病棟実習生君の叩く音叉は大げさに言えば鐘の中に頭を突っ込んでいるような感じでした。叩いたとたんに部屋の空気がび〜んと響くのです。
 そのことを告げると
「でも、思いっきり叩いていいと教わったのですけど」
 と腑に落ちない顔でした。
 そうねえ。思いっきり叩いていいと教えてもらったのがどんなシチエーションかにもよるなあと思ったものです。慣れない道具をおそるおそる使っている様子を見た先生が「思いっきり叩いていいよ」というのと、20代前半の青年が力任せに叩くのでは、まったく力加減が違うわけで。

 医学生というのは教室で勉強して試験を受けたりレポートを書くほかに、手の技を覚えたり、目を利かせたり、患者さんとの応対にも慣れなきゃならないので、なかなかたいへんです。 876 20090210 一ヶ月検診  病院に行ってきました。1ヶ月検診です。まだ少し早いのですけど、来週の火曜日は予定が入っているので、一週間早めに検診を受けてきました。

 外来は大混雑。94歳のお爺さんに87歳のお婆さんがつきそっているなんていう人もいました。94歳のお爺さんは心筋梗塞も脳梗塞もやったことがあると言っていました。、外来から入るのは初めてだったので、少々、うろうろ、血液検査のための採血をして、それから心電図を安静の時と運動後の時をはかり、あと尿検査もありました。で、それから待つこと3時間。診察室では午後の診療が始まっていたので、もしかすると忘れられたのかなと、やや不安。でもちゃんと見てもらいました。

 外来の先生は開口一番「やあ、たいへんな目にあいましたねえ」でした。一個だと思っていたステントが二個入っていることを教えてもらいました。で問題は高脂血と糖尿病。その二つだけというのもへんですが、それ以外にはこれと行って悪い数字は見当たらないということでした。二つでも充分ですが。

 御茶ノ水をふらふら歩いて、ランチョンでハヤシライスの昼食。

 退院した日も同じ道を子どもたちとぶらぶら歩いて、ランチョンでごはんを食べました。

 手術で使ったお薬のおかげかもしれませんが。集中治療室で脳内御茶ノ水散歩を試みていたのです。明大の前の坂を下って駿河台下の「ささま」で最中を買おうかとか、すずらん通りに入って「スヰートポーツ」で餃子を食べるのもいいな、それとも「揚子江飯店」のチャーハンかな、あ、そうだ「さぼうる」でコーヒーを飲まなくっちゃとか。あとロシア料理の「バラライカ」もあるし、ロシア料理といえば白系ロシア人のお婆さんと日本人のお婿さんが年中けんかをしているロシア料理の店の名前はなんだっけ?とか。そうそう「茶論」という喫茶店もあって映画研究会の溜まり場になっていました。駿河台ホテルの「ふらんす」は学部のクラスの溜まり場でしたけど、駿河台ホテルごとなくなってしまいました。今は明治大学の新しい校舎が建っています。

 ランチョンのメンチカツの端っこを食べたいなあと思ったのもそのときでした。そうだ、今年の冬は生牡蠣をまだ食べてないぞとも思いました。ランチョンのわきの道に入っておそばの「満留賀」それから焼き鳥の「ホワイトハウス」もあったし、あと山の上ホテルを忘れちゃいけない。山の上ホテルが出てくるなら「いもや」の天丼もありました。とこんなあんばいで、御茶ノ水と神保町を散歩していました。だってもう30年もこのあたりをうろうろしているのですから。

 子どもたちは病院の車寄せからタクシーを拾って私を家に連れ帰ろうと考えていたのですが「お天気が良かったら御茶ノ水を散歩してランチョンで生牡蠣を食べたい」と言って、そういうふうにしました。

 で、今日、ランチョンにお昼を食べるために入ったらメニューの生牡蠣に「今年は終わりました。秋までお待ち下さい」の文字が書かれていました。 875 20090209 心臓リハビリ  水曜日になると退院の話題がぼつぼつ出てきました。「一週間で退院ですね」という看護師さんいれば、「もう一週間で退院ですね」という看護師さんがいます。「1週間で退院」と「もう一週間で退院」ではえらい違いです。
 そういえば、カテーテルを抜いてくれたお髭の先生が「これなら一週間で退院できるけれども、内分泌科がなんと言うかしら」と言っていました。ここにきて、心臓よりも糖尿病のほうが重大になってきたのです。こんな患者さんを野放しにするわけにはいかないと、そんなふうに思われたのかもしれません。

 血栓予防の靴下というものを集中治療室で履かせてもらいました。足の甲とふくらはぎを締め付けるハイソックスみたいなもので、つま先はゆるゆるで、踵はありません。この風変わりな靴下は、足の血管に血栓ができるのを防ぐ効果があるのだそうです。で、火曜日にこれが窮屈になって脱いでいたら「ちゃんと履いていてください」と叱られてしまいました。

 その靴下を脱いでもいいというお許しが出たのは水曜日の午後でした。それからあのトランジスター型の発信機もとってもらいました。シャワーを使ってもいいと言われました。またマカロン先生は「少しそのへんを歩き回って下さい」とも。
 その辺とはどの辺か? と思いつつ、たぶん病棟の同じフロアの中だろうと見当はついたのですが、内緒でそっと外来の受付がある階までエレベーターで降りてみました。もう外来の時間は終わっていて、静かなロビーにはお雛様が飾ってありました。ガラスの扉の向こうには、上り下り2本のエレベーターがあり、その向こうは御茶ノ水へ続く通りでした。「やあ、ちょっと下界を降りてきたぞ」という気分。同時に「ほんとに順天堂に入院していたんだ」と実感。叱られないうちに病棟に戻りました。

 家からは簡単な室内履きが届けられて、人が靴で歩くところをうろうろするには心もとないところがありました。これは娘が、靴などを届けると病院を抜け出したりしかねないと思ったみたい。お財布も5,000円だけ入れた娘のお財布が届いていました。その娘はいつも会社の帰りに病院へ寄ってくれていました。

 というわけで水曜日には手術のあとで身につけたものがすっかりとれたのでした。で、木曜日の朝、ごはんと一緒に来たメモには「心臓リハビリ」の文字。リハビリというと麻痺のある部位の機能回復のイメージがあったので、はて? 何をするのだろうと首をかしげました。時間になると看護師さんが車椅子で迎えに来てくれました。で行った先はスポーツジム。ふつうのスポーツジムとの違いは、ウォーキングマシーンをパジャマで使っている人がいるくらいです。

 でまずビデオに身ながらストレッチ。それか自転車を10分ほど漕ぎました。で、終わったら病棟からまた看護師さんに車椅子で迎えに来てもらったのです。あとマカロン先生に「車椅子でスポーツジムに行くのはなんだか妙な気分です」とお話したら「介護度の程度を下げましょう」とのお返事でした。それで金曜日には自分で歩いてジムに行きました。歩き回ってよい範囲が「そのへん」から「病院内」になったのはマカロン先生とお話してからでした。

 大阪芸大に行っていた長谷川さんが東京に戻って病院へ来てくれたのも木曜日のことでした。「もしもの時には長谷川さん考えてね」とお願いすると「ロマンチックになるな」の返事。どうもこの会話はかみ合っていないなあと、やや困惑。「もしもの時」を「支離滅裂な原稿ができたとき」ではなく「死んじゃったとき」と受け取ったようだと気づいて訂正しようとしたとき、このHPの管理人の豆蔵君と、このHPを作ったオントフの金承福さんがやって来ました。

 で「もしもの時」ってのは「死んじゃった時」ではありませんという訂正がだせないままになってしまいました。前日にノートブックパソコンごと原稿を持っていってくれた朴さんからは何もサデッションがありませんでしたから、たぶん支離滅裂原稿は免れたのだなと、あえて「死んじゃったとき」の訂正はしませんでした。まだ内緒なんだけど、この「豆畑の友」は近々リニューアルします。豆蔵君と金承福さんはその準備を進めてくれていたのです。で、頓挫しているリニューアルのことを話しました。

 金曜日は自分で歩いて心臓リハビリに。ストレッチをして自転車を20分漕ぎました。退院後の検診の時に心臓がどの程度の運動に耐えられるか調べてくれるとのことでした。

 気になったのは自転車の前においてあった体脂肪の模型。1キロのやつと3キロのやつ。日向で溶けかけたバターみたいな模型が気になって仕方がありません。触ったらぶよぶよしているのかべたべたしているのか、いったいどんなさわり心地なのでしょう?そこで「あとであの模型を触ってもいいですか」とリハビリ担当の先生に聞いてみると「触ってみますか」とすぐに1キロのほうを持たせてくれました。ずっしりぶよぶよでした。「こんな塊がお腹に入っているわけじゃなくて、腸の周りなんかについているんですよ」と言いながら3キロのほうも持たせてくれました。スーパーで鳥のレバーを買ってくると、時々、そういう脂肪がついているのがあります。あれにそっくりな色をしていました。 874 20090208 前兆現象  伊藤さん、どうもありがとう! おもしろいと言っていただいたので、つい調子に乗っちゃいました。おかげさまで採点も卒業面接も入試もなんとかこなしました。

 それでみんなに前兆はなかったのかと聞かれるたのですが、これがあったのです。自分でこのコラムにも書いていました。歯槽膿漏の痛みです。

「心臓疾患は胸痛に現われるだけでなく、下顎や肩の痛みとして現われることがあります」とちゃんと家庭の医学に書いてあるのは前から知っていたのです。きっと同じ本に「鍋蓋を押し付けられたような痛み」という表現もあったにちがいないのです。心臓神経症をやった頃に、何度も心臓疾患の項目を読みました。でも、そんなへんな比喩を覚えていたのは意外でした。しかも咄嗟の時に口から飛び出してくるとは。

 で、歯槽膿漏ですが、もともと右下の歯茎には、治療しにくい病巣がひとつあります。歯槽膿漏の痛みが出たときに歯医者さんでその部位のレントゲンをとってもらいました。でも、そこはなんでもなかったのです。歯医者さんは、丁寧に上の歯と下の歯のかみ合わせを直してくれました。ずっと前からお世話になったいる歯医者さんで、今回は息子さんのほう(若い先生)に初めて見てもらいました。その丁寧な治療と痛みの間に何か乖離があるというか、溝のようなものがありました。
 それが「心臓疾患は下顎や肩に痛みが現われる」ということだったのです。

 歯槽膿漏の痛みが考えられたものが、ひと段落して、それから年末に熱をだしたのも、ここに書いたとおりです。新聞連載が終わると、たいてい熱を出したりインフルエンザにかかったりしますが、今回は終わらないうちに歯槽膿漏や発熱が出て、これじゃあ、済まないだとうあという予感はありました。
 左目が曇ってきたこともあって、連載が終わったら眼科と脳外科に行こうと思っていました。我が家は代々、脳血栓をやっているので、心臓よりも脳血栓のほうを疑っていました。医者嫌いですが、それでも医者に行こうと思っていたのは、たぶん最大の予兆です。

ふつうなら忘れてしまうようなことも、あとから遡って文脈に結びつけられて物語になるということがあります。ふだんはあまり見ないようなテレビの医学番組をぼんやり見ていたのも、そのひとつ。これは前兆ではありませんが「虫の知らせ」かもしれません。もしその番組を見ていなければ、医師の手術の説明をスムーズに理解できたかどうかわかりません。それから、1月の初めに乗ったタクシーの運転手さんが、糖尿病で「糖尿病は専門医に見てもらったほうがいいです。このごろはすごく研究が進みだしている分野ですから」と話していたのもなんだか「虫の知らせ」みたいな気がしてきました。タクシーはよく利用しますが、運転手さんが糖尿病だなんて言い出したのは初めてです。

 私が入院した順天堂大学医院(お薬袋を見たら、病院ではなくて医院の表示がありました)の隣りは東京医科鹿大学病院ですが、この医科歯科大学病院のある場所に獅子文六が住んでいたことがあるようです。あるようですというのは、獅子文六が70歳過ぎに読売新聞に連載した「但馬太郎治伝」にこの場所のことが出てきくるからです。「但馬太郎治伝」は小説ですから、この場所に獅子文六が住み、その前のは但馬太郎治のモデルになったバロン薩摩が住んでいたというのはフィクションかもしれません。ですから「あるようです」なのです。それにしても70歳を超えての新聞連載は命がけだったろうなあと思いました。 873 20090207 教授回診  日曜日にいささか正気付いたときから、慎重に運んできた新聞連載原稿をいざ書き出したのは、水曜日の朝ごはんが終わってからでした。

 最初はおそるおそるパソコンのキーを叩いていましたが、だんだん調子が出来て、これはいけるなあと確信した時でした。マカロン先生が部屋に入ってきて「はっ」とした顔で
「キョウジュカイシンデス」
と言ったのでした。ちょうど、調子が出てきたときだったのでこれが息子だったら
「バカヤロー、キョウジュガコワクテゲンコウガカケルカ」
と怒鳴っていたに違いありません。が、そこはマカロン先生が担当医だとは認識できているので、しばし、きょとんとしていました。原稿に集中していると何か言われても反応できないのは珍しいことではありません。
 するとマカロン先生は羽ばたく鳥のように両腕を上下させて
「キョウジュカイシンデス」
とまたおっしゃいました。

 私の頭に浮かんだのはいささか旧式ですが、図書館のインデックスカード。書名の表示は「文学部唯野教授」で、このカードがぱらぱらとめくれて「白い虚塔」の表示。とたんに耳の穴の中に散らばっていた「キョウジュカイシン」の文字が「教授回診」に凝固。そうか、教授回診なのかとばかり、大急ぎでパソコンのデータをセーブしてタオルケットを被りました。
 白衣を着た先生が病室に現われる寸前でした。やれやれ、これで原稿を取りあげられたら泣くに泣けないところだったなあと、胸をなぜ下ろしました。

 マカロン先生が病状を説明。白衣の先生は
「ちょっと足首を見せて下さい」
と言います。足首を探って
「やはり、少し沈着があるみたいでんね」
 と言うそばで、マカロン先生はすかさず足首のレントゲン写真を封筒の中から出して見せました。万事てきぱきとしています。
「ああ。そうね」
 と先生。これで教授回診は終わりでした。付き従っている先生たちも含めてちょっと張り詰めた空気でした。

 さて、教授回診もやりすごして、原稿。原稿。と朴さんが来てくれるまでにどうやら原稿を書き上げることができました。で、今度はその原稿をうまくUSBに落とすことができないのです。研究室でネットにつながずに使ったていたノートブックだったので、ソフトのバージョンアップをしていなかったのです。
 朴さんと協議の結果、ノートブックパソコンごと持ち帰ってもらって画面を見ながら、別のパソコンでデータを改めて打ってもらうことにしました。
 それで、以後、そんなメンドクサイことをするくらいなら最初から手書きの原稿のほうが、コピーもできるしファックスもできるということで手書きにすることにしました。息子にモンブランのインクを丸善まで買いに入ってもらいました。

 夕方。日本文学科主任の黒田先生が来てくれました。
「先生、教授って偉いんですねえ」
と言ったら
「まあ、何をおしゃるの?」
 と呆れていました。中国文学がご専門の女の先生です。で、黒田先生と卒業面接や後期授業の採点とか入試のこととか、どうしたものだろうと協議。

 金曜日には内分泌科の先生の教授回診がありました。
内分泌科の先生はなんとなくのんびりした雰囲気。担当医の先生とのやり取りも、ちょっとピンボケなところもありました。先生のお人柄とか診療科目でずいぶん雰囲気が違うものです。あの病棟実習生君も先生のそばでお話を聞いていました。 872 20090206 大学病院  高血圧、高脂血症それに糖尿病。とカテーテルを使った手術の時に、慢性病をたくさん発見してもらいました。で、一般病棟に移ると、それまでの循環器科の先生のほかに内分泌科の先生が病室にかわるがわる現われるようになりました。正直言って、一般病棟に移った翌日の火曜日あたりまで、あまりにたくさんのお医者さんが現われるので、誰が誰だか、よく解ってなかったのです。

 手術の時、息子に電話をして説明をしてくれたのは、ちょっとエネルギッシュな感じがする男性のお医者さんでした。「痛いですか?」「痛いような気がします」とカテーテルを抜くときの問答をしたのは、きれいに切りそろえられた顎鬚のある先生でした。
 手術の時にサインした同意書に「この手術にかかわる医師」と言う欄があったのを思い出して、そこにサインしている先生の数を数えてみました。7人の先生がサインしていました。

 循環器科の担当医の先生の聴診器には、マカロンやチョコレート、ケーキなどの色がきれいなお菓子のストラップがついていました。
「ははん、この先生は糖尿を治療する内分泌科の先生ではないんだな」
 と、気づいたときに遡って、手術中にいた先生で、手術後の説明をしてくれたものこの先生だったと、ようやくお顔をお名前が一致しました。仮にマカロン先生と呼んでおくことにします。
 
 マカロン先生がちゃんと認識できるようになると、内分泌科の先生は3人の先生が、代わる代わる現われることも解ってきました。お一人はにこにこした男の先生。法政の地理学科の吉田先生にどこか感じが似ていたので、ヨシダセンセということにしておきました。お名前を覚えなくてごめんなさい。それから色が白くばら色の頬に茶色の目をした女の先生。「人魚姫」の絵本で出てきた女の子に似ていたので、北欧風の名前にしてインゲ先生ということにしました。もう一人は、中学校か高校の生徒だったら保健委員として絶大な信頼を集めそうな感じの女性の先生で、保健委員先生。こんなふうに特徴で見分けがつくようになしました。

 保健委員先生が眉のきりっとした青年を連れてきました。
「学部の4年生ですが、病棟実習中です。お加減の悪いときやご都合の悪いときは、お断りいただいてかまわないのですが、お話の相手をして下さい」
 と紹介されて大学病院なのだなと思いました。
 
 朝ごはんの時にその日にする検査や治療を記したメモがきます。火曜日は「心電図、レントゲン、眼科」という具合です。眼科は左目が曇っているので診療してもらうことにしました。眼鏡をかけたまま、おうどんを食べたような感じに曇っているのです。眼科で見てもらったら白内障にかかっているとのことでした。糖尿病の影響が出ているかどうかは、解らないということです。
 
 こういう治療や検査に出るときは、車椅子に乗せてもらって病院内を移動していました。で、午前中は車椅子で点滴のスタンドを持って移動。車椅子を押してくれる看護師さんとうまく息を合わせると、かなりの速度で移動することができました。レントゲンはてっきり胸を撮影するのだと思っていたら「足を出してください」といわれて、はて、なんで足なんだろうと不思議に思いながら撮影。午後になってマカロン先生が来たときに理由を聞いてみると、足のアキレス腱にコロステロールが沈着することが多いのだそうです。

 点滴を止めてもらってのは火曜日の午後でした。あと残っているのは胸につけた小型の発信機だけ。心臓の状態をモニターしている機械で、大きさは昔のトランジスターラジオくらいです。

 午後の面会時間には、編集者の福江さん、新聞連載の挿絵を描いてくださっている宮本恭彦さんとお兄さんの宮本健美さんご夫妻が来て下さいました。助手の深野さんは大学に回ってノートブックパソコンを持ってきてくれました。それから、弟のお嫁さんの裕子さんも来てくれたので、火曜日の午後はけっこう忙しく過ぎてゆきました。それから息子がやって来ました。

 息子と何気ない雑談をしていて、手術の時に不安を取り除く薬を投薬されていることを知ったのです。「なに、なに、なに」と驚きました。どうりで、いやに考えが前向きだったわけが解った気がしました。きっと食べ物はあれこれ制限されるから、これからは出汁の研究をして、乾物とお野菜の料理を覚えようとか、体重を減らせと言われるに違いないから、気に入った服を買ってそれを着られるようにしとうとか、さしあたり、黄色いシャツが着たいなあとか、そんなことを考えていたのです。それから、毎日体重が1キロづつ減っていたので、これがうれしくって仕方がない。もうはけないと思っていたジーンズがはけるぞ!と喜んだり。どうもお薬が作用していたみたいです。

 精神に作用する薬を飲んで原稿を書くのは前にも書いたとおり、うまく自分の感覚を捕まえきれないということが起こります。さらに、その薬の効き目が切れかけているかもしれないというのも、問題のひとつです。土曜日の投薬が、火曜日まで続いているのか、いないのか。疑問でした。が、考えてもしょうがない。まずはやってみようと、火曜日の夕食後にテーブルにパソコンや資料をそろえました。それで、すぐに原稿にとりかかったわけではありません。

 あまりばたばたと原稿にとりかかると失敗するだけなく、書き直す体力さえなくなってしまうなんてことになりかねないので、その晩はすぐに寝ました。うつらうつらしながら、ああでもない、こうでもないと、どういう原稿を書くかを考えていました。そうするうちに「これでいける」という手ごたえがあって、ちょっと興奮しました。すると病室の外に看護師さんの足音がして、扉が開きました。ポータブルの発信機の末端が胸にちゃんと取り付けられているのか見せて下さいと言われました。ナースステーションでデータがおかしな具合を示したみたいでした。すみません。人騒がせでした。 871 20090205 教えてもらいました。  私が救急車の中で聞いた「STが下がっています」の「ST」について、伊藤比呂美さんが熊本文学隊のメンバーのお医者さんからのメールを回送して下さいました。「ST」は心拍数のことではないそうです。正しくは以下のとおりとのこと。いただいたメールを貼り付けます。伊藤さん、それから「ST」について教えてくださったお医者さん、御教示どうもありがとうございます。

〜〜〜〜以下 いただいたメール〜〜〜


> STというのは、心電図のST部位という場所のことで、ST
> が低下
> しているというのは、心臓の血管が閉塞しかかっている疑いが
> ある。ことを間接的に示すサインです。
> 胸の痛みがあって、救急車の簡易的モニター心電図でSTが低下
> しているということは、急性心筋梗塞などの心臓の救急疾患が
> 強く疑われるということで、大急ぎで循環器内科がある病院に
> 運ばれることになります。
>
> ちなみに、心拍数はHR(HeartRate)になります。

〜〜〜〜〜〜以上 いただいたメール終わり〜〜〜

 靴下と格闘した息子にもちゃんと教えておくようにします。それにしても救急車というのは良く出来ているものです。感心してしまします。

それで救急車の中のことをもうひとつ思い出したのです。搬送先の病院が決まるまで、少し手間取ったのですが、そのとき、救急隊の人が「何にこだわっているんだろう?」と首をひねってから「逓信病院に横付けしちゃおうか」と言ってました。法政大学の隣りは逓信病院で、病院に救急車を横付けしておけば、もしもの場合には医療行為ができるお医者さんがいるわけです。これは実行されませんでしたが、いろいろと考えてくださるのだなあと、救急隊の皆さんに感謝しています。 870 20090204 一般病棟へ  救急搬送された土曜日。娘は会社に出勤していました。で、息子つまり兄ちゃんから電話が入ったのは午前11時頃のことだったそうです。
「医師は緊急手術をすると言っているけれども、本人はいつものように吼えている」
 という電話だったと言っていました。娘としては「???」という感じだったみたいです。で、その兄ちゃんと言えば、病院へ行こうとして靴下を履くのですが、その靴下がどうしても裏返しになってしまうという怪奇現象? に見舞われていたそうです。あせっていたわけで、しばらくは靴下と格闘していたみたい。

 兄妹で病院にやって来ると「あと15分ほどで手術が終わります」と告げられてから、待たされること1時間。予定よりも時間がかかったとのことでした。手術が終わってから私のベッドを挟んで担当医から説明を受けたのでした。この時、子どもたちの印象に残っているのは、私がした質問が「お腹がすいたのですが、ご飯をいつ食べられますか」というものだったことです。前の晩の晩ごはんとその日の朝ごはんを食べていなかったので、そういう質問になりました。食べた物と言えば手術前に血管を広げる薬というものを「噛み砕いてから飲み込んで下さい」と言われて、がりがり噛み砕いたすっぱい薬ぐらいでした。
 ところが、ご飯を食べるという行為はすごく心臓の負担になるのだそうです。で、担当医の先生は話では「今日と明日はご飯は食べられません」でした。私自身はこの質問をしたことは覚えていないのですけど、担当医の先生の返事だけは覚えています。よほどがっかりしたのでしょう。

 子どもたちは、看護師さんから入院に必要な品物の説明を受けたり、幾つもの書類にサインをしたりしたあとで病院を出ました。それからセンター入試でホテルに二泊することになっていたので、私が宿泊しているホテルへ行ってチェックアウトし、家に帰ってからも保険証を探し出したりとなかなか忙しかったみたいです。

 翌日の面会が遅くなったのはそれなりの理由があったのでした。が、病人(私)は激怒したうえに「メモをとれ」と命じて、どこに連絡をいれるべきか、翌日の面会までに必要な品物は何かと矢継ぎ早に告げたのでした。新聞連載続行は「決断」というよりも「ものの弾み」みたいな感じで動き出してしまいました。

 話を私のほうへ戻すと、手術をした翌日つまり日曜日の昼に、足の付け根から動脈と静脈にいれていたカテーテルを抜いてもらいました。抜くときに「痛かったら言って下さい」とお医者さんが言うので「痛い、痛い」と言ったら、とうのお医者さんは不思議そうな顔で「痛いのですか?」と聞くので「痛いような気がします」と答えました。するとお医者さんは看護師さんに「抜いたカテーテルを見せてあげて」と言い、看護師さんが金属の皿にのった管を見せてくれました。それはけっこう太い管で、白い色をしているところに血がついていました。「痛い」と言った時には動脈の管も静脈の管ももう抜けていたのでした。

 管を抜いたあとで、テーピングをして8時間は足を曲げないで下さいと言われたのは、昨日書いたとおりです。面会に来てくれた弟を話していた時も、子ども相手に激昂していたときも右足はぴんと伸ばしたままでした。夕方にはこのテーピングをとってもらいました。

 採尿管をとってもらったのは、月曜日の朝でした。昼少し前に一般病棟に移りますと言われました。で、この時、身体についていたいろいろな計測器をはずしてもらいました。でも点滴はまだ残っていました。点滴をぶるさげたスタンドと一緒に車椅子に座って一般病棟に運んでもらいました。

 勝手なもので、集中治療室の様子はほとんど目に入りませんでした。見ていたのは扉だけ。一般病棟に出るまでに2枚の扉がありました。最初の扉はどんな色をしていたのか思い出せません。2枚目の扉はきれいな緑色でした。大きな自動の扉の向こうが一般病棟でした。
 子どもたちの話では、集中治療室には小さな赤ちゃんや開胸手術をした人もいたということですが、私はそうした患者さんの姿をまったく見ていませんでした。
 一般病棟の病室はテレビと電話のある個室で窓の外を見ると、ビルがぎっしり並んでいました。御茶ノ水なら見覚えのあるビルがひとつくらい見つけられそうだと探しましたが、どのビルも同じように見えます。そこで看護師さんに東西南北の方角を尋ねました。が、「ちょっと解りません」という返事でした。質問を変えて「御茶ノ水の駅はどちらですか」と聞くと窓のほうが御茶ノ水の駅だと教えてもらいました。とすると扉のほうは水道橋ということになります。

 午後になると息子が昨日、頼んだものを持ってきてくれました。新聞連載のアシスタントをしてくれる朴さんも来てくれました。息子は重さ800グラムのノートブックパソコンを持ってきてくれました。何かの時のために軽量なノートブックを用意してあったのです。ただ、このノートブックはまだ使い込んでいないので、うまく操作できません。そこでパソコンは大学の研究室で使っている古いノートブックを使うことにして、助手の深野さんに研究室から持って来てもらうように頼むことにしました。データをUSBに入れて朴さんにとりにきてもらうか息子に家に持ち帰ってもらって、関係各所に送ってもらえばいいということに話をまとめました。

 息子にも朴さんにも言いませんでしたが、ひとつだけ不安があったのです。連載を続けるとして、書いた原稿が支離滅裂だったらどうしようかとい不安でした。これは本人には判断がつかないことで、誰かに考えてもらわなくちゃなりません。そこで、今度の連載の資料集めなどでお世話になっている長谷川郁夫事務所の長谷川さんに連絡を頼んでおいたのです。これは日曜日の「メモをとれ」の騒ぎの時に子どもにいいつけておきました。長谷川さんに連絡しておけば、挿絵の宮本さんにも静岡新聞の文化部の志賀さんにも連絡をしてもらえるでしょう。支離滅裂原稿が出ちゃった時の判断もしてもらえるだろうと考えたのでした。

一般病棟に移ってから再び「ご飯はいつ出ますか?」と質問しました。「夕方から出しましょう」とのお返事で晩ごはんが出ました。息子はそのご飯の少なさに驚いたようです。ふつうのご飯の量の半分の量だったから。 869 20090203 集中治療室  息子と入院したときのことを少し話しました。で、思い出したのが救急車の中で聞いた救急隊の人の言葉「STが下がってます」です。息子に「STって何?」と尋ねたら「心拍数のことだよ」と言われました。どうやら心臓は止まりかけていたみたいです。

 手術室から集中治療室に移って。その晩は寒かったので毛布を一枚、看護師さんに持ってきてもらいました。毛布をかけてもらうとあとはすやすや。翌日の昼過ぎには幾分、意識もはっきりしてきました。で、もっとも気になったのは静岡新聞と熊本日日新聞の連載のことでした。あとのものは、いけなければ、ほかの人に代わってもらうことも可能なのですが、新聞連載だけは、続行するか中断するかを決断しなければいけないので「さて、どうしたものか」と考えていました。この時点では絶対安静で、身体は動かなかったのですが、入院は7日から10日くらいだと手術前に言われていて、もし7日間の入院で済めばなんとかなるかなあという希望的観測もありました。

 で、昼過ぎに子どもたちが面会に来るのを待ってました。子どもたちが面会に来たらゆっくり話ながら、連絡を入れる先について指示を出そうと思っていたのです。ゆっくりと思い出さないと、とてもではないけれども込み入ったスケジュールを整理できそうにないなあと、やや不安に思っていました。ところが、なかなか子どもたちが面会に来ません。

 で、まず面会に来たのは弟でした。弟と少し話をしました。それから、また子どもが来るのを待っていました。メールで入る連絡、郵便で来る連絡、電話で来る区連絡それからが大学のメールボックスを経由して入ってくる連絡など、毎日、応対している仕事関係の連絡は幾つものルートがあって、子供たちにこれらの処理をどのように頼むかというのも思案していました。スケジュールを完全に把握しているマネージャーがいないのですから、これはかなり面倒で煩雑な仕事です。

 息子と娘がやってきたのは面会時間終了の直前でした。で、そのあまりの遅さにまたもや激怒。この時、身体には心電図やら脳はやら脈拍数やら、そういったいろいろなデータを取るための装置が付いていたのはなんとなく知ってはいたのですが、それらのデータが自分の寝ているベッドの頭の上に表示されているのは知りませんでした。で、激怒すると血圧は乱高下するやら、脈拍は乱れるやら、ディスプレーの表示がめちゃくちゃになったので、二人は怒られたことよりもそっちのほうにびっくりしたみたいでした。そのうえ重篤な患者さんがほかにたくさんいますから、そうした患者さんへの遠慮も重なっておろおろしたようです。

 でも、この時点で、新聞連載を続行しようと決断していたのは、やはりへんなことでした。ひとつには土曜日に手術をして月曜日には一般病棟に移れると言われていたのが、決断の根拠になっていたのです。が、後から考えるとそればかりではなかったような気がします。
 月曜日に一般病棟に移ってから、新聞連載のアシスタントをしてもらっている朴さんにも来てもらい、入稿の計画を立てました。
 その後に、手術の時に不安を抑える薬や気持ちを安定させる薬を投与されていたことを知ったのです。それを聞いたときにはさすがにひやりとしました。あとでこの件について伊藤比呂美さんとメールのやりとりをして、伊藤さんがうまい比喩を用いてました。感情や精神に作用する薬を用いながら原稿を書くのは「大リーグ養成ギプスと孫悟空の金弧冠をつけているみたい」と言ってましたが、確かにそのとおりなのです。私の場合は気分を安定させ効用させる薬を用いていたので、たとえて言えば翼の生えた靴を履かせてもらっていたみたいなものです。いざ、原稿を書き出したら、翼の生えた靴がすっぽ抜けるなんてことがおきやしないかと、ひやりとしたのは火曜日になって投薬の事実を知ったときでした。

 集中治療室では絶対安静でまだ身体が動かせません。足の付け根から入れたカテーテルを抜いてもらったのはたぶん日曜日の昼過ぎだったと思います。傷口の近くをきつくテーピングして。8時間は足を曲げないで下さいと言われました。ご飯を食べるのも心臓の負担になるので駄目でした。集中治療室2泊3日は、子どもたちを相手に激怒したほかはただひたすら眠っていました。足の付け根のテーピングは日曜日の夕方にはずしてもらいました。これで少し楽になりました。それにしても、集中治療室では出てくる看護師さんが、男性も女性も美男美女なのに感心していました。で、これは心臓が止まりかけていたのでそう見えるのかと思っていたら、息子の話では、彼の目で見ても集中治療室に勤務していた看護師さんたちはみんなきれいな人ばかりだったと言っていました。

 どんどん快復したので、あまり重病の自覚はないのですけど、今日、息子と話をしたら、やはり心臓と血管にはダメージが残っているとのことでした。「ちょうど風船を膨らませたり縮めたりすると、風船そのものが弱ってしまうようなもの」と担当医の先生が説明してくれたとのことでした。はあ、そんなものかと改めて自覚。 868 20090201 緊急手術  救急車が走り出してから病院に到着して、医師の先生に呼びかけられるまではほとんど記憶がありません。あるいはその間に、なんらかの救命措置をしてもらったのかもしれません。で、医師から呼びかけられて、これまた深い井戸の底からぬっと顔を出して事情説明。

 お名前はと聞かれて、ここでペンネームを名乗ったところ、ベッドの周辺で名前を復唱しながら、人がぱたぱたと走り出しました。で、そのぱたぱたとあわただしく走る人の足音を聞きながら「今、名乗った名前はまずかったんじゃないかな?」と疑問が湧き、「今のはペンネームです。本名は違います。保険証の名前は違います」と名乗りなおすと、今度は「お〜い名前違っているぞ」とまたいっそう、ぱたぱたと人があわただしく動きだす気配がしました。ええと、名前入りのリストバンドをして、患者の取り違えを防いでいるので、名前が違っているのは大事件みたいでした。

 で、次の質問は「ご家族はいますか? 連絡先は?」でした。「息子と娘がいます。連絡先は携帯電話のナンバーが私の携帯に入っています」と答えました。
 早速、息子に医師の先生が携帯で電話。その電話を「じゃあ、ご本人に代わります」と渡されると、まだなにがなんだか解っていない息子が「お母さん、大丈夫?」と意外なほど緊張感のない声で言うので、思わず「馬鹿。大丈夫じゃないから救急車で運ばれたのだろう」と一喝。誰かが、たぶん医師の先生でしょうけれども枕元で笑っていました。

 救急手術をするには本人と家族の承諾がいるのだそうです。足の付け根の血管からカテーテルを入れて患部を治療する手術で、安全ではあるけれども、まれに血管を傷つけるようなアクシデントがあるという説明でした。どういうわけか、数種間前に、テレビでカテーテルとバルーンを使った手術方法の番組を見ていた「ははん、あれをやるんだなあ」と医師の説明をおおよそ理解。ではこの書類にサインして下さいと言われて、手術の承諾書にサイン。それから学術研究のための協力の承諾もしてもらえますかと、尋ねられ、この承諾書にもサイン。
 家族の承諾は電話で仮承諾がとれていますという会話がちらりと聞こえてきました。
「もう病院へ到着していますから、ご安心下さい」
 と何度か言われるたびに「そんか、安心じゃなかったんだなあ」と思いながらも、またまた深い井戸の底へ。

 手術は部分麻酔で、麻酔をかける時には歯医者さんと同じで「ちょっとちくんとしますよ」と声をかけられました。ちくんとするのねと、また井戸の底から顔を出して納得。で、目をあけてみると、そこはお部屋全体が医療器具というような感じでした。黒いモニターのようなものが身体に近づいたり遠ざかったり。どうも、それが撮影機材のようです。複数のモニターがあり、それを大勢の医師たちが見ている様子がなんとなくわかりました。で、私が横たわっている位置から見えるモニターには、ミミズのようなものが映っています。あれが血管なのねと思い、それからもうひとつのモニターを見ると、こちらはどうも血管の中が映し出されているようでした。血管の中には血液の逆流を防ぐための弁がありますという理科の教科書で見たような、そういう映像でした。いったい何人の先生が、この手術のかかわっているのか、かわるがわる、いろんなお医者さんが顔を出します。

「ああ、これは根気良くバキュームをかけるしかないなあ」とか「おおい、これをちょっと見てごらん」とか、話し声も聞こえています。で、血管の中を細い線がチョコチョコと動いている映像を見ていると、なんだかじれったくなるので、そういうのは見ないことにしました。大勢いる医師の先生の中におでこの広い目のくりっとした女の先生がひとりいました。で、あとからこの先生が担当医だとわかりました。途中でまた、深い井戸の底に降りていって眠り込んでしまいました。

 次に気づいたときは、ベッドの右手に息子と娘がいて、左手にはあのおでこのひろい目のくりっとした担当医の先生がいました。で、担当医の先生が病状を説明しているのですが、また、すっと眠ってしまって、目が覚めたときには日付が変わっていました。

 以前、作家の三木卓さんが渋谷で心筋梗塞の発作に襲われたときの話を聞かせてもらったことがあります。三木さんは、胸の痛みを感じたとき、これは心筋梗塞だと御自分で解ったそうです。渋谷駅だったので救急車を呼ぶよりもタクシーを拾ったほうが早いという判断をしてタクシー乗り場に行くと、そこには人の行列。とても行列に並ぶ余裕はないので、先頭にいた青年に「僕は心筋梗塞の発作を起こしているので、順番を替わって欲しい」」と交渉して、広尾の日赤病院までたどりついたとのことでした。そんなことができるのか、と驚いて三木さんのお話を聞きましたが、心臓は危機的状態でも、頭はなんだか奇妙なくらいにクリーンなところがありました。 867 20090131 救急搬送  1月17日はセンター入試で、受験生の案内をすることになっていました。それで、前日16日は法政大学の近くのホテルに泊まりました。泊まると言っても、ずいぶん遅い時刻にチェックインして、それから知り合いと電話でお喋りをして、という具合でした。で、寝付けなくて、ちょっと寝不足気味で、学校に大慌てで出かけました。
 遅刻! 遅刻! と校内を走っているときに、学部長の後藤先生とばったり出会い「ああ、遅刻が見つかっちゃった」と、どきりとしました。この時の「どきり」は通常の「どきり」でした。

 で、受験生の案内のための配置についた時、今度は心臓がなんとなく痛くなりました。私は30代の頃、心臓神経症に悩まされたことがありました。ここ10年は心臓神経症の発作もなかったのに、それによく似た痛みでした。

 心臓神経症では胸のあたりが痛み出して、どうかするとしばらく気が遠くなります。たびたび発作が出た頃に、自分でストップウォッチを握って、どのくらいの気が遠くなっているのかを計ってみました。短い時で15秒、長いときでも25秒程度で、30秒と続くことはありません。で、気が遠くなったあとは爽快感を覚えるほどすっきりとするのが神経症のパターンでした。しばらくその神経症の発作が出なかったのですが、また来たのかなと最初は思いました。

 しばらくすると胸の痛みが静まって、すっきりしました。ここで受験生が「ひざ掛けを使う許可をもらいたいのですが」と言ってきたので、「もうすぐ試験場の監督がきますから、試験監督から許可をもらうようにして下さい」とお返事をしました。で、試験場の扉が閉まる少し前にまた胸の痛みがきました。今度は最初の痛みよりも深刻でした。横になって水を飲みたくなりました。

 こんな状態ではとても受験生の案内などできそうにないので、同じフロアにいた別の先生にあとをお願いして教授控え室に戻りました。給湯器から水を飲み、テーブルにうつぶせにしていると、そこへ通りかかったのが後藤先生。もしこの時、後藤先生が異変に気づいて下さらなかったらたいへんなことになっていたかもしれません。

 「医務室へ行きましょう」と言ってくださったので、歩き出したのですが、歩けないのです。仕方なく医務室のほうから医師に来てもらうことにしました。

 その後、起きたことは不思議です。口の中に生唾がたまってきました。吐き気のあるときのような感じです。それから、便意もありました。どちらかと言うと吐き気よりも便意のほうが強くって、トイレへ駆け込みました。で、ウンチが出ました。
「ああ、これは」と思い出したことがあります。

 10代の頃に、御遺体のお世話を手伝ったことがあります。もう40年も前の田舎の話です。亡くなった人が失禁をしていたり脱糞をしていることがありました。年寄りたちは、それがありがちなことのような話をしているのをそばで聞いていました。そういうことがあるものなのかもしれないと、トイレの中で考えていたら、心配した後藤先生が声をかけて下さいました。
 それから教授控え室に戻ると医務室から医師の先生が来ました。

 症状を話すときに「胸を鍋蓋で圧迫されているような痛み」と自分で説明しながら、この比喩表現は私が考えたものじゃなくないなあと思い、どこかに出典があるはずだぞ調べなくちゃと、まあ、そんなことまで考えていました。それから心臓神経症のこともお話しました。

「症状は心筋梗塞ですけど、そうですね、この場合は悪いほうで考えておいたほうがいいでしょう」

 医務室から来た医師の先生はそういってペンライトを出して、瞳孔をチェックし、救急車を呼ぶことになりました。この辺から、記憶がところどころ、深い井戸に落ち込むように途切れます。誰かから呼びかけられるとそれに答えることはできるのです。救急車に収容されてから搬送先の病院を探してもらっていることとか、医務室から来た先生が「カテーテルを使える病院がいい」と言っていたことなどを覚えています。しばらく救急車と消防本部のやりとりがあって「順天堂病院へ行きます」の声。それで救急車が走り出しました。

 あとで様子を見ていた人から聞いた話では、顔は土気色になり、脂汗が浮いていたということでした。また順天堂大学病院の先生の話では、心臓への血液の流れが一度は完全に止まってしまったものが、もう一度、ちょろちょろと細く流れ出した状態で運び込まれてきたとのことでした。本人はそこまで悪いという自覚はありませんでした。で、救急隊の人に「先生」と呼ばれると返事をしそうになって、それは付き添ってくださった後藤先生のことであったり、医務室から来た医師の先生のことだと気づいて「ああ、間違えちゃったよ」とあせったりしていました。「先生」と呼ばれると深い井戸の底からぬっと顔を出して、自分のおkとじゃないと気づき、間違えちゃったとあせりながら、また深い井戸の底に沈んでしまうという感じでした。

 そんな具合で病院に運ばれたのでした。まだ「鍋蓋を押し付けられたような痛み」という比喩表現の出典は調べていません。 866 20090130 危ない。危ない。  1月17日に心筋梗塞の発作を起こして救急搬送されました。搬送された順天堂大学病院で、カテーテルをいれる手術をしました。以後、12日間ほど入院していました。

 伊藤さん、熊本文学隊の皆様
 お見舞いをお届けいただきましてありがとうございます。きれいな花かごで、看護師さんたちが感心していました。

 お見舞いをいただいた皆様
 どうもありがとうございます。おかげさまで1月28日に退院しました。

 法政大学のゼミ生の皆様
 創業制作の面接は昨日、済ませました。が、上記のような理由で、いささか遅れているところもあります。ご協力お願いします。芋煮会は予定どおりにやれると思います。

 そのほか、お見舞いをいただいた皆様
 ありがとうございました。御礼申しあげます。

 まだ御連絡差し上げていない皆様
 そんなわけで、御連絡が遅れている皆様。申し訳ありません。順次に後連絡を差し上げるようにいたします。

 おうちに帰ってきて最初の思ったのは「ああ、棺おけに入らずに戻ってこれてよかった」でした。あやうく元気に死んでしまうところでした。危ない、危ない。 865 20090107 水仙 スイトピー ストック  良い匂いする冬の花ばかりを活けました。花屋さんも暮れは風邪とインフルエンザで、皆さん、ばったり倒れていたということでした。今年はインフルエンザが流行するのがいつもの年よりも早いと聞いていましたが、おもいがけぬところに影響が出るものです。

 10数年ぶりにアメリカから帰ってきた友人が日本のお正月がお正月らしくなくなったとメールをくれました。年々の変化ということもありますが、金融危機以降の雰囲気ではお正月を祝いという気分にもなれないということで、丑年の新年はどことなく地味な感じがしました。どこのお飾りも小さめだし、晴れ着の人も少ないしで、どこか遠慮した寂しいお正月だと感じたのは、私の風邪と歯槽膿漏のせいばかりではないようです。

 これからもっと経済は厳しくなることは予想できても、今年は良くなるとは思えない年明けでした。 864 20090105 どうにか生き返りました  伊藤さん、どうにかこうにか生き返りました。おくればせですが、あけましておめでとうございます。熊本の皆様にもよろしくお伝え下さい。3月に熊本へ行く予定になっています。あと熊本から博多へ出て、博多から別府に行き、別府から大阪まで船に乗りたいと考えています。春の瀬戸内海を船で進んだら気持ちがいいでしょう。

 お正月の間、うなっていました。風邪ですね。でも牛年だからすき焼きだけは食べました。 863 20090101 今年のお正月はとりやめになりました  ええと、関節が痛いです。熱もあります。頭はぼっとしています。そういうわけで、今年のお正月はとりやめになりました。



 個人的にはとりやめですが、



 みなさん、あけましておめでとうございます。 862 20081228 久しぶりに歯の痛みから開放される  歯槽膿漏がこんなに痛いものだと思いませんでした。

 最初に右の奥歯に痛みを感じたのは11月23日の勤労感謝の日。大根の漬物をかじったら、ずきんときました。おかしいなあと、首をひねっていたら一週間後に、こんどはずきんずきんと新幹線の中で痛み出しました。
「あ、痛い。痛てて」と冗談ではない痛いみでした。
 で、どういうわけか、この新幹線には数学者の森毅さんが乗り合わせていました。森毅さんとは以前、朝日新聞の書評委員会でご一緒させていただいたのですが、
「痛い、痛い、痛い」
 という顔を座席でしているとにやりと笑って通り過ぎて行きました。

 歯医者さんに飛び込んだのは翌日。
 薬を貰ったのに、ぜんぜん痛みが治まりません。そのまた翌日、虫歯の治療後にかぶせた金属をとって、再度、虫歯を治療。抗生物質と痛み止めをもらいました。

 歯茎がはれたのは、その後のことでした。歯茎と頬肉の間がぷっくりとふくらみました。これがどうにか収まったと思ったら。また先週、寒い日にずきん、ずきんと痛み始めました。どうも冷えるのがいけないようです。そういうわけで、ここ数日は寝る時に湯たんぽを入れていました。再び、歯茎が腫れたのは26日。これは歯茎を切ってもらわないとおさまらないかなと、覚悟しました。明日29日に歯医者さんの予約が入っています。でも、いや、そのせいか、今日は痛くないのです。ぜんぜん痛みません。

 久しぶりに歯の痛みから開放されました。歯が痛くないから、肩もこりません。ま、でも明日は歯医者さんにいってきましょう。 861 20081227 三竦の羽織狐  伏見稲荷で買った羽織狐です。

手に入れたときから、どうもこの狐は平べったいなあと思っていました。でも、どことなく遊び人風なのが気に入っていました。

 伏見人形を作っている丹嘉のご主人に伺ったところ。この狐は平べったいはずです。三竦(さんすくみ)はジャンケンと同じで、狐のほかに庄屋と猟師の人形があるそうです。庄屋は狐に騙される。狐は猟師に鉄砲で撃たれる。そして猟師は庄屋さまには頭が上がらない。という三竦で、この人形を隠し持っていて、差し出した人形で勝ち負けを決めるという遊びの道具だということでした。

 狐に背中には「一力」の文字が入っています。もともとは祇園の御茶屋の「一力」の注文で作ったものということでした。どうりで、遊び人風の狐のわけです。不良っぽい色気があるのはそのせいかもしれません。大の大人がこんな土人形で遊んでいたのは、その昔、平和な時代のことでしょう。 861.jpg 860 20081224 赤いモールのサンタ  赤いモールのサンタが歩いていました。それだけのシンプルな夢を見たのは今月の初めでした。

 クリスマスのオーナメントもだんだん贅沢になって、高価で美しい品物を毎年、少しづつ、集めているお家もあるのじゃないかと思います。木製で塗りの良いものや、クリスタルガラスのオーナメントも見かけます。

 もうモールで作ったサンタなんて、探してもないかもしれません。クリスマスが楽しかったのはなんと言っても幼稚園の頃ですが、私が幼稚園に通っていた頃は、赤いモールで作ったサンタはオーナメントの定番でした。

 夢の中を歩いていたのは、私が幼稚園の頃の赤いモールのサンタでした。

 で、我が家にもひとつだけ赤いモールのサンタがあったことを思い出しました。写真はうちの子が保育園に行っていた頃の赤いモールのサンタです。私の幼稚園に飾られていたモールのサンタはもう少し寂しい感じでした。でも、このサンタも今では貴重品かもしれません。 860.jpg 859 20081223 6億円  うちの隣りの住宅展示場が「ニトリ」になるということで、展示してあった住宅の取り壊しが始まっています。ここ数日は硬いコンクリートの土台をがんがんと砕いています。

 だいたいどの家も一棟3000万円くらいで。それが20棟あったのですから、ざっと計算して6億円。宅急便を配達してくれたおじさんが
「壊すくらいなら俺にくれればいいのに」
と言っていました。
「うちでも置き場所さえあればもらってきたいけど」
と笑ってしまいました。

 なんか、もったいないと言うのか。どう言ったらいいのかわからないけれども、複雑な気分です。今日は天皇誕生日で取り壊し工事はお休み。久しぶりに静かです。 858 20081222 幻の「海を感じる時」  これまで何度か、韓国の詩人や作家から「あなたの本を読んだことがあるよ」と言われました。
「何語で読んだの?」
「韓国語で」
 という会話が何度か繰り返されて、ずいぶん以前に韓国で「海を感じる時」が出版されていたようだと言うことは知っていました。

 アンソロジー「うさぎ狩り」を出してくれたカン出版のチョン・ホンス社長が古本屋で韓国語訳「海を感じる時」をみつけてくれました。写真を撮影して届けてくれたのはエージェントの金承福さんです。五制文化という出版社から出ているのですが、この出版社はもう存在していないとのことでした。

 金承福さんによると、私はこの本の翻訳者と会って話をしているそうです。それから本の口絵写真には私のサインが入っていました。口絵写真は講談社の写真部が撮影したもので、講談社「海を感じる時」の初版に使われたものでした。2刷り以降からは別の写真が使われています。
 サインは横書き。本にサインを入れるときは、たいてい縦書きのサインを入れています、韓国版の口絵の横書きのサインは手紙もしくはファックスの末尾に入れたサインのような気がします。

 もし私が翻訳者に会って話をしているとすれば、翻訳出版の許諾もしているという可能性がまったくないわけではありません。口約束あるいは契約書にサインをしていても、すっかり忘れているということも考えられるからです。ただ、韓国版の装丁には覚えがないのです。契約のことは忘れても、出来上がった本が届けられれば、その装丁はまず忘れるということはないように、思えます。とくに漢字表記とハングル表記が混じっている宣伝文が入っていたら「へぇ」と思うはずで、やっぱり、これは幻の「海を感じる時」でしょう。 858.jpg 857 20081221 今夜は柚子湯  朝から大風がごうごう吹いていました。

 今夜はかぼちゃを煮て、柚子湯。 857.jpg 856 20081220 紀の膳ツァー  法政大学のゼミの諸君と、神楽坂の「紀の膳」に行きました。週末は予約はできないとのことで、ならんで入りました。かなり混雑で、最初はどうなるかと思ったけれども、そこは慣れた店員さんがうまく席を作ってくれました。お礼がいいたくなる手際のよさでした。

 粟(あわ)ぜんざいを食べました。栗ぜんざいもあるかど、やっぱり粟(あわ)がいい。あの鳥のえさの粟です。

 それから、カナルカフェのデッキに。いつになく良い天気で青い空に飛行船が飛んでいました。そのあとからヘリコプターも、どこへ行くのやら猛烈なスピードで飛んで行きました。

 お喋りをしているうちに「冬至はいつだろう?」と言うことになり「今日か? 明日か?」誰も解りませんでした。

 冬至は明日12月21日です。駅前のスーパーにそう書いてありました。どおりで、そとぼりの土手を照らす夕日がいやに赤くみえました。

 帰りにお風呂用の柚子とかぼちゃを買ってきました。家に帰ってくると四年生が新年の「餃子パーティ」のお知らせメールを回していました。そういうわけで今年もだんだん残り少なくなってきました。 855 20081218 四面魚歌  半漁人のぽにょ。買っちゃいました。横から見るとまだ魚の顔をしているところがかわいい。

 「お腹のまんまる」女の子は大好き!

 メタボなんて言うよりぽにょのほうが好き。
 でもメタボな彼は言う
 「ぽにょぽにょ言うな。気持ち悪い」と(笑)

 「おててはいいなにぎっちゃお」
 と歌っていたら
 「ちがいます。おててはいいなつないじゃおです。にぎらないで下さい」
 となおされました。

 「あれはねえ、きっと老年のエロスが働いているんだと思う」
 と言ったら
 「映画見てないのに、とんでもない説を唱えないでください」
 と叱られました。
 映画を見たいけど、見る時間がないんだもの(泣)
 なんで、そんなとんでもない説を唱えたかというと、室生犀星に「蜜のあはれ」という愛人は金魚という小説があるのです。ニックネームが金魚じゃなくて、本物の金魚! ずっとずっと前から「蜜のあはれ」が好きでした。

 ああ、忙しい。ぽにょぽにょしてられない! 855.jpg 854 20081202 欅、楓、桜。紅葉は銀杏が独走。  今年は10月半ばには、桜の葉が散っていました。だらだらと蒸し暑く、紅葉は冴えた色に紅葉しないまま、かさかさと音が立つような枯れ方をしました。もっとも悲惨なのは欅。我が家から見える欅は、紅葉というよりも立ち枯れたような状態。

 そのためか、身辺の病気の人が多いような気がします。へんてこな天気は身体のこたえるのでしょう。

 銀杏だけがすばらしい黄色を見せています。でも、もう12月。95年のオウム事件があった年、府中の東京競馬場の近くで、すてきな銀杏並木の黄色い紅葉のしたを歩いた記憶があるのですが、あれはたぶん11月半ば。10年ちょっとで、紅葉が2週間も遅くなっている勘定になります。気候がどんどん変わっているのを、ひしひしと感じています。

 秋山駿「忠臣蔵」を読みました。仕事を放り出して読んじゃいました。物語ができる必然が説かれている。そう感じました。世の中が物語を欲する時があるのだと。忠臣蔵の元になった事件がおきた元禄の世を例にとりながら、物語の出来上がる動きを簡潔に捉えているエッセイでした。 853 20081201 湯たんぽ  「おたあジュリア異聞」の挿絵を描いている宮本さんのお兄さんから、湯たんぽの話を聞いたのは、たぶん去年の暮れでした。なんでも中国で買ってきた水枕のような湯たんぽがたいそう心地よいということでした。

 うちの湯たんぽは息子が生まれたときに買った赤ちゃん湯たんぽです。プラスチック製で、本体の上に覆いがついています。赤ちゃんが低温やけどをしないようにしてあるのです。この湯たんぽを買ったときは、まさかそれから25年以上も役にたつとは思いもしませんでした。これが毎年、冬になると大活躍! 風邪で寒気がするときなどは、この湯たんぽを入れておくと、ぽかぽかして、熱が出るのを寸前で止めることができます。

 無印良品の店を覗いたらプラスチックの湯たんぽを大小で売っていました。これはいいや! とさっそく大をひとつ。小をひとつ。チェックの湯たんぽカバー付きで買いました。

 それで、そのあとで見つけたのです。宮本さんのお兄さんが言っていた水枕式のぽにょぽにょした湯たんぽを。数寄屋橋近くの雑貨屋さんで売ってました。

 ああ、残念なことをしました。こっちの水枕式のほうがよかったなあと後悔しても、遅かりし由良之助でした。ほんとうは水枕式が欲しいのだけど、でも、そうすると家じゅう湯たんぽだらけになっちゃうし、さあどうしようかしら? 852 20081124 時間が消えている  航空幕僚長の書いた論文が問題になった時、この幕僚長は警察予備隊創設から自衛隊創設さらにはそれからの50年以上に渡る歴史をどう考えているのかな? と疑問に思いました。

 時間が消えているという印象を持ちました。時間というものを、人間の外にある物理的なものとして捉えている人には奇妙な言い方に聞こえるかもしれません。しかし、時間は人間の心のうちに取り込まれてはじめて時間となるという考えかたもできるのです。それを仮に物語の時間と名づけてもいいでしょう。物理時間に対して物語時間というふうに並べてみることができます。

 田母神論文の場合、欠落しているのは戦後自衛隊の物語時間です。旧日本軍は、外国に対して信頼を失ったばかりか、日本国内でも信頼は失われていました。そこから始まる自衛隊の歴史認識が航空幕僚長の論文は完全に欠落していました。旧日本軍には陸軍と海軍はありましたが、まだ空軍はありませんでした。だから航空自衛隊は、戦後の新しい自衛隊です。そう言ってよければ、航空自衛隊は空軍であり、自衛隊の陸、海、空の三つの軍の構成の中では唯一、旧日本軍の構成に含まれてはいなかった組織です。「軍」という言葉が素直に使えないところに、田母神論文が出てくる不満の温床があるのでしょうけれども、それにしても、物語時間が終戦前でとまってしまっているのを感じます。

 厚生事務次官の殺害事件で、警視庁に出頭した男は「犯行は年金テロではなく、34年前に自分の飼っていた犬を保健所に殺された報復だ」と言っているそうです。もしこれがほんとうなら、この男の物語時間も30数年前で留まってしまったか、あるいは緩慢な流れになってしまったか、この男の人生の中のどこかで時間が消えてしまったかのいずれかではないかと思います。

 1985年から1995年にかけて私はずっと「時間ができない」あるいは「時間が消える」という主題の作品を書いていました。今でも物語時間という言い方は理解されにくいので、その当時書いた作品があまり理解されたとか、読者に受け入れられたとは思っていません。けれども、このごろに奇妙な事件を見ていると、あの時間に関する認識はそれほどおかしなものでもなかったのだなあと改めて思います。

 時間が消えてしまったために、時間を取り戻そうとして起きる事件というのはこれからも、幾つもおきることでしょう。それらは、一般的には「狂気」のなせる業と解釈されて行くことになるでしょう。人間の心と時間の関係に私が興味を持ったのは、「狂気」の裏側の「正気」に対する興味でしたから、作品には大事件を描くことを避けてきましたけど。 851 20081118 クレジットカードの与信引き下げ  デパートで買い物をしたら、このカードは使えませんといわれたのは10日ほど前のこと。
「この頃、こういうことが多いんですよ」
 と店員さん。
 たぶん与信枠(いわゆる限度額)いっぱいまで使ったのだろうと、あとでクレジットカード会社へ確認をするつもりで、すっかり取り紛れていました。それにしてもそんなにお金を使ったことがないのに、どうしてだろう? と首をひねってました。

 クレジットカード会社はその時の金融情勢に応じて、与信枠を広げたり、引き締めたりしていることを以前、説明してもらったことがありました。問い合わせをしなかったのは、このところの金融危機で、たぶんそんなことだろうと高をくくっていたところもありました。

 今日(18日)になって、ロイターがクレジットカード会社各社が与信枠の引き下げや、貸し出し利率の引き上げをしていることを報じていました。アメリカではクリスマス商戦がこれから始まるのですが、今年はどこも売り上げの落ち込みが予想されているそうです。さらには消費者がクレジットカードを使ってクリスマスを乗り切り、年明けに債務不履行に陥ることも予想されるので、クレジットカード会社は与信枠を引き締めているというロイターの記事でした。というよりも、その記事のニュアンスは、クレジットカード会社そのものに与信の体力がないというものです。貸し渋りをせざるをえないというニュアンスでした。

 個人の消費者への与信は、企業の運転資金などにくらべればずっと小さな規模でしかないのに、それでも、与信の引き締めをしなくちゃならないところまで来ているということでしょう。

 デパートの店員さんが
「このごろ、こういうことが多いのです」
 というくらいですからかなりの広がりがあるのではないのでしょうか?それでどうしたかと言えば、その時はふだんはあまり使っていないもう一枚のクレジットカードで支払いを済ませました。

 子どもが小さくて、クリスマスを楽しみにしていた次期にはクレジットカードを使って、支払い時期をずらして、お金の不足を切り抜けたこともありました。クレジットカードの使い方の本などを見ると不足を補うためにカードを使うのは、あんまり褒められたことではないのですけど、そういう使い方をしている人って多いのではないでしょうか。だとすると、この冬はあてがはずれたり、番狂わせであわてたりする人が多くなるでしょう。尋常じゃない事態がもっと目の前に押し寄せてくることでしょう。

 個人向けのクレジットが貸し渋りから貸しはがしに発展するなんてことは想像しにくいのですが、起きるとしたらどんな形でおきてくるのでしょうか? そういうことも少し想像しておいたほうがよさそうな気がしてきました。 850 20081102 とぼけた秋のポケット  11月をまたずに東京には木枯らしが吹いてしまいました。10月は韓国での韓日中3カ国の文学フォーラムへの出席から始まって、週末ごとにソウル、春川、大阪、沖縄、大阪と動いてました。

 なんだかとぼけた秋でした。いつまでも蒸し暑く、夏の終わりもなければ、秋の始まりもない。そういう秋でした。そんな10月の終わりに、一日だけ、ぽつんと良く晴れて空気が澄んだ日がありました。その日、ひょんなことから三浦半島を南下して葉山まで下りました。

 とぼけた秋がポケットの中からそっと出してくれた上天気。日景茶屋がうみっぷちに出しているレストランのテラスで午後の海を眺めていました。凪いだ海にたつ小波は、潮目の違うところで、方向を変え、幾つもの潮目が小高い山に囲まれた湾の中にあることが見ていてわかりました。

 秋の海は、もちろん夏の海ほどではありませんが、けっこう賑やかでした。鰯の生簀に、漁船。趣味で釣りをする人のモーターボート。繋留されているヨット。ウィンドサーフィンの帆。などなど。ウィンドサーフィンをしていた人が、帆を降ろしてサーフィンの板とゴムの櫂だけで海の上をすいすいと渡っていました。まるで忍者。それにしても、ゴム製の櫂一本でよくあれだけ進むものだと感心しました。さすがに陸地が近づくとくたびれた様子で、櫂を漕ぐ手を止めて、海にぷかりぷかりと浮かんでいました。

 この眺めもとぼけた秋がポケットから出してくれたとっておきの景色のひとつでした。 849 20081101 東京に木枯らしが吹く  伊藤さん、昨日、東京に木枯らしが吹きました。

 夏の終わりもなく、秋の初めもなく、なんとなくだらだら暑いまま、突然の木枯らしでした。例年よりも17日も早いのだそうです。なんということだ。 848 20081027 笑福亭仁鶴の太閤さん  大阪に行ってきました。大阪の帰り道で京阪電車に乗ってみました。淀川に沿って走る京阪電車には前々から乗ってみたいと思っていました。

 10月19日に京阪中ノ島線が開通したばかり。電車の駅には中ノ島線開通のポスターがありました。笑福亭仁鶴が五代友厚、福沢諭吉、太閤秀吉に扮したポスターでした。洋服に蝶ネクタイの五代友厚のキャッチコピーは忘れてしまいましたが、和服に羽織を着た福沢諭吉のキャッチコピーは「これがあれば適塾に通うのに便利でした」というものでした。着物は一万円札の福沢諭吉の肖像が着ているものに似せていました。

 さてさて、太閤さんはと言えば「いざ、大阪経済復興の陣じゃ」のキャッチコピーに唐帽を被った姿。唐帽は、冠の両側に丸い耳のような張り出した部分がある被り物です。
 これまた豊臣秀吉の肖像でおなじみの被り物。

 笑福亭仁鶴さんに一番、似合っていたのは、太閤さんの扮装。似合っていただけじゃなくて、ポスターの仁鶴さんはうれしそうでした。うれしそうなうえに、その微笑にはちょっとはにかんだ感じもありました。そのポスターを見ていると、やっぱり大阪の人は太閤さんが好きなんだなあと思えてきます。駅に張ってあったポスターを失敬したくなるくらい笑福亭仁鶴さんの表情の良いポスターでした。 847 20081023 沖縄に行ってきました。  那覇もさすがに朝晩は涼しくなったということでした。
沖縄は沖縄タイムスの新沖縄文学賞の選考会でした。

 国際通りをぶらぶら歩いていたら、いきなり「中沢さん」と声をかけた若い女性がいました。私はしばらく「???」でした。顔を見覚えがあるのですが、うまく名前と結びつかないのです。最初は法政が日芸で教えたことがある学生かもしれないと思ったせいで、とっさに誰だかわからなかったのです。綿矢りささんでした。
「どうしてこんなところにいるのですか?」
 と聞かれても、それはこっちが言いたいセリフだとばかりに答えられませんでした。

 韓国で開かれた文学フォーラムで綿矢さんにお目にかかったのはつい一週間ほど前でした。ソウルから春川に移動したあと、ふたりでお喋りをしながら散歩しました。で、那覇の国際通りに現われるとはお互いに思っていなかったので、びっくりでした。 847.jpg 846 20081014 ロサンゼルス山火事  伊藤さん、大丈夫ですか?ロサンゼルスの山火事は日本でも速報で流れています。だいぶ大きいようですね。 845 20081014 伊藤さん、生きてます。  5日の午後、羽田に下りました。

 10日11日は大阪。今週末は沖縄。来週の週末は再び大阪です。そんなわけであります。意地でも忙しいとは言いたくない!でも身体はひとつであります。

 ご心配をおかけしました。ちゃんとお家にかえってごみだしもしたし、馬鹿になった洗濯機でたくさん洗濯もしました。馬鹿になった洗濯機というのは、なぜか洗濯の途中で止まって、なにやらぶつぶついいながら考え込んでいるのであります。

 あとこのごろ、掃除機が怠けだして、吸い取りの威力が減っていて、家の中の家電製品の入れ替え次期が近づいているみたいです。 844 20080928 ソウル 春川  一週間ほど韓国に行ってきます。ソウルと春川に行きます。 843 20080923 ようやく出来ました!  「大人になるヒント」(メディア・パル社)

 ようやく出来ました。今日、メディア・パル社の近藤さんが見本を届けてくれました。御協力いただきました中沢ゼミの卒業生の皆さん、どうもありがとうございます。

 とり急ぎお知らせと御礼まで。

「大人になるヒント」については、書店に並ぶ頃に、トップページで紹介します。 842 20080918 警察からお手紙が来た。  身分証明書を落としてしまったのです。ちゃんと警察に届けてくれた方がいたので、助かりました。お知らせのお葉書がきました。

 落としたのは13日の土曜日。そう、東京国立博物館が身分証明書を見せれば無料になるということが解った日です。で、気が付いたのは15日。電車に乗るためにスイカを探してもなくて、不機嫌になっていました。これだけさがしてないのだから、きっと落としたに違いないと、がっかり。スイカは惜しいと思いつつ、パスモを買いました。ああ、ペンギンがいなくなっちゃったなあ、でもパスモのピンク色のバスと電車のかわいいからいいかとか何とか、ぶつぶつ思っているところに、警察からお葉書が届きました。ふふふ、ペンギンが戻ってくるぞ!

 ま、一大事は身分証明書のほうなのですけど。前に落としたときは再発行で3000円とられました。それよりなにより、何度も落とすというのが面目無いというか困ったものだと思われそうで、はらはら。だいたい何かを落とすときってのは、ものすごく疲れているか、気落ちしているときですね。 841 20080915 連休があけるとすごいことになりそう  今朝からずっと経済ニュースに興味を持っています。アメリカの金融危機はかなり深刻な様相で、リーマンHDが破産申請。メリルリンチはバンク・オブ・アメリカが買収。AIGは資産売却。あさからちょこちょこっとロイターと日経のニュースを見ていただけでも、次々に驚くようなことが起きています。どうなるのだろう?明日、お休みが終わったらすごいことになるんじゃないかしら? 840 20080914 今日は十五夜  丸い月がでるといいなあ。

写真は歌川広重の描いた「武陽金沢八景夜景」という3枚続きの版画の中央の一枚です。八つの景色のひとつに「瀬戸の秋月」がありますが、野島山の上にまんまるお月様が出て、平潟湾いったいを照らしているところが描かれています。3枚のうち、右側の一枚には瀬戸橋が描かれ、瀬戸神社の前の集落も描かれています。そこが私の生まれ故郷。

 今日はまあるい良いお月様がでました。 840.jpg 839 20080913 水上バス  先週、今週と続けて浜離宮から吾妻端まで水上バスに乗りました。写真は水所バスから見た駒形橋。 839.jpg 838 20080910 鬼怒川の川下り  良く晴れた気持ちの良い日でした。鬼怒川の川下りをしました。船の中で、私の前に座っていた坊やの頭に蜻蛉が止まっていました。

 鬼怒川下りの船着場にはデカプリオの写真がありました。まだほっそりした感じで、少年というのがふさわしいようなデカプリオの写真でした。鬼怒川はここのところの雨のために増水。瀬では白い泡が逆巻いていました。空は雲ひとつない快晴。風は少しひんやりとして、川下りにはまたとない良い日でした。

 鳳仙花は夏の名残を、コスモスは秋の訪れを、それから、立派な薄の穂が金色に輝いていました。

 前日の16時に浅草を出る特急に乗って、鬼怒川温泉に出かけました。隅田川を越えたところで、ひと眠り。目を覚ますと黄金色の稲田の中を電車が走っていました。西の山にちょうど日が沈むところ。斜め向かいの席には、オレンジ色のカーディガンを着た女の子。この子が「ぽにょ」にそっくりでした。

 この前、鬼怒川に行ったのは2003年の冬でした。
 そのときは、帰りに歯が痛みだして、歯医者さんに駆け込むと、なぜか「毎日、電話を下さい」という不思議な指示。どうしてかしら?と思いつつも毎日、電話をしました。あとで聞くと、もし発熱症状が現われたらすぐに入院しなければいけないほど重症だったみたいです。

 歯が痛み出したときの光景や、一緒に鬼怒川温泉に行った人たちの様子などは鮮明に覚えているのに、それがいつだったのかは、調べなくちゃ解りませんでした。

 え、え、映画を見に行きたいよぉ!
 伊藤さん、無事にお帰りになりましたか? 838.jpg 837 20080905 きれいなノート  上野の都立美術館で見つけました。大きさは新書版くらい。表紙にマグネットが入っていて、ぴったと閉じることができます。

 
 同じ売り場でみた光景。

 もうすこし大きなB5サイズもありました。おじさん(おじいさんのほうがいいかなってお年でした)が「きれいなノートだねえ」と感心してみていました。お連れのおばさん(こちらもおばあさんかな?)は感心を示さず、冷ややかな反応。たぶん、家に中に無駄なものを増やしたくないと思っているのでしょう。

 ノートとしてはB5サイズのほうが使いやすいのでしょうけれども、持ち歩くのには新書サイズのほうがよさそうで、小さいほうを買いました。日記帳に使うつもり。小さいほうが旅行に持って行くのに便利だから。 837.jpg 836 20080904 まめ まめ まめ  浅草のお土産はいつものとおり「まめ まめ まめ」
左から「うに豆」「はじき豆」「大豆」です。今年は昼ゼミの合宿は浅草なので「グリーンピース」と「塩豆」はその時に買うことにしました。

 合宿のコースは新橋駅集合で、地下を浜離宮まで歩き、そこから水上バスで吾妻橋へ。夕ご飯はお好み焼きともんじゃ焼き。もんじゃ焼きは初めて食べました。それで、浅草泊(笑)翌日は午前は自由行動(というか、夜更かしをして歩くのがつらいと言うメンバーもあり)私はかっぱ橋の道具街を散歩しました。それから「駒方どぜう」へ。午後は上野の都立美術館でフェルメール展を見学。

 後期になったら岡本かの子の小説「いのち」を読みましょうか?どじょう汁の話が出てくるの。 836.jpg 835 20080903 どぜう どじょうの丸なべを食べてきました。おいしかった。 835.jpg 834 20080829 今夜も雷ごろごろ  夕方は少し晴れ間も見えましたが、今夜も雷ごろごろです。 834.jpg 833 20080827 じゅんさい  じゅんさいを一生食べなくても、損をしたとは思わないだろうなあと、なぜか、食べる度に考える。ところが食べてみると妙においしい。一生食べなくても損をしたとは思わないのに、食べるとおいしいから、では「すごく得をした」という気分になるかというと、そうでもないのに「また食べたい」と思っている。じゅんさいはそういう複雑な味の食べ物。

 池に生える水草の芽。つるつるしたゼラチン質に包まれている。このゼラチン質が曲者で、あっさりした味なのに、なぜか動物を思わせる。おたまじゃくの卵とか、そういうやつ。今までは三杯酢で食べていたけれども、白味噌のお出汁の実にするとおいしいことを発見しました。

 ネットでレシピを調べてみると、じゅんさい鍋というのがありました。はて鍋?とは。鍋にするとどんな味がするのでしょうか?それからじゅんさいの天麩羅。あのゼラチン質も天麩羅になるのかしら?そのうち、手がすいたときに試してみましょう。 833.jpg 832 20080826 訳注聯珠詩格  今、銀行から帰ってきました。ずっと未記帳だった通帳の記録をつけてもらっていたらすごく時間がかかってしまいました。ATMコーナーには始終「ATMで還付金が出ることはございません」のアナウスが流れてました。

 この春ごろから、うちにもしょっちゅう「還付金があります」って電話がかかってきてました。これまでの経験上、払ってない税金や保険年金の督促はあっても還付金のお知らせはなかったから、振込み詐欺には引っかからなかったけど、けっこう、引っかかる人っているみたい。

 小さいこだわりですが「振り込め詐欺」という言い方は嫌い。発音がしにくいから。「振込み」は名詞としても使えるから「振込み詐欺」でいいと思う。「振り込め詐欺」という言葉を聴くたびに、中学校の時、英語の能動と受動がわからずにまごまごしたのを思い出してしまう。だって日本語は能動と受動が曖昧なんだもん。

 柏木如亭の『訳注聯珠詩格』は

 「杜甫、李白、などの漢詩を江戸時代後期の漢詩人柏木如亭が当時の話し言葉を使って訳した漢詩集。」

 と説明されています。

 伊藤さんが見つけた岩波文庫は私もアマゾンで見つけて買いました。世間は広いようで狭い!柏木如亭には「詩本草」というのもあって、こっちはお料理の本。
 
 「遊歴の漢詩人が行く先々で口にした美食と旅の記憶に漢詩を結合させた随筆。『随園食単』『美味礼賛』に匹敵する魅力的な一品」

 と紹介されています。『随園食単』は中華料理。『美味礼賛』は西洋料理。『詩本草』は和食。さて、今夜は和洋中どれでやろうか?と迷いたくなるような三冊。

 伊藤さん、夏ばてしないで下さいよ!『トリッパー』の連載楽しみにしてますね。 831 20080825 十和田乗馬倶楽部  八戸から車で一時間くらいのところにある倶楽部です。外乗のコースがいろいろあり、一度、行ってみたいと思っていました。馬場で練習しているのは、ベル君のそばに映っていた小さいお嬢さん。まだ小学校にも入っていないくらいの年齢でした。こんな年頃から馬に乗りなれれば、すごくうまくなるのでしょう。 831.jpg 830 20080824 こっちは先生が乗っていた馬  ベル君は側対歩の馬でした。右の前足と右の後ろ足。左の前足と左の後ろ足がそろって動くという歩き方です。日本の古式馬術や荷馬車を引く馬には、側対歩の馬がけっこういます。あまりスピードは出ないのですが、そのぶん、安定した乗りここちです。

 先生が乗った馬は斜対歩。右の前足が出るときは左の後ろ足が踏み込み、左の前足が出る時は右の後ろ足が出るという歩き方です。斜対歩のほうがずっと早く走れます。写真の足元を注意してみるとベル君と先生の馬では立っている時も足の運び方が違うのが解ります。先生の馬も道産子だそうです。

 で、先生の先導でアップダウンのある山道を一時間半ほど散歩してきました。しばらく馬に乗っていなかったので、手綱の持ち方も忘れていましたが、山道を散歩するうちに思い出しました。急な下り坂や上り坂も、なんとか、越えることもでき、景色を楽しむ余裕も最後は出てきました。 830.jpg 829 20080823 馬に乗ってきました。  私を乗せて山道を歩いてくれたベル君です。道産子だそうです。

 ベルって牛の名前じゃないか?って知り合いに言われました。そう言われてみればそんな気がしなくもありません。

 おとなしくてかわいいお馬でした。 829.jpg 827 20080817 雲の峰  嵐が通り過ぎたあとの黒雲の向こうにぽっかり入道雲が顔を出してしました。雲の峰。

 16日午後から埼玉は全域、激しい雷雨に見舞われて浦和のパルコには落雷もあったとのことでした。停電にもなったみたい。幸いうちに落雷はありませんでした。


 伊藤さん、おかえりなさい!熊本の皆さんによろしく! 827.jpg 828 20080817 真夏の怪  芥川竜之介の「羅生門」を読むと、都のはずれの羅所門には人の遺骸が放り出してあった様子が書かれています。「羅生門」のもとになった今昔物語の時代、平安末期には、葬られることもなく放り出された人の遺骸を都でも見ることができたようです。

 役所に勤めている知人から、以下のような話を聞いたことがありました。

 8月の暑い盛りのことで、役所が閉まる直前に死亡届はどうのように出したらいいのかという問い合わせの電話がかかってきたそうです。で、その問い合わせに答えると電話の主は「今日は止めておきます」と言い出したのだそうです。役所の窓口が閉る時刻だったので、そう言い出したみたいです。死亡届ならば、通常の窓口のほかに、夜間でも受付があると言っても「今日は止めておきます」一点張り。そこで「仏様はいったいいつ亡くなられたんですか?」と聞くと「三日前」というので、驚いたと言っていました。
「死亡届がないと火葬にできませんよ」とたたみかけるとまた「今日は止めておきます」の返事。で、電話が切れてしまったということでした。

 こんなに暑い日が続いているのに、いったいどうしているんだろう?と気になってしょうがないと言っていました。去年の夏に聞いた話です。

 死体遺棄事件というとたいていは殺人事件とセットの罪状で、容疑者が捕まってから、殺人事件の捜査に切り替えられることが多いようです。が、殺人ではなく、単純な死体遺棄事件の雑報をふたつ見つけました。

 一件はお母さんが病死して困った兄弟二人の話。母親の遺体をトランクに詰めて放置したというもの。母親と同居していた兄は「お母さんが死んでどうしたらいいかわからない」という遺書を残して自殺していたそうです、弟のほうは八戸駅のベンチでぼんやりとしていることろを逮捕。もっともこの場合の逮捕は「保護」に近いような気がします。40歳前後の兄弟でした。

 もう一件は50代の男性がやはり母親が病死して「葬式代がない」という理由で遺体を遺棄したという事件。

 二件ともお金にも困っていた様子がわかりますが、困っていたのはお金だけじゃないようです。それにしても人のつながりが薄くなるって言うのは、こういうことをさしているのでしょう、 826 20080812 資生堂のホネケーキ  近所の薬局で見つけました。資生堂のホネケーキ。洗顔石鹸です。これが売り出された頃は石鹸としては最高級品でした。大事に大事に使っていました。

 なぜか、この石鹸を見るとどこかに遊びに行きたくなります。どうしてだろう????? 826.jpg 825 20080811 ぶたの日光浴  アジアンタムの冬越しに成功しました。アジアンタムの葉陰で日光浴をするぶたです。 825.jpg 824 20080810 昨日の出来事  またほていあおいが咲きました。

 飯田橋のラムラに入っているスーパーで買い物をしていたら「はるさめは緑豆のがおいしいから」というおばあさんのそばで、その人の娘らしいおばさんが「中国食品なんか買わないでよ」とヒステリックに叫んでしました。「ほら、テレビでやっているでしょ。汚いところで作っているんだから」とこれもきんきんした声。なんだかしゃくに障ったので、目の前で、中国製の乾物(きくらげ 百合の芽、その他いろいろ)をたくさん買っちゃいました。もちろん緑豆のはるさめも。はるさめはおばあさんの言うとおり、緑豆のやつがおいしいです、

 法政大学で用事があって、研究室にいたら、漢文の黒田先生がきました。通信教育のスクーリングの最終日だということで、ほっとなさっているようで、少しお喋りしました。「映画を見たいのにいいのをやってない」とお嘆きでした。夏休みですから、子ども用ばかりで、仕方ないですね。

 「ポニョポニョ 魚の子 
     おなかのまんまるい女の子」

 「崖の上のポニョ」の主題歌の、このくだりが気に入って、一人になると歌っています。あ、なぜ気にっているのか、理由のわかっている人はやたらに言わないようにして下さい。

 飯田橋の喫茶店で、編集者に校正刷りを戻して、家に帰ってきたら、近所の知り合いが偶然、尋ねてきました。子どもが保育園に通っていたときの、お母さん仲間。で、来週からカザフスタンに行くという話。え、だってグルジアとロシアが戦争を始めているよと驚くと「でもカスピ海の向こう側だから」って。中央アジアは広いから。
 気をつけていってらしゃい。

 お客さんが帰ったら、今度は遠くのともだちから電話。電話でよもやま話をしているうちに2時過ぎに。今日になっちゃいました。

 

  824.jpg 823 20080808 落合簗  渋川の駅からすぐ近くにある落合簗に行ってきました。前日、夜半から未明にかけて、もうすごい雷雨がありました。5時間近く雷鳴が轟いていました。で、泊まっていたホテルの部屋が紫に染まるほどの稲光と同時に、どしんという音。あとで泊まっていた建物に落雷があったことがわかりました。それにもかかわらず、ひたすら眠っていた私は、部屋が紫に染まったのも「夢の中」の出来事のひとつのようで、これで火事でも出ていたら、と思うと「冷や汗」ものでした。そういうわけで簗がある利根川には、茶色い濁流が渦巻いていました。

 濁流渦巻く利根川からの川風は心地よく、川の向こうには榛名山の姿がくっきりと見えました。いつも、あとから、あ、失敗したと気が付くのですけど、今回も写真を撮り忘れました。携帯を持っていたのに。なんだか見とれてしまうとカメラを出すのをすっかり忘れてしまいます。

 炭火でかりかりに焼いた鮎と、一匹丸ごとフライにした鮎それに鮎のコク(輪切りにした鮎の入った味噌汁)を食べました。新発見は細切りにしたナス。汁に浮かんだ実が、最初はちょっと煮えすぎた葱か何かのように見えて(かなり左目の曇りが響いていますが)「なんだろ?」と口に入れるとナスだったので、思わず手を打ってしまいました。ナスも細切りにすると、魅力的な吸い口になるのだと解りました。

 ともだちと鮎を食べに行こうと約束しているのですけど、なかなか、お互いの時間の折り合いがつきません。お先にいただいちゃいました。 822 20080801 ほていあおい  朝起きたらほていあおいの花が咲いていました。

 あとから調べてみたら3本ほど花の痕跡が残っていました。花芽は突然のように伸びて、一日だけ写真のような紫の花を咲かせます。で、その翌日にはくたりと枯れてしまい、ちょっと見には花のあったこともわからなくなってしまいます。

 ずいぶん前にどこかの用水地で、ほていあおいの花が無数の咲いているのを見ました。そのときは「へえ、ほていあおいも花が咲くんだ」とただ見とれていたのですが、それがどこだったか思い出せません。夢で見たみたいに、明るい水面に紫の花がたくさん咲いている景色を思い出します。 822.jpg 821 20080730 雷と遊んで携帯電話を忘れる  昨日は夕方からもうすごい雷雨でした。どこかに雷が落ちて山手線が止まったそうです。私は法政大学の研究室にいたのですけど、雷がだんだん近づいてくる様子がわかってわくわくしてしまいました。

 幸い?法政大学にはボアソナードタワーがありますから、雷が落ちるならきっと背の高いボアソのほうだろうと、図書館棟に研究室がある私は安心して、大空が稲妻で紫色やコバルトブルーに染まるのを眺めていることができました。花火よりもずっとスケールが大きいので、楽しいです(自分の頭に落ちなければ)で、どきどきもするし。

 だけど、研究室に携帯を忘れてしまったのです。夕べのうちに気が付いてはいたんだけど、もう大学の門も閉まっている時間で取りに戻ることもめんどくさかったの。やれやれ。携帯にいろんな用事が飛び込んできたりしてないといいのだけど。 820 20080728 伊藤さん かっこいいねえ、  前橋文学館の伊藤比呂美さんのポスター、なかなかかっこういいです。トップページにリンクを張ってあります。ご覧下さい。

 写真は知人の岡山土産。白い雲がむくむくする夏の空です。 820.jpg 819 20080728 おおきな虹が出た  夕方、猛烈な雷雨。それから大きな虹が出る。二重の虹だった。向かいのマンションが虹の二重まる◎で囲まれていた。 818 20080726 カレーにとりつかれる  熊本日航ホテルの朝ごはんになぜかカレーが出ました。いや、ビュッフェ方式だからカレーを食べたくない人はカレーをえらばなかればいいのですけど。「なんでカレーなの?」と首をひねりつつ、これを食べてみれば「おいしい!」でした。なんと言っても朝の4時半からくまぜみが「しゃわしゃわしゃわ」って鳴いていて、頭の中に「しゃわしゃわ」の国ができちゃっているほど暑いので、朝からカレーがおいしい。そういうわけでカレーにとりつかれちゃいました。

 で今朝はカレー。お釜の中でごはんがかぴかぴになっていたので、ご飯を水で洗ってぱらぱらにして、オリーブオイルで炒めて、カレー粉をふって出来上がり。ドライカレーです。熊本に行かなかったら、朝からカレーを食べようなんて思わなかったでしょう。それにしても日航ホテルって全国どこでも朝からカレーを出しているのかしら? 817 20080724 なすなすなす  熊本のお土産はなすです。丸いのが米なす。そのとなりは大成なす。真ん中が赤なす。いちばん長いのが長なすです。 817.jpg 816 20080723 しゃわしゃわしゃわ  伊藤さん、熊本に行ってきました。宇土も歩いてきました。熊本文学隊の皆さんともお話してきました。オレンジでにがうりのぬかみそ漬けをごちそうになりました。

 なによりびっくりしたのはくまぜみの鳴き声。朝の4時半にしゃわしゃわしゃわしゃわって、鳴き始めて、ホテルの10階に泊まっていることが一瞬判らなくなりました。

 すごいね。くまぜみって。

 伊藤さん、東京でも油蝉が多いから、あんまりみんみんとなく蝉の声は聞かないのです、じいじいじいですけど、絵本だとみんみん鳴いていますねえ。

 くまぜみってのは、なんかすごい迫力。鶴屋デパートの前の並木でもしゃわしゃわしゃわっと鳴いていました。

 熊本って、なんか「暑い」リックサックをひとつ余分に背中に背負わされたような暑さでした。サウナに入っているみたいな湿気で、この湿気で汗がいっぱいでました。ダイエットにはいいみたい! 815 20080717 水なすの糠でぬかみそを作る  大阪から水なすのぬかみそ漬けを送りました。水なすは一個一個、糠にくるまれています。この糠を捨てずにタッパーに集めて糠床を作りました。これにきゅうりとかみょうがとかそのたものもろお野菜を漬けておくとおいしいのです。

 ぬか床は古いほど良いって教わりました。でも、定期的に新しくするほうが良いという説もあるのだそうです。どっちがほんとうなのかわかりません。 814 20080715 宮本さんのお兄さんの夢  「おたあジュリア異聞」の挿絵を描いてくださっている宮本恭彦さん、それから宮本さんのお兄さんご夫妻、それに長谷川郁夫さんと大阪を歩いてきました。

 宮本さんのお兄さんが夢の話をしてくれました。夢を見たのは「小川国夫さんを送る会」の2、3日前だそうです。4月に亡くなられた小川国夫さんの「送る会」は6月16日に開かれました。

 宮本さんの夢では、その「送る会」の会場へ行ってみると誰もいなかったのだそうです。誰もいないなあと思っていると壁ぎわの椅子に小川国夫さんと長谷川郁夫さんが並んで座っているのに気づいたということでした。なんだ小川さんが来ているじゃないかと、壁際の二人を宮本さんは見てしました。すると長谷川さんが小川さんに聞いたそうです。
「天国はありますか」
 小川さんが答えて
「ありましたよ。あったんです」
 と言ったのだそうです。
 ここの下りを話す時、宮本さんのお兄さんは小川さんのものの言い方そっくりに話しました。声の質は宮本さんと小川さんではまったく違うのに、なぜか宮本さんの口から小川さんの声が聞こえるような、そんな感じでした。で、宮本さんのお兄さんは、夢の中で、
「よく聞いたな、よく聞いたもんだ」
 とひとしきり思い、夢から覚めてまた「よく、聞いたもんだな」と感心したという話でした。

 ほんとうに天国があったと教えてもらった気のする夢の話でした。 813 20080711 イタリア人  フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フォーレ大聖堂に落書きをしたことを謝罪した女子大生を、フィレンェ市が謝罪を受け入れたうえに平和大使に任命したそうだ。
 イタリア人は陽気だなあと感心する。災い転じて福となすのがうまい。

 少年犯罪は全体には現象傾向だけど、殺人は10パーセントも増えたの記事もあった。どろぼうは減ったけど、人殺しは増えたと思っていいのかしら?少年犯罪なら詐欺や横領はそんなにないはずで、ありがちなのは万引きや盗みそれに傷害などと考えてみる。

 お腹がすく、つまり肉体の飢えは扱いやすいけど、精神の飢えは扱いにくいということをこの統計は示していないかしら?精神の病ではなくて、精神の飢え。 812 20080709 私の曇っている左側  左側の目の網膜に故障があるのがわかったのは去年の今頃でした。で、それ以来、私は左側が曇っていることを意識するようになりました。あと、眼鏡にも少しなれたみたいです。でも眼鏡をかけても、私の左側は曇っています。

 正確に言うと曇っているというよりも、ものの輪郭がぼやけています。輪郭がぼやけているので、もの全体が少し遠くにあるように見えます。ですから、片目だけで、見ると左側だけで見る時と右側だけで見る時では、物と私の間の距離が違うように見えます。左側は輪郭が曇るだけではなく、物が幾分、小さく見えるので、それだけ遠く見えます。そのほかに左側の視界で顕著なのは光が散乱して見えることです。裸眼だと信号の光がまるで打ち上げ花火のようにぱっと散っています。光の散乱は眼鏡を用いるとだいぶ楽になります。

 疲労しているときは、この左側の不思議な見え方はひどく顕著になります。ところが、本を読むことに集中するとだんだん文字が見えてくるというへんてこりんな現象もあり、その時は右よりも左のほうがくっきりと見えているのです。これはいったいどうしたことでしょう?こうした左の目の故障の原因はわかりません。

 そんなわけで右は近視になってしまいました。で、その近視の眼鏡を作った時に、しばらくしたら眼鏡の度の修正がいりますと眼鏡屋さんに言われていました。ああ、またそろそろ眼鏡屋さんに行かなくちゃ。

 左側が曇って見えるようになってから、案外、片目だけ故障を抱えている人も多いことをしりました。ある人の旦那さんはやはり50代から原因不明のまま、片目だけ視力が落ちたということでした。困るのは目の疲労から突然、思いがけないときに眠気に襲われることです。眼鏡ともう少し上手に付き合うようにしたら、この眠気の発作を抑えることができるそうです。 811 20080708 副都心線  副都心線が開通した。で、有楽町線が成増始発だった頃が懐かしい。このときは便利になったという実感があった。それまでは東武東上線しか利用できなかったので、都心へ行く地下鉄はありがたかった。しかも始発駅。だからいつも座れる電車だった。

 ところが副都心線はあまりありがたくない。有楽町線一本の時は乗り換えなかればならなかった渋谷や新宿に一本で行けるということで理屈としては便利になったのだけれどもである。なぜか「渋谷」行きばかりが来る時間帯がある。「渋谷」行きの場合、有楽町線を利用するには小竹向原で乗り換えなければならない。その小竹向原でも「渋谷」行きばかりが来ることがある。

 小竹向原には有楽町線と西武線それに副都心線が乗り入れているので、かなり複雑なことになっている。そのため、混乱が生じているのは読売新聞の報じていた。

 さらに準急へ急行ができて、もよりの成増駅を通過する電車がある。正直言って、こんなに複雑になって事故がおきたりしないかしら?と心配になってくる。まだ慣れないから、混乱したり、電車の遅れが出たりするのだという人もいるけれども、慣れてきた頃に事故が起きたりしないかしら?

 秋山駿さんと麹町から電車に乗ろうとしたときも、所沢で起きた事故の影響で、電車は大幅に遅れていた。で、秋山さんが「お酒が飲める頃にな、この電車があったら便利だったな」とおしゃったので、思わず「そう、そう」と頷いてしまった。確かに新宿でお酒を飲むには便利な電車である。でも、今はお酒を飲む閑もない。副都心線が開通したおかげで今までよりも家を少し早くでなければならなくなったので、なおさら閑が削られている。やれやれ。 810 20080707 鱧 玉ねぎ マツタケ  鱧と玉ねぎとマツタケの鍋をごちそうになりました。玉ねぎは新玉ねぎの頃に鱧と鍋にするとすこぶるおいしいとのことでした。それからくぎ煮は、3月4月の頃がいちばん盛んに作られるという話も聞きました。お中元にくぎ煮をもらうことが多かったので、初夏のものを勘違いをしていましたが、ほんとうは春先のものだそうです。来年は4月頃にくぎ煮を探してみようと思います。

 ところで鍋の具に信じられないほど大きなまつたけが出ました。いったいどこから出てきたまつたけなのでしょうか。

 あと、貝と玉ねぎのキムチを発見。これの意外な組み合わでしたがおいしい! アマダイ入りのチヂミも見つけたましたが、暑い大阪の街で持って歩いて、無事かどうか解らなかったので、今回はパス。 809 20080629 水なす、くぎ煮、それから鱧  大阪のおみやげ。 808 20080621 めん喰い  朝、焼きそば 昼 冷やし中華 夜 鰯とブロッコリーのパスタ。 朝 なし 昼 てんぷらそば 夜 かも汁そば。
朝 そうめん 昼 かた焼きそば 夜 ざるそば 夜食カップヌードル

 なんでこんなに綿ばかり食べているのだろう。もとい麺でした。 807 20080619 ヤダヤダ虫が湧く  ちょっとだけヤダヤダ虫が湧いている。ちょっとした会議で「絶対嫌だ」と口走っていた。これは危ない。ヤダヤダ虫が湧いている証拠。これ以上に増殖しないことを願う。 806 20080616 火だすき  焼物に火だすきという柄が出ることがあります。お茶碗やお皿を焼くときに、炎がははってしゅっとした模様が出るのだそうです。

 一週間前に右手の親指の付け根から手首にかけて火傷をしました。ポットにお湯を注ぎすぎたので、少しこぼそうとして自分の手にかけてしまったのです。すぐに冷やした部分はあとが残りませんでしたが、手首のあたりに火だすきのような火傷の跡ができました。

 先週末、大阪へ。西成で騒動があったというニュースが深夜のBS放送で流れていました。あの騒動はどうなちゃったのだろうと、朝、テレビをつけてみれば、速報のチャイムがなって東北の地震でした。西成の騒動は金曜日、土曜日、日曜日と三日も続いた様子です。

 地震や騒動とはなんの関係もないkれども、右の手首の火だすきみたいな火傷のあとを時々、ぼんやり眺めています。 805 20080613 打ち明け話  打ち明け話ができにくい世の中になったなあと感じることがあります。いや、別に私が打ち明け話をしたいわけではないのですけど。

 へたに打ち明け話をするとじっと耳を傾けてくれる人はほとんどいなくて、いきなり、解決法やら解釈やら、まあ、その場の勢いで回答だけを言われるみたいなことが多いです。私もこのごろは人から打ち明け話をされることが多くなったから、もしかしたら、そんなことをしているのかなって考え込んでしまいました。なんか、試験問題に答えるみたいに打ち明け話に答えちゃうって癖が、ものすごく広がっている気がします。試験問題の答える訓練はずっと小さい時からしているけれども、他人の打ち明け話につきあう訓練はしてないから仕方がないってそういうことでもないんだけど。

 人間の内面への無関心ってのは、どんな社会で幾らかはあって、それは仕方がないことかもしれませんが、そういうものが過度に広がると、心象風景とか、内的な葛藤が、人間の現実の行動にむき出しに出てしまうってことがあるみたいです。すさまじいことになるわけで。

 ここ数年、学生の皆さんが提案した短編を4月から6月のゼミで読んでいました。今年は違うことをしているのですけど、昨年まで学生の皆さんの持ってきてくれた短編を読んでいました。で、その短編小説ではむごたらしい殺人事件が描かれていることが多くて、本心を言うとちょっと閉口していました。ただ小説は所詮作り物ですから、そこに描かれた殺人事件は、作者と読者の間に成立した心象風景と読めば読めないこともないのです。

 もっともそこに描かれたむごたらしい殺人の場面と心象風景として読み直すのは、小説を長い間、書いてきてその発想法などを幾らか承知しているからそう考えられるのでしょう。そうでないと、心象風景をそのまま現実に置き換えることも可能なわけで、ため息が出てしまいます。幕末には血みどろの芝居がもてはやされたそうです。お岩さんが出てくる「四谷怪談」なども幕末の血みどろ繻美から生まれた芝居だと聞いたことがあります。
 人間が心の中に育てる価値観というものも、ずいぶんいろんな方向へ育って行くものなですね。

 しかし、6月ってのはなんでこんなに惨劇が多いのでしょうか?打ち明け話以下のことは秋葉原の通り魔事件のニュースを見ていて、考えたことです。秋葉原の通り魔事件の前に、女性をさらってばらばらにしてトイレに捨てたという陰惨な事件もありました。その事件そのものは4月の出来事ではありましたけど、なんでこう次から次へと「絵空事」のような事件がおきるのでしょうか。 804 20080610 伊藤さん 梅雨入りしましたよ  九州北部も梅雨入りしたそうです。東京はもうずっと前に梅雨入りしたというのに、今年は逆転現象だということでした。と、伊藤さんはもうカルフォルニアに帰っちゃったのかしら? 803 20080607 やっぱりけしの花  いつだったか、管理人の豆蔵君が「なんかこの花が気になる」とMIXIに写真を掲載していました。あ、それはけしの花だよと教えたのを覚えています。で、私の家の周りにもけっこうけしの花が咲いていました。

 けしは麻薬の原料になるので、栽培を禁止されています。昔、私の家の庭にも大きなけしの株があって、それを引っこ抜いたのを覚えています。で、今日、コンビニでなにげなしに週刊新潮を買ったら「全国でけしがふえている」というグラビアがありました。やっぱりけしの花はあっちこっちに咲いているらしいです。で、何が原因でけしが道端などに咲くようになったのかですけど、これが解らないみたい。

 けしって、あんぱんの上についているつぶつぶもけしの実だと聞いているけれども、あんぱんを食べても問題はないみたいです。でもなんでけしが増えるのだろう? 802 20080606 葉っぱばかりを活ける  新大阪駅のホームでひさしぶりに平松洋子さんに会いました。お話したかったのですけど、私は2人の同行者がいてしかも3人ともヘビースモーカーなので、喫煙車両へ。

 それで平松さんが葉っぱが好きとおしゃっていたのを思い出しました。新緑の季節が過ぎて日増しに緑が濃くなる季節です。で、葉っぱばかり活けました。と行ってもちょうどベランダのヒイラギの木を切ったので、枝を捨ててしまうのがもったいなかったのです。花屋さんで買ってきた夏はぜも残っていました。思いついたのはお風呂場にもガラスの器で葉っぱを活けること。

 前からお風呂場にグリーンが欲しかったのですけど、なにしろ狭いユニットバスなので、グリーンを置くのは無理かなという気がしていました。でもガラスの器に、枝物を入れればいいんだと気がつきました。それで花屋さんに行ってみたところ、なんと1メートル40センチもあるドウダンツツジの枝を見つけました。大き過ぎる!でも一本1000円。使い出がある。ということで一本1000円のドウダンツツジの枝を担いで帰りました。それをお風呂場に活けたらお風呂場はジャングル。
 こんどはお風呂場の天井に二本設置してあるポールから花瓶を提られるようなネットがないかしらと探しています。 801 20080604 蓬ヶ島  虎屋に「蓬ヶ島」というお菓子があります。大きなお饅頭の中に小さなお饅頭が入っているお菓子です。小さなお饅頭は5個入っているものと、7個入っているものがあります。小さなお饅頭のあんこの色は、それぞれ別の色をしています。7個の小さなお饅頭の入ったものは、全体で1キロあるそうです。注文で作るお菓子で、一度、作ってみたいと思っていました。

 今年の春、姪っ子が中学生に、甥っ子が高校生になりました。そのお祝いに「蓬ヶ島」を注文しました。小さい饅頭7個いりは少し大きすぎる気がしたので、5個いりにしました。真っ白なお饅頭が箱いっぱいに入っていました。勿論、一人でこの巨大なお饅頭を食べるわけには行きませんから、切り分けることになります。切り口には3個のお饅頭が見えるということに甥っ子が妙味を持って、なせ3個しか見えないのかと説明してみようと考えはじめました。

 小さいお饅頭でさえ、ふつうのお饅頭と同じくらいの大きさがあります。これを4つ並べて、その上にひとつお饅頭を置き、全体をあんこで覆い、さらに白いお饅頭の皮で覆われているというものです。だから切り口は3個しかお饅頭は見えないのですけど、甥っ子は斜めに切ればもっと見える位置があるのでは?とかいろいろ考えていました。お饅頭の下のほうを切れば4個の小さいお饅頭が見える位置がありますが「それじゃあ、反則みたいな気がする」ということで、逆にまったくお饅頭が見えない切り方もあることに気づいたり、なんだかお饅頭というよりもパズルみたいな感じで楽しみました。 800 20080603 ほんとにバターがない!  今日、買い物に行ったらバターがなかった。お店の人に聞いてみたら一日に10箱入ればいいほうで、だいたい午前中に売り切れてしまうのだそうだ。バターがない!という新聞記事を見てからもう一ヶ月もたっているのに、ぜんぜんふえていないみたい。

 バターだけで済めばいいけど。お米がないなんてことになったりしたらたいへん。そうそう小麦もえらく値段があがっているらしい。

 車にガソリンを入れたら、こっちは高い高い。からっぽの燃料タンクを満タンにしたら、一万円超えそうな勢い。

 穀物高騰。原油高騰。それに中国の地震の影響がどんなふうに出てくるのか解らない。

 それにしてもバターがないなんて。 799 20080601 大阪の女(ひと)  たぶん5月の中ごろだった。21時に東京を出る新幹線で、新大阪着が23時30分頃。それから御堂筋線に乗り、天王寺まで行く途中の車内に、ちょっと目立つ美人がいた。目立つというのは首から上、つまり頭と顔は和服用のヘアスタイルにメイクで、「美人」の見本のような感じ。で首から下が、こっちはやや「ギャル」というのか、薄い生地のミニスカートに今流行しているスモック(とはいわなくてチュニックというらしいけど)を着ているという、なんとなく若いスタイル。たぶん20代前半から半ばくらいの年なのだろうけど、なにしろヘアスタイルが大きめの夜会まき風のスタイルだから貫禄があるのに、なぜか服装は可愛い子ちゃん風というアンバランス。

 御堂筋線に乗り込んできてのが「なんば」だったから、たぶんホステスさんで、お店では和服を着ているんだろうと思ってそのアンバランス嬢を眺めていたら、真剣な顔で携帯メールを打ち始めた。で、メールの返信がすぐに来たらしい。返信メールを見たとたんに目が釣りあがるほど怖い顔になった。で、やにわに頭に手をあて夜会巻きの堺目にささっているヘアピンを抜き出した。大きく膨らませた髪だから、なかには梳き毛が入っているはずで、ヘアピンやUピンを抜くのはいいけれども、いったい梳き毛はどうするのだろうと、なんだか固唾を呑んでしまった。
 
 ヘアスプレーでかちかちに固めた髪を崩しにかかった彼女を見て、驚いたのは私ばかりではなかった。前に立っていた年の頃なら20代後半くらいのサラリーマン氏もたいそう驚いたみたいだ。目が飛び出すという表現があるけれども、まさにそんな顔で、ヘアピンを抜く女性をまじまじと眺めていた。目をそらすのを忘れてしまったみたいな顔だった。上等な生地の紺色のスーツにアイロンが良くかかったYシャツ。ニットのネクタイを緩めているところが、新入社員と差をつけた感じのやや髪を長くしたサラリーマン氏だった。

 で、かのアンバランス嬢は頭をさっと一振りする。するとヘアスプレーで固まった髪の半分くらいが、ほどけてばらばらと肩の上に散った。でも半分は、まだ固まったまま。よっぽど厳重にスプレーを吹き付けたのだろう。ちょうど電車の席が一人分あいて、彼女は腰を下ろすとまた、なにやら真剣に携帯メールを打ち始めた。目が飛び出しそうな顔で、彼女を見ていたサラリーマン氏はもう人ごみにまぎれていた。女の人が髪をほどく姿というのをあんなに怖そうな顔で見ている男の人を始めてみた。心底、怖そうに見ていた。 798 20080528 昨日食べた  かれいのお刺身がおいしかった。それからぷちぷちと泡が出る日本酒もおいしかった。シャンパンみたいな感じ。

 それで、また写真を撮るのを忘れてました。

仕事の合間にちょこっとネットのニュースを見る。四川の大地震は台北も揺れたという第一報から、注意してみていた。成都にも行ったことがあるし、都江堰にも行ったことがあったので、いったいどうなっているんだろうと、ネット配信される記事を読み予想以上の地震の被害のひどさに驚いていました。成都に行った時「蜀の犬は陽を見るとほえる」ということわざを教えてもらいました。蜀は四川の昔の呼び名。で、昔からあまりすっきりと晴れることが少ない地方なのだそうです。ですから、たまに快晴になると、お陽さまを見慣れない犬は驚いて吼えるのだそうです。快晴が少ないということは、地震後の感染症の手当てなどには苦労させられそうだなと感じていました。

 今日になって李白故居の様子を写した写真がネットニュースに掲載になっていました。李白故居の中庭でお婆さんたちが孫をあやしながらマージャンをしていたのを思い出しました。それから細長い口がついた薬缶でお茶を入れてもらったのも思い出しました。写真で見る李白故居は、築山が崩れて茶色の土砂が庭を埋め、壁もまた崩れ落ちていました。

 なんだかにがいわたの入った鮎が食べたいんだけど、どうしてだろう。昨日はちょっとしたお祝いで日本料理を食べたのですけど、ゴマ豆腐の上に稚鮎を甘辛く煮たのが載っていました。それでますます、ハラワタの苦い鮎が食べたくなりました。 797 20080527 いさきと夏みかん  お昼にいさきの干物を食べた。先週の日曜日に鎌倉の駅浦にある干物屋さんで買ってきたいさきの干物を冷凍にしておいたもの。5月になると父がいさきをバケツに何杯も釣ってきた。

 夏みかんを食べたら、子どもの時に住んでいた家の台所の昼下がりを思い出した。夏みかんの季節になると母が近所の八百屋さんに夏みかんの出荷を手伝いに行っていた。それで、たくさん夏みかんをもらってくるので、皮を剥いて砂糖漬けにした。砂糖漬けはそのまま食べることもあったが、冷たい水に溶かして夏みかんジュースにして飲んだ。

今年は苗ものが出回るのが遅いと花屋さんが話してしました。いつもはいっぱい売っている朝顔の苗もやっとひと株見つけて買ってきました。

 ネットのニュースで空き巣の操作中にパトカーが別の警察官に駐車違反切符を切られたという記事を見つけました。2、3日前にはパトカーが速度超過で違反切符を切られたというのもありました。どうなっちゃっているんだろう? 796 20080525 うちの薔薇  伊藤さん、おつかれさまです。

 うちのベランダも薔薇が咲きました。去年の秋に薔薇の土を買って植え替えてやった薔薇です。 796.jpg 795 20080513 母の日  伊藤さん、次郎物語は佐賀が舞台なんですね。あんまり九州だと意識したことはありませんでした。次郎が正木のおじいさんを尋ねて冬の田んぼを歩く場面なんて、自分ちの近所(つまり房州)で考えていました。そのうちに佐賀に連れていって下さい。そうだ!下赤塚の下村湖人のお墓におまいりしたら、ここに写真載せますね。

 先週の日曜日は母の日だったので、花屋さんに行ってカーネーション赤20本、白3本買ってきました。白3本はお仏壇用。お仏壇が小さいので、それ以上あっても飾りきれないのです。で、赤20本は長い丈のまま、ガラス瓶にさして玄関に置いておきました。指示行動ですね。

 息子の反応
 「あ、今日は母の日だった。はははは」

 娘の反応
  「こういうのは一週間前にやらないと意味ないね。だってその日の夜になって気づいてもしょうがないから」

 だそうです。来年は一週間前にスプレー咲きのカーネーション50本で玄関の入り口をふさいでやろう。と母は思うのでした。 794 20080508 伊藤さん、次郎物語は  私も愛読しました。うちの本名が本田で、弟は生まれたとき、長男なのに「次郎」にされそうになりました。親子で愛読していたんですね。あと作者の下村湖人のお墓はうちの近くの下赤塚にあります。まだ行ったことはないけど。こんど行ってみます。うちから歩いていけるところなの。 793 20080507 ラコステのポロシャツ  ラコステのポロシャツを買いました。ポロシャツって言えばラコステっていう時代がありました。高級ブランドが注目を集めた頃で、ラコステは手が届く高級ブランドって感じで紹介されていました。

 それでちょっとそんな頃のことを思い出していたついでに、欲しくなってしましました。白と紫を買ったつもりなんだけど、紫のほうは「ピンクだ」と家では言われています。薄い紫なの。でもピンクに見えるらしい。 793.jpg 792 20080506 うちのさくら それから  青い実がなっています。 792.jpg 791 20080503 河のほとりで飲んだお茶  河のほとりにイ・ビョンジュの文学碑があり、そのそばに藤棚がありました。藤棚の藤はまだ咲いていません。藤棚の下で水色のチマを身につけた人々が、そよそよとお茶を入れていました。胸元から足首にかけて大きく開いたチマは河からの風に揺れて、それがたった今しがた河から上がってきた水の精のように見えました。

 河東はお茶の産地でもあるのだそうです。

 ソウルでは麦茶とかコーンのお茶をごちそうになることが多く、グリーンティーは貴重です。

 お茶を入れるとき、湯冷ましに白磁の片口を使っていました。その白磁の片口がなかなか使いようさそうでした。ひとつ持っていたいものだと河東からソウルに戻り、仁寺洞に出かけました。土曜日の夕方の仁寺洞の賑わいに驚くとともに街がすっかり様相を変えているのにも、目を見張りました。

 昨年の9月にも仁寺洞を歩いているのですが、その時は夜遅かったので、あまり気づきませんでしたが、文房四宝と骨董、それに紙屋とお茶道具屋さんの多い街が、今ではファッションと現代美術とお土産屋さんの街に変貌していました。木版刷りの民画のグリーティングカードが欲しかったのですけど、今ではもう制作していないそうです。だとすると私の机の引き出しに残っている木版のカードは貴重品ということになります。しかたなく韓紙の封筒と便箋を買いました。白磁の片口は、土瓶とくみ出し茶碗がセットになったものを見つけましたが、これを日本まで持って帰るのを考えると、今回はあきらめました。が、なんでもないこんな道具は次に行った時にあるかどうか、今のソウルの変化の早さを考えると、これも幻になってしまうかもしれません。

 以前から欲しかった改良韓服を上下で買いました。夏にはそよそよとして気持ちよく着られます。もっともうちのばか息子は「焼肉屋の店員に見える」と言っていました。ま、確かに高級焼肉店では、定員さんが改良韓服を着ています。 791.jpg 790 20080503 慶尚南道と全羅南洞の間を流れる河  河東は慶尚南道と全羅南道の境目に位置する街です。ソウルから高速道路を使って5、6時間かかりました。写真は慶尚南道と全羅南道の間を流れる河です。イ・ビョンジュの文学碑はこの河の岸に建れられていました。

 韓国では桜と菜の花が同時に咲くことが多いらしく、テレビの天気予報では黄色く咲いた菜の花に桜の花びらが散り掛かる映像が繰り返し放送されていました。河東では、もう桜の花は終わって、河岸はつつじの花が満開でした。外国に出るときは筆談のために分厚いノートを持って行きます。今回もオレンジ色の分厚いノートを持っていったのですが、そのノートにいつのまにか赤いつつじの花が一輪はさまっていました。

 この河ではたくさんのしじみがとれるそうです。朝ご飯にはラーメンの丼くらいの大きさの器でおいしいしじみ汁がでました。白いスープに殻なしのしじみ、それに韮を細かく切ったものが吸い口として浮いていました。これがおいしい。パウダー状のとうがらしをくわえるとさらにおいしくなりました。
 しじみのほかに梅の実の産地でもあって、ごちそうになって梅酒も良い香りでした。韓国では梅の木は、幹を切って、背の低い状態にして育てるようで、最初は梅の畑を桑畑と見間違えました。それからいちご!鶏の玉子ほどもある大きくて甘いいちごをいただきました。

 河東は写真のように穏やかでうららかな春の日でしたが、この日のソウルを大荒れの天気だとテレビが報じていました。大雨が降り、大風が吹き、さらには雷までなって街路樹が横倒しになったり、バス停の屋根が吹き飛ばされたりしていました。 790.jpg 789 20080502 韓国に行ってました。  一週間ほど韓国に行っていました。

 伊藤さん、ご心配いただきましてありがとうございます。生きてます(笑)
 
 韓国のイ。ビョンジュ文学祭に行ってました。イ・ビョンジュは韓国の作家です。韓国南部の河東(ハトン)にイ・ビョンジュ文学館ができて、そこでのシンポジウムに参加してきました。それからイ・ビョンジュ国際文学賞が今年からできたそうで、ベトナム人の女性の作家が第一回の受賞者だそうです。あと中国人の女性の作家と、インド人の男性の作家とそれから、メキシコに住んでいるスペイン人の作家が来ていました(スペイン人は男性)

 写真はイ・ビョンジュの文学碑の前を行われた記念式で、韓国式のお茶を出してくれた人たちです。なんか河から抜け出てきたみたいな水色のチマ(スカートみたいなもの)を着ていました。遠くからみると「おそろい」なんだけど、近づくと、例えば背縫いにステッチが入っている人がいたり、チョゴリ(上着)に地紋があったりとそれどれ個性的でした。 789.jpg 788 20080418 うちのさくら  さとうにしきの花です。ベランダのプランターですがちゃんと赤い実がなります。いつもソメイヨシノが咲き終わった頃に咲きます。 788.jpg 787 20080415 春は危ない  ここのところ、大阪、静岡と新幹線で移動していました。新幹線で走り、学校の廊下を走りの繰り返しでした。春は新入生の季節です。学校はまだ学内の建物の位置などがわかっていない新入生があふれていて、大混雑。走りたくても走れないこともありました。

 電車の駅でも真新しいスーツを着た新入社員らしい人をたくさん見かけます。新幹線の中にも、緊張した面持ちの人が幾人も乗っていました。それから、団体旅行の人々。こんなに団体旅行が多いのかしらと思うほど、昼前後の新幹線には団体旅行の人が大勢乗っていました。

 団体旅行の添乗員さんも新入社員。大阪駅でおろしたての制服を着た添乗員さんをみかけました。頬がふっくらとして、満面の笑みにはりきっている気持ちが滲み出していました。手にはこれまた新しい旅行社の旗。見ているだけで気持ちが良くなるような新米の添乗員さんでした。

 手にした旗をすっと掲げて、新幹線から降りてきたお客さんを集めます。集まってきた人々の先頭に立ち、背筋を伸ばして、歩く姿がどことなく誇らしげでした。新幹線ホームのスピーカーが切迫した声を放ったのは新米添乗員さんが旗を掲げて、下りのエスカレーターに乗った時でした。
「添乗員さん、添乗員さん、ホームでは旗を使わないで下さい。ホームでは旗を使わないで下さい」
 駅員の声はほんとうに切迫したものでした。が、新米添乗員さんは意気揚々と下りエスカレーターに運ばれてもう姿を消していました。駅員さんのあの切迫した声はぜんぜん彼女の耳に届いていませんでした。きっと彼女はコンコースで、あの満面の笑顔でお客さんの数を確認していることでしょう。

 たぶん、駅のホームで旗を振ると、列車の運転手が、安全確認のための旗を見間違える危険があるのでしょう。どうかすると大事故の原因にもなりかねないのはあの駅員の切迫した声が物語っていました。
 ああ、春は危ない。
 そうは思っても、駅員さんの切迫した声と、添乗員さんの誇らしげな笑みのコントラストには微笑を誘われました。ほんとうに春は危ない。 786 20080408 春の嵐  すごい嵐です。 786.jpg 784 20080407 もうすぐ葉ざくら  花のしたからやわらかくて若い葉が出ています。

朝方から雨が降り出しました。先週のさくら色の雨とちがって、こんどは燃え出す緑の雨。天気予報では東日本で大雨がふるそうです。そのまえぶれみたいな静かな雨であたりはけむっています。お花見も昨日の日曜日でおしまい。おしまい。 784.jpg 785 20080407 もう咲いている皐月の花  今年の東京のさくらは気が早かったようです。でも気の早いのは皐月の花もつつじの花も同じです。梅もこぶしもさくらも皐月もつつじも咲いて、青紅葉も出て、東京はいつから雪国になったんでしょうって話を知り合いとしました。 785.jpg 783 20080406 さくらちる  さくらのはなびらが風に散って雪のようでした。 783.jpg 782 20080405 救世軍の行進   風で散ったさくらの花びらが吹き上げられて、8階の通路に散らばっていました。 

 法政大学で「編集実務B」の講義をされている谷村先生と神保町に行きました。すると、どこからともなく、かなり古風なブラスバンドの音が流れて来ました。

 太鼓とコルネットとタンバリン。そういう組み合わせなので、古風な音に聞こえるのです。救世軍の行進でした。みんな救世軍の制服を着て、足並みを揃えて行進していました。先頭に旗を持った人がいて、そのあとに銀色のコルネットを吹く人が二列で続き、大太鼓が入って、その後ろでタンバリンを打ち鳴らす人が2列でならぶという行進で、全体では30人くらいの隊列でした。夕闇が濃くなる時刻の行進で、会社帰りの人が足を止めて眺めていました。

 神保町の交差点のところに救世軍本営があります。私が救世軍のことを知ったのは林芙美子の小説に「救世軍の陣太の音」という表現があって、へえ、そんなクリスチャンの団体があるんだと感心したのが最初でした。大学に入ってから、神保町で救世軍本営を見つけました。クリスマスが近づくと制服の救世軍の人が、募金用の鍋のそばでラッパを吹いているのを見かけたりしました。

 谷村先生は駿河台下の近くにある高校に通っていて、神保町はなじみの町なのだそうですが、救世軍の行進を見るのは初めてだとおしゃってました。私も行進に行き逢うのは初めてでした。救世軍の行進は、本営を出て靖国通りを東に向かい、三省堂の前ですずらん通りにはいって本営に戻るというコースだったのでしょう。
 紺色の制服をきたちょっと太った中年の女性、若い女性、おじさんも制服で、かなり年齢もまちまちの人が楽器を演奏しながら足並みを揃えて夕暮れの町を歩いていました。制服は紺色でJRのと言うよりも、旧国鉄の駅員さんが来ていた感じにどことなく似ています。救世軍本営でなにか集会があるみたいで、最後尾の女性がスピーカーで、集会の案内をしていました。

 谷村先生が「写真を撮っておけばよかった」とおしゃっていましたが、私もそれをちょっと考えたのです。でも携帯電話のカメラでは、光がすくなすぎて、暗い感じになりそうでした。なんだか楽しそうという感じは携帯のカメラではでないかもしれないと、カメラを出すのをやめました。
 子どもだったら、あとをついて行きたくなるような光景でした。

 谷村先生と古本屋へ。それからランチョンで黒生ビールと鰊の酢漬けを食べました。谷村先生はランチョンのザワークラフトが御気に召したそうです。谷村先生から日芸にいる古本小僧の話を聞きました。古本は安くなっていて、大学生でもかなり買うことができるので、日芸の学生の中には古本屋めぐりをする人が多いのだそうです。谷村先生の話を聞きながらやっぱり日芸の学生って流行に敏感なんだなあと思いました。日芸には「古本屋研究会」があるそうです。

 神保町や、駿河台下には新しい古本屋さんができています。店を覗くと30代とおぼしき店主が座っていることも珍しくありません。店の棚を見ていると、なんだか世田谷や杉並あたりに住んでいた人の家の中を覗いているような気分になります。新開店の古本屋の棚に並んでいるような本が棚にならんでいた知り合いのお家に行ったときのことを思い出させる古本屋さんです。
 昔は古本屋の店主って、怖い感じがして、じろりとにらまれましたけど、今はなぜか古本屋の店主さんのほうが「このおばさん、なんだろう?」って怖そうな顔で私を見ています。今は昔。 782.jpg 781 20080404 外堀のさくら  昨日は入学式でした。外堀のさくらがはらはらと散り始めていました。 781.jpg 780 20080403 もう あおもみじが  まだこぶしも梅も咲いているというのに、あおもみじが枝を伸ばしていました。 780.jpg 779 20080402 光が丘公園のさくら  さくらが咲くとああ、冬を生き延びたという気がします。心筋梗塞とか脳梗塞とか。雪の多い山の動物みたいに餓死したりはしなけけど。人間だって冬はけっこう怖いのです。 779.jpg 778 20080401 まだ咲いているこぶしの花  卒業式の頃にひらくこぶしの花はいつもどおりに咲いたのに、遅れた梅や先を急いださくらにおどろいていることでしょう。 778.jpg 777 20080401 まだ咲いている紅梅  今年は一月中旬に寒くなったので、まだ紅梅が咲いています。梅の花が開くのが遅かったのです。 777.jpg 776 20080401 花の波  雨が降って、風が吹いて、また雨がふって、風が吹いて
さくらが散り始めました。花の波です。 776.jpg 775 20080331 さくら色の雨が降って  朝、目をさましたら桜色の雨が降っていました。ちょうど知人から電話があって
「さくら色の雨が降っているよ」
と言ったら
「こっちはどしゃぶり」
だそうです。とてもさくら色どころじゃない。バケツで水をまいているような雨だそうです。

 午後からは晴れ上がりました。

 今日は全国的に寒かったみたいです。さきほどニュースを見ていたら、山梨の富士吉田市では雪が降ってました。

 24日の法政大学の卒業式の日の次の日にさくらが少し咲き出して、飯田橋の地下鉄の出口あたりで、さくらの花を携帯のカメラで撮影している人をたくさん見かけました。
 26日の午前中、上野の精養軒のテラスで、あたりいったいさくらが咲いてゆくのを眺めていました。この日はものすごく暖かでした。28日は夕方、雨が降ったにもかかわらず、外堀土手にはお花見の一団がいました。29日、豊島園でお花見をしました。豊島園はさくらが咲くと16時以降、入場無料になるのを教えてもらいました。30日は光が丘公園を横切って下赤塚のお風呂の王様に行きました。帰りは光が丘公園から、IMAのショッピングセンターまで歩き、大きなうどを買いました。すると雨。タクシー乗り場で車を待ってもなかなか来ないので、傘を一本買って家まで歩いて帰りました。もちろん光が丘公園のつっきって歩いてきました。
 光が丘公園のお花見の人は雨のおかげですっかり姿を消していました。さくらだけが夢のように咲いている静かな公園でした。
 さくらが咲いてから、冷たい雨が断続的に降っています。 775.jpg 774 20080328 さくらが咲きました  東京はこの3日の間にさくらが満開になりました。

 甲子園では、安房高校と宇治山田商業の試合で、試合開始直後に目を疑うようなホームラン。信じられないことばかり。試合そのものは逆転さよなら勝ちをされて、なんとなくほっとしたというのとも違うのですけど「そうか、そうか」という感じでした。

 10年ぶりくらいの大泥酔。時々、思いがけない酩酊に襲われることがあります。それもこれもさくらが満開になったせいのような気がしました。

 法政大学の前の外堀の土手では、背広姿のサラリーマンのおじさんたちが連れ立って、散歩をしている姿をみかけました。あんまり急速にさくらが咲いたから、人間のお花見の都合をあわせられなかったんでしょう。 774.jpg 773 20080325 卒業おめでとう 法政大学の卒業式でした。

人生には良いことも悪いこともあります。良いことだけの人生もつまらないし、悪いことだけの人生もつまらないものです。悪いことのあとにはきっと良いことが、良いことのあとには、少しだけの悪いことと、そのあとのもっと良いことが待っていると信じて。がんばって下さい。それではみなさんごきげんよう。 773.jpg 772 20080323 紫色がどよめいて  昨日の読売新聞夕刊一面の記事のタイトルは「まってました。桜もメジャーも選抜も」でした。

 昼過ぎにテレビをつけて甲子園の第二試合の実況を聞きながら大量の洗濯物をやっつけ、ベランダの植木鉢に水が足りないのを発見して水をやり、その途中で米屋さんに電話をかけてお米を注文し、ついでに洗濯機を回し、台所の流しに洗う物の山ができているのをぼちぼち片し、とまあ、一週間分の家事が滞っていたのと格闘していました。で、第三試合になったら、テレビの前に乾きあがった洗濯物の山を積んで、それを片付けながら、安房高と城北高の試合を見るぞと掃除機をかけたところで、第三試合の中継が始まりました。
 
 正直に言って、これを見逃したら、きっとあと100年くらいは甲子園の中継で母校のユニフォームは見られないだろうという心境でした。だって32年前に千葉県大会に決勝戦に出たときには、銚子商業に20点以上の差をつけられて、誰も一塁に出塁しないまま終わってしまったのですから。

 洗濯物の山の向こうにまず見たのが安房高女子の新しい制服。ダブルの上着というのは変わってないれども、ちょっと良いボタンがついてボタンの数も4つから6つにふえてました。それに臙脂のネクタイが加わっていました。ふむふむ。こういう制服になったのね。アルプススタンドは紫の塊。全部、紫に染まっているので、驚きました。NHKのアナウサーは「ともに攻撃的な守備が特徴の学校です」と解説。はて? 攻撃的な守備? それじゃあ、決着がつかないじゃないと、ぶつぶついいながらまずバスタオルを5枚ばかり畳むことに。

 ブラスバンドは絶対城北高のほうが上手でした。ちゃんとトランペットの音がグラウンドに響き渡っていました。攻撃の局面が変わった時に、演奏の曲をすばやく変えても音が安定しているブラスバンドでした。たいして我が母校の紫集団。聞こえるのは迫力のある大太鼓の音。「紫のアルプススタンドが喜んでいます」ってアナウンサーが言っていましたけど、ほんとにちょっとしたチャンスでも大喜びのどよめきが伝わってきました。その間に、シャツ、パンツ、上着にズボンにパジャマと洗濯物をたたんで片付け、ひょっとして、ひょっとしてこれは勝てる試合なんじゃないか? と思い出したのは4回表の攻撃の時くらいから。

 時計の針は16時30分に近づいていました。今日は法政大学のゼミの追い出しコンパ。17時30分に市ヶ谷駅集合。ああ、行かなくちゃ。でも試合も見たい。野球の試合以上に、紫の塊が大喜びをするところを見たい。と思いつつ、後ろ髪を引かれながら、地下鉄に乗り市ヶ谷に。野球の試合は夜のニュースでもハイライトシーンを見ることができるけれども、紫の塊の大喜びはライブでしかみられないからなあと、思いつつも、でもだんだん後半になると喜ぶよりがっかりするシーンになっちゃうかもしれないし、と考えながら市ヶ谷駅に到着。

「誰か甲子園の野球の結果を教えて」
 と御願いしてみました。
「え、第二試合ですか」
「第三試合の結果」
「まだ第三試合の結果は出てませんよ」
 やっぱり最後まで試合を見ていたら、大遅刻をするところでした。
「あ、第三試合の結果が出てます。2−0ですね。しかも9回表に2点とっているから、これって見ていたらそうとうおもしろ試合だったでしょう」
「やっぱり勝ったか。ばんざい」

 さぞや、紫の塊は大喜び、大歓喜だったでしょう。見られなくって残念。あ、でも、勝ったってことは、もう一試合甲子園で、安房高の試合を見ることができるんだ。昼までは100年に一度だぞって思ってましたが、これで100年に2度になりました。きっと次の試合の時はあの紫の塊がもっとおおきな塊になっていることでしょう。 771 20080322 甲子園のチケット  本日の第3試合 熊本の城北高と安房高の試合です。

 熊本、静岡、東京でさくらが咲いたということです。 771.jpg 770 20080321 安房高応援グッズ  知り合いが安房高応援グッズの写真を送ってくれました。

 丸の内でタクシーに乗って、武道館のわきを通り、一口坂まで行きました。武道館では専修大学の卒業式が終わったところでした。日本武道館を卒業式に使う大学は曜日に関係なく毎年同じ日にちと決まっているそうです。ちなみに法政大学は24日。

 はかま姿のお嬢さんたちが大勢信号待ちをしていました。お堀の桜のつぼみは赤く膨らんでいました。

 で、タクシーの運転手さんと着物の話になりました。千葉のほうのお家に曾祖母さん祖母さんお母さんと三代の着物をしまってある長持があったそうです。今はもう誰も住んでいない家で、そこに泥棒が入り、丸帯と鼈甲の櫛だけを盗まれたというお話でした。お金になるものだけを選んで盗んでいったみたいです。
「運転手さん、千葉って、どのあたりのお家があるのですか」
 とお尋ねすると
「僕んちは保田です」
 と言うので
「じゃあ、安房高が甲子園にでるのをご存知でしょう」
 と着物から野球に話題を転じました。
「僕、安房高なんです」
 というお返事でした。ここで車は一口坂に到着。
 あの運転手さんもラジオで、中継を聞くのでしょうか。こんな偶然もあるのです、 770.jpg 769 20080314 なんと我が母校は  我が母校(安房高校)は熊本の城北高校と一回戦で対戦することになりました。甲子園の春の選抜高校野球の話です。それにしても一回戦が熊本じゃなくてもよさそうなものなのに。伊藤比呂美さんとのご縁とか、熊本日日新聞の「おたあジュリア異聞」連載とかいろいろ熊本とはご縁があるものです。あ、そうか縁があるから一回戦は熊本とぶつかったわけか。なるほど、なるほど。 768 20080309 もうすぐ春ですね  年末に買ったミニ葉牡丹がぐんぐん伸び始めました。なんだかおもしろい!て子どもたちが言っていました。葉牡丹が伸び始めてつぼみをつけるともうすぐ春です。 768.jpg 767 20080307 若ごぼうをいただきました。  大阪の尾川さんから若ごぼうを送っていただきました。根っこを食べるのではなくて、茎を食べるごぼう。さっそく尾川さんのおすすめにしたがった掻き揚げにしてみました。なにより緑色がきれい。薄いころもをつけて油で揚げると茎の緑色がいっそう冴え冴えしました。蕗に似ていますが、味は柔らかで、ほんのすこしだけごぼうの香りでしました。春のお野菜です。 767.jpg 766 20080301 今日のお買い物  はっさく、でこぽん、伊予柑(以上熊本産)ばなな(エクアドル産)豚肉ロース塊塩漬け用(アメリカ産)牛肉ロースステーキ用(オーストラリア産)鳥胸肉、鳥腿肉(山形産)。レタス、サニーレタス、なんとかレタス(名前を忘れたけど、葉っぱがレースみたいになっているやつ)グリーンピース。葱、牛蒡。ブルガリアヨーグルト(日本産)たらこ(なぜ買ったのかわからない。袋の中に入っていた)油揚げ。新若布。そうそう、韮とひき肉と餃子の皮と香菜。あとピンクのさくら餅としろいさくら餅。

 ああ、重かった。 765 20080229 今日の空  西の空がだんだん春になってきました。4年に一度の今日の空です。

 灯油を買ったら一缶1,980円でした。信じられない値段。スタグフレーションという言葉を覚えたのは小学校5年生の冬。石油危機で狂乱物価といわれた頃でした。なぜかトイレットペーパーがものすごく値上がりすると言われて、街じゅうの人がトイレットペーパーの買いだめに走ったのです。で、トイレットペーパーを自転車の荷台に積んで走っていたおじさんが強盗に襲われたりしました。

 物価が上がっても景気がよくない、したがって賃金もあがらないというスタグフレーションという言葉を久しぶりに聞きました。40年ぶりまでは行かないか。まあ、そのくらいです。で母が言っていたのでよく覚えているのは「あの狂乱物価がなければ。子ども二人を私立大学にやるくらいの蓄えはあったんだけど」という言葉。「へえ」と思って聞いていました。結局、私が学費が安い明治大学の2部を選んだし、弟は国立大学へ入りました。私は学費の問題というよりも学力の問題で2部を選んだのだし、弟は希望の学科が国立にしか設置されてなかったので、あんまり母を嘆かせずにすみました。

 もう明治大学の2部もなくなっちゃったし、弟が進んだ国立大学もほかの学校と合併して別の名前になってしまいました。

 知り合いと話していたら、国民年金の掛け金が高すぎない? っていう話題になりました。収入に関係なく一律に掛け金を取られるのは「払わない」のじゃなくて「払えない」って話です。そりゃそうだ。

 年金と保険。これがちゃんとしていればかなり安心して暮せるんですけど。どうもそういう実感がないの。ええと地震とか台風とか災害があるたびに、高齢の人が亡くなったり家がつぶれたりしていますけど、そういうことを聞くにつけ家族に頼らない老後って、ほんとうに良いのかなあって思います。

 うまく言えないのだけど、家族に縛られない自由な社会ってのに、私などは憧れたんだけど、その結果が公的扶助の整った社会ってことになるのでしょう。でもそれってうまく行くのでしょうか?

 なんかねえ、時々、なんで自分は若いとき、あんなに臆病だったんだろうって考えることがあります。で、ああそうだ。家族の面倒にみる余力が必要だから、臆病になっていたんだなあって思い出すんです。それはそれでよかったんです。春めいた空を見ながら、ぼんやりそんなことを考えています。 765.jpg 764 20080228 三浦和義容疑者逮捕  ロス疑惑事件の三浦和義容疑者逮捕には驚きました。でも、それでイージス艦の衝突も農薬入り餃子の話も夕刊のタブロイド誌やスポーツ新聞、それに全国誌ですら、扱いが小さくなってしまいました。27年前の事件よりも、今日食べる餃子のほうに私は興味があるのですけど、一般の読者の興味はそうではないのでしょうか? 私と同じように、今日食べるかもしれない餃子や、今もたくさんの艦船を運行させている海上自衛隊のほうに興味があるのではないでしょうか?

 ロス疑惑事件と言えば最初はアメリカで強盗に襲われた悲劇の夫婦の「美談」としてワイドショーに取り上げられました。その「美談」が「疑惑」に変わったとき、それまで芸能ねたか、家庭の話題しか扱わなかった昼過ぎのワイドショーがジャーナルな話題も扱うようになったのです。メディアリテラシーについて話す時、テレビのニュースがワイドショー化したのはロス疑惑事件の時からだとよく言われます。ちょうど、ニュースのワイドショー化、ニュースのバラエティ化と時を同じくしておきたのがロス疑惑事件でした。

 それがなんだか、今現在進行中のさまざまな時間を覆い隠す効果を発揮しているのは皮肉な気がします。これって偶然なんでしょうかねえ? 歴史の流れをよく見ている知恵者がどこかにいるのでしょうか? 763 20080223 強風というよりも狂風  2時半ごろでしたでしょうか?一転にわかにかきくもり、猛烈な風が吹きました。家の中にいても外が暗くなるのが解りました。しかし、雨が降っているわけではありません。雲で暗くなったのではなく、風で飛んできた砂で暗くなったのでした。黄砂かと思いましたが、どうもそうではなくて、強風に巻き上がられた砂ほこりだったようです。

 息子が珍しがって写真をとっていました。一眼レフカメラを購入したばかりなのです。

 猛烈な強風で、電車もあっちこっちに遅延が出ていました。東北新幹線は停電のため全線運転見合わせという表示が山手線の中に表示されていました。風が一番、強い時には表を出歩くに躊躇されつほどでした。アルミでできたオカモチがどこかから飛んできました。いったいどこのラーメン屋さんのオカモチなのでしょうか?

 強風というよりも狂風という感じでした。その風のあと、ものすごく寒くなり、午前中のぽかぽか陽気がまるでうそのような冷え込みになっています。 762 20080222 見つけた。  東京はぽかぽか陽気になりました。で、皇居の向かい側に桜が咲いているのを見つけました。色の濃い桜で、もともと早く咲く種類かもしれません。

 あと、小川国夫さんのところでごちそうになった金山時味噌が欲しいと思っていたら、これも同じものを見つけました。ハワイアンコナコーヒーのバニラフレバーが欲しいかったのも見つけました。バニラフレーバーのコーヒーってなぜか冬の終わりにぽつんと現われるぽかぽか陽気の陽にしか欲しいと思わないので、ふだんは売っていても気にもとめません。そういうわけでちょうど良かったの。

 足に塗るクリームも見つけました。聖書に香油を塗る場面がよく出てきて、油なんか足や身体に塗ったらべたべたするんじゃない?と前々から疑問に思っていたのですけど、ピーナッツオイル入りのボディクリームというものを使ってみたら、香油を塗るというのが少し納得できました。

 今はどうか知りませんが、以前は夏になると、オレンジ色の容器に入った資生堂のサンオイルや茶色い容器に入っているコパトーンをあっちこっちで売ってました。私は4月頃から徐々に日焼けしてしまうので、サンオイルは使ったことがありません。でも、考えてみると聖書に出てくる香油って、サンオイルの類に似ているのでしょう。ピーナッツオイル入りのボディクリームを使ってみるまでそんなことを思いつきもしませんでした。

 そういうわけで、今日はたくさん「見つけました」(笑)というか、忙しかったので、また買い物虫が暴れだしているみたい。所要があって昼過ぎに神田神保町を大急ぎで歩いていたら、光の中に紙の匂いがしました。製本屋さんや印刷屋さんが多く、フォークリフトがこちょこちょ動いている神田新保町の裏通りです。ハワイアンコナコーヒーのバニラフレバーって、なんとなく午後の神保町の匂いに似ています。 761 20080221 牛蒡が好き  変わったお茶漬けをごちそうになりました。アナゴを佃煮風に煮たのと、牛蒡を素揚げしたのをご飯の上に載せてお茶をかけるの。

 あなごとかうなぎは、佃煮の中でも飛び切り高級で、高いなあと、手がでないことが多いです。でも、牛蒡と一緒のお茶漬けの材料に買っておいてもいいかなと思うくらい、おいしいお茶漬けでした。牛蒡はかりかりにするために、二度揚げしているみたいです。

 これから春になると新牛蒡が出てきます。黒い皮をこそげ落とすと、ふんわりとした白さを持っている牛蒡です。牛蒡ってお肉とよく合います。牛肉でも豚肉もで鳥肉でも、牛蒡と一緒にするとすごくおいしい。

 牛蒡が好き。お肉やお魚も好きだけど、だんだんお野菜が好きになってきています。 760 20080217 伊藤さん こんばんは。  無事、熊本におつきになられたようで。なによりです。

 平田俊子さんに妙連寺ロールはおいしかったかどうか聞いてみて下さい(ごめん、私信でした) 759 20080216 炎は現象である。  昔、炎は液体なのか、気体なのか、それとも固体なのかと理科の先生は尋ねたら
「炎は現象である」
 と言われました。中学生の時でした。
 
 うちの子どもたちも同じ質問を中学校の理科の先生にしています。その先生のお答えも
「炎は現象だから、物体ではない。物体ではないから固体、液体、気体の区別にはあてはまらない」
 というお答えでした。どうも親子そろって、物体と現象の区別がつかないみたいです。

 私の時代よりも息子や娘の時代の中学校の先生のほうが丁寧に教えてくださるみたいで
「いいですか。空気は物体です。で、その空気の流れができるとそれは風です。風は現象です」
 とちゃんと答えいただいたのですが「???」だった子どもは、息子だったか娘だったか忘れましたが
「でも風は気体でしょう」
 と先生を困らせたみたいでした。ご丁寧に息子も娘も同じ質問を同じ先生にしているのです。

 先週、今週と東京は冷え込んで、お葬式が続きました。お寺にでかけてお坊さんが「諸行無常」と唱えるのを聞いてきました。生花で飾られた祭壇に蝋燭の炎が揺らぐのを見ていたら「炎は現象です」と言った中学校の理科の先生の声を思い出しました。

 人が生きているのも、炎が現象であるのと同じように現象なのだなあと思うそばから「でも風は現象でも、気体でしょ?」と尋ねる自分がいて困ってしまいました。夕方、西に沈む陽の光が、ひとつき前と違ってやわらかい茜色になっています。雲が陽に輝くもの「現象」ですね。 758 20080214 ああ。いたたたた(泣)  昨日からお腹が痛い。おとといの夜食べた焼き鳥のレバーがいけなかったのかと思ったけれども、違うみたい。お腹にくる風邪があるようだ。

 考えてみれば今日はバレンタインデー。でもチョコレートなんてみたくないのに、ネットをあけたら、大阪の工業高校で作ったチョコレートがけの自動車の写真が載っていた。写真と言えば、ソウルの燃える南大門の写真もなんだか腹痛には響く。

 目の前には経費の領収書の山と支払調書の束。先週、神楽坂の翁庵でおそばを食べていたら、相席になったおばさんが連れのおじさんに「30年も確定申告してきたから、この時期は自然に頭が痛くなるの」と話していた。そうか、そうかとなんとなく聞いていると連れのおじさんが「おでんでも食べる?」と聞く。「なんで、あたしがおでんにお金を払わなくちゃいけないのよ」とおばさん。どうやらおでん屋の店をしめたらしい。それでも確定申告に時期になると憂鬱になるみたいだ。

 腹痛もそのせいかしら?毎年、恒例になって欲しくないなあ。 757 20080209 大原で白鳥を発見  頓挫していた大原の家の建築計画をすすめるべく、久しぶりに大原まで行ってきました。今回は小学館の宍田さんとご一緒しました。

 で、家が建つはずの土地の前に広がる田んぼに白鳥の群れを発見。いや、最初、宍田さんに「あの白い鳥はなんですか?」と聞かれたときは平然と「白鷺でしょう」って答えていました。だって千葉で白鳥なんて見たことがなかったんですから。で、道を歩いていた人が「あれは白鳥ですよ。頭が黒いのは若い鳥」って教えてくれました。2、3年前から飛来するようになったそうです。昼間は田んぼで過ごして、夜は近くの沼に帰るとのことでした。

 キョンという小型の鹿がかなり増えたとの話も聞きました。それから、芽を出す前にたけのこを食べてしまうイノシシの話も。イノシシの鼻ってダテに大きいわけじゃないらしくて、たけのこの匂いをかぎ分けてしまうのですって。

 家の敷地にはたくさんの水仙が花をつけていました。日当たりが良いので、もうすみれの花がぽつぽつ咲き始め。ふきのとうが芽を出してました。裏の崖には椿が赤い花を咲かせていました。 757.jpg 756 20080207 この週末も雪みたい  伊藤さん、昨日の東京は朝から小雪が舞っていました。ちらちらちらちと一日中、降り続いていましたけど、積もるようなことはありませんでした。

 この週末も雪だそうです。寒い。寒い。 755 20080204 晴れました  今日はよく晴れました。まぶしいほどです。

 家の周囲は昨日の雪が凍って、つるつるすべります。歩くとペンギンの苦労がなんとなくわかります。 755.jpg 754 20080203 明日は立春  明日は立春。さてそろそろ芽を出さなくちゃ。

 伊藤さん、今日の東京は大雪ですよ。この雪は今夜まで降り続くそうです。中国に大寒波をもたらした寒気団が日本列島の上空まで移動してきたようです。今日は東京でも滑ったり転んだり、がけ下に落ちたりする車や人が続出するでしょう。

 先週の東京の雪の時は那覇にいました。那覇の気温は20度。暖かいというよりも、初夏か初秋の涼しい風が吹いているような感じでした。
 ホテルで朝ごはんを食べて、部屋に戻ってからお風呂に入り、涼んでいると知人から携帯に電話が入りました。「何をしているの?」という質問だったので「お風呂から出て涼んでいる」と答えると「雪が降っているのに、そんなことをしたら風邪を引くぞ!」と言われてしまいました。自宅で電話に出ていると思っているから。「だって那覇にいるんだもん」って、ちょっと得意。ま、子どもみたいなものですね。

 冬の沖縄には一度行ってみたいと思っていました。観光客が多いのと、修学旅行生がたくさんいたのは意外でした。沖縄の桜は本島の北のほうから咲くのだそうです。で、1月末には桜祭りが始まるという話でした。気温は20度あったのですが、空は曇り空で、この雲の色がカシミヤのセーターみたいに柔らかでした。棕櫚の木もタコノキもガジュマルもアダンも涼しい風に、息をついているようにすくすくしていました。

 今年は那覇でも「冬が来ない」というほど、暖かだそうです。私が出かけた前の週には気温25度という日もあったと聞きました。それって夏でしょう。来年は今帰仁の桜を見に行きたいなあって思いました。 754.jpg 753 20080131 学期末  がけした……。

 ひとりごとでした。 752 20080125 我が目を疑う  安房高校が21世紀わくで春の選抜高校野球大会にでるみたい。ネットのニュースで見つけました。ニュースが出たばかりだったので、しばし、我が目を疑いました。我が母校です。はい。県立だから、それほど野球が強いってわけではないと思い込んでました。21世紀わくとはいいながら、選ばれるのは、相当の成績を残したいたんでしょう。

 いまごろ、大騒ぎになっているではないでしょうか。

 私が在学していた頃も(もう30年も前だ)一度だけ千葉県大会の決勝に残ったことがありました。そういえば、あのときも千葉テレビの中継のアナウンサーが26年ぶりって言ってました。そうしてみると30年に一度くらいは、そういうこともあるってことなのかしら。

 ここ数年、甲子園の野球を見ることが少なくなりましたが、今年の春は「どれ、どうなっているのかな」なんてテレビを見て、スタンドに昔の先生の顔を発見したりするのでしょうか。仮に30年に一度だとすると、次の機会には、テレビ中継の画像に懐かしい人の顔を発見したりするのは不可能だろうから、やっぱり見なくちゃ。 751 20080120 灯油1缶(18L)1950円でした。  明日は雪が関東地方でも降るそうです。座っていても膝のあたりがしんしんと冷えてくる寒さで、どうやら雪の予報は当たりそうです。

 灯油を買いました。一缶(18L)1,950円でした。こんなに高額だとエアコンの暖房をつけっぱなしにしたほうが絶対に割安でしょう。金曜日(18日)に大阪から帰る新幹線のなかで見た電光のニュースでは原油市場の価格は少しさがったということでしたので、このあたりの値段が最高値ということになるのでしょうか。だとしても、もっとも寒い時期に最高値にならなくってもいいのに。

 根引き松と啓翁桜(さくら)を花屋さんで買ってきました。松はお正月に使った若松をそのまま使おうかと思っていたのですけど、さすがに昨年末に生けた松ですから、松葉がだいぶ乾燥していました。

 それにしても異常なくらい高い灯油の値段です。 750 20080115 女湯に入ったなまはげ  子どもの時から新聞の小さな雑報を読むのが好きでした。そういう人ってけっこういるみたい。大学で助手をしてくれている深野女史も、いろんな雑報を見つけてきます。

 今日、驚いたのは、高速の外郭環状線で、トラックの積荷が爆発したってニュース。うちの近くです。しかもよく通る場所でした。で、トラックの積荷が煙を上げ始めて、しばらくすると爆発したそうです。けが人はいなかったみたいだけど、そばにいたらびっくりしただろうなって。

 あと、なんだか複雑の気分になったのは、温泉の女湯に闖入したなまはげのニュース。お正月に旅館に泊まっている人に見せるために、なまはげがロビーで踊りを踊ったのだそうですけど、そのうちの一人(なまはげは一人二人と数えるのかしら)が女湯に入って、女の人の身体を触ったそうです。この事件で地元の神社の宮司さんは「子どもに礼儀を教ええるなまはげがなにをやっているんだ!」ってかんかんに怒っているとこのこと。

 うちの娘も「それはないでしょ」って憮然としてました。それはそうだけど、酔っ払った勢いでばかなことをしちゃったなまはげさんが、今頃、しゅんとなっているのを想像するとなんだか複雑な気分になりました。出来心だから赦してあげるってわけにはいかないみたいだし、たぶん、そう深い考えはなかっただろうことは想像がつくし。世の中っていろいろあるもんですね。 749 20080114 お菓子の家  子どもの時は、お菓子の家というものを見てみたいと思っていたし、もし、あったら食べたいとも考えていた。

 でも、今はお菓子の家に出っくわしたら「げげげ」ととたんに胸焼けがするだろうなと二日酔いの息子に向かって言ったら
「和菓子の家だったら、どう?」と言う。
 ここで馬鹿息子は、宮城道夫の「春の海」を口しゃみせんでやってみせた。
「そんなお菓子の家だと、魔女がファッションに困るだろう。伝統的魔女ファッションは着ることができないし、和服は似合わないし」
「だったら、鬼婆に代理を頼むしかないね」
 昨日、音楽会に出演してまだ二日酔いがなおっていない馬鹿息子はそう言う。
「鬼婆ってぼろを着ているんでしょ」
「馬鹿、絵本の鬼婆はたいてい年に似合わない若作りの小袖を着ているもんです」
「あ、そうなんだ。やっぱ和菓子の家だね」

 それで和菓子の家で魔女は誰を捕まえるのかな?

 二日酔い息子とのわけのわかんない会話でした。 748 20080113 おなか山  夢を見た。おなか山に遠足をした夢を見た。おなか山に登りながら(夢のなかでは誰のおなかかはっきりとわかっている)ああ、これはおなか山だ、おなか山だと感心していた。
 で、おなか山にとことこと登って、そのてっぺんでおにぎりを食べた。ぼよんぼよんしながら、足をぶらぶらさせて、おにぎりを食べていた。

 で、目が覚めてから、これが初夢じゃなくてほんと良かったと胸をなぜおろしていた。 747 20080112 伊藤さん、伊藤さん、援軍が来ました。  伊藤さん、伊藤さん、今日の東京は空は灰色で冷たい雨が降っています。お家を暖かくしていればなかなか気分の良い日です。で、お知らせです。援軍が来ました。なかなか力強い援軍です。文芸評論家の日比勝敏さんのページを作りました!「耳かくしの本棚」です。「耳かくしの本棚」では、日比さんが書いた評論、書評をご紹介します。

 07年に日比さんが書いた書評を見ていると「文学の衰退」とか「文学の閉塞」なんて、うそだなあって感じます。新しく書き始めて人は、新鮮な感受性を示していますし、松浦理英子さん、佐伯一麦さんと私が20代からお付き合いいただいている人たちは、ちゃんと「ある時代」をくぐりぬけて現在にいることの意味の心地よさを感じさせる作品を発表しています。こういう力強い援軍が、来たので、伊藤さんゆっくりとネット依存症を癒してください。あ、書かなくていいなんて、言ってませんから。「伊藤製作所」の日記も楽しみにしてます。無理をなさらないように。

 そういうわけで、私は静岡新聞の連載ストックが底をつきそうなので、湿った冬の雨の匂いをかぎながら、パソコンをがんがんうたなくてはなりませぬ。それじゃあ、皆さん、また、あとで。 746 20080106 芋煮会の準備ができました  お芋の皮がむけました。お手伝いくださった昼ゼミの3人の皆さん、どうもありがとう! 746.jpg 745 20080106 あけましておめでとうございます。  あけましておめでとうございます。

 お正月は子どもたちと箱根に言ってきました。大丸風呂がある福住楼に二泊とまってきました。

 夏休みに法政大学の皆さんと合宿で箱根へ行ったとき、台風でがけ崩れをしていた乙女峠も修復もあらかた終わっていました。で、御殿場にアウトレット・モールがあったのを思い出して、ちょっと覗こうとでかけてみたところ、これが思いのほかの巨大ショッピングセンターでした。以前、学校で比喩の文例に漱石が書いた「御殿場の兎を日本橋に放り出す」というのがありましたが、今の御殿場のうさぎはに日本橋に放り出されてもさほどびっくりもしないでしょう。なにしろ駐車場に入るまで、2時間も行列する騒ぎでした。東京デズニーランドなみの行列でした。行列している車のナンバーも沼津、三島、品川、湘南と西からも東からも高速を使って出かけくるみたい。で、犬を連れた家族連れが多くて、しかもその犬が、みんな「お洋服」を着た犬だったのには少々驚きました。


 写真はそのアウトレット・モールから撮影した富士山。夕方で、携帯電話のカメラでは、ぼんやりとして撮影できませんでした。 745.jpg 744 20071230 今年も残り2日  ああ、なんてこどだ!今年はあと2日しかないのにもう9時間もすぎちゃった。あせってますって言いたいところですが、なんとなく「まったり」してしまっています。このまま行くと「まったり」が「のんびり」になり「のんびり」が「だらだら」になって今年が解けてしまいそう。それもいいかなと耳もとでささやくのは悪魔か、天使か、いったいどっちだろう。

 これまでの経験ですと、新聞連載をしたあとは家の中がぐちぐちゃになっているのです。とうてい自分で散らかしたとは思えない。パソコンに向かっている間に座敷童子か、なんじゃもんじゃの神様か、あるいは物につくというつくも神か、わからないけれども、そういうものが、好き勝手放題に大暴れしたとしか思えないような散らかり方をするのです。

 だから、今年は新聞連載を始める前に、コンテナルームを借りました。家の中から物を少なくすれば、それだけ片付けが楽になるってことで、借りたコンテナルームですが、子どもたちが一度、荷物を運びこんだきりで、まだ使いこなしきれていません。で、たよりの子どもたちですが、今朝は二人とも二日酔いで寝ているの。やっぱりこのまま、「まったり」が「のんびり」になり、「のんびり」は「だらだら」に流れて落ちて行くのでしょうか。こういう時にかぎって頭後部で「お座敷小唄」がエンドレスで流れちゃったりします。

「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も
     雪に変わりがないじゃなし
           解けて流れてみな同じ」 744.jpg 743 20071224 小川国夫さんのおうちで  さくらえびをごちそうになりました。

 さくらえびは駿河湾特産で、ほかではとれないそうです。なんでも明治時代にこのえびを発見した漁師の兄弟がいて、それ以来、大事にとっているみたい。さくらえび漁の季節になると富士川の川原で、えびを天日に干すそうです。
「猫がとるんじゃないかって心配になる眺め」
 と小川さんが言っていました。生のさくらえびを見せてもらいました。紅色に透き通っているえびでした。

 さくらえびをごちそうになる前に、小川さんの「悪食の話」ってのがあって、これがすごい!とてもここには再現できません。一緒に小川国夫邸にでかけて司修さんが
「ああ、みかんを食べているときでよかった」
 と言っていましたし、私も途中で聞くのが怖くなりました。長谷川郁夫さんに至っては、どうもこの小川さんの「悪食の話」を聞くのは初めてではないらしいんだけど、みかんが喉につっかえたらしく、顔を赤くしてげほげほやってました。

 ほんとさくらえびの掻き揚げをいただいている時じゃなくて良かった。で、さくらえびの掻き揚げの時は「虹」の話。主語がはっきりと思い出せない(さくらえびがおいしくて、そちらに気をとられていたの)「僕は」だったか「人は」だったか、ともかくその存在は「虹のようなもの」で「やがて見えなくなるけれども、虹がかかっていたことはみんな覚えているでしょう。消えちゃうから美しいの」っていう話を小川さんがしていました。

 司さんはカナダで見た虹の話。遠くからだと見えるけれども、近づくときらきら光る光の粒しか見えなくなる虹を見たそうで、車だったから、何度も遠くに離れては虹の全体像を見て、近くによってきらきら光る光の粒を見たそうです。

 小川さんのうちに行く前に、「おたあジュリア異聞」の挿絵を描いてくださっている宮本恭彦さんのお兄さん夫妻と虹の話をしていました。宮本さんはものすごくたくさんの虹があっちこっちにかかっているのを見たそうです。なかには端から端までくっきりとした虹もあったということでした。小川さんのおうちには宮本さんご夫妻もご一緒しました。 743.jpg 742 20071222 ぎゃぼも冬支度  のだめカンタービレに出てくるマングースの着ぐるみをうちでは「ぎゃぼ」と呼んでいます。「ぎゃぼ」も冬支度です。娘の部屋にいったら、3匹いる「ぎゃぼ」のうち2匹が毛糸の帽子をかぶっていました。ピヤニカを持っている「ぎゃぼ」は帽子をかぶった「ぎゃぼ」の後ろに隠れています。 742.jpg 741 20071217 12月の銀杏の木  ネットで皇太子妃が紅葉狩りという記事を見つけて「おや?」と思いました。記事を読んでみると、神宮外苑の銀杏並木の下をお散歩されたという内容でした。今年は11月中旬に、急に冷え込んで思いのほか、銀杏も欅も桜も美しい色に染まりました。

 飯田橋から市ヶ谷に続く土手では、さすがに桜の葉はみんな落ちてしまいましたが、まだ銀杏だけは、いくらか黄色い葉が枝に残っています。池袋に買い物に行った娘が「お母さん、12月も半ばなのに銀杏が黄金色なのはヘンだよ」と言っていました。会社のある日は銀杏並木をつくづくと眺める閑もなかったから、それに気づかなかったということでした。

 95年の秋に、東京競馬場で行われた天皇賞のレースを知人と見物した帰り、みごとな銀杏並木の下を歩いたことがあります。夜空に黄金色が輝くようでした。オウム事件で大騒ぎの年で、事件のことを話題にしながら銀杏並木の下を歩いていたのでした。私が子どもの頃は、11月の御酉様というと、毛皮のコートを着た女性もいて、なんだか熊みたいだなと眺めていました。それだけ寒かったということです。95年からおよそ12年で2ヶ月、紅葉がずれたとすると、あと10年たったら、紅葉に2月頃になる計算ですねと、ある教室で言ったら、聞いていた人たちが大笑いをしていました。2月の紅葉ってのは、想像しただけで笑い出したくなるようなところがあるみたいです。

 たぶん2月まで紅葉がずれ込む前に、亜熱帯の植物が野山を占領してしまうでしょう。植物の旺盛な生命力は住みやすい土地を求めて、移動してくるでしょう。鳥とか虫の力を駆りながら、どんどん北上するのではないでしょうか。植物は何にも言わないけれども、もくもくと新天地を切り開いてしまいます。きっとバナナなんかも手近なところで栽培できるようになっているかもしれません。だって春の桜の方はここ数年、卒業式には咲いているというのが当たり前になってきているのですから。

 まだ小学校に通っている頃、NHKの朝の番組で、東京都内をいろんな人が散歩するというのがあって、そこに詩人の新川和江さんが出演していたことがありました。落ち葉を踏んで歩くというテーマだったと思います。新川さんは「銀杏の落ち葉は湿っているから、ひらがなでかさこそかさこそと書く感じがする」とおっしゃっていました。ひらがなの「かさこそ かさこそ」って、そうだなあと子ども心に感心しました。あれからもう40年もたっているのに、今でもその番組のことを覚えている自分に呆れるような心地がします。学校へ行く前にご飯を食べながら見ていたテレビでした。 740 20071215 そうそう海苔の季節でした。  伊藤さんのコラムを読んでいて、思い出したんだけど、海の水が冷たくなるこの季節は海苔の季節でした。今は海面にぷかぷかと浮く海苔の養殖網もあって、かなり水深の深い海や、波の荒い海でも海苔を養殖できる技術がありますけど、昔は遠浅の海に乗り粗朶を建て、養殖用の網をはって海苔を作っていたから、有明海のように遠浅の海でなくては、海苔の養殖ができませんでした。

 幼稚園に通っていた頃は、横浜の金沢八景にある平潟湾も海苔の養殖が盛んで、今頃になると自家用の海苔を干している漁師の家もありました。紙を漉くのと同じで、四角い木枠をつかって、四角く海苔を梳いて、それから天日に干すの。
 すのこに四角く梳かれた海苔が並んでいて、市松模様を作っていました。養殖網から離れたて、流れてくる海苔を海岸で掬って、自分で漉いてみたこともあるのですけど、これはなかなかうまく行きませんでした。海苔を四角くするための枠は父が作ってくれました。網から離れた海苔だからそれほど量が多くないってこともあって、生海苔を酢の物にしたりしていました。これは、潮干狩りが始まる3月頃のことですね。アサリを採りに行ってついでに、海苔も救ってくるのです。
 お歳暮に自家製の海苔をいただくこともありました。干す前の海苔は、黒というよりも紫色をしています。

 海苔粗朶は竹の棒で、竹の棒が遠浅の海に等間隔に並んでいるんです。今では海苔粗朶のかわりに、平形湾に繋留されたヨットのマストが並んでいます。 739 20071214 ポインセチア  伊藤さん、うちでもポインセチアを一鉢買いました。花屋さんに行ったら、今年はポインセチアの品種がたくさん出ているって話していました。いろいろ迷ってけれそも、結局、真っ赤なやつでツリー仕立てになっているのを選びました。
 あとね、きれいな白い斑(ふ)が入っているのもあってそれも欲しかったの。 739.jpg 738 20071209 支離滅裂な机の上  仕事が混雑しているときは、家の中を注意深く片付けている。そうしないと、何か重要なもの、再発行の手続きがめんどくさいものを失くすから。ところが、である。机の上だけは支離滅裂になる。以前はこんなことはなかった。家じゅうが支離滅裂な状態に陥っていても、机の上だけは片付いていた。そうしないと、自分がなにを書いているのか解らなくなるから。が、パソコンが入ってから、いつも机の上は支離滅裂になっている。

 パソコンのための机と、書き物机の二つを部屋においているせいで、書き物机はとりあえずに物置代わりに使われるからそういうことになるのだけれども、その支離滅裂な机の前で、これまためちゃくちゃな本の読み方をしている。知人からもらった本、自分で買った本、前から読まなくちゃと思っていた本、そのたもろもろ、ちょっとづつ読んでは、またほかの本も読みという状態。

 なんかねえ、栄養不足みたいな感じっていうのか、へんてこりんで、困っている。しかも、これが楽しい。なんでだかわかんないけど、楽しくて仕方がない。頭の中まで支離滅裂になっているのかしら? 737 20071208 ちょっと、おもしろかったこと 宝石屋の主人を驚かす
 知人と丸の内中通りを歩いていて、小さな宝石屋があったので、ショーウィンドウを覗き込んだ。もう日が暮れていたせいもあるけれども、左目があまりよく見えないこともあって、ウィンドウのガラスに頭をごんとぶつけた。目から火花が出るほど、ごんとやった。「ははは」と笑った知人が、頭をぶつけたくなるほどの宝石とはいったいどんなものかと、これまたショーウィンドウを覗き込もうとしたとたんに頭をごんとぶつけた。
 どうも、ショーウィンドウのガラスが通常よりも分厚くできているらしいのだ。二度も「ごん」「ごん」やったものだから宝石屋の奥から主人が出て来てとおりのほうを怪訝な顔で眺めていた。
 宝石屋の主人はグレーのスーツを着た美人だった。

タクシーの運転手を驚かせたこと
 「東京駅まで」とタクシーを拾って、後部座席で「年収」の話をしていたことがある。幾らくらいもらえるかとか、幾らぐらい欲しいのかとか、そんな話だった。
「あんまりばかなことを言っていると、また、どっかに頭をぶつけちゃうからな」
 と、話の相手は不思議なことを言った。と、そのとき、ちょうどタクシーは東京駅に到着した。支払いを済ませた次の瞬間、車を降りようとした話の相手は「ごん、ごん」と二度も、タクシーの天井に頭をぶつけたのである。一度目は勢い良く「ごん」とぶつけ、二度目はあわてて「ごん」とぶつけたのであった。隣にいた私も驚いたけれども、タクシーの運転手はもっと驚いていた。運転を仕事にしている人には、車体から響く衝突音ほどどっきりとさせられるものはないのは想像がつく。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
 運転手さんは早口で三度も同じ言葉を繰り返した。
 これは去年の暮れのこと。

ジャック氏のボーナス、クリちゃんの三ツ星、キクチ君がキクちゃんになる話
 金曜日6限の授業を終わって飯田橋の駅までクリちゃん、キクチ君と歩く。ボーナスが出たというジャック氏が電話をしてきて、いつもの「ブリッジ」で遅いご飯を食べようということになった。「ブリッジ」の向かいの文教堂に派手なミシュランの広告が出ていたので、ジャック氏が来るまで、ミシュランを見物しようということになった。けれども、日本語版は売り切れ。残っていたのは英語版だけ。
 クリちゃんがミシュランで3つ星を獲得した恵比寿のレストランで彼女と食事をした時のことを話してくれた。王子様が出てきそうなレストランだ。クリちゃんの話はおもしろかったけれども、そのおもしろい細部が、今朝になると思い出せない。ただ、おもしろという波みたいな感じだけがしわしわと残っている。
 キクチ君はある人物から時々「キクちゃん」と呼ばれているらしい。私、クリちゃん、ジャック氏の三人でそれを聞いて「えっ」とか「へえ」とか「ほんと!」とそれぞれに驚いたり、感心したり意外だったりして、同時に三人三様の感嘆詞をもらす。感嘆詞の見本みたい。
 ジャック氏はあいかわらずボーナスが多すぎること(少なすぎることじゃない)を嘆いていた。 736 20071206 なんと、灯油が1,700円だって!  北海道旅行から帰ってきた息子が、北海道じゃあ灯油の値段があがってたいへんなんだと話していたが、ネットで灯油が一缶1,700円台になったというニュースを見つけた。

 正直に言って「ええっ、ああぁ」という感じ。一缶750円くらいで買えた年もあったのだから、それからくらべたら1,000円も上がっている。いや、1,000円以上の年って石油ストーブを使っている我が家では、記憶していないから、こんなべらぼうな上がり方は初めてだ。

 これじゃあ、灯油がなくては冬を越せない北国の人は、暮らしていけないって値段になっている。まだ、上がるのかしら? ガソリン代の値上がりも深刻だけど、車はあまり使わないから、灯油のほうが衝撃が大きい。 735 20071205 酔っ払ったあとで  ちょっとだけボードレールの「悪の華」を安藤元雄訳で呼んでいたら、しごく、幸せだった。ぼやぼやとした靄のかかった夕暮れで、西の空が淡いブルーとピンクに染め分けられてゆく時刻の物憂さが、身体にしみこんでくるようだった。学校にいたり、街に出かけていたりすると、空の高いところから振ってくる物憂さは、身体の上をすべり落ちてしまうものだ。

 もっと、ぼんやり本を読んでいたいけれど、ああ、仕事、仕事、仕事しなくちゃ。

 昨日、新丸ビルで鴨を食べた。鉄砲で撃った小さい鴨を炭火で焼いたやつ。それから、丸の内中通りをペニンシュラホテルまで歩いた。丸の内警察のそばで、ちょっと前まで占領期の名残のような英語の看板が出ているアーケードのあったビルがホテルに建て替えられていた。

 ペニンシュラホテルのバーで飲もうと思ったら、満席だった。エレベーターに乗り合わせたサラリーマンのおじさんとお兄さんの中間くらいの年齢の人(いったいいくつだ?)が「こんなところ、世間知らずの女の子を連れてきたら、すぐに口説けるよなあ」って話していたけど、たぶん女の子のほうがリサーチは詳細にしているはずだろうなって、苦笑いがもれたけど、気づかれなかったみたい。白い制服のきれいなボーイさんがいた。ボーイさんだけど女性。親切そうな微笑の持ち主だった。

 なんて、思い出している閑に仕事しなくちゃ。東京駅から有楽町、汐留あたりはここのところ、急速に再開発が進んで、だんだん見たことがない街になっていく。 734 20071203 今年の秋  今年の秋も終わりです。 734.jpg 733 20071202 薔薇の土を買う。  薔薇を植え替えるための土を買ってきた。植え替えにはちょっと遅い気もするけれども、寒くなるのも遅かったのでまあいいかと思っている。

 一重の赤い花が咲く茎の太いつる薔薇で、一昨年までは春にも秋にもたくさん花をつけていたけれども、今年はさっぱりだった。そろそろ植木鉢の土の力がなくなってきたみたいなので、ビニール袋に「薔薇の土」とかいてある大袋を買ってきた。

 ベランダに植木鉢を並べるのはいいけれども、最初の頃、つまり20年前は土を買うのには、ものすごく心理的抵抗があった。土なんか買わないで、どこか空地か斜面からとってくればいいような気がして仕方がなかった。周囲には雑木林が多いので、良い土がいっぱいある。けれども、いざ、土を取りに行こうとすると今度は不審者と間違われそうで、それはそれで心配だった。水道ってものが珍しかった時代にはきっと水道代を払うのに、心理的抵抗があったのかもしれないなあとその頃、想像してみたりした。

 そう、そう。ミネラルウォーターが出てきたばかりの頃、飲み水なんかわざわざお金を出して買う人がいるのかいって大人が話していたのを覚えている。いや、私が育った家だって、水道はあったけれども、井戸も併用していて、飲み水としては井戸水のほうがだんぜんおいしかった。ポンプも電動じゃなくて、手動だったから飲み水は「只」でしかも「ミネラルウォーター」だった。

 でも水道代を払うのに心理的抵抗があったことなない。が、土となると違って、どうしてもどこかから掘ってこなくちゃいけないような気がしてならなかった。

 で、その心理的抵抗のために最初は「赤だま土」とか「腐葉土」など土の種類を選んで、自分で配合していた。とは言え、しょせんベランダなので、配合してもなんだかちまちましている。なんだかプラモデルとか、そういうキットがそろった玩具を組み立ているみたいな気分だった。そう思った時「パンジーの土」とか「薔薇の土」とか「観葉植物の土」とかいてある袋の土を買うのになんの抵抗もなくなってしまった。

 薔薇の土を買うことは買ったけれども、またしばらく植え替えをする時間がなさそう。でも、土さえ買ってあれば、ちょこっと閑になった時にさっさと植え替えができるだろう。 733.jpg 732 20071129 息子の北海道旅行のお土産と東京駅  息子が北海道旅行に行った。で、お土産は「白い恋人」と「毛蟹」と「じゃが芋」だった。お兄ちゃんのお土産に妹は「若い男の買い物とは思えん」のひと言。

 でも蟹は鍋にすることにしたので、妹のほうもそれはこころ待ちにしている。じゃが芋は「インカの目覚め」と「レッドムーン」。「インカの目覚め」は時々、飲み屋さんなんかで見かけたことがある品種だけど「レッドムーン」のほうは初めて見た品種。「レッドムーン」はさつま芋みたいに赤い色をしている。

 ここのところ再開発がぐんぐん進んでいる東京駅を文芸評論家の井口時男さんと歩いた。中央公論2月号の鼎談の帰りだ。鼎談のもうひとりは作家の三田誠広さん。「太陽の季節」から「ノルウェーの森」まで、戦後から昭和が終わるまでの青春小説がテーマ。

 で、東京駅とじゃが芋にどんな関係があるのかと言えば、どちらも見慣れているはずなのに見たことがないものになっていたこと。 731 20071126 子どもの過去 老人の未来  子どもは未来だって言われます。そのとおりなのですが、とうの子どもは「未来」というものがあまり想像できないようです。うちの子どもたちは、最初は「夜」と「朝」の区別しかありませんでした。暗い時は「夜」明るい時は「朝」と呼んでいました。だから夕方でも明るければ「朝」でした。

 「明日」とか「明後日」という感覚が理解できてきたのは何歳頃だったか? よくは思い出せません。でも、息子が小学校の一年生の時は、夏休みの始まりの日に真っ青な顔をして宿題をやっていました。こんなにたくさんの宿題は「明日までに」終わるはずがないとあせっていたのです。夏休みが40日あることをうまく理解できなかったみたいです。で、40日あるということを言って聞かせると、それですっかり安心して、40日後に一晩で宿題を片付けることになりました。こんなことになるなら、彼の誤解を解かずに夏休みの初めに宿題を終わらせるようにしとけばよかったのに、と呆れたものです。

 だから年末年始の行事については、彼らが小さいときには、なかなかその流れを飲み込んでももらえないうえに、私のほうは印刷所が年末年始に閉まってしまうとか新聞の新年の別刷りの入稿をしなくちゃいけないとかで、だんだんにお正月の準備をするなんていう心境になれませんでした。子どもが高校生くらいになると「お母さん、年賀状はどうするの?」なんて聞いてくれることもあったのですけど、頭が年内納めの仕事でいっぱいいっぱいなので「それどころじゃない」って顔をついしてしまいます。高校生くらいの子ってプライドが高くて無視されたと思うと、もうあとはそれっきりで、何も言わないっていう態度にでることもしばしばで、年末で手いっぱいなんだなあなんて思ってくれればいいのに、と言う親の期待は裏切られて、紛争勃発なんてこともありました。

 過去をたくさん持っている老人は、過去から未来を予測する能力があります。「来年のことはわからない」とか「生きていないかもしれない」とか言いながら、5年先10年先を見通すような話を聞かせてくれることがあります。未来がたくさんあるはずの子どもには、未来を見通す力が乏しくて、過去がずんずん積み重なっている老人は未来を見通したたがるということを考えるたびに、人間の時間感覚は不思議なものだなあと思います。 730 20071125 ビオラと葉ぼたん  ビオラと葉ぼたんを植えました。

 小さい葉ぼたんは毎年、植えたいと思いながら、買う時期を逃していました。クリスマスが過ぎて、お正月が来るという頃にはもうどこにも売っていないんです。

 今さらと、言われそうですけど、クリスマスの準備よりもお正月の準備のほうが早く始まるのに、ようやく気がつきました。年賀状の売り出しは11月1日だし。それを過ぎると気の早いデパートやスーパーマーケットは「おせち料理」の予約を始めるしで、どうもあとから来るお正月の準備のほうが先にくるクリスマスよりも、早くに準備が始まるんだって気づくのがあんまり遅いと言われそうですけど、例年、11月のうちは「来年」のことは考えたくないなあと思っていたんです。12月になちゃえば「来年」は「来月」なんだから、これは仕方がないかって感じで、あきらめて「来年」のことを考えていました。

 今年はなぜお正月の準備のほうが、クリスマスより先だと気づいたのかと言えば、相談する人がいたからです。お正月をどんなふうに過ごしたいのかを息子と娘に尋ねました。それから年賀状の宛名書きをパソコンに入力するのを助手の深野さんに頼みました。おかげで、あ、世の中全体が、クリスマスよりもお正月の準備を先に始めるのかと気づいたわけです。

 子どもが小さいときはクリスマスは一大イベントで、なにしろサンタクロースを呼ばなければいけないわけで、そんなことから、まずクリスマスをなんとか乗り切る、それからお正月の準備という頭になっていました。サンタクロースを喜ぶ子どもは、大人とちがってお正月をどう過ごすかなんていう相談の相手にはなりませんから、その頃にできた習性が残っていたんです。

 で、お正月になると「ああ、小さな葉ぼたんを買っておけばよかった。苗を植えておけばよかったのに」と毎年、残念に思っていました。葉ぼたんの苗を植えられたということは、つまり、子どもが大きくなったということになります。 730.jpg 729 20071124 私の曇っている左側  眼鏡を使いはじめてからかれこれ2ヶ月がたちました。目が悪いと自覚したためか、左側が見えていないというのがしきりに気になります。ものの輪郭がほとんどとれていませんし、光を発するものは滲んで見えます。

 レンズの問題ではなく網膜の問題だそうで、ぼやけている左側を意識するたびに、眼科で見せてもらった左の網膜の写真を思い出します。乳白色の地に赤い血管が走る網膜の半分くらいが、いくらか暗い色をしていました。どんよりとしたその色は、医師に指摘してもらわなければ、色の違いがわからない程度のものですけど、そのせいで、これだけものがぼやけているんだなと、時々、自分の目玉の奥を覗きこんでいるみたいな気持ちで、左側のぼやけた景色を眺めています。

 眼鏡ってのは、こんなに不自由だったのか、本を読みながらお茶を飲むたびに、曇ってしまうレンズを拭いています。先週あたりから急に寒くなって、赤、黄色に色づいた東京の景色も左側だけは、ぼんやりといささか曇っています。右と左と違う景色が見られると思えばこれも悪くないかなあと、まあ、これは負け惜しみですね。

 NHKの収録では、眼鏡が必要な場面もあるかとテーブルの上に近く用(文字を読むための眼鏡)を置いていたのですけど、取り出す場面はありませんでした。 728 20071123 NHKのブックレビュー収録  NHKのブックレビューの収録で、作家の北方健三さん、大沢在昌さんにお目にかかりました。特集で、推理作家協会創立60周年をやるということで、歴代理事長の逢坂剛さん、北方健三さん、大沢在昌さんが御出演ということで、書評欄の収録ででかけていた私も北方さんと大沢さんにちょっと御挨拶しました。以前、あることで漫画家協会のちばてつやさんから御相談を受けて、北方さん、大沢さんにちばさんを御紹介したことがあって、そのままになっていたのですごくおくればせの御礼。

 御礼に行く前に、タバコを一本吸ってから、お三方の控え室に顔を出そうと思って喫煙所にいったら、なんのことはない、北方さんは細巻きの葉巻を、大沢さんは紙巻きを、二人で吸っていて、結局、喫煙室で御挨拶がすんでしまいました。

 北方さんからは「本、送ってこないじゃないか」と、いや、それは本が出てないからで(冷汗)はははと笑いながら「歴史小説書いてます」と言ってしまいました。北方さんからはこの25年くらいの間、ずっと御著書が出るたびにお送りいただいています。それから藤沢周さんも含めて、4人で新聞連載の話をしました。

「朝から殺戮シーンを読ませるな、なんて投書がくるよ」というそばから「朝から射精のシーンだってあるじゃないか」とかなんとか。まあまあ、以下略。そうそう北方さんも日経新聞に連載中でした。「失楽園」や「愛ルケ」が載っていたのと同じ朝刊でした。それにしても、北方さん、大沢さんともに笑う声がでかいこと。隣の部屋で、特集ページの打ち合わせ中も「わはは、わはは、わはは」の連続が響いてきました。

 書評の司会は藤沢周さんと中江有里さん。書評は久間十義さんに北上次郎さんでした。久間さんに会うのも久しぶり。北上さんは新潮文庫のアンソロジーの編者としてご縁がありましたが、お目にかかるのは初めてでした。放送は日曜日朝8時から、再放送が同じ日の深夜0時からです、いずれもBS2です。 727 20071123 あ、入れちゃった。  豆ちゃん、ちゃんと入れました。今朝からぜんぜん入れなかったんですけど……。なんだかきつねにつままれた気分。

 はい、ちゃんと入れました。

 伊藤さん、こんなことも時々あるんです。 726 20071120 テスト、テスト、テストデス。 チャントデキルカナ? 725 20071120 ブランドとミシュラン  昨日、帰宅のタクシーの中で、ミシュランガイドを話題にしている番組を耳にしました。で、帰宅後、ネットを覗いてみると、ミシュランの3つ星を獲得したレストランが東京には8店もあるのだそうです。

 銀座通りは有名ブランド店ラッシュ。食べることと着ることにかけては、東京は世界でも有数のぜいたくな街になりだしているみたいです。それもこれも「家が買えないからだ!」という気がします。家は高すぎて、昔、フランスの首相に「日本人はうさぎ小屋に住んでいる」なんていう悪口を言われたことがありましたが、家にかけるお金を食べることと着ること、それに車にまわしてきた結果が、こんな風景を生み出したのではないでしょうか?

 私はブランドもミシュランのレストランの格付けも嫌いじゃありません。お金持ちはせいぜいお金を使って、それを眺める私たちを楽しませて欲しいと思います。バブル経済がはじけたあと、高級レストランで修行したコックさんや板前さんが、気楽な小さい店を開いて、あまり高くない値段でおいしいものを食べさせてくれたのをちょっと思い出します。そんなふうに、良い技術とか良い目やセンスがだんだんにすそ広がりになってくれれば、お金持ちが大散財をするのも悪くはないでしょう。

 最近、聞いた興味深い話は、城戸朱理さんが話していた「東京ガールズコレクション」の成功の件でした。デザイナーのほうの提案が強い高級プレタポルテではなくて、お客さんのほうの注文(こんなものが着たい、あんなものが欲しい)にメーカーが答えるというコンセプトで成功したのだそうです。「ほほう!」というわけで一度、「東京ガールズコレクション」を覗いてみたいなあと思っています。

 今のところは東京の贅沢は、パリの贅沢の模倣に過ぎないところがありますが、それでも、その模倣がどんどんその場所(街)と混合して、そのうちに「東京の贅沢」が生み出されそうな感じがしています。

 期待しすぎかな。でも、ブランドブームなんていわれたのが30年前で(田中康夫が「なんとなくクリスタル」を書いたのは私の学生時代でした)それから、いったいどうなるのだろう? と興味を持って眺めてきたのでした。 724 20071119 秋の薔薇  鎌倉近代文学館の薔薇園の薔薇です。秋の薔薇はちょっとシック。春の薔薇の匂い立つのに比べて、なんと言ったらいいのか? ああ、うまくいえません。

 それにしても、寒くなりました。薔薇の季節もこれでおしまい。薔薇園の手入れも冬の間は、少しお休みになるのでしょう。

 東北地方では大雪で、青森県の酸ヶ湯温泉ではもう79センチも雪が積もったそうです。どおりで寒いはずだ。伊藤さん、伊藤さん、伊藤さんのお住まいの場所の気温はどのくらいですか? 724.jpg 723 20071118 鎌倉近代文学館で  鎌倉近代文学館で開かれている「中原中也」展の講演をしてきました。写真は近代文学館の喫煙スペースに落ちていた木の実です。どうしたことか、喫煙スペースでタバコを吸っていると、ぽたん、ぽとりと木の実が次々に落ちてきました。自然に落下したという感じではありません。

 喫煙スペースのわきが崖になっていて、雑木が茂っているのですが、その梢あたりで鳥が騒いでいました。木の実の房ごと落ちてくるところを見ると、どうも鳥の悪戯のような気がします。

 木の実が振ってくる喫煙スペースでゆっくりタバコを吸ってから、鎌倉駅で詩人の城戸朱理さんと待ち合わせをして、城戸朱理夫妻にバー「マイクス」でごちそうになりました。

 これが火曜日のことで、土曜日にも再び鎌倉へ。文芸評論家の秋山駿さんを囲む会が、長谷の華正楼で開かれました。
秋山さんは今年、喜寿を迎えられたそうです。古希の時にはみんなでお祝いをして、九十九里浜を散歩し、いわし博物館を見学しました。(いわし博物館そのものにはあまり意味はありません。単純に九十九里にあったから、ちょっと寄ってみたのです)で、そのいわし博物館がその後、爆発したことが話題になりました。
 第一報では「テロ?」という疑いもありましたけど、なんでも床下に天然ガスがたまるという自然の悪戯だったようです。

 秋山さんとちょっとだけマラルメの話をしました。

 夜はだいぶ寒くなって、駅のホームにいると身体が冷えてしまいそうになりました。秋山さん、夫馬基彦さん編集者の小山さん、八代さんそれから新宿「ブラ」の早川さんなどと、横須賀線で横浜まで出て、湘南新宿ラインの「小金井」行きのグリーンに乗って帰ってきました。家の近くの駅前のロイヤルホストで、小山さんとしばらくよもやま話。紅葉し木々が夜目にも華やいで見えたのは、急に寒くなったせいでしょう。 723.jpg 722 20071116 冷たい雨がふって  先週の金曜日の夜、冷たい雨が降り始めて、土曜日いっぱい降り続き、東京はすっかり秋の眺めになりました。法政大学の日本文学科の研究誌に「そとぼり通信」というはさみ込みの冊子があるのですが、その「そとぼり通信」から学生時代の愛読書という原稿を頼まれていました。

 で、私はガルシア・マルケスの「百年の孤独」とジュリアン・グリーンの全集のことを書きました。すると偶然の一致なのですが、田中和生先生も「百年の孤独」をあげたそうです。田中和生さんと私では18歳、年が違うのですけど、おんなじ本を上げるということがあるのですね。ほんとうはいろんな本を紹介するために、原稿を書き直したほうが良かったのですけど、それでなくても締切りを過ぎていたので、そのまま、掲載してもらうことにしました。で、思ったことは「田中和生先生は私が小説を書き始めた頃、おぎゃあって生まれたのか」ということでした。なんだか「へえ!」です。

 「そとぼり通信」の原稿を大急ぎで書きながら、外には冷たい雨が降っていたせいか、絶対、他人には触られたくない魂の秘密について書こうとしていた頃があるなあということが、しきりに思い出されました。

 そんなことを思うのはきっと冷たい雨に降り込められていたせいなのでしょう。 721 20071115 文学フリマ3回目  文学フリマの事務局によると今年は出展者300人、来場者1000人で過去最高だったそうです。

 なんとなく人が少ないような気がしたのは、午前中の入場者が少なかったのと、事務局の会場整理の工夫が功を奏したのでしょう。私は文学フリマに出店したのは3回目ですが、1回目の売り子をやるのにびくびく、2回目はお買い物をしてあるくのにどきどき。3回目は売り子もお買い物もどきどき、びくびくでした。3回目なら慣れるだろうと言われそうですけど、「なれ」は悪いほうに出て、前の2回ほど気合が入っていませんでした。

 そのかわり、マスズミ君はしっかり気合が入っていました。私は会場で、どのように冊子を制作したのかを幾人かの人とお話しました。アドビー系のフォトショップなどを使って作ったという人もいましたし、本職はウェッブデザイナーという人もいました。漫画のコミケはものすごく盛んだと聞きましたが、たぶん、その背景には印刷機器の発展と簡易化があるのだろうなと考えていましたが、文学フリマの場合も同じことが言えるのかもしれません。 721.jpg 720 20071112 今年の文学フリマは  今年の文学フリマはなんとなく同窓会? ノリだったかな。6回目ということで、なれているともいえるし、雨降りだったから、お客さんの出足が少々悪かった感じもしました。

 「法政文芸」の向かい側のブースは日芸で私のゼミにいたイックさんやタダさんのグループ。モヒカン刈りで緑色の髪の毛をしていたコショネちゃんやコイケアイコさんの学年の卒業生だから、と数えてみると学校を卒業して、もう何年たっているんだろう? だんだん解らなくなってきた。

 二階の早稲田文学のブースを覗いてみる。「おたあジュリア異聞」のアシスタントをしてもらっているパクさんがいるかな? と尋ねてみたのだけれども「今日は来ません」という返事だった。それから、長島有さんとちょっと話をして、「木曜日」や「銀座線」の皆さんともご挨拶。あとマニエリストQさんのところにも行く。そうそう、図書新聞画廊の朗読会でファゴットを吹いてくれた氷月そらさんに久しぶりでお会いしました。

「法政文芸」のブースはマスズミ君、いつも黙っているハセガワ君、スズキカスミさん、ハラダさん、キシダ君が手伝いに来てくれて、豆蔵さんも応援に。あと、ハセガワモエさんが独自にブースを出していて、そちらにも「耕治粉」(これでコージーコーナー)を置いてもらいました。マスズミ君は今回、三冊の冊子の編集にかかわっていて、かなりはりきってました。で、早速、本の帯を会場で制作。ハラダさんは「敷布はないのですか?」と質問して、なぜか「シキフ」の一言が古めかしく聞こえたみたいで大受け。

 会場の設営が済んだところで、マスズミ君、いつも黙っている長谷川君は例によって会場を探検に。めぼしをつけていた同人誌を買ってきました。いつも黙っている長谷川君は高校生の時から文学フリマに来ているということでした。第一回から知っているのは、いつも黙っている長谷川君だけ。
 フリマそのものを楽しでいたのはスズキカスミさんとハラダさん。がちゃがちゃに入っている豆本をみつけてきたり、ピンク色のトレッシングペーパーがかかった「百合の寝台」という冊子をもらってきて「これ、おもしろい!」と作者の柳川麻衣さんの「胡蝶」を買ってきたりとか、いろいろ。

 目を引くのは、本の作りに手をかけているものでした。レコード(この言葉も古くなっちゃったけど)を買う時に、中身を聞くわけには行かないので、ジャケットの雰囲気で買うのをジャケ買いと言いましたけど、本もやっぱり最初に目を引くのは、本の作り(造本)と表紙のデザイン。つまり両方あわせて、装丁ということになります。冊子といえども、それは同じでした。で、いくつかのブースでどんな機材やソフトで冊子を作ったかを聞いてみたりしました。この話はまた後日。

(ぼやき 締切りだぁとか忙しいと口に出して言うとなぜか原稿が書けなくなってしまいます。だから私にとってこれは禁句なんだけど。伊藤さんは「締切り! 締切り!」って言うのは大丈夫みたいだから不思議!!) 720.jpg 719 20071111 ナゴヤのいない文学フリマ  一昨年、昨年に続いての文学フリマです。一昨年も昨年も販売をしてくれたナゴヤ君が今年はいませんでした。でもナゴヤファンはいて、ナゴヤ君が書いている雑誌ありますか? と夜ゼミのゼミ誌を買ってくれました。 719.jpg 718 20071110 冷たい雨  金曜日の夜半前から冷たい雨が降り出しました。群馬ののぶさんからは、群馬の山々にはもう白くなっているところも見えるというおたよりをいただきました。

 タクシーの運転手さんはガソリンスタンドの値段表示を見てため息をついていました。東京のタクシーは来月から値上がりになるのですが、ガソリンの値上げはそれ以上で、とてもおいつきそうにないということでした。ガソリンは高くなったものです。このぶんだと灯油もかなり値上がりするでしょう。我が家は石油ストーブを今でも使っていますけど、灯油の値上がりはけっこうこたえます。

 冬が来る前にビオラを鉢植えにしてしまおうと用意はしてあるのですけど、なかなか手が回りません。ビオラは秋の終わりに植え替えをしておくと、冬の間によく根を張るのだそうです。以前、花屋さんに教えてもらいました。 718.jpg 717 20071107 群馬の渋川に行ってきました。  お天気のよい静かな日でした。

高崎までは新幹線で、高崎で水上行きの普通列車に乗り換えました。渋川というと伊香保温泉に行くときに通ります。たいてい車で出かけてしまうので、電車の窓から見るどっしりとした山並みを珍しく感じました。帰りは日が沈む時刻で、山の稜線が夕日で赤く燃えているのを楽しみました。 717.jpg 716 20071105 結婚詐欺  40歳代の介護士の女性から150万円を騙し取ったとして劇作家が逮捕されるというニュースを見つけました。結婚後に二人で同居するマンションの頭金という名目でお金を騙し取ったそうです。で、これは逮捕の名目にすぎず、なんでも1億7000万円くらいの余罪がある様子だとのことでした。介護士の女性のほかに複数の女性に結婚をもちかけてお金を騙し取っていたようです。
 介護士の女性も自分の家を売って3000万円のお金をつくり、事業用の資金として渡しているとありました。きっと事業用の資金では、詐欺の立証が難しかったので、マンションの頭金の持ち逃げのほうを警察は逮捕の理由にしたのでしょう。

 で、昨日の話の続きですが、この40代の介護士の女性が高校を卒業する頃には、女性が住宅ローンを組むのがむずかしかったはずです。銀行は「女性には貸さない」とはっきりとは言いませんが、だいたいそんな感じでした。で、女性雑誌には銀行から住宅ローンを女性一人で借りる方法なんていう特集がありました。こつこつと預金をして、信用をつけるという正攻法な話ですけど「なるほどなあ」と納得しながら、そんな記事を読んだ覚えがあります。で、この騙された介護士さんが即金でマンションを買ったのか、住宅ローンで買ったのかはわかりませんが、いずれにしたところで、かなり努力をして買ったマンションに違いありません。年代から考えると銀行も独身女性に住宅ローンを貸すようになった「はしり」の頃の利用者かもしれないなあと思いました。

 以前、詐欺にかんする本を読んだことがあるのですが、結婚詐欺というのは、被害届けをとり下げられてしまうことが多いのだそうです。被害者も「騙された」とは思いたくないそうで、被害届けが取り下げられて犯罪そのものが消滅してしまうというケースが多いと書いてありました。そんなものかなと思いつつ、なんとなく「そうだろうな、そうだろうな」と納得してしまいました。被害というよりは感情のもつれと理解したほうが、心の傷が浅くて済むということろを、巧妙に利用するのだそうです。悪い人ってのは、やっぱりどこまでも悪いみたい。でも、その本によると、詐欺師は自分が人を騙している自覚がない人が多いとも書いてありました。人を騙すには、まず、自分を騙す必要があるのだそうです。で、1億7000万円を女性から引き出した劇作家もお金を受け取ったことは認めているものの、「騙したわけではない」と主張しているそうです。 715 20071104 格差社会  飛行機の客室乗務員のことをスチュワーデスと言っていた頃、若年定年制というのがあったのをふと思い出しました。女性は30歳で定年というような制度だったかな。もう30年以上も前に若年定年制は違法という判決が出て、だんだんに廃止されていきました。「若年定年制は違法」という判決は高校の教科書に載っていました。
 それから男女雇用機会均等法ができて、でも、まだその頃は女性の防衛大臣とか、独身の首相が日本にもいるようになるなんていうのは、空想的な話でしかありませんでした。

 小池百合子の「女子の本懐」という本の広告が、地下鉄の中吊り広告にありました。手元になにもなくて、記憶だけで書いているので、もしかすると間違っているかもしれませんが城山三郎の「男子の本懐」がベストセラーになっていた時代に、小池百合子元防衛大臣はテレビキャスターとして、活躍していたか、そのちょっと前だったか? それまでテレビのニュースと言えば、男性がキャスターを勤め、女性はアシスタントというパターンだったのが、小池百合子、安藤優子、田丸美鈴、などの女性もキャスターを勤めるようになったのでした。女性のテレビキャスター第一世代としては小池百合子元防衛大臣は、いちばんの出世頭というところでしょうか。

 男女雇用機会均等法ができたときに、この法律って、経済的に苦しいから共働きをしているって家庭のためにあるんじゃないよねえって、そう感じていました。むしろ高給取りの家庭のための法律って感じでした。30年前の日本は一億総中流なんて言っていましたから、男女格差を論じるときに、あんまり所得階層の違いに目を向けたりはしなかったんですけどね。その頃の空気を知っていると、なんというか、今の格差社会の小さな芽が出てきた頃のような、そんな感じをいくつも思い出します。

 今朝はちょうど新聞の配達が終わる頃に目をさましました。日経新聞には高級腕時計と宝飾品が並んだ小冊子が折り込まれていました。クリスマス用ギフトの宣伝広告で、単価は数万円から数十万円。腕時計は、万年筆と同じで、いまや高級品だけが残っていて、ちょっと前まで街でみかけた安い時計は姿を消してしまいました。携帯電話にその地位を奪われたみたいです。プチジュエリーはブランドがブームになる少し前、つまり女性のテレビキャスターが現れた頃から見かけるようになっていましたけど、だんだんと高価になってきています。で、その広告を見ながら、思ったことはこの30年で、お金持ちの雰囲気が変わったなあということでした。

 30年前、一億総中流と言っていた頃にもお金持ちはいて、しばしば「へえ、世の中にはお金持ちがいるんだなあ」と感心したことがありました。なんかねえ、うまく言えませんが、その頃のお金持ちは「古い家のお金持ち」でした。それが30年たって、やや入れ替わったのか、それとも「古い家のお金持ち」のセンスが変わったのか? どっちなのだろう? と日経のクリスマスギフトの折込み冊子を眺めていました。30年前は一億総中流の掛け声の前で、お金持ちはちょっと遠慮をして、大衆(この言葉も30年ほど前に消えてしまった感じがしま
すが)に紛れ込んでいたものですが、今は大手を振って街を歩いているというか、そんな感じです。

 たぶん、今のお金持ちは「自分の能力で稼いだ」という気持ちが強いのでしょう。30年前のお金持ちは「親から譲られた」とか「たまためぐり合わせが良かった」とかそんなふうにいささか遠慮気味でした。「成金」っていう単語がまだ罵倒語だったのですから。でも、どんな時代にも「成金」っているんだけどねえ……。今様成金の特徴をどんな言葉で表現したらいいんだろうって考えているうちに、若年定年制の違法判決やら男女雇用機会均等法などなど、をつらつらと思い出したわけです。格差社会というとワーキングプアなどの、所得の少ないほうの人々が、問題にされますけど、格差の上のほうはあんまり注目されないというか、その変化を論じている文章をみかけません。

 でも小説の世界では、わりに上のほうの登場人物がこのごろの作品には登場します。というか、恋愛小説を書くためには「自分の財産を持っている女」というキャラクターが必須の条件で、日本の近代小説はこの条件と満たす女性をうまく造詣できなかったのですけど、その条件を満たす女性がいる世の中になったということを最近の小説は如実にあらわしているなあと思う作品に出会うことがあります。そういうことについて考えていると、格差社会の上のほうの感覚やセンスが気になるというわけです。 714 20071103 豊後水道を横切って  大分に行ってきました。と言っても木曜日4限まで法政で授業をして、金曜日の6限までに戻ってくるというスケジュールでした。

 帰りの大分空港で、熊本の伊藤さんのところまではきっとレンタカーを借りればすぐにいける距離なんだろうなあと思いつつ、でも、伊藤さんはカリフォルニアに帰っちゃったからなとか、何とかぶつぶつと大分の空港で考えていたら、飛行機がすべて飛んで行ってしまいました。はて、私はいったいどの飛行機にのるべきだったのだろう?

 へんだな? と思って、空港職員にチケットを見せると
「お客様の御搭乗の飛行機は14時15分から18時10分発に変更になっています」
 という返事でした。もしかすると、どうも同行者のチケットと私のチケットを取り違えて持っていたみたいです。
 セキュリティチェックも済んであとは搭乗するだけだったので、一瞬にして頭の中に三つの考えがほど同時に横切りました。1、わぁ〜い、ばんざい。お天気の良い日に青く静かな豊後水道を飽きるまで眺めていられるぞ! 2、6限の授業はどうすんだ? 3、あと4時間も搭乗待合室にいなくちゃいけないの? ま、そういうふうに3つの考えが浮かんだあとで「どこかでタバコはすえないかな?」と思いつつ、次の飛行機の時間を聞いてみました。

 すると16時25分の東京行きがあるという返事で、ついでに搭乗待合室から外へ出ることは可能だということも解りました。おかげで、というか、おかげさまでというべきか、ともかく、午後いっぱいのんびりと青い青い豊後水道を眺めていることができました。あの青い海の中には関さばや関あじがいっぱい泳いでいるんだろうなあなんて、思っていました。

 そういうわけで16時25分のフライトで羽田まで飛ぶことになって、これがちょうど日没を雲の上から眺めることができる便でした。足の下に夕焼けがあるという眺めです。羽田で飛行機を降りる時、客室アテンダント(昔はスチュワーデスって言ったんだ。私の友達はわざわざスチュワーデス専門の受験予備校へ言って日航のスチュワーデスになった子もいた。今でもあっちこっちの空を飛んでいるのかしら?)が「昼間は暖かですが、夜になると冷え込む季節になりました。皆様、御身体御大切にご旅行下さい」ってアナウンスを入れていました。ほんとうに日暮れの羽田は少し寒いくらいになっていました。

 あ〜、チケットを取り違えちゃったH財団のDさん、夕方、空港について乗る飛行機がなくて驚いていたんじゃないかしら? 私はその頃、首都高で渋滞に巻き込まれていました。 713 20071101 トピックス工事中です。  豆蔵さんにトピックスを工事してもらています。静岡新聞、熊本日日新聞連載の「おたあジュリア異聞」の挿絵を画家の宮本恭彦さんに描いていただいているのですが、その挿絵の一部をトピックスで紹介できるように豆蔵さんに工事をしてもらっています。

 宮本さんの絵はとて色彩が美しくて、画面ではなかなかそのビビッドな感覚がでないかもしれません。でも色使いのおもしろさは、感じていただけるのではないでしょうか。描かれた線に動きがあり、線の動きが画面を生き生きとしたものにしています。 712 20071031 今日の空  昨夜、遅くに静かな雨がふりました。さびしい雨でした。今日の空です。画面のしたのほうに伸びているのは、家の向かいの丘の上に建設中のマンション工事のクレーンです。 712.jpg 711 20071030 日が短くなるには少し早いけど  秋の夜は、闇の色がだんだんと深くなってゆきます。 711.jpg 710 20071028 メガネ めがね 眼鏡  眼鏡をかける。
 スーツを着る。
 電車に乗って通勤する。

 いろいろあった願いの中で、上記の3つはパッケージで願っていたことなのですが。秋口に眼鏡を作って三つの願いがかなったにもかかわらず、楽しくない(ブスッ)

 で、高校生の時からの人生の楽しみがひとつ失われてしまいました。

 カップラーメンを食べながら本を読む。

 眼鏡が曇ってこれができないの。高校に入る前はカップラーメンがありませんでした。

 以下、なぜか眼鏡をかけるのがばかばかしく感じられる場面。

 駅の売店で週刊誌を買って電車の中で読む。(わざわざ眼鏡を出して読むほどのことはないだろうと思われる。でもなぜか眼鏡がないと字が読めなくなっている)
 トイレの中で読む新聞(あ、眼鏡がなくては読めないよ!と気づくのだけど、そのときはわざわざ眼鏡をとりに行くのが面倒になっている)

 極めつけ 最悪のパターン
 競馬場で読む競馬新聞。オークスの時は眼鏡なしで読めたいいたのに?何でだ。
 しかもオッズの掲示板は近いところ用の眼鏡では読めず、遠いところ用の眼鏡にかけかえなくてはならない。眼鏡をかけかえるために、かばんから眼鏡を入れたり出したりしていたら、那覇で買ったお気に入りのスカーフを落としてしまった。ああん(泣)

 そういうわけで今日は天皇賞に行ってきました。 709 20071024 沖縄の緋寒桜  新沖縄文学賞の選考会の会場になった料理屋「美栄」で、今年が開業50周年だと、お祝いの絵葉書をいただきました。「美栄」は木造二階建て。屋根は沖縄の赤い土、鉄分が多いのだそうですけど、その赤瓦をしっかりと白い漆喰でとめた屋根を持っています。軒の低いがっしりとしたつくりは台風の多い沖縄ならではの造作でしょう。

 今では周囲を鉄筋コンクリートの建物に取り囲まれていますが、それでも、二階座敷には良い風が入ってきます。高層建築が当たり前になってしまうと、こういう木造の家はものすごい贅沢になってしまいます。

 絵葉書に描かれている赤い花は2月頃に咲く沖縄の緋寒桜です。この花の咲く頃に沖縄に言ってみたいなあと思うのですけど、まだ一度も出かけられたことがありません。 709.jpg 708 20071024 伊藤さん、カルフォルニアのお宅はご無事?  伊藤さん、伊藤さん、
 カルフォルニアの山火事、すごいみたいですね。伊藤さんちは大丈夫かしら? 707 20071023 クバの草履  那覇のお土産です。25年前に沖縄に初めて行った時、クバの葉で作った扇、クバ扇(クバセン)が珍しくて買ってきたのを覚えています。クバは棕櫚のような植物です。

 で、今回、クバの草履を見つけました。ベランダで洗濯物を干す時にこれを履いていると楽しくなりそうです。

 台湾に行ったときの、サンダルの種類が豊富なのがうれしかったのですが、沖縄はサンダルに加えてビーチサンダル、草履など素足で履く履物を豊富な種類の中から選ぶことができます。 707.jpg 706 20071022 泊港  沖縄は新沖縄文学賞の選考会でした。昨年は夏に岡本恵徳さんが亡くなられて、大城立裕さんと二人の選考でした。那覇に到着すると眉毛の長かった岡本さんのお顔を自然と思い出しました。

 今年から琉球大学の山里勝巳さんが選考委員に加わられることになりました。山里さんとは初対面。選考の結果は主催の沖縄タイムスのホームページでどうぞ。

 宿泊は泊港のホテル。写真は泊港です。この港からは、島々に渡るフェリーが出ています。港のターミナルのビルにホテルがあるのは理解できるとして、なぜか防衛省関係のお役所も同じビルに入っています。

 で、港のデッキにはマンゴージュース屋さんが出ていました。久しぶりに何もしなくて良い時間ができたので、マンゴージュースを飲みながら、港を眺めていました。

 マンゴージュース屋さんは「寒くなりました」と挨拶をするので聞いてみるとフラッペ(カキ氷)はあと10日ほどで終わりにするということでした。港の売店でなにげなく買った週刊文春は、先週、飯田橋の地下鉄の売店で買ったのと同じ号(つまり一号遅れ)でした。良いお天気で、気温はたぶん25度くらいはあったでしょう。 706.jpg 705 20071021 変わった花  那覇の福州園で変わった花を見つけました。 705.jpg 704 20071019 夕焼け・昼下がりのテレビ・今日の雲  水曜日(17日)の夕焼けはすばらしいものでした。ちょっと気味が悪くなるくらい。法政大学ボアソナードタワー26階にいたのですけど、東京中がピンク色に染まるような夕焼けでした。携帯電話を持っていたのですから、窓越にでも撮影しておけばよかったなあと後悔しています。
 窓のそばに寄って夕焼けを眺めている人がいたのでちょっとおしゃべりしました。日本語のイントネーションが、ネイティブと違う感じでした。たぶんどこかの国から来た留学生か研究者でしょう。

 話は遡りますが、火曜日に長年、考えてみると30年間もお付き合いいただいた税理士さんが亡くなられたというお知らせをいただきました。私の母の同級生のお兄さんでした。86歳というお年で、お葬式は逗子でした。母は金沢八景の関東学院の卒業生でした。だから「逗子」なのかと、改めて初めてお目にかかったときのことを思い出しました。私はまだ大学の一年生でした。

 今年の春先に体調を崩されて入院なさっていた時、お見舞いにうかがうと、お孫さんの書いた絵を見せていただきました。
「この子と僕はちょうど80年、歳が違うの」
 そうおしゃっていました。
 戦争中に軍馬の世話をしたことがあるというお話も聞いたことがありました。
 いつだったか。「これまで経験なさっていちばんひどい不況はいつのことですか?」とお尋ねしたら「そりゃあ、終戦の時だよ。みんな、何もかも焼けちゃってなんにもなかった」と答えられて驚いたことがありました。バブル崩壊なんて騒いでいた頃のことだと思います。


 18日は横須賀線で逗子まで出かけました。で御出棺をお見送りして、逗子の駅まで戻り、そこで喫茶店に入りました。大きなくすのきのある喫茶店なのに、なぜか名前は「ほるとの木」でした。ほるとの木は常緑樹で、一年中、緑の葉が赤く染まってほろほろと落ちます。母の実家には大きなほるとの木があります。沖縄などではほるとの木が街路樹として並木になっている通りもあります。

 このごろは喫茶店でも禁煙なんて店が多くなってきたので、なるべく昔からやっていて、今でもマッチをくれそうな店を捜して入るようにしています。で、黄色いペンキが塗られた喫茶店に入ってみるとカウンターの中には二人の白髪の女性がいました。どうやら二人でお店をやっているみたいです。で、テレビがついていて、ボクシングの亀田選手の謝罪会見を取り上げたワイドショーが流れていました。
 テレビの画面では企業の危機管理の専門家が謝罪の仕方についての解説をしていました。言葉の使い方、頭の下げ方、服装、態度、こまごまと解説をしていると、コーヒーをついでいた方の女性が
「そんなことができるくらいなら、こんな騒ぎは起こしてないの」
 と独り言を言うので、思わず笑ってしまいました。
 もうひとりの女性は
「この子、絵がうまいんだって。だから繊細なんだよきっと。そういう顔してるもん」
 と言っていました。お婆さんというものは、ほんとうによく見ているもんなんだあと感心してしまいました。

 それからまた横須賀線にごとごとと乗って、新川崎の先にある薄野原を気持ちよく眺めて東京駅に戻ってきました。

 昨日は良いお天気だったけれども、今日の東京は曇り空。少し寒いくらいです。9月に韓国の梨泰院で作った革のコートをそろそろ着てもいいかなという陽気になりました。 703 20071009 うずくまる香炉  ソウルで買った香炉です。

 中国の品物だそうです。最初に入った骨董屋さんで買いました。白い髭をはやした日本語を話すおじいさんと息子さんで骨董屋さんをやっている店でした。

 どうも今回は丸いものに目がゆきました。まるみの感じが好きですぐにこれに決めようとおもいました。なんとなくおしゃべりな感じのする香炉です。

 どこかの家の仏壇で、いや、儒教だから仏壇とは言わないかもしれないのですが、ともかく、並んだお位牌をあいてにぶつぶつ何かをずっと言い続けてきたような感じです。もしかしたら、この香炉は中国語も韓国語も理解できるのかもしれませんが、まだ日本語には通じていないのでしょう。

 なんか言いたそうなんだけど、通訳がいないなあと思っているような感じで、うずくまっています。 703.jpg 702 20071008 どれどれやってみよう 豆ちゃんが教えてくれた方法で写真を掲載しました。
あ、ちゃんとできたよ。

 というわけで、城戸朱理夫妻とでかけたソウルの骨董街で購入した壷をやっとお目にかけることができます。

 城戸さんによると、この壷は日韓併合時代のものだそうです。なんでそれが解るのかというと、青いぼたんの花に緑の葉という図柄の流行があったことと、緑の葉の染料に特徴があるのだそうです。

 で、この壷は悩ましかったのです。何が悩ましいと言って買った時は「あ、あれがいいや。なんとなくイタリアっぽい」くらいの軽い気持ちだったのですが、その跡、なんだかばかな買い物をしたんじゃないか?という疑念にさいなまれました。

 壷は新聞紙で包んでもらい、さらにそのうえにぷちぷちで保護してもらいました。だから、見ないで、悩んでました。家に帰ったら「なんでこんなものを買ったのだろう?」と後悔するんじゃないかしら?とずっと思っていたのでした。飛行機の中でもそれを考えていました。
 
 で、家に帰ったら、なんとなく昔むかしから家にあるみたいな感じで収まったので、ほっとしました。なんでもない普通の暮らしの人の好みというところなのでしょうか。赤い実のなる枝をいろいろ買い集めてきて、挿したら、これまたよく似合っていました。

 だから、ほっとして気に入っています。 702.jpg 701 20071007 かわいい鯛焼き  いただきもの鯛焼きのお菓子です。かごの中に七匹の鯛焼きが並んでいました。で5匹は私が食べて、1匹を息子が、1匹を娘が食べました。 701.jpg 700 20071006 お誕生日 るん!  ゼミ生に巨大バースディケーキでお祝いをしてもらいました。ケーキは50センチ×50センチ×15センチくらい。ええと最初に見た時はそれが食べ物だとは思えませんでした。段ボールの箱に粘土のクリームで飾りをつけたみたいな、そんな感じで思わず「これって食べられるの?」と聞いてしまいました。

 「もちろん食べられます。48人分あります」

 答えを聞くと、じゃあケーキの断面はどうなっているんだということが気になって、そっさく切ってもらいました。で、ものすごく分厚いバタークリームの層がスポンジケーキの間にあることを発見しました。

 食べました。48人分を12人でおいしくいただきました。アメリカンサイズのパーティケーキ。わざわざ横浜から電車で運んでくれたかりんちゃんありがとう!

 今になって思えばカメラ付き携帯を持っていたんだから写真をとっておけばよかった。ゆんゆん、もし写真のデータを送れるならば、私にデータを下さい。 699 20071004 買いました。  伊藤さん、無事、熊本、ご到着のご様子。なによりです。

 私もまえまえから不思議に思っているんですけど、ネットやパソコンが出てきてから異常に忙しくなってます。なんでだろう?

 あと今年はほんとパソコンをやたら買いました。

 2月にウィンドウズのビスタを。
  これは家のパソコンの調子がおかしくなったので大急ぎで買ったのですけど、今は子どもふたりにすっかり占領されています。

 4月に「牛丼」パソコンを。
 現在、使っているのはこれです。まめちゃんと秋葉原を見物にいって、パソコンのほかにデジカメと電子辞書を買ったのですが、デジカメも電子辞書もなぜか息子の部屋に移動しています。

 7月 大学の研究室にパソコン一式(モニターやプリンターなど含む)
  なるべく小さいのをと要望して、さがしてもらったらパソコン本体は25センチ×25センチくらいの水色の箱になりました。プリンターも持ち運べるほど小さいし、キーボードは無線だし、これが一番優れています。
 もちろん「超漢字」もインストールしました。いざというとき(つまり静岡新聞連載の締切りがぎりぎりになった時)研究室でも仕事ができるようになっています。が、今のところ使っているのは助手の深野さん。

 私は深野さんに聞かないと使い方も良くわからない状態。

 8月に新聞連載のアシスタント用ノートブックパソコン。
 今度の連載は朴文順さんにアシスタントを御願いしています。原稿を書くには書いたけれども送稿を忘れていたなんてことが過去の新聞連載ではありましたから、書いた原稿のあと処理(原稿整理や送稿など)を御願いしています。で、同じ「超漢字」を持とうということになって、ノートブックパソコン(通称アシパソ)を用意しました。

 7月の研究室と8月のアシパソは最近、パソコンのコンサルタンとを始められたつくまさんに面倒を見ていただきました。

 そんなわけで、ほぼ2ヶ月に一台づつパソコンを購入したことになります。

 で、昨晩、気づきました。時々、原稿枚数を間違えるのですけど、その原因は、パソコン画面だったみたいです。今、使っている「超漢字」は画面に400字詰め原稿用紙が表示されるのですが、この400字詰め原稿用紙には、中央の折り返しの表示がないのです。で、2、5枚の原稿を書こうとすると2枚と10行でとめなくてはいけないのですが、これがだんだん分からなくなってくるのです。400字(原稿用紙一枚)の区切りなのかそれとも200字(原稿用紙半分)の区切りなのか?
 
 新聞連載の場合は一日分づつの長さで書いてゆくので、この分量を量る指標はすごく大切になります。あとでパーソナルメディアの加茂さんに報告しなくちゃ。

 締切り間際というか、原稿を書き始める直前って、ばぜか猛烈に買い物をしたくなるのは伊藤さんと同じです。だいたいお金のない時は「食べ物」を、お金のあるときは「洋服」を買っちゃうんですけどね。でも、そういう時にパソコンを買いたいって思ったことはありません。パソコンはあくまで仕事で使うからって感じですね。あ、そうだ、10月になって携帯を機種変更しました。デジカメを息子に持っていかれちゃたから、カメラ付きの携帯のカメラの性能が高いのに変えました。

 ただ、なんだか画像のデータ量が大きいので、ここにアップする写真がうまくとれずにいます。デジタル機器って買ったあと、やたらに悩まされます。

   698 20070930 「アルネの遺品」とアルフレッド・ウォリス  東京は金曜日の夜11時頃にぽつぽつと小雨が振り出して土曜日は肌寒くなりました。今朝は白い雨が降っています。夏から家の中を片付けていて、荷物をトランクルームに預けることにしたのですが、雨のために荷物運びは中止。来週あたり、お天気の良い日を探し出して運び込むことにします。この雨が上がったら秋になっていることでしょう。

 横須賀美術館でアルフレッド・ウォリスの展覧会を見てからずっとコーンウォールに行きたくなっていました。港町とか漁師町を見て歩くのもいいなと、そんな気がしたのですけど、自分でちょっと首をひねっていたのは、日本の港町を描いた絵を見てもそんな気持ちになったことがないので、そこが不思議でした。

 秋になると写生会という行事が私の卒業した中学校ではありました。港の景色を写生するというのが、通例で、巨人軍の長島選手が選手を引退した日も、その写生会でした。スケッチをしながら、後楽園からのラジオ中継を聞いていました。で、港なのですが、これが中学生にはなかなか描きにくい風景で、写生の対象としておもしろいと感じたことはなかったのです。

 いや写生の対象だけではなく、ちょっと旅行してみたいなあと思ったこともあまりありません。が、アルフレッド・ウォリスの絵を見ていると港町、とくに漁港に行ってみたくなったのです。アルフレッド・ウォリスは70歳過ぎから独学で絵を描き始めた人で、もともとは船乗りであり魚具商だったそうです。その描いた絵を見ていると、ありありと、長島の引退試合のライブが流れていた港の光景とか、風や光を思い出すのです。絵にイメージを喚起する力があるのです。

 私が生まれた横浜も、育った千葉の館山も、港町として日本が画家が風景をたくさん書いています。横須賀美術館の収蔵品の中にも私の知っている土地を描いた風景画がいくつかあります。それらが喚起する思い出と、アルフレッド・ウォリスが喚起するイメージはまったく違うものなのです。前者はちょっと暗い感じで、後者は明るいというよりは、光の明暗はさておいて、幸福な感じがするのです。

 ドイツの作家のジークフリート・レンツの「アルネの遺品」を読んだ時も同じような感じがしました。造船所があるハンブルクの町が舞台になっている小説ですが、この小説を読んだときも、ああ、港町を旅行してみたいなあと思いました。中学校の写生会ではあれほど嫌だった港のごたごたととぐろを巻いているロープとか赤錆の浮き出た碇とか、藤壺のついた岸壁が、情緒的で魅力的な物として目に浮かんでくる感じがしました。この感じはなんなのだろう?こうした目に浮かぶ感じを「想起」と言いますが、なんだか「想起」の仕方が違うのです。どう違うかをうまく説明できなくてもどかしいのですけど、日本の近代文学や近代絵画が「想起させる」感じとジークリフト・レンツやアルフレッド・ウォリスが「想起させる」感じがまったく違うのに、興味を感じています。 697 20070929 伊藤さん 気をつけて  あわただしいご出立のご様子。どうぞ道中、気をつけてお出かけ下さい。

 東京は昨日の夜、小雨が振り出して、今朝はめっきり涼しくなりました。突然の秋の訪れです。熊本では連日、猛暑が続いていたようですが、伊藤さんが御到着になる頃にはそれもひとだんらくしていることでしょう。

 風邪などひかないようにして、お出かけ下さい。道中の無事をお祈りしています。 696 20070928 野葡萄 野葡萄の鉢植えを買いました。

ああん、豆ちゃん、この写真は天地が逆さまになています。 696.jpg 695 20070926 ヘコンデル。 失敗続きでヘコンデマス。デモ、ゲンコウヲカカナクチャ。 694 20070925 またか、なのか、いよいよ、なのか  ソウルの三清洞は景福宮の東側に沿った通りで、ギャラリーやおしゃれなレストラン。本棚のある喫茶店のブックカフェなどが並んでいる通りです。9月に入って買物魔になっている私は三清洞で、白いリネンのエプロンを買いました。リネンというよりも「すずし」といったほうがいいかも知れません。源氏物語絵図に出てくる女君が夏の暑い夜にきているようなシースルーの生地です。絵図だと乳房や乳首に生地の下から透けて見えています。ま、購入したのはボックスプリーツのついたエプロンで、宮廷の女官でもないかぎり、そんなエプロンはしないだろうな、という品物。

 で、ソウルに出かける前から、アメリカのサブプライムローンの焦げ付き問題のニュースがちらりほらりと出ていました。そのためイギリスでは中堅銀行の取り付け騒ぎまで出て、その銀行の処理が大きな問題になろうとしています。サブプライムローンの焦げ付きは23兆円だそうです。

 「またか」と思うのは、97年のアジア通貨危機の時も最初のニュースは、こんどのサブプライムローンのように日経の一面の小さな記事として伝わってきたのを思い出したのです。タイのバーツの暴落。それから韓国がIMFの管理下に入り、日本では山一證券が廃業しました。新聞の小さな記事を見て「これはおおごとなんじゃないかな?」と首をひねっているとだんだん日を追うごとに、大きな騒ぎになって行くという感じは「またか」です。

 アメリカでは退任したグリーンスパン議長を責める声が大きいと新聞にでていました。サブプライムローンはグリースパン時代の金融政策から生まれたローンであるからです。そこで思い出すのが、97年、つまり、夏の会話。その頃、ともだちとアメリカの経済がいつパンクするかが、かなり影響を出すだろうという話をしたのをよく覚えています。いや、タイのバーツの暴落だけで、そこまで話を持って行くのは強引すぎると言われました。で、その後は皆さんがご存知のグリーンスパンマジックで、アメリカ経済は予想されたような打撃は受けたかったわけですが、この夏頃から聞こえてきたグリーンスパン非難を重ね合わせると、どうも「いよいよ」みたいな気もします。

 97年当時は橋本内閣でした。消費税の税率が3パーセントから5パーセントに引き上げられた年です。

 権力と特定の個人の存在と結びつけずに、交代可能な役職と結びつける民主主義というやり方は、そのやり方自体に、こうした任期切れのあとに問題が噴出するという欠陥を宿命的に持っているのかもしれません。

 で来年は北京オリンピック。オリンピックが終わると中国の建築ブームもひと段落して、日本も韓国もオリンピック開催後に経験したような一時的不況を中国も経験することになるでしょう。そこに、アメリカのサブプライムローンに単を発した金融問題が重なるとはてさてどうなるのか?アジア通貨危機の時よりは、日本の貿易相手国はアメリカよりも中国に比重が移っています。

 金融危機で混乱する欧米をしりめにアジアは堅実は経済発展で反映するなんていうバラ色の未来があるのか?それとも、アメリカ、イギリスの金融危機にまたもやも着込まれて、ここのところ、少しばかり快復してきた日本の景気が冷え込んでしまうのか?はてさてどっちなのでしょうか?バラ色のほうもちょっとだけイメージしてみることができるのが、97年の世紀末的な金融危機の不安とは違うところで、ちょっとだけ21世紀的になっている気がします。 693 20070925 頭の中はばらばら  携帯電話の機種変更をした。すごい混雑で、銀行みたいに番号札を持たされた。で、ようやく、順番が来て、機種変更。つまり新しい携帯を手に入れた。もちろんカメラ付き。ただ、料金体系を説明されたけれども、あまりにも複雑で頭の中はばらばら。

 バターケースを見つけた。即、買う。以前からたぶん10年以上前から欲しかった形態。思わす「あった、あった」と言ってしまった。でも、このごろ、買い物魔とかしている。だってバターケースを持って家に帰ったら、ソウルの梨泰院で注文した革のコートが届いていたのだもの。ああ、どうやって払うのだろう。ちょっと考えてみるけど、頭の中はばらばら。

 城戸朱理さんのブログを覗いたら、猛暑の名残でなかなか仕事がすすまないのを嘆いていた。当方も同じ。かなり仕事が遅れている。どうしようかなと考えながら、やっぱり頭の中はばらばらのまま。

 学校が始まった。でも、まだ暑い。まだ夏休みが必要なくらい暑い。で、その学校はただいま工事中。工事の区域をさけて移動するには、どうしたらいいのかを考えなくちゃならない。でも、考えても、頭の中はばらばら。もともと、法政大学ってのは斜めの敷地にあるので、同じ敷地の中で、校舎によって一階のある場所が異なっている、地上から校舎の中に入ったからと言って、そこが一階とは限らない。地下一階だったり、ときには地下二階だったりする。地上から入ったはずなのに廊下を歩いて行くと、いつのまにか2階の廊下を歩いているなんていう摩訶不思議な校舎もある。だから頭の中はばらばら、ますます、ばらばら。

 極め付きは、後期の月曜日の授業の最終日は12月24日であることに気づいたこと。なんと12月24日のディナー・タイムに試験をやらなくちゃならない。なんと言うことだ。 692 20070923 ソウル郊外の骨董団地  城戸朱理さんの案内で、東大門から少し離れたところにある骨董団地に行った。地下鉄で行ける場所だから、郊外というのは言いすぎかもしれない。ソウル市内の東側くらいか。
 名前をどうしても思い出せない。人に案内してもらうとこういうことがよく起きる。

 ソウルと骨董って言えば、すぐに思い出すのは仁寺洞で、この通りには紙屋さんもあれば文房具屋さんもあって、日本人の観光客も多い。以前、焼肉ガーデン(なぜかソウルでは焼肉屋は○○ガーデンという名前のお店が多い)のあったとことが、今はアートとファッションビルになっていたし、凸凹した舗装の曲がりくねった露地に韓定食屋が並んでいたところにワインバーがあったり、民俗趣味のレストランになっていて、仁寺洞も変わったものだと思った。なにより、韓国といえば焼酎とまっこりだったのが、ワインを飲む人が増えていた。以前は漢河の南側の江南でしかワインバーを見かけなかったけれども、このごろは旧市街でもワインバーが増えているようだ。で、仁寺洞の話に戻るが、この街で売っている骨董は、旅行者でも持ち帰れるような大きさの品物が多い。「日本で言えば日本橋中通りだね」と城戸さんが言っていたけれども、そんな感じだ。

 で、今回連れていってもらった骨董暖地はひと目、見て、思わず「石屋だ!」と驚いてしまった。

 ほら、日本でも石屋さんが、墓石とか、なんだか趣味でつくったようなドラえもんとか、そういう石の彫刻というか、細工物を置いているでしょう。あれに似てました。土を盛り上げて作るお墓の入り口におく石馬とか石羊、アーチ型の石の橋、蹲(つくばい)のような気がするけれども丸くなくて長方形の溝が掘られた石。それから斎州島でみかける魔よけのおじさん(これまた名前をいきなり度忘れしていまいました。ごめんなさい)などなど、大小あるけれども、驚くほど巨大(キロではなくてトンの単位が必要なほど)のさまざまの石の製品がある。買い物をするにはクレーン車が必要。

 で、二棟ほどある骨董品屋さんの並んだ建物に入ってみると、そこには昔、農家で使っていたらしい民具や農具、貴族趣味的な箪笥(がっちりした金物がつかってある。桐箪笥の金具をより頑丈にした感じ。もっとも日本でも昔の桐箪笥にはずいぶん分厚い金具が取り付けられていたけれども)こういう古い箪笥を買って金具だけとり箪笥本体は新しく別注で作って、金具を取り付けることがあると聞いたことがある。長持や唐櫃もあった。骨董というよりも古道具である。で、思い出したのがソウルの集合住宅の大きさと広さである。天上が高くて、しかも広い。団地、マンション、いずれの名称を使うとしても、全体に大きく広く作ってあるのだ。あと、もともとの住宅も床暖房のオンドルなので、石の家からコンクリートの家に移り住むのは、木と紙の家からコンクリートの家に移り住む日本よりも感覚的な差が少ないのかもしれない。きっとそうしたことから、古道具の需要があるのだろう。

 家の広さというのは、人間の美意識にずいぶん影響するに違いない。美意識に影響するということは、結局のところ、人間の希望や欲望に響くだろう。ちょっとそんなことを考えた。

 大原の家の件が、着工寸前にまで来ているので、どうしたも大きな物に目が行く。キロ単位ではなくてトンの単位。そんなものを買ってどうするんだ!と内心で自分を取り押さえながら、あっちこっち見て回って買ったのが中国製の真鍮の香炉と植民地時代の花瓶。どっちもスーツケースに入る大きさです。 691 20070922 月は輝く  鈴木隆之氏のところに、大原の家の打ち合わせに行きました。で細かい文字を見るとき
「へへへ、昨日、眼鏡を作ったの」
 と言うと、鈴木さん、うれしそうに
「やっぱりそうなったか!」
 そうおっしゃっていました。こういううれしい感じって、好きです。なんだかねえ。どういったらいいんだろう? よくわかりませんが「へへへ」です。
 
 確かにやっぱりそうなったのですが、でも老眼(遠視)ではなくて近眼だったことは以前にここに書きました。で、眼鏡は二つつくりました。遠くを見る用と、近くを見る用です。で、パソコンはどっちで見たらいいんだろう? と思っていたら眼鏡屋さんが言うには、今のところ、パソコンは眼鏡を使わなくてもいいそうです。まあ、パソコンの場合は、文字を大きくすることもできますし。でも、ちょっと複雑な気分。パソコンの画面との距離だけ、焦点があっているなんて、いったいぜんたい、まったく、もう、です。

 さらに疑問は大学の教室ではどっちを使ったらいいのでしょうか?ゼミ室の隣に座っている学生は、遠く用ではなんだか歪んでみえるし、後ろの席に座っている学生の顔は近く用ではぼやけてしまうし。
「なんで遠近両用で作らなかったんですか?」
 さっそく、ゼミ生に言われました。だって眼鏡は生まれて初めてで、遠近両用を使いこなせるかどうか不安だったからとかなんとかぶつぶつ言うと
「先生、眼鏡かけてませんでしたっけ? 僕、先生の眼鏡みた記憶があります。眼鏡をさげてじろりとにらまれました」
 と言うのです。
「かけていたとしたら、サングラスだけど?」
「ええ、先生がサングラスかけるのですか?」
 って、いったい何を見ていたんだという珍問答もありました。眼鏡をかけたりはずしたりしながら、教室に座っていると先生になった気がしました。
「前から先生でしょう」
 それはそうなんだけど。結局、教室ではどうしていいのか結論はでませんでした。

 ともあれ、何年かぶりでお月様がひとつになりました。月は輝くです。遠く用で月をみると実に涼しく輝いていました。

 網膜に問題があると、今回、眼科で診察してもらってわかったのですが、これは眼鏡では調整できないそうです。思い出してみると10年以上前に、夕暮れ時に車を運転していると、猛烈な眠気に襲われることがありました。しかたなく、路傍のラーメン屋さんやうどん屋さんの駐車場に車を入れて仮眠したことも一度や二度ではありません。とくに埼玉にチェーン店の多い山田うどんさんにはしばしばお世話になりました。山田うどんさん、どうもありがとう。で、たぶんその頃、網膜で何かが起きていたらしいのです。お月様のその頃から、輪郭がぼやけていました。でも、視力に問題を感じてなかったのは、網膜がしっかりしている右の目で、文字を眺めていたからです。が、その右目もとうとう近視に、漢和辞典の画数の多い字が見えなくなったのは、3、4年前、今年に入って広辞苑が見えないというので、あせりだしたのでした。

 10数年前に網膜で何が起きたのかは謎です。

 大原の家の打ち合わせで、施工をしていただく森社長から梨をいただきました。で、梨を持って深川図書館の前の「ババグーリ」ヘ。ヨーガン・レール本社の一階です。秋冬物のスカートや上着を見ているうちに、梨が重くなり、お店の隅に置かしてもらいました。そうこうするうちに店員さんが
「去年も梨を持ってお見えになりませんでしたか」
 と質問するのです。私も質問される少し前にそのことを思い出していました。
「なんかデジャ・ビューがあるなと」
 そうなんです。去年も大原の家の打ち合わせで森社長から梨をいただいたあと、「ババグーリ」によってスカートを買ったのでした。タイシルクの撒きスカートです。とすると一年も前のことになります。店員さんもよく覚えていたものだとびっくりしました。

 スカートを一枚買いました。スカートを選ぶときに眼鏡を出したかというと、眼鏡のことはすっかり忘れてました。

 眼鏡に関しての息子の感想
「こわいなあ」それだけ。
 眼鏡に関しての娘の感想
「眼鏡の時はアイメイクはやめたほうがいいよ。目の周りだけ飛び出す絵本になっちゃうから」ああ、そうですかって、飛び出す絵本ねえ……

 お月様は笑っています。 690 20070921 カンジャンケジャン  ソウルへは骨董を買いに行こうという城戸朱理さんのお誘いでした。城戸さんほか、何人かと「無弦琴の会」というのをやっていて、骨董を買うのを楽しみにしています。そのうちに無弦琴の会のブログを作ろうという話も出ていますが、いまのところ、この会のもっとも詳しい報告は、城戸朱理さんのブログにあります。興味のある方は除いて見て下さい。城戸さんのブログのアドレスはリンク集にあります。

 で、骨董の報告は私がデジカメのいじり方を修得してからに譲って、今日はカンジャンケジャンの話。ケジャンというとまっかなニョクマム(薬味)ケジャンがすぐ浮かびますが、今回、食べたのは渡蟹をお醤油に似たカンジャンにつけたカンジャンケジャン。蟹みそがたっぷり入った5月の渡蟹を急速冷凍したものだそうです。これがうまいの、なんのって、朝ごはんを食べていると、突然、舌がそのうまさを思い出すおいしさでした。あまりのうまさに骨董なんてもういいや!と口走る始末。ああ、また食べたいカンジャンケジャンです。日本人にはニョクマムケジャンよりもカンジャンケジャンのほうが合っているのではないでしょうか?もっとも日本の市場ではニョクマムケジャンは見かけてもカンジャンケジャンはあまり見かけませんから保存が難しいのかもしれません。蟹をばりばり食べる醍醐味と、お刺身的はおいしさが合体していました。

 以前、東大門の近くに泊まったときも、ユン・デニョン氏が「これはあんまりだ」と呆れて、もう少しましなホテルを紹介しようかと言ってくれましたが、今回もまたまたユン・デニョン氏を心配させてしまったみたいです。東大門市場の近くにホテルをとったのは、ひたすら鶏の丸ごと鍋であるタッカマリを食べたかったからなのです。タッカマリで有名な店が近くにあるという理由です。しかし、次にソウルに行くときは、カンジャンケジャンのお店の近くに良いホテルを捜したくなりました。そうそう、城戸さんのブログにはカンジャンケジャンの写真もあります。私は写真をとるなんて余裕もなくひたすら「おいしい!おいしい!」と食べるだけでした(笑) 689 20070913 お誕生日おめでとうございます。 伊藤比呂美さん お誕生日おめでとうございます。

伊藤さんはおとめ座なのね。 688 20070911 ただいま!  昨晩、ソウルから帰ってきました。羽田から金浦、金浦から羽田というコースの飛行機を使いました。羽田からの国際線は初めて乗りました。30年ほどまえに弟がイギリス旅行の行くときはまだ成田空港が開港していなかったので、羽田まで見送りに行きましたが、自分で羽田から海外に出るのは初めてです。

 金浦のほうは久しぶり。羽田にしろ金浦にして、都心に近いので成田や仁川をつかうよりも便利です。近距離の飛行機はみんな羽田から飛ぶようになってくれないかしらって思いました。ヨーロッパやアメリカまで行くときは成田でも納得できるのですが、飛行時間が2時間とか3時間程度の時は、成田まで行くほうがたいへんで、それでくたびれてしまいます。

 ソウルでは「カンジャンケジャン」と「タッカマリ」と「サンゲタン」と「ピョンヤンレイミョン」を食べました。イシモチの焼いたのもおいしそうでしたが、今回はパス。詩人の城戸朱里さん夫妻と一緒の旅でした。
 7月に日本滞在を終えたカン・ヨンスさんそれに、作家のユン・デニョンさんにもお会いしてきました。お二人に韓国料理のニューベル・キュイジーヌとも言うべきモダン宮廷料理をご馳走になりました。ユン・デニョンさん、カン・ヨンスさん、ご馳走さまでした。 687 20070907 これからソウルに行ってきます!  台風9号が小田原に上陸しました。昨日から羽田は大混乱みたいです。でも、これから羽田発の便でソウルに行ってきます。では。では。

 留守の間に荒川が氾濫するなんてことがないように。息子が通っている自動車教習所が水浸しなんてことがないように。その他いろいろ、心配ありありですが、まあ、出かけることにします。昨日(6日)も横須賀美術館で、大荒れの浦賀水道を見ていました。 686 20070904 萩原朔太郎賞受賞おめでとうございます。 伊藤比呂美様

 朔太郎賞受賞おめでとうございます。

 お祝いに車を一台って、それはむりか。ミニカーくらいならカルフォルニアに送れるですけど(笑)さて、お祝いは何にしようかしら?考えてみます。

 昨日、大庭みな子さんの会に行って、大庭さんとももっとお話しておけばよかったなあと少し後悔しました。なんかねえ、お話するには距離がありすぎるような気がしていたんですけど。大庭さんに限らず、詩を書いたり、小説を書いたりする人とは、どういったら好いのかな、話たいことをうまく話していないような気がすることがあります。どうしてかな?自分でも不思議です。

 言いたかったのは「おめでとう おめでとう おめでとう」と今日はそれだけです。天草に行ったときに伊藤さんが興味を持った隠れキリシタンのオラショをどんなふうに伊藤さんが作品にするのか、すごく楽しみにしています。ではでは。 685 20070904 冬休みは風邪、夏休みも風邪  夏休みと冬休みと、年間に二回は風邪を引いています。どうしたことだ。

 今年の夏風邪は熊谷で40度を超えたという酷暑の日にやってきました。冷房を切って家の中の空気を入れ替えたのです。で、あまりの暑さに、そうそうに窓を閉め切って再び冷房を入れました。すると、喉に痛みが。あれ、これはちょっとちょっとおかしい。と思う間もなく、ひどい咳が出始めました。久しぶりに液体の咳留め薬のお世話になりました。それでも気管がぜいぜい言ってました。

 そういうわけで、やっと風邪がなおってきたところです。咳もなんとかおさまりがついてきました。 684 20070902 伊藤さん、おひさしぶりです!  伊藤さん、おひさしぶりです。お元気そうで!そういえば、私も乗馬クラブに通っているときは、音楽の仕入先はひたすらFMラジオでした。このごろは車にもまり乗らないから音楽の仕入れ先はありません。いや、息子か。で、その息子が今年の暮に「展覧会の絵」をオーケストラでやるみたいです。この間はチャイコフスキーの交響曲5番にホルンで乗ってました。

 やっぱりアメリカはマーチングバンドなんですね。日本のマーチングバンドのコンクールでも強いチームにはアメリカ人のコーチがついてたりします。そうそう、うちの娘もマーチングバンドをやっていました。そのときのお師匠様は毎年、夏休みになるとアメリカにマーチングバンドの見学に行ってました。

 そのうちに「楽隊のうさぎ」マーチングバンド編も書きたいなあって思っていますけど、今は頭の中は15世紀なの。というわけで夏休みに入るや否や連載がはじまるぞ、はじまるぞと緊張して、でも夏の暑さにはすっかり負けて、思ったほど原稿をかけていません(ごめん)今年は暑かったんです。ここ数日やっと涼しくなったら、今度は身体がだるい。で、ジョーバが来るのが待ち遠いしいのです。でもジョーバが来る日の翌日にはゼミ合宿に行かなくちゃならないし、その翌日にはソウルに行きます(原稿はどうなるんじゃい!)

 わあい!伊藤さんがまた書き込みをしてくれるようになってうれしいな。伊藤さん、ちょくちょく書いて下さい。よろしく御願いします。 683 20070830 買ってしまったものと、買わなくちゃいけないもの 買ってしまったもの→ジョーバ

 ほんとうはジョーバなんかじゃなくて、馬に乗りに行きたいのだけれども「おたあジュリア異聞」の連載中はとてもじゃないけないけれども、乗馬どころではありません。そこで「ジョーバ」を買ってしまいました。でも在庫切れで来週にならないと届きません。

 原稿を書いていると妙に不機嫌になるときがありますが、その理由の30パーセントくらいは運動不足かもしれないなあと前々から考えてました。もっとも、進まない馬に乗ってどのくらい不機嫌が解消されるかは、たいへん疑問ですが、ウォーキングマシーンよりもマシな気がするのは、なんだか遊園地みたいな感じがするからでしょうか?

買わなくちゃいけないもの→眼鏡

 御茶ノ水の井上眼科で処方箋をかいてもらいました、近くを見るようの眼鏡と、遠くを見るように眼鏡をつくあなくちゃいけないのです。先週から風邪を引いて咳がひどいのですけど、そういうふうに体力を消耗すると、このごろは目がかすみます。これは眼鏡ではどうにもならないらしいのですけど……。まあ、眼鏡を使ってみます。少し楽になるかもしれません。 682 20070829 月とすっぽん  いや、表題は何の関係もないのですが、昨日はへんな日だったということです。

 金沢八景は私の生まれ故郷ですが、八景の地名は中国のドウテイ湖周辺の八つの景色に似た景色がみられるということからつけられた地名というか、駅名です。京浜急行の駅ですが、その駅近くでお月見をしようということで出かけて行きました。で、ちょっと早くに駅についてしまったので、駅前の喫茶店の2階の窓際に座り、本を読むことにしました。

 アイスコーヒーを注文して、さて、タバコに火をつけようとしたら、駅前に唐突な感じで、消防自動車が入ってきました。到着するや否や、消火用のホースを出していました。あれ? どこか火事かなと思うまもなく、消防士さんが喫茶店の二階に駆け上がってきました。え、たばこの火を消しに来たの? くらいのタイミングです。駅前には大勢の人だかりができていました。そこへまた一台、こんど梯子車がやって来ました。でも、どこにも火事はないのです。
 それにしても、たばこに火をつけたとたんだったので驚きました。どうもいたずらの通報があったみたい。

 で、お月見をして、と言っても昨日は雲が厚く、雲の切れ間からちらりと皆既月食から快復し始めたおつきさまを見ることができただけですけど、家に戻るときのことです。
 地下鉄の大江戸線が練馬駅に入ると、火災報知器のベルがホームに鳴り響いていました。これには地下鉄の中の人も不安そうな顔になりました。駅で降りる人はもちろん、電車にのこる人もはて、どうしたことだろう? という顔をしていました。私も座席から半分、腰を浮かしながらなにか案内が入らないかと耳を澄ましていました。が、電車は何の案内もないまま発車。電車が発車した直後に、ホームに鳴り響いていたブザー音も止まりました。これもなにかの間違いみたい。

 というわけで、行きも帰りの人騒がせなお月見の一夜でした。東京の北部ではものすごい雷雨があったようなので、お月様の顔を少し拝めただけでもめっけものと言うべきでしょうか。 681 20070828 シャツを二枚買う  今日はちょっとだけ涼しくなるという天気予報でした。で、曇っているのが気にかかります。というのも、6年ぶりの皆既月食があるので、お月見をしようということになっています。涼しいのはけっこうですが、厚い雲に覆われては皆既月食どころではありません。「暑い」も困るけれども「厚い」も困る。

 シャツを二枚買いました。パープルとブルーのストライプ。先日、ちょっとした偶然で日和聡子さんにお会いしたらきれいな白いシャツをお召しになっていました。暑い、暑いと言っていないで、あんなシャツをきたら、ちょっとはきりっとした感じになるのかなって、やや期待含み。というのも夏風邪を引いて、原稿が遅々として進まないのにややあせりぎみだからです。よく「原稿は何時書くのですか?」って質問されますけど、急ぐとなったら「何時」なんて言ってられないわけで、書けるような気がしてくるならなんでもする!という感じになるのですよ。フルメイクをするとなぜか書けるという時期も以前にはあって、真夜中のフルメイクなんてこともありました。知らない人が見たら怖いかもね。

 「おたあジュリア異聞」の連載、熊本日日新聞の連載も8月27日から始まりました。さあて、新しいシャツを着てがんばるぞ! 680 20070823 電気が消えていた。  御茶ノ水の井上眼科に眼鏡の処方を書いてもらうために出かけた。左があまりよく見えないのだけれども、これは網膜で何かがずいぶん前に起きていたらしい。で、検眼の結果は近視。なんだかがっかり。ああ、子どもの時から、おばあさんになる楽しみの一つは老眼鏡で人の顔をじろりと見ることだったのに……。どうやらそれはもうしばらくお預けらしい。

 で、その井上眼科は新御茶ノ水ビルの19階にあるのですけど、新御茶ノ水ビルのフロアの電気が消えてました。「東京電力の要請により節電に協力しています」の張り紙があって、ああ、やっぱり電力不足になっているのだなと思いました。ちょっと暗いなあというか、ビルの外がいつもよりも明るく見える程度で、あんまり不自由だとか、不気味だとかという感じはしませんでしたけれども。

 ああ、眼鏡を作らなくちゃ。それも近く用と遠く用の二つがいるらしい。やれやれ。

 今日(8月23日)から静岡新聞で「おたあジュリア異聞」の連載が始まります。 679 20070815 8月15日  「お母さんの部屋は霊安室だよ」と言われるくらい冷房を効かせた家の中から外を眺めても、日差しの強さがはっきりを判るここ数日の東京です。漢文の黒田先生がメールに「ドッコイ暑」なんて洒落を書いてくれました。いつもは四字熟語の多い黒田先生のメールですが、あまりの暑さに四字熟語もカタカナと漢字の駄洒落になって溶け出したみたいです。学校で私の助手をしてくれている深野女史からは、梨が届きました。早速に皮を剥いて食べてみましたが、これが暖かいのです。甘くて暖かい!

 パスポート取得のために川越まで行ってきました。パスポートも30年前に初めて取得したときに比べれば、いとも簡単に取得できるようになりました。30年前は、県庁に行かなければならず、その頃は千葉県の住人でしたが、県南の館山から千葉まで出るだけで半日はかかりました。で、県庁の窓口はものすごく混雑していて、これまた手続きを終えるまでに数時間が必要でした。今は、川越のアトレでものの10分もあれば手続きが終了。しかも10年間有効のパスポートがとれます。96年に10年間有効で作ったパスポートが昨年の秋に失効していました。詩人の城戸朱里さん夫妻にソウルへ行こうと誘われてパスポートの失効に気づいたのです。
 うちの仏壇にある母の写真は千葉県庁でパスポートを作った時に撮影したものです。ついでに言えば父のほうは船舶免許の写真です。

 暑い。暑い。暑い。川越駅についたところで、二人の女性が「あ、ここの木を切っちゃったんだ。それで椋鳥がいなくなったのね。夕方になるとここの木に椋鳥が集まってきてうるさい、うるさい。すごい声で鳴いていたものね」と話していました。

 パスポート用の写真を撮影。10年前の写真と比べてみると若返っているような気がします。若返っているだけでなく美人になっている。ま、ここまで来たら、そんなに客観的判断が重要とも思えないので、そう思っていたって、どこからも文句はでないでしょう。法政大学の教職員証明の写真よりもずっと良く映って入る気がします。もしお葬式に使うなら、絶対のパスポートのほうで御願いしたいものだなと、一枚余分にとった写真を眺めているうちに審査窓口に呼び出されて、受け取り方法の説明を受けて申請はお終い。

 で、表に出るとこれがまた暑い、暑い、暑い。暑い階段を下りてホームにでれば、小川町と森林公園の区間で線路点検のために運転見合わせの電光掲示がありました。あとでわかったことですが、小川町と森林公園の間の線路が暑さのためにゆがんでしまったのだそうです。
 急行で池袋に出て、知人への残暑見舞いにシャーベットを届けるように高野で手配して、それから、生春巻きを6本買いました。で、今度は地下鉄で和光市まで戻り、銀行へ行くために駅前の派出所の前をとおりかかると半旗が出ていました。旗竿の先端の金の玉を黒い布で覆い、だんだらの旗竿の途中で日の丸が萎れていました。祝日に国旗が出されているのを見たことはあるのですが、8月15日に半旗が掲揚されているのは、初めてみました。私が迂闊でこれまで気が付かなかったのでしょうか?

 半旗という言葉を覚えたのは、小学校一年生の時です。私が通っていた船形小学校では、毎朝、6年生が国旗を掲揚していました。それが、ある日、ずるずると旗竿をすべり落ちて、半分くらいのところでひっかかっていました。朝礼の時、校長先生が、校長の名前は忘れてしまいましたが、白い頭が五部刈りにした痩身の先生でしたが、その校長が声を荒げて「ああいうのは半旗と言って、国全体が喪に服するときにだけ掲げるもんだ」とものすごい勢いで怒っていたのです。学校に半旗を掲げるなんて縁起でもない!」とかなりのお怒りでした。それ以来、半旗というものを見ると、怒る校長先生の頭が浮かぶのです。なぜか顔を思い出せません。きっと一年生で背が低かったので、頭だけを見上げていたのでしょう。白い頭を振りながら怒ってました。

 で、8月15日の半旗ですが、思い出す限り、記憶にないのです。いったいいつから8月15日に半旗を掲げるようになったのでしょうか?派出所の前には、日に焼けたお嬢さんたちが集まって、椋鳥よりも騒がしくおしゃべりをしていました。どうも、どこか外国へ旅行に行って帰ってきた高校生の集団のようでした。 678 20070812 緑の中を  初めてかな?夏の箱根は?小田急のロマンスカーで箱根に行くのはもちろん、初めてではありません。これまで何度も何度も行ってます。でも、夏休み、それもお盆休みで混雑する土曜日、日曜日なんていう日程で出かけたのは初めてかもしれません。今年の春、法政を卒業したゼミ生が誘ってくれました。

「お湯の中にアブがいました」

 旅館に到着早々に露天風呂にでかけたM君とS君それにK君N君がそう言ってました。男湯の話。女湯のほうは油蝉が二匹のびていました。緑の滴るような露天風呂はなかなか結構でした。それにしても、夏は緑が鮮やかでした。色彩豊かの野山の向こうに青い海が見えました。これまでロマンスカーから海が見えるのに気づかずにいました。 677 20070802 台風はUSAGI  九州に上陸した台風5号のアジア名はUSAGIだそうです。明日あたり関東でもUSAGIさんが大暴れするのでしょうか?今日の東京はおそろしく蒸し暑い日でした。

 研究室にまず深野女史。それから新聞連載のアシスタントを御願いしている朴さん。朴さんと打ち合わせを始めたら、題字を作ってもらっている長谷川さんから電話で、静岡新聞のメルアドを問い合わせてきました。一瞬、どうしようかと戸惑ったのですが、朴さんがメルアドを知ってました。ついでに研究室のパソコンへ題字を送ってもらいました。そこへプリンターを設置にきたつくまさん。プリンターを設置してもらい、さっそく題字をプリントアウトしました。

 と、ここまで書いて、あの題字を自宅のほうのパソコンへ送ることができるのかしら?という疑問。きっと添付ファイルにすればできるのでしょう。だとしたら、ねえ、豆ちゃん、新聞と同じロゴをトップページに出すことは可能かしら?あとで豆ちゃんのメールを出して聞いてみようって、その豆ちゃんはどうやら大阪へ繁盛亭の視察に行っているみたいです。USAGIの大暴れで新幹線が止まらなければいいけど。

 そういうわけで、いつになく、大掛かりな連載の準備が、いつものごとくぎりぎりばたばたで進んでいます。USAGIさん、どうぞお手柔らかに。 676 20070724 めいめい鳴かない羊椅子  羊椅子が届いたぞ! これがかわいい。さっそく玄関におきました。靴を履くときって、ちょっと腰掛けたいでしょう。そうじゃないと、とんとんってつま先をぶっつけて履いたりしちゃうじゃないですか。ちゃんとした靴屋さんには腰掛けるスツールがおいてあるし。


 どうやら羊椅子は研究室に行かなくて済みそうです。なんとなく、めえと鳴きそうな感じ。かわいい子羊ってところです。そんなのに座るのは(とくにその体重で)かわいそうじゃないかって言われそうだけど。ま、いいや。

 靴は履いて、靴紐を結ぶにはやっぱり玄関に椅子が必要です。マンションの玄関は段差が低いから、玄関そのものに腰掛けるってわけには行かないので、ちょうど良い椅子を探していたのですが、これがなかなか、大きさと形がうまく治まるのがありませんでした。へたをすると単純に物置状態になってしまうという危険も椅子にはあります。羊椅子ならその点、物置にするには可愛すぎる! ということになるといいなと思っています。

 ところでその羊椅子の組み立て説明書を読んでいたら、一度、ねじを締めてから、二週間後にもう一度ねじを締めなおして下さいとありました。へえ、そんなものかと思いましたが、これってすべてのねじについて言えることなのでしょうか? 675 20070721 豆ちゃんがきたぞ!  ずっと牛丼パソコンからスタッフルームにはいれなくなっていましたが、今日、豆ちゃんがやってきて、スタッフ・ルームにはいれるようにしてくれました。これでスタッフ・ルームにはいれます。わい、万歳。万歳。

 で、それから豆ちゃんと池袋へ。イルムスでかねてから欲しかった羊椅子を買いました。

「へへへ。これに座って洗面台の前で歯を磨くの」
「どうしちゃったんですか?」
「どうしても羊椅子が欲しかったの」

 念願の羊椅子は、毛がついたままの羊の皮を張ったスツールです。うちの子供たちは購入に反対!。豆ちゃんの一言が購入の踏み切り板になりました。

「じゃまだったら、研究室に持っていっちゃえばいいんじゃないでしょうか」

 そうだ!。羊椅子を研究室においたらきっと気に入ってしまうだろうという学生の顔が二、三人浮かびました。でも、研究室には持って行きたくないの。羊椅子に座って、洗面台の前で歯を磨きたいの。

「だからどうしちゃったんですか?へんだな」

 どうもこうも、某ホテルで洗面台の前の椅子に座って歯を磨いていたら、すごく気持ちよかったんだもの。

 その研究室には最新鋭のパソコンが入りました。本体が30cm×30cm×10cmほどの大きさというのは感動ものでした。しかもマウスとキーボードは無線で動くの。プリンターもごく持ち運びができるほど小さくって、みつけてきてくれたのはつくまさんです。つくまさんは今、大岡信さんにPDの使い方をレクチャーしているそうです。

 で、豆ちゃん、この日記を書く欄の文字がものすごく小さくなっているんだけど(実はあまりよく見えてない)これはどうにかして直すことができるのでしょうか?


  674 20070719 品川とお台場沖  品川から船に乗って、お台場まで行きました。屋形船です。法政大学教員の懇親会です。品川は電車のなかからたいへんな変わりぶりだなと眺めていましたが、実際に降りて歩いてみると、なんだか建築模型の中にいるみたいでした。昨年、大原に建てている家がSDレビュー展に入賞したときに、いくつかの建築模型を見たのですけど、なんか、そのまま、でかくなった感じ。

 空中回廊というのか、駅から周囲のビル群の中に歩廊が延びていて、哲学の先生がふあふあ浮かんでいるみたいだって言ってました。哲学の先生に「地に足がついてない感じがする」って言われるとなんか変な感じがしました。「路地裏の哲学」とか「空中回廊の哲学」とか「線路の哲学」なんて連作短編を書いたらおもしろそうだなあとちょっと思いました。品川のそのあたりは完全に人と車を分離した設計になっています。歩く安くて快適ですけど、品川にいる気がしないって、ちょっと思いました。

 品川までくると、ああ、ここで御江戸も終わりって、自動車はややスピードを上げ、排気ガスの中によどんだ潮の匂いが混じり、寒々しい感じが夏でもしたものでした。懇親会は屋形船と聞いて「大川」だと思い込んでいました。柳橋あたりから船で出るものと。で、品川と解ってややあせりました。そんな遠くになって飯田橋から行くんだろうって。柳橋ならまだ公方さまのお膝元だけど、品川じゃあ、もう公方さまのお膝元じゃないって思うのは、もう古いのは重々承知です。

 で、日が暮れてからお台場沖にでました。いつも思うんだけど、お台場の自由の女神は、陸地のほうを向いていて、海に背中を向けているのはなんかへん!
 フジテレビの見える海の上は赤い提灯を並べた屋形船だらけで、夜だというのにかもめがたくさん飛んでました。大胆にも人間の頭上すれすれを飛ぶかもめさえいました。かもめって、鳥目じゃないのかしら?お台場沖って言ってもビルの明かりに取り囲まれた池みたいな感じです。ただ船底に海のうねりがどおんと当たるときだけ、海の上にいるんだという実感がわきます。

 お台場そのものは埋め立てられて、なくなっちゃたのかと思い込んでいたら、ちゃんとまだあるんですね。
 黒船が来た時は、急造のお台場に石灯籠を横倒しにして大筒に見せかけ、幕府は諸大名を江戸城に集めるのに火事装束にするか戦装束にするかで、延々と評定を続けて、結局、火事装束で集合させたなんて話を思い出しました。
 
 加藤清正が伊豆から江戸城の石垣のための石を運んできたときには品川なんて、遠浅の海岸が広がっていただけなんでしょうねえ。 673 20070715 アジアンタム  南側のベランダは以前はとても日当たりがよかったのですけれども、今は隣に建物が建ってしまったので、日陰になっています。それだけじゃなくて、風の通り道にもなっています。あんまり大きな声では言えないけれども、バスタオルを干した物干し竿が、まるごと一本、飛んでいってしまったという椿事も起きています。
 人の頭にでも当たったら大怪我ではすまないかもしれないと想像するだけで「クワバラ クワバラ」でした。

 で、その縁側にアジアンタムの鉢を置きたいなあと5月頃からずっとそう思っていました。アジアンタムは葉っぱがしゃらしゃらした羊歯ですが、羊歯だから日陰がいいの。でも このごろ、アジアンタムはそんなにたくさん売ってません。どっかで見つけてこなくちゃ、あるいは花屋さんに御願いして、どこかの市場から引いてきてもらうかしなくちゃとなどなどあれこれと考えているうちに夏が終わっちゃんだろうなとあきらめかけていたら、昨日、アジアンタムの大きな鉢を花屋さんでみつけました。とりあえず、一鉢、買ったけれども、もう一鉢欲しいなあと、いやさらにもう一鉢、あるだけ買ってきちゃおうかな……。外は台風なのに、なんだかアジアンタムが欲しい。湿った羊歯の茂みに隠れちゃいたいような気分。これはまたどうしたことでしょう。

 4月に買ったデジタルカメラはまだ使い方がよくわかりません。というか、マニュアルを読む気がしないままになっています。で、今週は法政大学のほうの研究室にパソコンが入ります。今度、パソコンの設置を助けてくれるのはつくまさんです。で、またマニュアル読むのが面倒でそのままになっちゃうのかな?ああん、やっぱり羊歯の茂みに隠れちゃいたいよ。何?お盆だからそんな気分になるんだって。そうだ東京は東京お盆でした。 672 20070706 なんで「です ます」体を使っちゃったのかな?  「豆の葉」を書き始めるときに、なんとなく「です、ます」体を使ってしまいました。で、時々、それがうっとうしいような感じがしてしまいます。自分でもなぜ「ですます」体を使ってしまったのか、よく思い出せないのです。最初は、もっと素朴なホームページでしたから知っている人が見ているだろうくらいの軽い気持ちで「ですます」体を使ったのかもしれません。

 大学一年生で原稿料がもらえる原稿を書き始めた頃、不特定多数の人に向けた原稿を書くのにとまどいを覚えました。「豆の葉」は、そのとまどいを思いださせるようなところがあります。今日は「すばる」8月号のすばるカフェ欄に韓国から東京に滞在中の姜英淑さんがエッセイを書いていることを書こうとして、なんだか「ですます」体では書きにくいなあ、いや「ですます」体ではなくて「だ だった」体を使おうかなと迷っているうちに、なんで「ですます」体を使っちゃったんだろう? とまたまた「???」になっていました。

 以前は「豆の葉」も時折、「ですます」体ではなくて「だ、だった」体を使っていました。これからも時々「だ、だった」体を使うと思います。ちゃんとフォルムがある文章を書こうとすると「だ、だった」の語尾を用いたほうがしっかりとしたものが書けるのですが、ばかみたいにタイプするだけの時は「ですます」体のほうがごまかしが聞くのです。 671 20070704 新潮文庫の背  新潮文庫にカバーがかかったのはいつごろだったかな?と考えてみたのですが、思い出せません。まだパラフィン紙を使っていた頃もちょこっと覚えています。母がスポンジケーキを焼くときに、あれを使えないかしら?と言い出したことがありました。ううん。やっぱり本棚の中にずっとおきっぱなしにしてあると、パラフィン紙も弱くなって、しかも茶色く変色しているし、埃もかぶっているしで、さすがにケーキには使えませんでした。

 見慣れたはずの新潮文庫の背ですが、作家によって色が決まっていると言われてみると「あ、そうだった」と気づく感じでした。みんな違う色というわけでもないのだそうです。あいうえお順に並んで隣同士にならなければ、同じ色を使うこともあるそうです。で、背の色が決まるのは二冊目から。一冊目はどの人も「白」の背を使うそうです。というわけで今回「うさぎとトランペット」ではいくつかの候補の色から背の色を選ばせてもらいました。選んだのは「洗朱」という色名の色です。「楽隊のうさぎ」もこれまでは白でしたが、次回の重版から背は「洗朱」に変わるそうです。へえ、そんな決まりがあったのかと感心。本屋さんで年中眺めている新潮文庫ですが、そんな決まりがあったとは知りませんでした。

 カバーの背には短い紹介文があります。これを読んでいるとなかなかおもしろいのですが、パラフィン紙のカバーから今のカバーに変わった時には大量の紹介文を書かなければならず、担当者はものすごく苦労したそうです。確かに出版点数を考えると、これは突然、大量の仕事が降って湧くような出来事だったでしょう。
 背の色は「白」がいいという作家ももちろんいるわけで、その場合は背に載る文字の色が墨から別の色に変わるそうです。そういう目で一度、新潮文庫の棚を見てみたら、それはそれでおもしろそうです。 670 20070703 うさぎとトランペットの文庫がでました。  「うさぎとトランペット」が新潮文庫に入りました。解説は文芸評論家の日比勝敏さんです。この解説がすごく良い解説で、日比さんに感謝しています。親本には解説はないので、文庫はこの解説を読むだけでも価値があると思います。装丁も親本と少し違った雰囲気になっています。どうしたことか?アマゾンではまだこの本の表紙の画像がありません。出版点数が多いので、画像のアップがまにあっていないのかもしれません。

 メディア・パル社で「大人になるヒント」という本を作っています。法政大学の06年度の中沢ゼミ卒業生に中学校時代の話をしてもらいました。それに私がコメントをつけるという形式の本です。これも最終の原稿を入稿中で、もうすぐ新刊のご案内ができると思います。ゼミ生に中学時代のことを聞いてよかったなあと思っています。中学生って、今、この時代に生きるための工夫をものすごく試行錯誤しながらしているんだなということが実感として伝わってきました。

 静岡新聞、熊本日日新聞連載の「ジュリアおたあ異聞」ですが、8月23日スタートと決まりました。こちらのほうはこれから急ピッチで、入稿をしていこうと準備をしているところです。挿絵は宮本恭彦さんです。宮本さんには、舞台となる熊本の宇土などをスケッチしていただくなどの、準備をしていただています。この仕事を私はこれまでにないほど楽しむことができそうだという予感がしています。

 昨日「法政文芸」3号を責了にしました。「法政文芸」は一年に一冊、法政大学の文学部日本文学科で発行している文芸誌です。編集は法政文芸編集委員会というかたちで学部学生の皆さんにやってもらっています。3号の編集長は私です。特集は「ヤングアダルト」です。笹生陽子さんのインタビューをはじめとして充実した内容になりました。途中、麻疹休講などもありました。 669 20070624 サンダルとマニキュア  眼科騒動のおかげで、おあずけになっていた美容院に行ってきました。梅雨時は髪が湿気を含んで、なんだか妙な具合に曲がりくねってしまいます。天然パーマといえば聞こえがいいのですが、ちょっと伸びてくると昔の漫画のベティさんもしくはサリーちゃんのパパ状態。つまり外側に跳ね返ってくるのです。これが嫌。嫌で嫌で仕方がない。

 美容院でぱぱっと髪を切ってもらってから向かい側の松屋デパートへ。ぬめ革と金色のバックルがついているサンダルを買うか買わないか。エスカレーターをあがったところに展示してあって、ずいぶん前から目をつけていたのですが、あ、イタリア製なんだ(つまり高いってこと)というわけで迷ってました。で、買っちゃいました。現品限りというわけで、最後の一足でした。サンダルを買ったんだからマニキュアを買わなくちゃと化粧品売り場へ。ラズベリー色(店員は血豆みたいな色って言っていました。そっちのほうが正確。)のマニキュアを買いました。

「足はそれでいいけど、シックだし。手はまずくない? もうちょっと明るい色にしないと、あれ、手だけおばあさんだ」というのは息子の意見。さらに
「去年もおなじことを言った気がするなあ」
 と考え込んだ挙句に
「そうだ、そう言ったらへそを曲げて足をインクみたいな色に染めちゃったんだ」
 あ、そうでした。去年と確かにおなじ失敗をしているのを思い出しました。でもまあ、いいか。最後の一足のサンダルが買えたし(一週間、待っていたらバーゲンで買えたかもしれないけど)ぶつぶつ、ぶつぶつ、言っている夜中です。 668 20070621 おつきさまがひとつに見えていた頃  どうも左の網膜に何か問題があるらしいということがわかってきました。何か問題があるというよりも、過去に何事かが眼の中でおきていたみたいです。左の網膜にはその痕跡があるということでした。で、もうちょっと原因を追究してみると医師は言ってました。なんだかひよこ豆を連想させる、やわらかい顔をした女医さんです。まあ、でも、治らないみたい(ちょっと落胆)

 そういうわけで、おつきさまがひとつに見えたいた頃がなつかしいです。もっとも、今も右目だけで天を仰げばちゃんとお月様がくっきりとした輪郭で浮かんでいます。左眼の異常に気がついたおかげで、いろんな人と月や星がどのように見えているのかという話をしました。けっこういろんな見え方があるのだということがわかりました。花火のように光が広がってみえる人もいれば、輪郭がぼんやり滲んで、いつも朧月という人もいました。世界はひとつじゃないんだなあという感じでした。

 しばらくはパイレーツオブカリビアンでも聞いてがんばるか。海賊は片目だから。ゼミのK君はジョニー・デップのある一瞬の表情を見るだけでも価値がある映画だといってました。 667 20070616 パイレーツ・オブ・カリビアンのテーマ曲  パイレーツ・オブ・カリビアンのテーマ曲を聴いていると片目でも働けるような気がしてくる。 666 20070613 井上眼科  どうも左目がかすむ。満月が三つに見えるというので四谷のアサクラ眼鏡で検眼をしてもらいました。すると左と右の視力の差がありすぎるうえに、左はレンズで補正をしてもほとんど視力が上がらないということが判りました。で、これは眼科に行く必要があるということになり「どこかにいい眼科はないかしら」と知人に聞くと「御茶ノ水の井上眼科があるよ」という返事でした。

 昔からある有名な眼科だそうです。で、行ってみたらこれがほんとうに大病院でした。診察室だけでも20以上もありました。へえ、こんなに大きな眼科があるんだと、びっくり。これがまた眺めの良いところにあるのです。ニコライ堂の隣の新御茶ノ水ビルの19階と20階。このあたりは高台で、東京の東側を一望のもとに眺めることができます。しかも目の悪い患者さんのいる病院ですから、すべての表示が大きくてわかりやすいのです。眼科じゃなくても、こういうふうに判りやすく表示して欲しいものです。

 で、なんだ左目だけがかすんでいるのか?この原因はわかりませんでした。来週、造影剤をいれて眼球の裏側の血液の流れを観察しますと言われました。はて、なんだろう? 665 20070610 私の後姿  青森に姜英淑さんと行ってきました。 665.jpg 664 20070609 から馬  今日で東京競馬場の競馬は終わり。来週からは函館、阪神です。東京競馬場の入り口(西門)で函館の宣伝をしていました。おめあてのレースは東京ハイジャンプ。障害競争です。知人と待ち合わせて4レースのパドックを覗いて馬券を買い、馬場のほうへ出てみると、あれ? あれ? なんとから馬が一頭、返し馬に混じって走ってゆくではありませんか。あとから騎手も走って行く。おや、おやです。馬が走って行ったあとだと、人間が小さく見えること。

 で、おじさんが野太い声で野次を飛ばしてました。
「がんばれ!東京競馬場の直線は長いぞ!」
 そりゃ、そうでしょう。もちろん人間の足では馬に追いつくはずもなく、騎手は走ってきた救護車に乗せてもらっていました。から馬で走っていったほうの馬も無事。障害レースは落馬がかなり出ることがありますが、障害の前の平地競馬のレース前に落馬ってのは珍しいことがあるものです。

 今日は珍しいことがもうひとつ。万馬券とっちゃった。と言っても100円馬券ですけど。枠で買った万馬券ということじたいがかなり珍しいと言えば珍しいのです。昨今は馬連とか三連単とか万馬券どころか百万馬券も珍しくはないのですが、私は万馬券は初めて。へへへ(笑)なんとなくね、一番人気が信用できなかったのでばらした馬券を買っていたのでした。言うなれば保険の勝利。

 で、障害レース。障害に出る馬は平地競馬の馬よりも年をとっています。今日のレースに最年長は10歳。人間だったら40歳くらいの馬でした。で、若い馬できれいな馬がいて、とっても気になっていたのですが、あんまり早くはありませんでした。5歳だからこれからまだ走るでしょう。例によって(?)一頭、騎手が落馬して馬がいて、から馬のまま、ちゃんと障害を飛んでいました。空が曇って、時折、雨粒もぽつぽつ落ちるお天気だったせいか黒鹿毛の馬が妙にきれいに見える日でした。 663 20070601 椿事 「鍵が開かない!」
いえ、私の家ではなくて、ご近所なのですが、郵便受けで郵便物をとって、家に戻ると鍵が開かなくなっていたそうです。私はちょうど買い物から帰ってきたところで、どれどれとばかりに鍵穴に鍵を入れてみました。通常はすっぽりと入る鍵が3分の2程度しか入りません。鍵穴になかか詰まっているみたいです。

 いたづらをされたのか、それとも中に人が入っているのか、突然のことに、いろいろ想像をめぐらしてしまいました。どうしたらいいんだろう?です。ふだんならすぐマンションの管理人さんを呼びに走るところですが、あいくに管理人さんも不在。しかたがないので管理会社に電話をしてみました。すると鍵屋さんを紹介してくれたのですが、鍵屋さんが到着するまでには1時間以上かかるという話でした。

 鍵をあけてもらうための救急の鍵屋さんがいるなんてことを始めて知りました。鍵が開かなくなったのは夕方でまだ明るい時間でしたが、これが夜中だったら、と創造すると、「ああ」と思わず絶望的に気分になってしまいました。我が家などは親子でそろいもそろって深夜帰宅なんてこともありますから、三人分の居場所を確保するだけでもひと騒動になるに違いありません。あるいは悪い想像をして気が動転してしまうかもしれません。

 一時間ほどして鍵屋さんが到着。なにやらライト尽きの虫眼鏡のようなもので鍵穴を覗きこみ、それから細い針金で作業をすると、鍵はすっと刺さって、すぐに開きました。鍵穴の中で、小さな針が絡まっていたそうです。鍵穴の中の針そのものに傷がついて絡まる場合もあれば、誇りなどのごみが入って絡まる場合もあるそうです。鍵屋さんの話では電気製品と同じで、鍵にもあたりはずれがあって、故障しやすい製品が多くの製品の中に混じっている場合もあるとのことでした。

 それにしてもなあ。鍵が突然にあかなくなるのはなかなかの恐怖です。 662 20070531 まだ雪をかぶっている八甲田山  青森の八甲田山はまだ白い雪をかぶっていました。今年は平地では雪が少なかったのですが、山の雪は多かったとのことでした。7月のはじめころまで、八甲田山は雪をかぶっているという話です。

 27日の日曜日、八戸は冷たい雨が降っていました。気温は8度もしくは7度という発表でしたが、体感温度はそれ以下の感じです。身体が暑さになじんでしまっているので、とても寒く感じま。青森県の太平洋側では「やませ」と言って夏の寒さがひどいのです。「やませ」を体験するのが二度目ですけど、やあ、寒い、寒い。翌日はよく晴れました。晴れると陽のあたっているところは真夏です。でも木陰などに入ると、ひんやりして、この冷たさは独特です。青森側から見る八甲田山もいいものですが、八戸側から見る八甲田山もなかなかです。山ってみる角度でぜんぜん表情が違います。

 八甲田山の中腹あたりでは、もう新緑が燃えていることでしょう。今週、法政大学の客員研究員として日本にご滞在中の姜英淑さんを青森にご案内するつもりです。
韓国では紅葉狩りを楽しむ習慣があり「丹楓観光」(タンプンカンジュ)と言います。青紅葉という言葉をうまく韓国語でも、英語でも伝えられなかったの「タンプンのこども」という言い方をしたら姜英淑さんが大笑いをしていました。八甲田山のぶなの林は世界遺産になっていますが、新緑の季節に訪れるのは久しぶりです。 661 20070527 情報機器  最初にパソコンを購入したのが95年でした。まだ日本語のヤフーのサイトもありませんでした。なんとなく便利そうな、でもどんな実用性があるのかわからない玩具みたいな道具という印象でした。携帯電話を持つようになってから8年目。カメラ付きなんていらないや!と思っていたのに、そろそろカメラの機能が高い携帯を欲しくなってます。もしパソコンがなければ、カメラ付き携帯が欲しいなんて思わなかったかもしれません。

 木曜日から、それらの情報機器が大活躍。と言いたいところですが、ちょっと機械に振り回されている感じです。地下鉄で移動中に大庭みな子さんが亡くなられたことを知らせてもらったのは木曜日の昼頃。3コマの授業をして、法政の80年館の受付で「休校措置ですね」と受付の人が電話応対をしているのを小耳に挟んだのが夕方でした。一緒にいた深野女史と「あれはきっと多摩キャンパスが休講になったんだ」と話しながら富士見坂を下って、軽子坂の軍鶏料理屋へ。姜英淑さんと韓国から来た5人の女性作家に安宇植さんを交えて会食中に「やっぱり多摩キャンパスは休講でした」という携帯メールが深野女史からありました。で、その間にもいくつかの新聞社からの電話があったのですが、「はしか」休講と大庭さんの件が入り乱れて、だんだんわけがわからなくなってきました。

 金曜日の午前中、静岡新聞の志賀さんから携帯に電話。「大庭さんの追悼文を書くんでしょ?」という質問で「いや、いまやってます」と大慌て。共同通信に約束した原稿でした。で、なんとか午前中にこの原稿を仕上げ、共同の金子さんとのやりとりは急いでいるので家デン(家の固定電話を子どもたちはそう呼んでいます)とパソコンと携帯を駆使しました。なんとなく「市ヶ谷もなあ……」という感じで学校に出てみると、とりあえずは無事。帰りはなぜかぶらぶら歩いていた坂本先生と出っくわして、ちょっと一杯。

 土曜日の朝、家を飛び出して羽田から青森に飛びました。深野女史からは「慶応が休講になりました」の情報が携帯のメールに入ってました。もし法政が休講になったら深野さんに知らせてもらうことになっていました。月曜日の授業がある長谷川先生には、休講措置が出たら私からお知らせするお約束になっていました。青森で空港を出てみると、長谷川先生の伝言が携帯に入ってました。「法政が休講になったそうです」そこで深野女史にメールをしてみると、まだ法政の休講の連絡は入っていませんでした。約束していた手はずとちょうど逆になったかたちです。で、それから、携帯メールが大活躍。授業以外の予定をどうするかという相談メールがあっちこっちに飛び交いました。最後は八戸のホテルでノートブックパソコンをネットにつないで予定の再確認。やれやれ。もし情報機器がない時代だったら、月曜日の飛行機で東京に戻って、学校の正門で「へえ、休講になってたんだ」と驚いていたことでしょう。

 いいんだか。悪いんだか。ちょっと複雑な気分。いずれにしてもくたくた。 660 20070521 日芸も全学休講だって  日芸の夫馬先生のMIXIを見ていたら日芸も全学休講ななのだそうです。にわかには信じがたくて、日芸のHPを覗いてら、ちゃんと休講のお知らせがありました。日大の文理が休講になっていたのは知ってましたが、場所は世田谷の桜ヶ丘なので、江古田とは離れているから「まさか」でした。

 ええと人間と一緒にしてしまってはまずいかもしれませんが、昨日、東京競馬場へオークスを観戦しに行ってきました。毎年恒例になっている中央競馬会のご招待です。で、オークスでも桜花賞の一着馬と二着馬が発熱のためにレースに出られず、混戦模様でした。それだけレースそのものはおもしろかったのですが、ううん?これはいったいどうしたことでしょうか?

 吉行和子さんと初めて御話をしました。オークス懇親会のおなじテーブルに吉行さんがいらっしゃったのです。私はこれまでパーティなどでお姿は何度も見ているのですが、御話したことはありませんでした。私が幼稚園の頃、NHKのお話のお姉さんをしていて、その頃からの憧れの女優さんなので「恐れおおくて」お話もできなかったのですが、吉行さんから御挨拶されて、びっくり。あと高橋洋子さんは一年に一度、このオークスの懇親会でお目にかかるのですが、ぜんぜん変わらないのです。女優さんと政治家ってのは、近くでみるといつも不思議だなあと思います。

 それで「はしか」なんですけど、法政大学はどうなっているんでしょうかねえ?私が知っている限りみんな元気で「はしか」の「は」の字も見える様子がないんですけど。 659 20070519 横須賀美術館  浦賀水道は世界でももっとも交通量の多い海域と言われていますが、横須賀美術館は、その浦賀水道を見下ろす走水にあります。観音崎とすぐ下と言ってもいいかもしれません。07年(つまり今年)4月28日にオープンしました。道路からなだらかな芝生の斜面があり、そこに新しい建材を多様した白い平屋の美術館があります。空と海との間にある美術館という感じです。平屋と書きましたが、実は地下は3階まで広がっていて、館内に入るとかなり広々とした空間が広がっています。
 景観のじゃまにならない建物。あるいは景観を一体になる建物という設計です。開館記念の展覧会は「生きる」をテーマにした現代作家のグループ展です。

 グループ展の出品者のお一人で、「うさぎとトランペット」の新聞連載時の挿絵を描いてもらった小林宣孝さんのアーティストトークを聞きに行きました。日本にいるときは潜水艦を書いていた小林さんは、バンコックへの留学をきに「お皿」を書き始めます。それから「枕」を書き始めます。お話を伺っていると人の気配が感じられるものから、しだいに人そのものを描くようになってゆくプロセスがよくわかりました。「うさぎとトランペット」のころには「眠っている人」を描いていて「私を夢見る私」や「小さな死」というタイトルが絵についていました。「うさぎとトランペット」の連載一回目で宇佐子がぱっちり目を覚ますところを描いていただいたのを思い出しました。最近の個展では髭おじさんを正面から描いたポトーレイトが印象に残っています。

 アーティストトークが終わったあと、横須賀美術館の館長の原田さんも交えて、テラスでしばらく御話をしました。浦賀水道を行くタンカー、貨物船、客船、などなどさまざまな船を眺めながらのお茶でした。レストランは六本木に本店があるイタリアンレストランだそうです。おなじテラスで犬のバグを連れた人がお茶を飲んでいました。バグは暑さでちょっとお疲れぎみでしたが、レストランのボーイさんから、タッパーに水を入れたものをもらって満足そうにしていました。ボーイさんがテーブルのお客さんに水を持ってくるついでに、犬にも水を持って来てくれたのでした。ちょっといい感じの眺めでした。でも夏になったら、ものすごく混雑しそうな美術館でもあります。 658 20070514 方の会 市川夏江さん  銀座のみゆき館劇場で方の会の「文の屋の女たち」を見てきました。昭和の初期の遊郭の物語です。10歳になるかならないかの女の子が、郷里の親からお金を無心される場面で、主人から「一度、田舎に帰って家の様子をみてきてはどう?」と進められる場面で、家に帰らずに借金を増やすことを承諾する場面は、なぜか、今この時代でもああいうことはあるよなあという気がしました。もちろん、娘の身売りなんてことはないのですが(表向きないことになっているとも言えますが)子どもは親のむたいな要求に黙って応じてしまうことがあります。昭和の初期の遊郭なら、それが親のむたいな要求だと誰にでも判りやすいのですが、今の時代では、ちょっと判りにくいかたちで、そういうことがありそうです。例えば「良い私立中学に入れ」というような要求だったりと言うと、お金の無心するのとは違うと言われそうですが、無条件で頷く子どもの心根はあまり変わりがないところがありそうです。

 脚本は座長の市川夏江さん。舞台では文の屋のやり手婆を演じています。花魁が一人、殺されたのか、自殺したのか、ともかく部屋で死んでいるのが見つかったというところから始まり、死んだ花魁の身の上が徐々に明かされた行くという芝居です。最後にやり手婆の独白は前述の無言で頷いた少女の心理と響き合って、品の良い美しさが漂っていました。古い時代の物語ではあるけれども、最後の独白を聞いていると、時代の新しい古いでは分けられない人間のプライドについて聞かされているようでした。


 銀座のみゆき館劇場はビルの地下にある小さな劇場です。芝居が終わって階段を上っていると、舞台を終えたばかりの市川さんとばったり出会いました。
「あ、米元さん」
 顔を見て、私のことをすぐに思い出していただけたようです。米元は私の母の旧姓です。市川夏江さんと私の母は中学、高校の同級生でした。
「そうです。その米元の娘です」
 そうご挨拶しました。親族を除けば、母が生きてこの世にあったことを知っている人も少なくなりました。ましてや娘時代のことにまで遡って知ってい人はほんのわずかです。母が亡くなってからもう27年になります。生きていればと、ちょっと母の年齢を数えたりしました。いつもお芝居の案内をいただいても、なかなか伺えないのですが、行くだびに、なんだか若々しく、品良く、美しくなられる市川夏江さんです。 657 20070512 ややや、上智大学は全学休校だって  ネットで「はしか」のために、上智大学は全学休校に入っているというニュースを見つけました。上智大学と言えば、私が勤務している法政大学とは、お堀伝いにお隣どうしのようなものです。電車の駅も飯田橋・市ヶ谷と四谷は並んでいます。ということは……。

 前兆というのか、大学院生が次々とおたふく風邪とかはしかなどの子どもがかかる感染症にかかったと聞いて驚いたのは、昨年の夏休みのことでした。そのときの説明では、大学院生は学習塾や予備校など、若い人が多い場所でアルバイトをしているので、そういう場所には子どもがかかりやすい感染症の菌がいっぱいいるんだという話でした。菌の濃度が高いので、大人(この場合は大学院生)も感染しやすくなるっていう話だったのです。

 連休前にやはり大学院の講義の途中で「首都圏ではしかがはやっているみたいですよ」という話題が出ました。そのときは何気なく聞いていました。春から晩春、初夏にかけては感染症の季節で、子どもが保育園に通っていた時には、毎年、なにかしらの感染症で登園停止になっていました。そういうふうに病気をしないと免疫力がつかないのですが、それが判っていてもそのたびにあわてふためいていました。

 大学が「はしか」で全学休校になったなんて話は初めて聞きました。全体に免疫力が低下しているとか、あるいは、感染症の菌のほうが強力になっているとか、そいう変化があるのでしょうか? 656 20070510 びっくり、びっくり。  ここのところずっとパソコンをいじっていました。いや、私がいじっているのではなくて、ここ(豆畑の友)の管理人の豆蔵さんとうちの息子がいじってくれていました。で、これから始まる新聞連載に備えるという意味もありました。その新聞連載ですが、はじまりは8月頃にずれ込みそうです。

 で、ここ二日の間に、二度びっくり。最初は牛丼パソコンがネットにつながらなくなってしまいました。ああ、これはえらいことだ!うちの馬鹿息子はなにをやらかしたのだ!考えるよりも先に怒りがこみ上げてきました。なんか、私の頭の中では我が息子が中学生で成長を止めてしまって、(ほんとうはもうちょっと分別のある25歳なのですが)それで、きっと何かの作業を中途半端に投げ出したに違いないと腹を立てたのでした。
 結果は牛丼パソコンとモデムのラインがつながっていないという単純なもの。しかもよくよく思い出してみるとラインを切ったのは私でした。

 二度目のびっくりは、これまた牛丼パソコン。今度は電源が入らないのです。スイッチを押してもおしても真っ暗のまま。あの特徴的な唸りも聞こえてきません。うんともすんとも言わないのです。これまた、電源のコードが抜けていました。なぜ抜けたのか?その原因はわかりませんが、息子に言わせると、セットアップのために本体を動かしていたから、ゆるんだのではないかということでした。ううん。名前がなあ、名前が名前だけにあんまり信用していなくて、すぐ不安になっちゃうんだなあと。こう年中驚かせられるのは、ほんと心臓に悪いです。 655 20070508 うなる牛丼パソコン  前のパソコンがだめになったのは確か二月の末か三月の初めでした。それから、ノートブックPCをしばらく使って牛丼パソコンを買ったのは4月1日。うそじゃないって。うそみたいな日に買ったせいでしょうか? これが唸るのです。牛丼だけに。いや、そんなことはないか。

 ぶいんん。ぶいんん。ぶいんんんん。ぶいんんんん。てな具合で、長時間使っているとだんだん音は大きくなってきます。やや不安。音そのものは、私はあまり気になりません。音がしていることが正常なら、なんとなくその音になじんでしまいます。前にぎゃってぎゃっていパラぎゃっていと般若心経を唱えるプリンターを使っていましたが、あれもちょっと好きでした。今のプリンターは静かです。ただ、その音が何かの不具合であることを恐れているのです。仕事の最中にもし「ばきっ」なんて音がして、PCが使えなくなるなんて悪夢以上ですから。今度も前のPCが使えなくなって、なんとか仕事がスムーズにできるようになるまでに、なんと3ヶ月かかりました。

 パソコンって早め早めに入れ替えを考えて行かなくちゃならない道具なのかもしれません。牛丼でちゃんと超漢字Vが使えるようになりました。印刷もできればメールも送ることもできます。超漢字の特徴であるたくさんの漢字表記ができるという点は、一年間、歴史小説を書いてみるといろいろな場面で威力を発揮してくれることと思います。もちろん不具合も出てくるわけで、それはそれでおもしろそうだなあって思っています。

 牛丼パソコンを買ったのは、もちろん安いということもありますが、ウィンドウズXPを使いたかったからです。家の近所の電気屋のPCはどれもウィンドウズビスタになってしまっていましたから。私にとってこれも何か納得のできない話で、使いやすいOSの使いやすいバージョンを選ぶことができないというのは、なんだか道具としては不親切だなあと感じています。単純な筆記具だともっといろんな品物をいろんなバージョンで選べるのにって、やや、不満を感じているところです。もっとも、その筆記具も最近ではモデルチェンジが早くなっていて目まぐるしい感じがしていますが。 654 20070502 ビロードのうさぎ  池袋のリブロの児童書の売り場の前を歩いていて、ショーウィンドに「ビロードのうさぎ」があるのを見つけました。「ビロードのうさぎ」ってあの「ビロードのうさぎ」かしら?と思わず店内に入ってしまいました。まさしくあのビロードのうさぎでした。クリスマスにプレゼントされたビロードのうさぎ。で、プレゼントされた男の子の良い友達になるのですが、男の子が熱病にかかって命を落としかけます。男の子は無事回復するのですが、ばい菌がたくさんついているだろうビロードのうさぎはそのほかの持ち物と一緒に焼き払われることになるという物語です。

 ブロンズ新社というところから出た本で、抄訳と絵は1966年生まれの酒井駒子さんという人です。だから私が持っていた「ビロードのうさぎ」とはまった違う本ですが、買ってしまいました。孫と読むぞ!いや、ちょっと気が早い感じもしますが。この本、うちの子供たちが小さい時に探したのですが、どこにもありませんでした。それから自分の持っていたはずの「ビロードのうさぎ」ですが、こっちは記憶が怪しいのです。どこの版元のどんな本だったか覚えていないにもかかわらず、絵柄の感じがぼんやりと頭の中に残っています。だから、自分の本ではなくてともだちの家で見た本なのかもしれません。あるいは幼稚園にあった本かな?とも考えてみるのですが、それも定かではないのです。どこで読んだのか場所の記憶が消えている本です。子どもの時い読んだ絵本で場所の記憶が消えている本というのは、私にとってはかなり珍しいものです。

 池袋へは共同通信から依頼されたコラムを書くために新潮文庫の「室生犀星詩集」を買いに言ったのです。25歳くらいの時に、中学生、高校生の時、読んだ本をいっぺんに処分してしまったことがあります。室生犀星詩集もその時に古本屋さんに売り払ってしまった一冊ですが(集英社のシリーズものの一冊の室生犀星集は売り払わずに今でも持っています)なんだかこのごろ、中学生の時高校生の時に読んだ本をまとめて読みたくなっているのです。ついでに新潮文庫で堀口大學訳の「青い麦」も買ってきました。これも中学生の時に読んだ本。というか、それで小説を書き出したという本です。こちらは週間新潮のコラムのため。表紙が昔と同じ緑色をしていました。それで帰りに「ビロードのうさぎ」に呼び止められたというわけです。この本は2007年の4月に出たばかりの本なのに、どうしたわけか慨視感があります。なんでだろう? 653 20070429 このごろ食べたもの 「あ、そのブッシュを残しておいてね」
 午前様、朝帰りを通り越して昼過ぎに家に戻った娘があわただしくまた出かけて行くときに、台所のテーブルの上をさしてそう言いました。
「ブッシュ?はて?ブッシュとは何?」
「ほら、そのブッシュ大統領が喉に詰まらせて死にそうになったパン」
 ははん、ビアプリツェルのことか。イラク戦争開始前の話ですから、もうずいぶん前のことになりますが、ブッシュ大統領がプリツェルを喉に詰まらせて気絶するという出来事がありました。ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか?娘はそれ以来、ビアプリツェルと言わずに「ブッシュ」と呼んでいるそうです。塩味の乾パンで、「め」の字みたいな形をしています。ブッシュ大統領がこれを喉に詰まらせたときは、イラク戦争反対派が、世界中から、これをホワイトハウスに送りつけたとのことでした。

 大阪に行ってきました。新聞小説のために堺の街を半日ほど歩き回ってきました。取材というよりの、まあ、歩き回るだけでしたが。で、大阪土産は例によって「昆布」です。なんで例によってなのかと言えば「昆布は大阪が旨い」という偏見を私が持っているからです。なんだかそんな気がしてます。新幹線に乗るために出た新大阪駅で昆布詰め合わせを買ったのですが、「くぎ煮」も発見しました。「新物 タッパー入り」の文句が。
 以前、歌人の道浦母都子さんに聞いた話では、この「くぎ煮」の季節になると、「くぎ煮」にする小魚を生協でも予約をとって販売するそうです。で、それどれの家で甘辛く「くぎ煮」にして、タッパーでよその家にもおすそわけするという習慣があるそうです。
 だから「タッパー入り」に意味があるというわけ。
 「のぞみ」で東京に戻り、そのまま法政大学へ。助手のF女史は「昆布としいたけは親の敵というくらい嫌い」と判って、ちょっとがっかりしているところへ、昆布大好き女を自認するSさんと小魚大好き男のM君がやってきて、なぜかお弁当を食べ始めました。
 そういえば、今年春、卒業したもうひとりのM君が文章表現の先生を唸らせた(感心させた)のも「くぎ煮」の話でした。

 大阪へ行く朝のことに話は遡りますが、家を出る直前に宅急便が届きました。かなり重量のある段ボール箱で「はて、何だろう?」とあけてみると、これがたけのこ、たけのこ、たけのこ、大小合わせて、10本もありました。「ややや!」です。
 熊本で私が「たけのこ、たけのこ、たけのこ」と騒いでいたのを熊本近代文学館の馬場さんが覚えていてくれて天草に住んでいるご両親から送っていただいた物でした。
 「ややや、これは大変だ」
 せっかくの掘りたてのたけのこです。早くゆでなくては!しかし、ああ、どうしよう、新幹線に乗らなくちゃと騒いだ挙句に、大きな物二本は近所のとんかつ屋さんにもらってもらうことにしました。で、息子にとんかつ屋さんへのお使いを頼んで、新幹線に飛び乗りました。
 残ったたけのこは、翌日の夜、大阪から帰って(法政大学経由です)ちゃんとゆでました。で、おいしくいただきました。鮮度が良いので、ものすごく歯ざわりの良いたけのこでした。
「たけのこのおいしさが判らないなんて、天罰がくだるぞ!」
 というのがうちの娘の意見です。
 でもまだお礼状を書いていません。馬場さんどうもありがとうございます。ご両親によろしく言っておいて下さい。今夜、かならずお礼状を書きます。ほんとにお礼も言わないうちにおいしく食べてしまってごめんなさい。

 池袋の東武デパートにある一保堂に新茶を買いにいったら、新茶が出るのはゴールデンウィークが終わった頃です」と言われました。一保堂のお茶は宇治でも京都に近いほう、つまり北(店の人は上と言ってましたが)のほうの露地で作っているので、出回るのが遅いのだという説明でした。遅いというよりもそのほうが余り前なのでしょうけれども。八十八夜までもうすぐですから。 652 20070423 坂村健先生に会う  久しぶりに、たぶん1年ぶりか2年ぶりか、坂村健先生にお目にかかりました。お元気で、今度はコンピューターの話はなしでもっぱらワイン談義でした。そこで話題になったのが「スシポリス」問題。日本の農水省が「正しい」日本食レストランを認定しようとしたところ、アメリカのマスコミから「スシポリス」と揶揄された一件です。坂村先生は毎日新聞のコラムでこの騒動に触れていて、そのコピーをいただきました。

 私も「正しい」日本食を農水省が認定するというニュースをネットで見ていました。農水省は「スシポリス」と揶揄されてトーンダウンしてしまいましたが、正直言って食べ物に「正しい」というのはややずれた発想だなと思いました。食べ物なのだから「おいしい」でしょう。もっとも、農水省が考えていたのは「正統派」の日本食ということのようでした。「オーソドックス」ということでいえば「正しい」よりも「正統派」とか「純粋な」とか「直伝の」とか、いろいろな言い方があったはずです。非難されたら、それは説明の良い機会だと考えるような柔軟性がほしいなあと思いました。で「正統派」の日本食も楽しむし、伊藤比呂美さんのお気に入りのカルフォルニア巻きのような日本食から発生したバリエーションも楽しむという感じを生み出せばいいのです。でも○か×かという発想が裏に感じられたので、なんだかいやだなあって感じがしました。

 「オーソドックス」も「バリエーション」も楽しむという点では坂村先生と意見は完全に一致しました。つまり○か×かではないのです。坂村先生も毎日新聞のコラムに書いてましたが、基準というものについての感じ方がなんだか○か×かになってしまいがちです。そう言えば、○×式大学入試の弊害なんてことが言われたのは1951年生まれの坂村先生が大学入試を受けた頃ではないでしょうか?今頃になってほんとうにその弊害が出ているのかもしれません。なんて話にはならずに、話題はひたすらどうやって、さまざまな味わいを楽しむかという方向へ行きました。いや、ほんとうに楽しい一夜でした。ワインの香りについてのお話もおもしろかったし、いかに日本の和食がフランスのニューベルキュイジーヌの料理に影響を与えたかという話題も愉快でした。終いには日本食に造詣の深い外国人を表彰しちゃおうってな話にまで発展。

 その日本食、いわゆる和食ですが、大正時代にものすごくフランス料理の影響を受けたのです。時代はめぐっていて、相互に良い影響をしあうというような感じになっているのでしょう。そういう現実の共同作業を役にたって、しかも人を楽しくするような、そういう政策をやってほしいんですけど。無理だとは言いません。きっとこれからいろんな意味で贅沢を知って世代がお役所の上のほうのデスクに座るようになったら実現するでしょう。 651 20070418 ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。  ノートブックパソコンを家の外に持ち出してみました。実はこれが二回目です。3月にも静岡にノートブックを持って行ったのですが、このときはケーブルを忘れて、ネットには接続せずに、たんにワープロとして使用しただけでした。今度は、豆蔵さんに秋葉原についてきてもらったときに買ったケーブルを持ってきました。

 で、なんとなく使ってみているのですが……。やっぱり万年筆とは勝手が違います。ええと、ホテルの部屋に入るとここは原稿が書けるかなって反射的に考える癖ができていて、たとえ原稿がなくても「あ、この部屋で原稿を書いてみたいなあ」と思う部屋があります。居心地の良い部屋です。日本のホテルや旅館はそういう部屋に通されることはめったにないです。たいてい寝るだけっていう作りになっています。で、ノートブックですが、そういう勘? みたいなものがどうもしっくり働きません。まあ、原稿がせっぱ詰まっていれば、どこでもどうにでもなってしまうんですけど……。なんていうのか、マシーンも部屋も、自分の三者三様に戸惑っているという感じです。ま、ちょっとずつ慣れていくしかないですね。とは言え、工業製品というか、電気製品(パソコンの場合はいずれでもあるわけだけれども、いずれと呼んだらいいのか解りませんが)って、なんというか、この「慣れ」ができるまえにモデルチェンジしてしまって、それも戸惑いのひとつになっています。

 長く使える物っていうのがだんだんなくなってきていて、自分もそれにならされているようです。着るものがそれで、あんまり長く着なくてもいいやっていう気になっています。それでも気がつくと5、6年は着ているんですけど。

 仕事をするために、道具に一生懸命慣れようとすると、だんだんと自分のものの感じ方が変わっていくのに驚いたりしています。物に愛着とか執着を持つほうだったのが、そういう感じ方が薄らいでいくっていうのか、そういう自分の変化を感じます。頑固に手書きの原稿だけでやっていくっていう方法もあることは解っているんですけど。そういう頑固は歳をとってからやればいいやと思っていましたが、どうもパソコンというマシーンは歳をとってからが頑固モードに入ることを許してくれないような予感がしています。あるいはこの予感は的中せずに、技術革新の時期が終わって、ある程度、パソコンの機能が安定してデザイン的な洗練もひと段落して、落ち着くなんて時期もくるのかもしれません。いったいどっちなのだろうかしら? 650 20070413 スタッフルームに入れないよ(泣)  例の牛丼パソコンからスタッフルームに入ろうとするのですが、どうしてもスタッフルームに入れません。気拒否されてしまいます。どうして?どうして?何で?何で?豆ちゃんどうしたらいいんだろう?

 ひょっとしてスタッフルームの内側から鍵かけたりしているんでじゃないでしょうねえ?んなことはないか。そういうわけで、もしスタッフルームに書き込みをした方がありましたら、お返事できないのですが、許してください。どうにかして、スタッフ・ルームに入れるようになってみせようと思っています。

 あ、もう一台のノートブックパソコンからはきっと入れるんでしょうけれども、そっちはまだ試していません。配線をつなぎ直すのが、ちょっと手間です。 649 20070409 ボタンホールの桜  なんだか騒々しいようなさびしいような今年のさくらが散ってゆきます。さくらは花びらがひとひらひとひら散るのですが、強い風に吹かれると、ひとつの花がまるごと散ってしまうこともあります。散るというよりも花の首が折れるといったほうがいいのでしょうか?

 そういうふうに、まるごと飛んできたさくらの花を「ボタンホールにさしてはどうか」とゼミのお花見の時にすすめると前ゼミ長は真面目な顔でボタンホールにさくらの花をさしていました。これがなかなかよく似合うのです。ボタンホールに花を挿すというのは、翻訳小説を読んでいておぼえた手です。ボタンホールでなければ胸ポケット。カットと縫いのしっかりした男性の上着でなかければできない業(わざ)ですね。そういえば、卒業式前の追い出しの飲み会の時には、4年生の男性諸君はそれぞれに違う色のガーベラの花を一輪づつ胸にさして現れました。駅の花屋さんで思いついて、一人一本ずつ買ったんだそうです。なかなかやるものです。選んだ花の色がちゃんと個性とあっていました。

 なかなかやるといえば、しょっちゅう、法政のゼミに遊びに来ていた日大OBのN君。今日は卒業式と携帯電話で聞いて「ちょっと待ってて。内緒にして待ってて」と言って、学位授与式のある教室の前に駆けつけたそうです。で、卒業生に一本づつ祝福のバラを差し出したとのこと。これもなかなかやるわい!でした。私は卒業生の皆さんから、オールド・ローズと観葉植物を組み合わせた豪華な花束をもらいました。風の強い日で、花束を持っていると吹き飛ばされそうになりました。気の早いさくらがもう満開というくらいに咲いていた晩です。さくらは年をとった木から咲き始めるのだと聞いたことがあります。あれから二週間。学校の雰囲気はがらりと変わって新入生が右往左往しています。 648 20070408 牛丼パソコン  もう一週間も前のことですが、秋葉原に行ってきました。パソコンを買って、デジタルカメラを買ってそれから電子辞書を買って、ええとええとって感じです。

 牛丼ってパソコンを買いました。ちゃんと段ボールの箱に「牛丼」って書いてありました。まさか、丼型をしているなんてことはないかしら? とおそるおそるですがあけてみました。黒い小型のパソコン本体です。「並盛り」とか「特盛り」とか「大盛り」なんてグレードがありました。機械音痴の私にこんな怪しげなパソコンを買う能力はないので、豆蔵さんにお供をしてもらいました。昔ね、五木寛之の小説に「男だけの世界」というのがあって、その文庫本を放り出しておいたら、なぜか私の母が猛烈に「くだらないものを読むな」と怒り出したことがありました。そんなに「怪しい」小説じゃなかったんですけど。たぶんタイトルに刺激されたんじゃないかしら? で秋葉原の牛丼パソコンを売っているお店は「男だけの世界」って感じです。売り場をよっく見るとお客さんには男の子以上の男っぽい女の子や、お姉さんも混じってはいるんですけど。

 牛丼パソコンはあくまでもパソコンの本体だけなのでOSやアプリケーションは自分でいれなくちゃいけないということで、昨日、豆蔵さんはふたたび我が家に出張してきてくれました。OSがウィンドウズXPと超漢字Vを入れてもらいました。超漢字Xは秋葉原駅前の巨大なヨドバシカメラで買いました。本屋で言うと平積みのような具合になっていて、けっこう売れていました。で、今日、その超漢字を開いてみると、原稿用紙の升目が入った用紙が見当たりません。探し出すのにけっこう時間がいるかもしれません。ウィンドウズのほうはメールの末尾に自分の名前とメールアドレスを入れたいのですが、これがどうしたらいいのか判りません。さらにメールを印刷しようとすると、これもまた駄目。さてどうしたものか?

 超漢字はたくさんの漢字が使えることが特徴のひとつですから、歴史小説を書くにはぴったりで(たとえば人の名前なんか、これなしにはできないでしょう)どうしても静岡新聞の連載を始める前に、使えるようになりたいです。超漢字に搭載されている統合辞書もかなりつかえそうなので、なんとしても、仕事に使用できる状態までパソコンを飼いならす(いや牛丼だけに食いなれるかな?)必要があり、ややあせりぎみです。自分のパソコンだけではなく、原稿を受けるほうとの兼ね合いもかんがえなくちゃならないし……
 わーい、豆ちゃん、助けてよ! 647 20070406 青森で雪に降られました。  4日午後、東京から八戸まで新幹線で、八戸から青森までは在来線でというルートで青森を往復してきました。

 東京駅を出るときにふっと丸ノ内方面を見ると、出来上がったばかりの高層ビルの壁面のガラスに黄色みを帯びた黒雲がもくもくと写っていました。へんな空模様だなあと思うまもなく、青い稲光がぴかぴか、大粒の雨が降り出しました。この雷雨の様子は夜のニュースでもやっていましたけど、黄砂はあまり話題になっていませんでした。ソウルは高校まで閉鎖になるほどのひどい黄砂に襲われていると聞いたばかりですが、東京に雷雨をもたらした雨雲にも黄砂は混じっていたようです。

 途中、盛岡あたりはすばらしい夕焼けでしたが、青森では白いものが舞っていました。寒いこと、寒いこと。冷え込みが厳しいのは想像以上でした。翌日の朝にはうっすらと白い雪が積もったそうです。そのころはまだ寝てましたけど(笑)いつだったか4月20日ころに北海道で雪に降られて震え上がったことがありました。東京の桜の頃って、北国ではまだそんななのですね。仙台あたりでは梅の花が咲いていました。福島あたりでようやくちらしら咲き出した桜をみかけました。関東平野に出てくると、これはもう花盛りという景色を帰りの電車で見ました。 646 20070402 騒然、雑然。今年の桜  東京會舘で結婚式がありました。日大の卒業生で私もお招きに預かりました。皇居前広場から宮内庁にかけての桜がよく見えました。東京は花盛りです。

 冬が奇妙なくらい暖かかったし、ところによってはもう25度を超える夏日のところもあって、なんだか今年の桜は雑然として見えます。こぶしの花も咲いているし、花にらも咲いているし、ムスカリの咲き出してしまっているしで、冬から春へ咲く花と春の終わりを飾るはずの花がみんな開いているなかに、桜が割り込んだような感じで、花盛りのありがたみがやや薄いような、そんな気がします。桜の花が咲くとこれでもう「冷える」日はあっても「寒さ」とはお別れだという安堵感があるのですが、そうした安堵感に乏しいのです。

 で、「お花見」にゆきたいなあと言う気持ちもいまひとつ盛り上がりをかいていましたら、ゼミ生の皆さんがお花見をするという連絡を受けました。それはいいや!でも今週末まで桜は残っているかしら? 645 20070330 名刺の注文  息子に名刺を作ってくれと言われました。会社に入ると名刺を作る人が多いのですが、会社の作ってくれた名刺をそのまま使うのが一般的だということを私は知りませんでした。私の名刺はずっと前から決まったお店で作っています。

 ある時、知人と銀座を歩いていて、名刺が刷り上ったという連絡を受けたことを思い出しました。それで、「ちょっと寄ってとってくる」と言ったら、会社を辞めたばかりの知人がしきりの「え、勤めてないのに名刺を持っているの?名刺って個人でもつくれるの?」とへんな感心の仕方をしたので驚いてしまいました。会社に勤めていない人間は名刺を持っていないと思い込んでいたのですね。社員証はもってませんけど、名刺は小説家のような仕事でも必要な時があります。肩書きに「小説家」とか「作家」と書くのはへんなので、肩書きのない住所と氏名だけの名刺です。
 この肩書きなしの名刺を出すと「僕も肩書きなしの名刺って持ってみたいなあと思うときがありますよ」と言ってくれる人がいます。個人で名刺を持っていることに驚く人もいれば、肩書きなしの名刺に憧れる人もいるんですねえ。

 自分の名刺の注文を出すとき、息子の名刺も注文しました。息子はいちばん安い紙にして、なんとなくそうしたかったので。で、肩書きもなし。今日、息子の名刺の校正刷りがファックスで送られてきました。「Horn」って入れてと言われて、ああ、そうかと気づきました。音楽の場合は専門の楽器の名前を肩書き代わりにいれたりするんです。でも「Horn奏者」ってのはちょっと恥ずかしいのだそうです。まだそんなに仕事がないからっていう意味もあるかもしれません。でも、言われてみれば音楽会のパンフレットにも「Horn」って書いてあって、「Horn奏者」とは書いてありません。名刺のいろいろですね。

 週明けから新しい名刺を持って歩く人もたくさんいることでしょう。 644 20070326 大学卒業と学位は別。  大学を卒業すれば学士の学位はみんなもらえるものだと思ってませんか?私もそう思っていました。一応、卒業と学位は別のものだって理屈は知ってましたけど。まさか、それがセットになっていない学校があるなんで想像もしませんでした。が、あるんです。うちの息子、音楽大学を卒業しているのですが(これは間違いない。なにしろ追試験で大騒ぎになったんだから)でも「学士」の学位は持ってません。なんでも「概論」(かれの場合は音楽学概論です)を履修してないと「学士」にはなれないのだそうです。

 「概論」が必修じゃない学校があるなんて、想像を絶してましたが、彼の学校は概論は必修じゃなかったんですって。「概論なんて誰も履修しないよ」って言うんですけど。演奏をするのに「概論」なんてどうでもいいんでしょうけれども。これを思い出したのは、今日は娘の卒業式なので、朝、「学位記」の話をしていて、そういえばお兄ちゃんの「学位記」って見たことないなあと言ったら「お母さん、忘れたの?僕は卒業しているけど、学位はとってないんだって言ったでしょう」と言われて3年前の驚きを、そのときと同じくらいの衝撃で思い出しました。就職などの時に必要になるのは「卒業証明書」だとか「成績証明書」などなので、「学位」って、とくに学士の場合は儀式というか気分というかそういうもんなのですが、そうか、うちの息子は学士じゃなくて楽師になり損ねているのかって、なんだか複雑な気分。 643 20070325 桜が咲き始めました。 法政大学 日大芸術学部の皆さん
卒業おめでとうごさいます。

 皆さんは言葉を使って人生をより豊かにする術を、学びました。これから皆さんの学んだことを、自分のためだけではなく、ほかの人のためにも活かしてください。それが社会にでるということの意味だと私は思います。誰かを笑わせたり、誰かを慰めたり、誰かの怒りを静かに伝えたり、誰かとともに哀しむためには、言葉というものが、通路になり、航路になり、空路になるのです。言葉に息吹を与えるのは皆さんのおひとりおひとりの心であり、胸であり、腹であります。皆さんの暖かな血が言葉の中に通うとき、言葉は意味を帯びるのです。それぞれの道を歩み、そして、それぞれに出会ったことを物語や詩で聞かせてくださる時がくることを楽しみに待っています。御卒業おめでとうございます。 642 20070323 もうすぐ桜?  なんだかここに来て寒い日が続いたので、ちょっと気がふさいでいました。気がふさぐって言っても、10代20代のころみたいにどうっとふさぐってことはなくてほどほどです。それで思い出したんですが、若いときにどうっと気がふさいでいると、思いっきりおばさんに馬鹿にされました。ああいうおばさんになりたくないなあって思っていたんですけど、なっているんでしょうかね?まるで自分の努力で修行して気がふさがなくなってと言わんばかりの態度でした。でも、修行っていうよりも身体的変化みたいな感じがするんですけど、どうなんでしょうか?

 お天気の変化なんかで気がふさいでいたりしたら、血圧は上がるし、きっとそのほかにもいろいろ欠陥が出て病気になっちゃうんで、身体が防御反応をとっているだけみたいな、そんな気がしていますけど。

 もうすぐ桜です。東京はちらりほらりと咲き出しています。卒業式には咲いちゃうんじゃないかなって、暖かな冬でしたが、まるで劣等生の試験みたいに、春直前で帳尻を合わせた寒さで、桜も困ってるんじゃないでしょうか?でも、どうやっても来週には桜が咲きそうです。 641 20070320 町田に行く  町田の文学館でお話をするために町田まで小田急のロマンスカーで出かけました。そのまま箱根まで行って温泉につかっていたいなあって感じがしました。ここのところ、東京は初雪が降るほど寒いので、少し気がふさいでいて、余計に温泉に行きたかったのかもしれません。初雪と言っても白いものがほんの5分間くらい舞っただけなので、私はその雪を見ていません。小雪が舞うような冷え込みなのに、桜の花は日一日と蕾を膨れませています。来週には咲き出すでしょう。

 町田の駅で電車を降りるのは、駅名を「はらまちだ」と言っていた昔までさかのぼらなくてはなりません。駅前はずいぶん賑やかになっていましたが、駅からそれるとまだ街道沿いのさびしいところもあるようだなと文学館まで歩きました。久しぶりに吉目木晴彦さんとお目にかかりました。文学館でお話をして、それから吉目木さんと少しお話をして、帰りはまた小田急のロマンスカーで帰ってきました。東京の西の郊外って、なんだか風がびゅんびゅん吹き荒れる感じが、どんなに賑やかになったても残るものだなって思ったのは、ここのところの寒さでやや気がふさいでいるせいかもしれません。 640 20070318 大原まで  家を建てるつもりでいる大原まで行ってきました。デジカメが壊れちゃっているから写真は撮影できませんでした。東京を出るときにはまだ雨は降っていなかったと思うのですが、大原の駅は少し濡れていました。大きな雨粒の雨が、数でも数えるようにぽつんぽつんと背や肩それに頭に降りかかりました。

 敷地の西側のがけに生えていた木を切ってもらっているところです。工事のためには、この崖の木を切らなければならないのが少し惜しいです。というのも直径15センチくらいの幹がある椿は、山桜、椎の木などが思い思いに生い茂っている崖ですから。椎の木には自然に椎茸が生えていたそうです。
「切り株からまた芽が出ますよ」
「切り株から芽が出て生い茂るころには、私はおばあさんですね」
 「あはは。」
 時間が螺旋に進んで行く、そういう感じがこのごろはしきりにします。もう20年くらい昔、にも誰かと同じような会話をした記憶がありました。ええと、あれは誰とだっけ?と考えていたら、館山にある父母のお墓を思い出しました。お墓は山の斜面にあるのですが、ある時、母が斜面に生えていた大きな椿の木をさして「この木がなければ海がよく見えるのに」と、たまたま墓参りに来ていた隣の墓の家の人に言ったのだそうです。すると隣の人は「ああ、そうですね」とうなづいて、それから三日ばかりして、墓地の行くと椿の木はみごとに切り倒されていて、母を驚かせました。隣の墓地の人の人の仕事が元は樵だったと知ったのはその後でした。
 「樵じゃあしょうがないなあ」て半分呆れたように母が話していました。で、その母のお骨をお墓に収めてしばらくたってから「切り株が残ってますからまた生えてきますよ」と樵さんが言ってくれたのです。

 崖の木を切って、昨日、燃やした熾きが、敷地の中で今日もまだ暖かくともっていました。お芋をアルミホイルに包んでん投げ込んでおけば、こんがり焼けそうなとぼり方でした。 639 20070315 悲惨な生活  「眠眠打破」と回転すしで生きてます。なんで回転すしなんだ?とお思いの向きもあるかと存じますが、なんと言ってもこれが一番早くご飯を食べて勘定ができるから。 638 20070314 富士山こんにちは。  東名高速を飛ばして静岡まで行ってきました。富士山こんにちはです。翌日、安倍川の土手を画家の宮本恭彦さん、司修さんとちょっとだけ歩いてきました。川風の猛烈に冷たくて、意気地なしの私はそうそうに車の中に逃げ込んでしまいました。

 司さんが「やっぱり富士山はてっぺんが平らじゃなくちゃねえ」と言っていました。安倍川から見る富士山はてっぺんにちょんとしたトンガリがあるのです。なんだかかわいらしいようなトンガリですが、司修さんにとってはそのトンガリがものすごく気になるらしいのでした。山は見る方角によってすごく姿が変わります。

 帰りも東名で帰ってきました。静岡のインターをあがるとすぐに富士山が見えて、そのままずっと富士川まで富士山を眺めながら車を走らせました。春先だというのにこんなにずっと富士山が見える日も珍しいです。なんだかちょっと得した気分。富士山ってのはやっぱりちょっと特別です。出たり消えたりするところがいいなあって、思います。法政大学のビアソナードタワーから見るよりずっと大きな富士山でした。あたり前だけど、100キロの速度で眺めるとどきどきします。 637 20070310 潮の満ち引きと月  潮には大潮、小潮、長潮などがあって、月に満ち欠けと連動しています。お彼岸前の潮は大潮までは行きませんが、それでもかなり大きな満引きがあります。

 春の海。そういっていい時期で、沖縄では「ハマウリー」という行事や「清明祭」という行事があると聞いています。海岸に下りて、禊(みそぎ)をするのだそうです。有明海でも岩場で岩海苔をとる人の姿をみかけました。海の中にも春が来て、海苔やわかめなどの海草が育つ季節です。が、なぜか熊本では半そでで歩いていました。とても暑かったのです。こんなお天気はやっぱり珍しいということでした。ようやく冬が過ぎて、やや肌寒いくらいの風が気持ちよいという春の陽気ではありませんでした。

 干潟が広がる海辺へくるとそのたびにやっぱり鈍くなっているなあと感じざるおえません。月の満ち欠けと潮の満ち引きに鈍くなっています。天と地とが連動して作り出している時間感覚の外で出てしまっている感じです。2月はパソコンは壊れるわ、時計は修理に出さなくちゃならないわで大騒ぎ(すごく個人的に)でしたけれども、そのおかげで一ヶ月ほど、腕時計なしですごしました。でも、それで潮の満ち引きや月の満ち欠けに敏感になったわけでもありません(笑) 636 20070308 昼寝をする海  12月に有明海の岸を車で走ったときには、潮が満ちていましたが、今度は干潟が遠くまで現れていました。春の大潮の季節です。干満の差がいちばん大きくなるのは、お彼岸のころでしょうか?子供のころは家に潮見表などがあって、干満の差を気にしていましたが、このごろはすっかり鈍くなっています。干潟を「ガタ」と呼ぶのだそうです。

 潮が引いて、海の底の砂地には小波の模様が残っています。蟹がたくさん、横歩きをしていました。濡れた砂が日に当たると、磯臭さが一層ましてきます。有明海の干潟はかなりの広さで、どうかすると水平線まで干潟なのではないかと思われるくらいです。向こうに島原半島と雲仙が見えました。海苔がとれるのは、こうした干満の差が大きい海なのですが、諫早湾の干拓で、海苔がとれなくなったというニュースがあったのを思い出しました。有明海では、まだ海苔粗朶を使っていて、干潟の向こうに、粗朶が並んでいました。

 広い干潟を見ていると「海が昼寝をしている」ような気がしてきます。 635 20070306 青い海 青い空 青い麦  熊本に行ってきました。新聞連載「ジュリアおたあ異聞」の取材です。宇土半島から天草西海岸までをめぐってきました。ご案内いただきました熊本近代文学館の馬場さん、熊本日日新聞の勝木さん、それに熊本にお帰りになっていた伊藤比呂美さん、インスピレーションにあふれたガイドをしていただいて、ほんとうに感謝しています。どうもありがとうございます。

 今回は挿絵を描いていただく宮本恭彦さんもご一緒しました。宇土から大矢野のあたりは「浦賀や田浦にそっくり」とおっしゃっていたので、ほんとうれしくなってしまいました。三浦半島は開発が進んで、昔の内海の眺めは少なくなりましたが、それでも、天然の良港であった地形の名残はあります。宮本恭彦さんはずっと三浦半島の田浦に御住まいです。「なんだかうちに帰ってきたみたいだなあ」という感想は、私が最初に大矢野に案内してもらった時と同じでした。

 宇土半島は麦の葉が伸びる季節。「ジュリアおたあ異聞」の前半の重要人物である小西行長は宇土の領主だったのですが、五島にいた松浦一族と組んで小麦粉の貿易をしていたようです。小麦貿易の利益が宇土城建設の費用になったと推察されています。宇土から天草は海のいろいろと言いたくなるくらいに、様々の海の様子を見せてくれる地形をしています。

 宇土半島の北側は干潟で有名な有明海、南側は不知火海、有明海と不知火海の間に私や宮本さんが「浦賀にそっくり!」と思った島と入り江の多い海域があり、天草に渡って西海岸まで出れば、そこは東シナ海です。伊藤比呂美さんは大波がじゃばんじゃばんする外海の眺めを見たいのだそうですが、どういうわけか、伊藤さんが東シナ海の見える場所まで行くと、かならずベタナギになるのだと言ってました。海の神様か、空の神様か、どちらか判りませんが、伊藤さんには親切? なようです。伊藤さんのおかげで青空の広がるベタナギの東シナ海を見ることができました。 634 20070302 もう桜?  娘が伊豆に旅行しました。そのときの写真を見せてもらったのですが、あちらこちらで桜が咲いています。伊豆にはもともと早咲きの桜がありますから、そういう酒類の桜ではないかと思ったのですが……。東京都内でももう桜が咲いているところがあるとゼミの学生が話していました。ほんとうにもう桜なに?わが目で見るまでは信じられない話です。

 ここ数日、寒い日が続いています。例年にくらべればたいした寒さではないのですが、足が冷えてスリッパが欲しい寒さです。以前は靴下が嫌いで、冬でも素足でしたので「見ているほうが寒い」と年配の人からしばしば言われました。その気持ちがわかるようになったんだなあって「スリッパが欲しい」と思いながら、ちょっとにやにやしています。

 でも、デパートの売り場は春の装いで、軽くて、気持ちがいいスリッパなんてもう売ってないみたいです。ああ、スリッパが欲しい。 633 20070224 フラッシュメモリー  1ギガなんて単位の情報が入る入れ物を個人が扱うようになるとは思いませんでした。フラッシュメモリーを豆蔵さんに教えてもらって買いました。もちろん壊れちゃったパソコンから、データを移動させるためです。

 「ぶしゅっとさせばいいだけです」というので、ぶしゅっとさしてみました。これが何かに似ている? はてなんだろうと考えていたら、植木鉢にさして使う植物の活性剤に似ているのです。で、その活性剤のかたちは病院で使っているアンプルの形をしています。アンプルは細長い首がついたガラス瓶で、首のところをぽきっと折って使います。

 でまたまた連想はとんで、昔々、母がよくアンプル型の風邪薬を飲んでいました。こちらは茶色い瓶。ガラスの首をぽきっと折ると、なんだか普通の錠剤の風邪薬よりも効き目がありそうな気がするのです。副作用があるとか、何か良くない理由で市販されなくなりました。で、フラッシュメモリーですが、パソコンにぶしゅっと挿すのではなくて、頭にちょくせつぶしゅっと挿すとか、肩のあたりにぶしゅと挿すなんてことができないかなって……まあ、出来なくてよかったのでしょう。

 (以下、ひとりごと)昨日、久しぶりに高速道路を車で走ったら左足の腿が痛い。ああ、運動不足だ。車を運転して筋肉痛になるなんて初めての経験。 632 20070221 猫背  ノートブックパソコンを使っているとなぜか猫背になります。それから字が小さい。目がかすんでくる。でもなぜかノートブックが使えるってうれしいなあとか思っているのは、昔、タイプライターにあこがれたから。見栄で英文タイプを練習したことがあるんです。こんなことで役にたつなんて思わなかったなあ。

 それで猫背です。もともと猫背だったのを、直したのにこれじゃあ、また猫背になっちゃう。やれやれ。万年筆はかならず二本持ってました。だからパソコンも二台持ってないとまずいなあと思うようになりました。ほんとうはデスクトップを二台、欲しいんだけど。置く場所がないからなあ。ぶつぶつ。ぶつぶつ。 631 20070219 昨日からそういうわけで  豆蔵さん、昨日は遅くまでありがとう。この次はかならず池袋の服部珈琲舎でコーヒー飲みましょう。それから「私をスキーに連れていって」じゃなくて、私を秋葉原につれていってください。牛丼でもハンバーガーでもいいから、腹が減ったじゃなくて、デスクトップPCじゃないと異常に肩が凝って仕事にならないのです。

 というわけでデスクトップがいかれてしまったので昨日から大わらわで、あっちこっちいじっています。で、気づいたことはペンに書き味があるように、キーボードにも叩き心地があるんだなあってことです。昨日から3台のパソコンで三つのキーボードをたたき比べている状態でしゅ。なんだ、こりゃ!どうしても赤ちゃん言葉になっちゃうぞ。わああああ。どうしようか。 630 20070219 豆ちゃん助けて SOS  昨日はどうもありがとうございました。しかしダイナブックはメールの受信はできっても、送信はできません。このページはうちにもともとあったノートブックパソコンで打っています。このノートブックはなぜかメールの送受信はできないのです。

 ああん、どれも帯にに短したすきに長しで、どうしいよう(泣、泣、泣、涙、涙、涙)豆ちゃん助けて!


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(豆蔵追記)
 メールの設定はその他の設定をいじったり要らないファイルを削ったりですっかり忘れておりました。
 プロバイダのページから、送信メール用のサーバーを調べて、記入すれば解決するように思います。
 あとはエラー番号を調べて、エラー番号で検索をかけて……といった按配でしょうか。
 またお邪魔した方が早いかもしれない! 629 20070215 姜英淑さん  ソウルから作家の姜英淑さんがお見えになりました。今年の韓国日報文学賞受賞です。日本には7月までご滞在とのことでした。お子さんもいる女性作家です。

 日本の海辺の地方でしばらく暮らしてみたいというご希望ですが、さて、海辺と言われても考えてみると日本の海辺と言っても北は北海道から南は沖縄まで、同じ海とは思えなくくらい違いがあるってことに気付きました。もっとも私は相模湾もしくは東京湾がよろしいと申し上げておきましたが。

 17キロ?もダイエットをなさったとのことで。3年前にソウルをお目にかかったときよりもずっとほっそりしていました(ああ、うらやましい)いったい何をなさったのでしょうか?ってお聞きしたらダンベル体操ですって。そんなに効き目があるのでしょうか?以前から勉強なさっていた日本語も日常生活に不自由がないくらいに上達していました。それに引き比べ私の朝鮮語は3歳児で止まったままだし……。姜英淑さんがご滞在のうちに少し上達するかしら?

 久しぶりにお目にかかって、懐かしい人のうわさ話をあれこれ。詩人のファン・ジフさんは文化庁の長官くらいの(役職名は日本と違うので)偉い人になってしまったというし、15年前ほどは、韓国作家にしては珍しい茶目っ気のあるチャン・ジョンイル氏は大学の先生になっているとのことでした。チャン・ジョンイルさんは15年前は韓国の一番の若手作家で、シンポジウムの時。文芸評論家がチャン・ジョンイルさんに質問をしたら、それには答えずに、会場から脱兎のごとく逃げ出してしまったということがありました。「逃げた!逃げた!」と質問をした文芸評論家のキム・チュエンさんが呆れ顔だったのをよく覚えています。いわゆる新世代(シンセディ)作家として一番早くに出てきた人でした。
 大学の先生になっても、学生のつまんない質問をさらりさらりと交わして、教室から脱兎のごとくに逃げ出しているのかしら?
 冬の青森でご一緒して、積もった大雪をみて「オールモスト、グロテスク(笑)」なんておしゃっていたファン・ジフさんがそんなに偉くなられては、簡単にお目にかかりたいとお願いするのはちょっと気が引けてしまい、寂しい気がしました。

 そんなこんなを、鳥鍋を突付きながら、いろいろと話し込んでいる間に東京は春の嵐が通り過ぎていました。 628 20070212 グラッパ  グラッパはワインを造った葡萄の絞りかすから作る蒸留酒だと聞いています。粕取り焼酎ってのがありましたけれども、あれみたいなものですね。あんまり上等とは言いがたいお酒ですけど。

 ええと二日酔いの原因というか主因はたぶんグラッパだったと思います。ほかに考えられない。ブランデーみたいに樽で寝かせたりしていない透明で、喉をつんと焼くみたいな感触があるのを飲んじゃいましたから。で、家に帰るまではしっかりしていた気がするんだけど?他人(ひと)から見たらそうじゃないのかなあ?なんだか不安。家に帰るまえに小説現代の編集部に電話しているし……。家に帰ったらおもしろいくらいに酔っ払っていました。

 思ってたよりも酔っ払っていたということが去年の秋くらいから、何度もあります。朝、おきて、ええっ、こんなに酔っ払っていたのかな?ってびっくりするくらい酔いが残っているのです。これがちょっと気持ちよくって、なんだかお得(?)な感じがする。本当ならもうとっくに覚めちゃっていいのに、おまけをもらったような感じですね(笑)それで午前中をぼうっと過ごせれば文句はないもないんだけど。そうは行かない!なんでこんなに酔っ払っているんだ(泣)って具合に家を飛び出さなくちゃならないことが多くて困っちゃいます。

 透明なグラッパを細長いグラスで飲んで、陽が沈んで行くのでもぼんやり眺めていたいなあ。今まで飲んだグラッパでいちばん美味しかったのは、ミラノの駅のワゴンで売っていたやつ。小さな瓶で、列車の中でラッパ飲みしたんですけど、さっさと眠れちゃいました。それで列車に揺られながら眠っていると胃のあたりが暖かかったの。 627 20070211 雪の降らない東京  一週間のご無沙汰でした。こんにちは。ずっと飯田橋に泊まっていました。あったかい冬です。なんだか4月くらいの陽気という日もありました。こんなにあったかいのに、なんで入試なんかやっているんだろう?ってへんな感じです。飯田橋の界隈は法政大学と理科大学の受験者で大混雑ですが、入試の時期の寒々しい景色というわけではなくて、もうすぐ桜が咲きそうなゆるみ方です。そういうわけで、今年の東京は「初雪はなし」という発表を気象庁がしていました。

 でもまだ雪が降らないと決まったわけじゃありません。太平洋岸を進む高気圧がぼあんとした春の雪を運んでくることがあるかもしれないなあって、予想しています。それにしても、へんてこりんな具合に寒くない冬です。この十年の間に卒業式に桜が咲くのは珍しくないということになってしまいました。やっぱり気象は変化しているみたいです。霜の朝とか、霜柱を踏むなんてこともなくなってしまいました。

 昨夜、久しぶりにお酒を飲みました。カンパリをソーダで割ったのを一杯。それから赤ワインをボトル半分くらい。最後に極め付きのグラッパを。そうしたら、目の前がぐるぐる回るくらい酔っ払ってしまいました。朝起きて、ああへんなことを言ってないといいなあってやや不安。なんかねえ、忙しいと言いたくないんですけどねえ、でも忙しい一週間でした。 626 20070205 二人で卒業祝い(昨日の続き)  タクシーの運転手さんに
「良い匂いですね」
 と言われたマッチの匂いは煙草を吸うときの前奏曲みたいな匂いなのですが、そう言えばマッチの匂いをしばらく嗅いでいませんでした。なにげなく擦ったマッチの匂いに私はさびしさを嗅いでいました。

 マッチは池袋東口の服部珈琲舎でもらったものでした。日芸のA君と卒業祝いをしました。A君は昨年、卒業するはずだったのですが、一年遅れの卒業制作提出になりました。私の日芸でのゼミは昨年限りでお終いのはずでしたが、A君がいたので、一年だけ延長。これでちょうど10年間、日芸にいたことになりますが、今年限りで日芸を失礼するお約束になっていたので、A君と一緒に私も卒業ということになりました。午前中にA君ひとりだけの卒業制作の面接を済ませて午後はほかの用事があったので、A君と一緒に江古田から池袋に出て、では二人で卒業祝いをしましょうということで服部珈琲舎に入ったのです。

 今の大学生はあまりコーヒーを飲みませんし、もし飲んでもドトールやスターバックスなどを利用することが多いようです。なかにはコーヒーやビールは「苦いから嫌だ」という人もいます。ある時、ゼミ生に教えてもらったのですが、ビールの苦味が旨くなったのは何歳頃からか? というアンケートがあって、それによると25歳というのが一番、回答の多い年齢だったそうです。つまり、大学生はまだ苦味を楽しむには早すぎるということでしょうか? 果たしてA君が苦味を楽しめたかどうかわかりませんが、ともかくコーヒーで卒業祝い(いや、そのまえに鰻やで、日本酒の御燗を一合飲んでいましたが)で、会計の時にレジわきにきれいに並べられていたマッチをひと箱いただいてきたわけでした。 625 20070204 マッチを擦る  まだ終電前だというのに、池袋のタクシー乗り場が混雑していたのは、東武東上線が不通になっていたためらしいのですが、その混雑するタクシー乗り場で、一人の男が車の前に立ちはだかって「運転手は窓を開けろ」と叫んでいました。仕立てのよさそうな上着の下から真っ白なワイシャツが覗いていましたが、ネクタイはポケットに突っ込んでいました。30代半ばというところでしょうか。男が前に立ちはだかっているので、タクシーは進むことが出来ません。乗り場の行列はだんだん長くなるばかりです。

 しばらくすると警察官が三人ほどやって来て、男を歩道の方へ連れてきました。「あんたたち、ちゃんと税金払っているんでしょ。あんたも、あんたも、それにあなたもさあ、ちゃんとおまわりさんだって税金払っているんでしょう」と男は警官に問いかけています。でも、警官に手を出そうとはしません。タクシー待ちの行列から何か声をかけた人がいた様子で、警官は行列に向かって「あおらないでくださいね」と一言、穏やかに注意。で、警官のうちの一人がそっと男のそばを離れました。近くのデパートの軒下から男の様子をしばらくうかがっていました。この警官がデパートの軒下にたたずんでいるうちに、あとの二人も少しずつ男から遠ざかって、暗い街の中に消えて行きました。あとに残った男は、まだ叫んでいます。
「彼もれっきとした第三秘書なんだ。ちゃんとした第三秘書だよ。解るでしょ。第三秘書だ」
 そうひとりで大声を上げていました。

 かなり酔っ払っているのですが、なんとなくその声の上げ方から、街頭演説の経験がありそうな気がしました。街頭で不特定多数の人を相手に声を出す時には、独特の声の張り上げ方があるのです。で、かなり酔っ払っていて、何か大声で言いたいことがあるのに、どこかで理性がちゃんと鍵を掛けていて、大事なことは言わないままでいるような、そんな管の巻き方でした。いったいどんな秘密があるのでしょう。なんだか気になる酔っ払いでした。

 男がタクシー待ちのお客の行列に向かってしきりに叫んでいるうちに、ようやく私がタクシーに乗り込む順番が来ました。バックシートに座ってタクシーが走り出してから、煙草を吸うためにマッチを擦りました。
「お客さん、マッチをお使いなんですね」
 運転手さんにそう言われました。
「マッチの匂いってなかなかいいものですね」
 とも言われました。それから喫茶店でマッチをもらうことが出来た頃のことを話しました。 624 20070129 すずかけ 松の木 柿の木  なぜか、ああ、ここの一本の木が生えていたなあとよく覚えている木があります。一本目はすずかけの木。川越街道の旧道ににょきっと一本だけ生えていました。なんか生え方が唐突なんです。木の前を通るたびに退屈そうに生えているなあって思いました。切り倒されてマンションが建ちました。

 柿の木は、川越街道の新道のほうにあって、梅雨の季節になるとたくさん青い柿の実が落ちていました。柿の木の枝の下をくぐって煙草を買いに行くというのが、いつもの習慣でした。月夜の晩などは妙にさわさわと何か言っているような気がしました。切り倒されてコンビニになりました。そのコンビニも今は閉店しています。コンビニが閉店してからコピーが不自由になったのですが、パソコンで使うプリンターを買いにいったら、なんとA4サイズまでコピーできる機能付きのプリンターが3万円で買えてしまいました。

 松の木が生えていたのは、家の向かい側の崖の斜面でした。この松の木が夏の間はそれほど目立ちませんが冬になると青々としています。やや、うつ状態の頃、この松の木を眺めているとなんだか気分がよくなりました。ともだちみたいな松の木です。去年の夏に切り倒されました。今はマンションの建築工事が始まっています。ともだちがいなくなっちゃったので、引越しをしようかなって、時々、思ってます。松の木のあとに立つマンションに引っ越そうとは思いませんけど。

 木の床をがたがた踏み鳴らすような喫茶店がだんだん減っちゃったのを、木の姿を思い出していたらついでに思い出しました。お前は歩き方がうるさいってよく言われたものでした。 623 20070126 冬の土手  法政大学の大学院から市ヶ谷の土手を見ていたら、暖かそうな陽があたっていて、すごくきれいでした。土手の木はみんな葉を散らしていて、冬枯れの茶色い草の色が、なんと言っていいのか「ぐっすり休んでいる」って感じで陽を浴びていました。

 で、我が家に帰ったら、なんと灯油を注文するのを忘れていたから、今夜はエアコンの暖房だけです。ちょっと寒いなあ。日程が詰まっていると、ばかばかしい失敗をするもので、火の消えたストーブが恨めしく見えます。 622 20070123 ああ、寒い。  机の前に座って仕事をしていると足元が冷えてきます。ああ、寒い。寒いとなんだかうれしいし、ちょっと安心できます。気味が悪くなるくらい暖冬で、このままでは済まないぞ、何か起きるぞ、大地震かな? 大津波かな? それとも富士山の噴火かしら?なんて、半分冗談で、半分は真顔で言いたくなるようなお天気でした。

 昆布とベーコンで御出汁をとった野菜のスープに凝っています。ベーコンはフィレを使うよりも固まりを角切りにしたほうがおいしいみたい。入れるお野菜は根菜が中心です。れんこん、人参、山芋、大根、蕪。冬は根菜がおいしい季節ですから。で、そこにちょっと銀杏なんかも入れてやるの。でも、今年の銀杏はどれもこれも小粒です。きっと秋の陽気がおかしかったから銀杏も太ることができなかったのでしょう。

 昆布とベーコンで出汁をとるのって、もともとは煮干を買い忘れたから、しょうがなくってやってみたんだけなんですけどこれがけっこうおいしかったのでした。 621 20070120 今宵 初雪か?  横浜と千葉で初雪が降ったそうです。どうも関東地方の南側で降っているようですから、これは太平洋沿岸を進む低気圧の雪でしょう。初雪って言っても、太平洋沿岸を進む雪では春の雪ですね。

 ソウルでは初雪の日には、アポイントなしで恋人を訪ねてもいいそうです。古くからの習慣なのか、それとも近年できた習慣なのかは聞き忘れましたが、どうも後者のような気がします。ロマンテックだけれども、恋人が二人以上ある人にとってはかなり戦々恐々、ロマンテックよりもスリリングな習慣ですね(笑)

 「冬眠をしないくま」というニュースをネットでみつけました。くまの不眠症なんて、きっと夏になったら寝不足で不機嫌なくまが山の中をうろうろしているにちがいありません。東京も今日は少し寒かったのですが、空の色は春のぼんやりなごやかな青の日が多いです。いったい冬はどこへ行ってしまったのでしょうか?

 久しぶりにNHKのブックレビューに出演しました。児玉清さんの司会。小室等さん、山崎哲さんがご一緒でした。小室さんとはNHKの教育テレビで中原中也の番組でご一緒していらいです。山崎哲さんとは、初対面。と言ってもそんな気がしませんでしたが。明日(21日)の放送です。 620 20070114 憎しみについて  そういえば、憎しみについて、ってあんまり話す機会がないなあってな話を大学生としました。話題はばらばら殺人事件だったんですけど。あきらかに「憎しみ」の感情が働いていて、鼓してもまだおさまらないって感じのする殺人事件が続いたから。

 で、その時にちょっと思ったのですが、こういう話題って、なぜか今の学生は教員の私と1対1でしゃべりたがる傾向があるような気がするのです。気のせいでしょうか? ふだんの会話を聞いていると、あんまり本心を出して話していないようです。お互いを傷つけないように上手に話題を明るく軽くしているなあと感心します。でも、憎しみについては、真面目に話したいなあと思うことがあるようです。話を上滑りさせないようにして、話してみたいようでした。

 上っ調子に軽く滑る会話を楽しんでいるそのしたに、憎しみがぶつぶつたぎっているような、そんなイメージが頭に浮かびました。憎しみも人間にとっては貴重な感情でしょうから、それを話せないとなるとそれはそれで不自由でしょう。 619 20070113 万年筆  銀座のイトウ屋で久しぶりに万年筆を見ました。増えていたのは高級シャープペンシルと高級ボールペンでした。それから20万円から30万円といったものすごく細工に凝った万年筆の陳列も呆れるほど増えていました。売り場は万年筆がある種の必需品だった時代よりも広くなっているくらいです。が、ものを書くための道具というよりも「装身具」もしくは「記念品」という感じで、なんだか宝石屋さんにでもいるような錯覚を起こしそうでした。

 万年筆はどうやら単なる筆記具から、装飾品にかわりつつあるようです。が、かわいそうなのは原稿用紙。こちらは種類もどんどん縮小。売り場の縮小。だんだん過去の遺物になりつつあるように見えます。そのうちに紙を選んで別注で刷らせるしかないなんて時代がくるかもしれません。20×20の桝目に文字を入れて行くということって、かなり意味のある作業なのですが、それも原稿用紙と一緒に等閑視されているみたいです。

 万年筆売り場でこころ魅かれるのは、どうしてもウォーターマンというフランスのメーカーです。最初に自分で買ったのが3000円の銀色の鍍金をしたウォーターマンだったという理由以外には、それに眼を引かれる理由はないような気がしますが、あれこれ見ているうちにやっぱりウォータマンがいいやという気になってきます。万年筆全盛時代の復刻を得意にしているメーカーもあるのですが、ウォーターマンはまだ実用品としての万年筆にニューモデルを作っているところがフランスらしい感じがします。実用品のニューモデルを選びました。それから、3000円の万年筆を買った頃には、絶対に欲しいという気も起きなかっただろうという値段の銀色の万年筆にもこころ魅かれました。軸を洋銀で作ってある万年筆です。あれだったら、使っているうちに軸が磨り減って真鍮色の地が見えてくるなんてことはなさそうだなと、眺めていました。3000円の万年筆は鍍金がはがれて真鍮色の軸が見えてきたのです。 618 20070108 人間の記憶っておもしろいね  うちの子どもが小学生のころ、不愉快なことがあると「むかつく」と言っていました。その変形が「いかつく」でした。今でも小学生は「むかつく」って言っているのかしら?

 で、その「むかつく」ですが、ちょっと神経症ぎみでハイパーシンドロームの発作を繰り返していたことがあります。ハイパーシンドロームは、要するに息を吸うだけで、はかなくなる、あるいは吐く量が少ないので、胸苦しくなり、ときには短時間ですが失神に近いような状態になることもある症状です。人により現れ方はいろいろみたいです。で、ハイパーシンドロームと同時進行的に出た症状が「吐く」でした。小学生風に言うと「むかつく」ような出来事に遭遇すると「吐く」ようになっていたのです。「吐く」ほうはたいていお酒を飲んでいる時でしたから、酔っ払いすぎたのだということにしておきましたが、実際はそんなに酔っ払ってはいませんでした。少量のお酒でも、嫌なことや忘れたいことがあると「吐いて」しまうということが度重なりました。小学生の言う「むかつく」を地で行っているんですね。

 ほんとにむかついちゃっているの。

 その「むかついて」いた頃のことを、ここのところ、ある人とメールのやりとりで思い出していたのですが、人間の記憶っておもしろいなあと思ったのは、まったく忘れ去っていたことでも、話の相手になる人がいると、ちゃんと思い出すんですね。今朝からふたつ、みっつ忘れていたことを、意外にも自分で記憶していたことに驚くことがありました。記憶するということと思い出すのはまったく別のことではないにしろ、その間に何か連結器のようなものが挟まっているみたいです。そういう意味では人間の脳って、単体で存在しているコンピューターではなくてパソコンみたいなネットワークの末端なのかもしれません。ネットワークに良好に接続しているパソコンもあれば、ウィルス感染しちゃってへんてこりんな反応を起こすパソコンもあるところも似ているなあってへんな感心をしちゃいました。

 そのくせ、去年のお正月に弟夫婦とすき焼きを食べたことをすっかり忘れていて、これは弟のお嫁さんが覚えていたし、うちの息子が覚えていたので、そうかなあと思う程度にしか感じられません。まだ思い出してないの。息子が言うには、すき焼きを食べて、叔父さんたち(弟の一家)を見送ってから爆睡していたそうです。だから「忘れちゃったんだよ」と言ってました。それから昨日、法政のゼミ生がうちに来ていたのですが、百人一首をとろうということになって、カルタのおき場所がわからなくなってました。これはまあ、見つけることは見つけられたのですが、ちょっとショックな感じ。以前は記憶の良さ(受験勉強とはややことなる記憶ですが)に苦しんだのに、このごろはすき焼きやカルタでさえ忘れてしまうのは、いったいどうしたことでしょう。誰か私のかわりに覚えておいてよって言いたい気持ちです。

 あ、私のかわりに弟のお嫁さんが覚えていたのか。 617 20070105 聞いた話 見たこと などなど  今年の初詣は近所の神社と言う人がいちばん多かったのだそうです。で、うちのちかくの熊野神社ですが、見たわけではありませんが、除夜の鐘が鳴ったあとは大勢の人が行列を作るほどの賑わいだったという話でした。朝になってもまだたくさんの人がお参りに来ていたそうで、どうしたことだろう? と知り合いが首をひねっていました。たしかに以前の熊野神社は閑散としていましたから、私もその話を聞いて、半信半疑でした。

 書店でアルバイトをしている娘から聞いた話。「まっったく、大人買いはどう動くか見当がつかない」とぼやいてしました。書店の荷が動くのは5日からなのですが、3日にはコミックの棚ががらすきになってしまったそうです。彼女はコミックの棚を担当しているので「このままでは棚がヤバイ!」としきりにぼやいていました。お正月に「大人買い」のお客さんが思いもかけないものをごっそりと買ってくださったそうです。コミックスを全巻そろいでごっそりと買うのを「大人買い」というのは、以前から知っていましたが、そんなに「大人買い」の影響がでるものとは知りませんでした。それで棚をどうしたかというと「こち亀」のストックで埋めたのだそうです。

 年末に静岡の小川国夫さんのところに伺った時のことです。東名高速焼津インター近くのホテルに一泊しました。駐車場はいっぱいの車。年も押し詰まったこんな日時に宿泊の人がけっこういるのを、駐車場の車の台数で知りました。フロントのわきにはコピー機、ファックス、パソコンなどのビジネス機器を備えたコーナーがありへえと感心。部屋に入ると窓の方角に書き物机の高さの横に渡した棚があり、椅子は机の前で使うようなリクライニング付きの肘掛椅子。ああ、ここで書き物ができるなあと思った瞬間、気付きました。パソコンが普及したおかげで、以前なら、バック・ヤードで処理していたような伝票整理などと、営業をやっている人自身が処理しているに違いないと。営業さんは車にパソコンを積んで仕事をしていると考えないと、こういうホテルはありえないなと気付いたのです。けっこう、そういう人っているんでしょうねえ。

  616 20070103 閻魔様もびっくり  お正月でふだん会えない人をお酒を飲みました。スイミングプールに行っているそうです。で、スイミングプールでは高齢の人がかなり達者な泳ぎをしているようで、三途の川をバタフライで渡るとか、いや背泳ぎで渡ったほうがいいなんて話をしているそうです。

 みんな、三途の川をみごと水泳で渡るようになったら、川の渡し守は渡し賃6文をもらえなくなっちゃうじゃないって大笑いでした。閻魔様も見物に出てくるかもしれませんね。お正月からいったい何を話しているんだか。やれやれ。能天気だ。 615 20070102 謹賀新年  今年もどうぞよろしくお願いします。

 伊藤比呂美さん お正月はカリフォルニアで御過ごしでしょうか? その後、お礼もしませんで失礼しました。今年は何度も熊本へでかけることになると思います。どうぞよろしくお願いします。

 豆蔵さん 今年はもうちょっとメールマガジンを出せるようにしましょう。豆ちゃん、頼みます!

 スタッフ・ルームへお集まりの皆さん ことしもどうぞよろしく。スタッフ・ルームへのパスはお問い合わせフォームからメールを下さい。豆ちゃんからお返事が行きます。

 大原 月光洞 今年こそ完成させたいと思います。鈴木隆之さん、どうぞよろしくお願いします。月光洞完成のあかつきには、月光洞合宿朗読会を開きたいと考えています。

 静岡新聞連載 「ジュリアおたあ異聞」
 誰だっけ2006年の12月末までには100枚原稿を書くって言っていた人は? えっと5月から連載開始です。静岡新聞 熊本日日新聞に連載されるほか、いくつかの新聞にも掲載されそうです。わあ!なんとかしなくちゃ。

 メディア・パル 
 「中学校生活のための50のヒント」(仮題)
 法政大学中沢ゼミ四年生に中学校時代のことを話してもらっています。大人になり始めたばかりの時代をどうやって過ごすしたらいいのか、そのヒントがいっぱいの本になりそうです。大人になって行くのってすごくおもしろいことなんだなあと、ゼミ生の話を聞いています。3月下旬発売予定。

 新潮文庫「うさぎとトランペット」
 「楽隊のうさぎ」続編の「うさぎとトランペット」が6月に新潮文庫に入ります。 614 20061231 師 倒れる  走りすぎた御師匠様はばったり倒れてしまいました。
「先生 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないよ!バカヤロウ!」
 というわけで今年も終わりです。来年もよろしく。 613 20061227 燕尾服がうろうろ 「なんでリハなのに燕尾なんだ」
 は「のだめカンタービレ」の千秋(玉木宏)のセリフ。玉木宏は最初、あまり千秋に見えませんでしたが、だんだん千秋になってきた感じ。
「なんで夜中に燕尾なの」
 これは私の昨夜のセリフ。
「だって、このシャツ、15,000円もしたんだ」
 という息子。初めての燕尾服です。なんでも第9の演奏にのるので、どうしても燕尾服がいるということでした。世の中にはいろんな仕事があるものですが、燕尾服が必要と解った時に「大阪に音楽家専門の洋服屋さんがあるよ」と教えてもらったそうです。寸法を計って、電話で注文を出すと、なんと翌日には燕尾服が一そろい届きました。で、その燕尾服のための白蝶ネクタイとシャツは「自分で買うから」と息子はバイトの給料日を待ってました。彼はホルンを吹きながら体育館の守衛のバイトもしているのです。
 だから、燕尾服がそろったのは本番の前の晩。夜中に家の中を燕尾服がうろうろしているのは、なんだか奇妙な眺めです。テールはかっこよいのですが、なにせマンションなので天井が低く、どうやっても燕尾服の所作と周囲の景色が一致しません。燕尾服は天井が高い建物で着なくちゃ、さまにならないのです。しかも、ズボン丈は私が酔っ払ったまま裾上げテープでくっつけちゃったから、モールがよれています。ステージではどっちみちあんまり目立たないからいいやということになりました。

 今夜(27日)と明日(28日)池袋の東京芸術劇場でベートーベンの第九協奏曲にのる(彼らは演奏に加わることをそう呼びます)そうです。18時30分開場。19時開演。指揮は宿木允人。もしお閑がありましたらお越し下さい。

余談 テレビ・ドラマどからどうでもいいって言えばどうでもいいのですが、秋吉久美子の音大理事長ってものすごく不安。子どもが録画していたビデオをちらちらみていたので、昨晩、秋吉久美子が音大理事長って気付いたのですが……。燕尾服のまま「のだめ」なんか見てるんじゃないとか言っていたら、秋吉久美子がでてきたの。 612 20061225 ストッキングとタイツ  馬の足を見ているうちにストッキングとタイツが欲しくなりました。で、買っちゃった。イタリア製のストッキングとタイツ。ううん。サラブレッドの足ほど細くなくてもいいからもう少し面積が小さくなるといいなあ。お花模様のレースのストッキングなんだけど、なんか大輪の花が咲いちゃったんですね。まあ、馬だって腰のあたりはそうとうにしっかりとお肉がついていますが……。 611 20061224 ディープインパクト  ここのところしばらく中山競馬場に行っていなかったのですが、有馬記念見てきました。やっぱりディープインパクト無敵でした。第4コーナーを曲がってところで騎手の武豊が鞭をひとつ入れただけで、すっと上がってきてそのまま三馬身差でゴール・インでした。これで12戦で1位が11戦、2位が1戦。2着は去年の有馬記念ですから、無敵です。

 が、今日は第7レースに「ターキー」って馬が出ていて、馬のくせに「七面鳥」なんて!という単純な理由で単勝を買ったら、これがちゃんと来ました。「ターキー」さまさまでした。昨日、東武デパートでターキーを買おうかどうか迷って結局買わなかったのですが、今日はぜんぜん迷わずに買ってました。(ターキー違いだけど)えへへ(笑)です。買ったと言ってもたいした額ではないのですけど。

 あと珍しかったのは9レースつまり有馬記念で、ゲート・インで拍手が起きたことかな。出走馬のなかのただ一頭の牝馬、スイープトウショウがどうしてもゲートに入らなくて、無理に入れようとすると後ろ向きになり、お尻からゲートに入りそうになるで、大騒ぎ。まず方向転換にひと苦労。それからやっと前を向いたら今度はてこでも動かず。かなり頑固なお嬢さんです。騎手が尻尾をひっぱって、ようやくゲートに入った時には満員のスタンドから拍手が沸きました。

 そういうわけ、いや、どういうわけか、今年はターキーではなくて、ロースト・ビーフを昨日、買ってあるので、これからホース・ラデッシュをすりおろして食べることにします。馬の「ターキー」が稼がせてくれたぶんは明日の宴会のシャンパン代くらいになりました。 610 20061221 宴会・パーティ・宴会  伊藤比呂美さんのお家で宴会を開いてもらったのは今月の初めのことでした。なんだか、もう遠い昔に感じられるのは15日の野間賞のパーティからすうっと宴会とパーティ続きだからかなあ。伊藤さんお元気でしょうか?もうカルフォルニアにお帰りになられたのでしょうか?「もう好きなことをどんどんやりたい」と熊本空港でおしゃってましたが、私のほうも「好きなことをやりたい」っていう心境になってます。

 伊藤さんの言う好きなことは好きな仕事って意味ですが、私のほうは、まあ、惰眠とか馬鹿騒ぎとか、自分でもあんまりろくなことじゃないなあって気がしてます。すごく「なまけもの」なの。

 今朝、おきて鏡をみたら、おばあさんがひとりにっこり笑ってました。ふううん、こういうおばあさんになるのかって、ほかの人の顔をみるような気分で眺めてました。なにしろ、親が40代で亡くなっちゃっているので、我が一族で久しぶりのおばあさんの出現になりそうです。宴会続きでくたびれているから「おばあさん」が顔を出しちゃったみたいです。 609 20061220 師走  師も走るから師走って言うのだそうですけど、今の先生は一年中走っています。大学へ出ているとそう思います。だってみんな、70歳近い先生まで足が速いんですもの。足が速くなくちゃ先生はできないなあって感じがしています。

  608 20061217 猫も働いている熊本大学  「猫の手も借りたい」忙しさという言い方があります。15日を皮切りになんと30日までなんらかのパーティもしくは宴会の予定が入っていることが判明して、こういう忙しさは猫なんかに手を貸してもらうのはもったいないなあと思っている今日この頃です。

 熊本のお話の続き。伊藤比呂美さんのご紹介で熊本大学の先生方にお引き合わせいただきました。伊藤さんはしばらく日記をお休みしていますが、とても元気です。で、熊本大学ですが、こちらはほかの大学と同じように「猫の手も借りたい」ところを通りすぎて猫も働いている熊本大学と言われているそうです。大学はどこも大学・大学院改革で大忙し。何が忙しいって会議が増えるし委員会がたくさんできるし、学内を歩いているだけであっという間にどんどん仕事が増えて行くという事情に変わりはないようです。

 熊本大学ももとは夏目漱石も先生はしていた第五高等学校ですから、猫も働きなれているのかもしれません。「我輩は猫である」とばかりに校内をゆうぜんと歩く猫が数匹いました。1限の始まりは法政大学よりも1時間30分早くて8時から。その時刻に学生食堂がもう営業をしていて朝ごはんを食べている学生がいたのには、感心しました。けっこううまそうな朝ごはんでした。 607 20061215 ひともじのぐるぐるを  前回、近代文学館のシンポジウムのために熊本に行った時、ひともじのぐるぐるを喜んでいたのを馬場さんが覚えていてくれました。で、ひともじ(細い葱)をぐるぐるまいたものです。だからひともじのぐるぐる。でも今回はひともじのぐるぐるにめぐり合えなかったのです。残念。残念。でもこれから春までに何度か熊本に行くことになります。

 宇土は静かな町で、町の至るところに桃色の石で作った井戸がありました。轟水源から引いた水を共同で使用していたそうです。江戸時代に作られた水道を今でも利用している家もあり、水道組合で管理しているとのことでした。肥後の石工は江戸城の石垣を組んだことでも知られています。江戸城の石垣を組むとき、先頭に立ったのは加藤清正です。秀吉の晩年、つまり朝鮮の役の頃、肥後の国は北の熊本周辺を加藤清正が、南の宇土を小西行長が領地にしていました。が、今の熊本では加藤清正は偉大な英雄で、小西行長は「大悪人」なのは、加藤清正との確執が原因の一端にあるようです。男の嫉妬って400年たっても消えないのねえという話かもしれません。ああ、恐い、恐い。もっとも加藤清正公に聞いたら嫉妬なんかじゃなくて「義憤」とか「公憤」と言うかもしれませんが。

 ひともじのぐるぐるを探しに、「つるや」デパートの地下に入ったのですが、ひともじのぐるぐるはありませんでした。おみやげに熊本城の絵の入った包み紙の「朝鮮飴」を買いました。朝鮮の役の時の保存食だそうですが、これが鹿児島の兵六飴とかぼんたん飴に似た感じの柔らかな食感です。おもいっきり片栗粉がかかっているところがなんだか豪快でした。なんで朝鮮の役の時に加藤清正が虎退治をしたのか? その謎が少しだけわかったような気がしました。どうやら朝鮮の役は、加藤清正のお膝元では「勝った」ことになっていたみたいです。 606 20061211 びっくりちゃんぽん  来年、静岡新聞、熊本日日新聞などに連載するのは、秀吉の朝鮮の役の時に平壌郊外で小西行長に拾われた朝鮮貴族の娘ジュリアおたあの物語です。今回は小西行長は熊本の宇土の領主であったところから、宇土を中心に取材してきました。ところが宇土では小西行長は大悪人ということになっていたのには、驚きました。本を読むだけでは解らないこともたくさんあるのですね。なぜ小西行長が大悪人なのかはおいおいに書きます。一般には朝鮮の役を無事に終結させようとした外交官的武将、あるいは商人上がりの切支丹大名というのが小西行長のイメージです。

 で、小西行長が大きなミサを上げたお寺があったという大矢野まで足を伸ばしました。そこでいただいたのがちゃんぽん。湊の岸にある小さな食堂で、大盛りのちゃんぽんが有名だそうです。
 お店はそれこそ台風が来たら海の波を浴びてしまいそうな湊の岸にあって、外側は新しく作り直されていますが、中にはいると半分は土間、半分は神棚のある座敷という典型的な海辺の家の構造になっていました。
 ちゃんぽんはわっといいたくなるくらいの山盛り。お野菜と殻のついたままの小エビが勢いよく油で炒めてありました。麺は、やや太め。ラーメンほど細くはなく、うどんほど太くはないという感じで、やさしい弾力があり、適度にスープを吸っています。東京ではなかなかこの麺が手に入らないとのことでした。殻付きの小エビはワイルドな感じですが、エビの殻と身の間においしいスープが入っていて、噛むとじわりと染み出すところがなかなかでした。このちゃんぽんの味に一端は小エビが殻付きであるところから出ているのでしょう。野菜と小エビの具の山から麺を掘り出すのに一苦労するほどの山盛りでした。ちゃんぽんというと、あんかけのイメージがありましたが、ここのお店では素朴な油炒めの具でした。見た時は驚きましたがお野菜たっぷりでさらりと食べられました。

 で、ちゃんぽんを食べながら聞いたのが捨て子の話でした。今でも時々、捨て子があるのだそうです。で、昔の捨て子はちゃんと産着を着せて、名前などを書いた紙が添えられていることが多かったのに、今では丸裸とか大人用のジャージなどに包んであることもあるということで、「どうしちゃったんだろう?」と首を傾げてしまいました。 605 20061208 熊本 大収穫  5日 朝焼けの羽田を発って朝一番の飛行機で熊本に行ってきました。来年、新聞連載をするための取材でしたが、思いがけない大収穫でした。熊本の伊藤比呂美さん、どうもありがとう!

 熊本の大収穫の報告はおいおいにするとして、ちょっとびっくりな話。白い雪をかぶった日本アルプスをかるがると飛び越えて、熊本空港に着くと早速、呼び出しがかかっていました。「ははん、伊藤さんだな」と総合案内カウンターに行くと「渋滞のために空港到着が遅れる」という伝言でした。

 で、伊藤さんは渋滞で遅れそうだと、熊本近代文学館の馬場さんに連絡をとったところ「その渋滞の原因は僕が巻き込まれた事故です」という返事にびっくりしたそうです。なんでも、馬場さんの車の三台手前の車に大型トラックが突っ込むという追突事故で、馬場さんの車は先頭で、後ろからごつんとやられたとのことでした。間の二台はめちゃくちゃに潰れたそうでが、幸い、大怪我をした人はいなかったとのこと。

 追突された馬場さんの車も走行には支障がなく、空港まで来ていただきました。なにより怪我がなかったのはほんとうに幸いでした。そういうわけで、空港到着早々かなり驚いた熊本取材でした。 604 20061204 これから熊本に  行ってきます。伊藤さん、まっててね。からし蓮根たべたいよ!馬刺しもおいしいし、それから、山形の人からもらった「おふらんす」じゃなくて、「ラ・フランス」持って行きます。いっしょに食べましょう。 603 20061202 秋山会  伊藤さんはもう東京にいらっしゃっているのでしょうか?30日の六本木の朗読会には出ているはずだからきっと東京に来ていることと思います。だって今日もか風花の朗読会だもの。で、私は年末恒例の秋山会幹事だってことを忘れてました。今日は秋山会。そういうわけで伊藤さん、風花には行けません。ごめんなさい。来週、熊本でお会いしましょう。ちゃんと朝一番の飛行機に乗ります。

 秋山会のことは、まえに熱海で見た冬の花火の話題でここに書いたことがあると思います。一年に一度、文芸評論家の秋山駿さんを囲む会をやっています。だいたい今頃で、秋山会が終わると師走に突入という感じです。秋山会だから晩秋の最後ってわけでもないのですけれどもね。で、今年は練馬のお蕎麦屋さんで、日の高いうちから一杯楽しもうという趣向です。ではいってきます。 602 20061201 大急ぎの秋  皇居の周りをタクシーで走ったら、今が紅葉の盛りでした。大急ぎの秋です。ほんの2週間前までは、紅葉の気配さえなかったプラタナスの木とか欅とかが、もう赤く黄色く染まって散り始めています。

 雨がふると、散った木の葉がアスファルトや石畳に張り付いて湿った音を立てます。ここのところ、夕方になって急に雨が降り出すというようなことが続いて、かさをお借りしたのですが、それを置き忘れるなんてことが二度も起きたので、ちょっとぼけてるかなあって反省しています。反省だけなら猿でもできるなんてCMが昔ありました。

 猿といえば、うちの娘は「チンパンニュース」を見ないと寝ないというへんてこな習慣ができたみたいです。
深夜番組で動物のための動物による動物のニュースだそうです。何の話でしたか?そうそう今年の秋は大急ぎだという話でした。というわけでもう12月になってしまいました。 601 20061126 不倶戴天の敵  睦み合って、この世の外に抜け出られるような恋人とめぐり合う。これはもう望外の事と、そういう予感のする恋に迷い込んだところがどこでどう掛け違えたのか、すれ違ったのか、もつれにもつれて、この世にあるうちはすっきりすることがないという筋書きを考えてみました。ともに天を抱かず、つまり不倶戴天の敵になるというやつです。同じこの世の外に抜け出さなくちゃどうしょうもないにしても、正反対のベクトルというシニカルな結果になると物語ってどうかなあ?

 ま、そんなことになったら、読むほうもかなりシニカルになっちゃうでしょうけど。ああ、コートが欲しいという物欲に駆られた結果として、ずいぶんシニカルな物語を考えちゃったもんだ。 600 20061123 物欲に駆られる  ああ、コートが欲しいよ!なんて言ったら今年はもう一着作ったじゃないって言われそう。

 はい。確かにつくりました。出来上がって日にすぐに横浜の会合に着て出かけたら「これからオペラを始めるのですか?」って言われちゃいました。緑とグレーの織柄で、薔薇の模様だから。娘は「なに、その派手なの」って言ってました。確かにボタンにライトストーンが入っているから派手って言えば派手です「いいよ、いいよ森の妖精か、緑のおばさんみたいで、素敵ですよ」って息子が言っていました。お前、それってぜんぜん褒めてないって(ぷんぷん)とくに「緑のおばさん」ってところが。横断歩道で旗を振ってやろうかしら。裏地はブルーにして、内ポケット(いわゆる隠しってやつ)をつけて「EMIKO」のネームも入れちゃいました。「えっ、本名でネーム入れたんですか」とゼミ生のM君。悪いか、本名でネーム入れて。でも、このコートって合着なので、文学フリマがあった日曜日(12日)から急に冷え込んでもう着られなくなっちゃったんです。来年の春までお預け。

 で、見つけちゃいました。革のなめしがものすごくいいコート。細身のトレンチ。でもちゃんと私でも入るサイズ(これがそんじょそこらでは見つからないの)店員さんも「軽くて着心地が良くて、しかもお安いですよ」って、私もそう思います。ただ「お安いですよ」という比較対照がエルメスなのが泣き所。そりゃ、エルメスに比べればお安いです。舞い降りてた物欲大魔王と戦いながら、公孫樹の紅葉が見事な光が丘公園を散歩してきました。え、コートなしで散歩していたのかって?もちろんコートは着てました。ベージュ色のPコートを。

 そういうわけで、今夜の東京はちょっと寒くて寂しい雨が降っています。カルフォルニアの伊藤さん、もうすぐ東京のお越しとのことですが、暖かくしてやって来てください。そうだ、とてもごついところが伊藤さんによく似合う裏革(バッグスキン)のコート着てましたね。あれがもう必要になってます。あのカウボーイが着ているようなコート。 599 20061119 休日の電車  先週は日曜日に、今週は土曜日に午前中の電車に乗りました。平日の午前中とちがって圧倒的に遊びに出かける人の多いのんびりした電車です。で、日曜日の電車がずいぶん華やかになったなあと思いました。おしゃれをしている人が多いのは当然と思われるかもしれませんが、一昔前は、普段着は「安い服でいいや」という感じで、なんとなく張り合いのないものを着ている大人の間に着飾った子どもが混じっているという感じでした。

 小さな子どもを抱っこしたお父さんが増えたのも最近の日曜日の電車の眺めの新しいところです。こういうことって、ある日、「あれ!」という感じで気が付くのですが、ではいつからかな?と思い返してみても、なかなかいつからなのかわかりません。そうして、赤ちゃんを抱っこしたり、小さいお嬢さんに擦り寄られたしている若いお父さんの身なりがとてもよくなっています。それぞれによく似合うものを着ていて、なかなか感じがいいです。平日だと、来ているスーツの印象から、この人は商社か、金融関係かなとか、きっとメーカーの営業さんだな、あるいは、建設会社みたいなどと、見当がつくのですが、日曜日はそれぞれの職業はあまり見当がつきません。それより、何か家庭の個性みたいなものがその服装に表れているような気がします。

 先週の日曜日は秋葉原で開催された文学フリマのために、今週の土曜日はつくばエクスプレスに乗るために秋葉原にでました。こんなに毎週、秋葉原にでるようになるなんて思っても見ないことでした。 598 20061116 伊勢丹  伊勢丹で最初にカルバン・クラインの麻のスーツを買ったのはまだ大学生の時で、これは今考えるといささか老けた感じの買い物でした。もっともその頃は、老けた感じというと地味と同義語で、20代後半から30代の女性の服といえば、家庭の主婦向きという感じでしたから、麻のスーツなんて珍しかったのです。で、今、これを書いていて、カルバン・クラインのコートって買ったことないなあと気付きました。

 なぜか突然、赤が着たい!という気になったのは、母が亡くなる前の年の11月でした。もっとも、その頃、母は寝たきりの状態で、病院に入院していました。今で言えば介護状態ですが、その時分は介護なんていう言葉もありませんでした。で、介護状態はこれからどくくらい続くのかまったく解らなかったのです。5年かもしれません。10年かもしれません。実際は翌年のお正月過ぎに容態が急変して亡くなったのですが、伊勢丹で赤いセーターを買ったときはもちろん、そんな運命になっているなんて知りませんでした。

 カルバン・クラインの赤いセーターは肩の部分が水平に開いているという変わった形でした。病院にいた母をお正月に館山の家に連れ帰りました。片道5時間くらいの道のりを寝台付きの自動車で帰ったのです。久しぶりの館山の家でした。母が使っていた部屋からは洗面所が見えるのですが、その洗面所で赤いセーターを試しに着て鏡に姿を映していると、蒲団の中から
「それ、よく似合うね」
と言ってくれました。その時の声は左半身が麻痺して、発音も不明瞭になった人の声とは思えないほど鮮明でした。お正月を館山の家で過ごして、病院に戻って一週間ほどで、突然、容態が急変したのです。病院から「すぐに来て下さい」という電話をもらったのは、息子の3歳の誕生日を祝うケーキの蝋燭を吹き消している時でした。 597 20061114 木枯らしの歌を思い出したくて……  なんか木枯らしの歌があったなあと、考えているのですが、思い出せそうでなかなか思い出せません。

 コートの話の続きです。こんな木枯らしが吹き始める季節に新宿のサブナードで臙脂色のコートを一着買いました。気まぐれだったので、後からサンローランのものだと知りました。というか、会計の時にあんまり高いのでぎょっとしたのです。でも、ものすごく気に入っていたので、やや(値段には)諦めの心境で買ってしまいました。臙脂色で、やはり腕のしたあたりの線で切り替えが入っていました。切り替えのしたにはたっぷりのタックがとってありました。背中のタックのとりかたが美しいのと、臙脂色の生地が玉虫で、光の具合で黒く見えたり赤が勝って濃い赤に見えたりしました。袖の肩のところにもいくらかピンタックととってありました。ピンタックでぎろがった袖が袖口のカフスできゅっと締められるという形でした。丈は膝丈。

 このコートで感心したのは、袖を通さずに肩にかけているときの広がり方の美しさでした。外国映画を見ていると肩にコートをかけているシーンをみかけますが、なるほど、肩にコートをかけるためにはそれなりの設計がいるのだと納得したものでした。高校生の時から着ていた紺色のハーフコートをお別れをしたのはこの頃だったかもしれません。臙脂色のコートを気まぐれに買った翌年には上の息子が生まれましたから、もう25年も前の話です。 596 20061113 木枯らしが吹きました。  日曜日は秋葉原で文学フリマがありました。そして前夜から冷たい雨が降って、木枯らしが吹きました。木枯らしが吹くと厚手のコートの季節です。

 つんつるてんの学生コートとあんまり生地がよくなよれよれのトレンチコートのほかにもうひとつ、高校の時に着ていたコートがあります。これぞお気に入りのコートでした。ハーフコートよりもやや丈が眺め(七部丈)の紺色のウールコートでした。最初は裏地にタータンチャックの生地を張ったフードがついていたのですが、うるさいのでフードははずしてしまいました。衿はスタンドカラー。背中は腕の下あたりの線で切り替えが入っていて裾広がりのフレアーになっていました。このコートがことのほか気に入っていました。

 最初は制服の上には着ていなかったのですが、終いには制服の上でもこのコートを着るようになりました。大学に入ってからもこのコートを着て通学していました。その頃は西荻に住んでいたのですが、近くに詩人の江代充さんも住んでいて「どうも、そのコートを着ると不思議な雰囲気になるねえ」と言われたことがあります。街をすたすたと歩きながら宙を睨んでいる姿を見かけたのだそうです。

 そのあと、しばらくしてからラルフローレンのPコートをやっぱり紺色で着るようになるのですが、Pコートを気に入るきっかけみたいなものはこのハーフコートにあったような気がします。去年、久しぶりにベージュのpコートをやはりラルフローレンで購入しました。紺色のPコートの裏地がぼろぼろに擦り切れてしまってから、もうPコートという年でもないだろうと、そのあとしばらくPコートを着なかったのですが、ふとした気まぐれから色を変えて、着てみたらなかなか着心地が良かったのです。ベージュ色のPコートなんて格好悪いと感じていたのに、それにもかかわらず、気に入ってしまいました。 595 20061110 トレンチコートの集団  制服以外はとくに服装の規定がなかった私の高校では秋口になると薄い蝉の羽のようなカーディガンを羽織るのが流行ってました。薄さを競うような感じで、みんな白いカーディガンを着ていました。そして冬になるとトレンチコート。

 カーディガンは女子だけですが、トレンチコートのほうは男子も着ていました。2年生の11月の修学旅行でも学生服の上にそれぞれが好みのトレンチコートを着て京都の街を歩いていました。夜の自由時間には新京極の通りでお土産を物色してもよいことになっていました。そういう学校は多いらしく、宵の口の新京極の通りには日本中から集まった中学生や高校生が犇いていました。どの学校も制服の上には何も着ていないのですが、私の学校の男子どもは、トレンチコートの肩をそびやかして歩いていました。そのうちのだんだんと、同じ学校どうしで固まりを作るような歩き方になって、トレンチコートの大集団になってしまいました。ちょっと威圧的でした。

 その威圧的な集団を「あれ、あんなに固まって歩いている」と見送ったら、そのあとから先生が追いかけてきました。ややあわてた調子で「うちの連中を見かけなかった?」と聞くので、新京極の通りが下る方向をさして「あっちへ行きましたよ」と教えたら、大急ぎで追いかけて行きました。あとで聞くと「あんなに目立つ格好でかたまってはどこかほかの学校とのこぜりあいになりかねない」と心配したのだそうです。実際、新京極のとおりでは、学校どうしがぶつかった乱闘になるなんていうブッソウなことも時々起きていました。

 私が灰色のトレンチコートを買ってもらったのは修学旅行の翌年のことでした。ただ安物で、生地がくたくただったので、あんまり気に入りませんでした。トレンチ特有の張りが足りないというのか、あの新京極の通りで先生を心配させたようなびしっとした感じがなかったのです。 594 20061109 学生コート  いったいいつ、女子高校生のスカートはチアガールみたいに短くなってしまったのかという話題を時々、いろんな年代の知人と喋ることがあります。「私の頃は長かった」とか「私のときはもう短かった」などなど。いろいろに思い出しているのですが、不思議なことに長い丈から短い丈に以降した時期を知っている人にはまだ巡り会ったことがありません。謎です。

 それにしてもあんなに短い丈のスカートでは「スケバン」なんて出来ませんねというのは共通した意見です。まあ、現役の高校生を知らないので、おばさんたちはそんなことを言っているのですが。で、スカートが短くなったせいか、高校生が着ているコートも丈の短いピーコートが多いようです。もしかするとピーコートが制服として取り入れられるほうが先で、それから短いスカートが流行りだしたのかもしれません。

 中学校の時、学校指定の学生コートを買ってもらいました。紺色のステンカラーのコートでした。このコートは形はともかく、生地が安っぽくて好きになれなかったのですが、高校生になっても着ていました。ちょっと意地みたいなものです。高校では制服以外に服装の指定はなくて、トレンチコートが流行ってました。衿が大きくて肩章がついているもので、色は紺、灰色、茶色、カーキ色など様々でした。こういう派手なトレンチコートは生地のよしあしがはっきりわかります。もっと平たく言うなら、値段が出てしまうのです。安いコートを着るくらいなら、中学の時の学生コートでいいやっていうことでつんつるてんの学生コートを着ていました。 593 20061105 小学校はジャンパー  会う人ごとに「いつまでも寒くなりませんねえ」と言うのが最近、挨拶の代わりみたいになっています。一の酉が過ぎたというのに、寒さ知らずのお天気です。今日も地下鉄の中であった人が「だって夏の背広着ているんです」って教えてくれました。初夏から夏にかけて着る合着の背広で外出できてしまうこのごろのお天気です。

 で、コートの話の続きです。小学生の時、何か記憶に残っているコートってあるかしら?と考えてみたのですが、これと言って記憶に残っているコートがありません。雪の日に家の前で撮影してもらった写真では大きな格子の柄のコートを着ているのですが、このコートの記憶がないのです。千葉県の最南端の館山では、冬でもセーターがあれば充分で、あまりコートを着ることがなかったのでしょう。

 横浜から館山に越したのは小学校に入学する年でしたが、男の子が長ズボンを履いているのを、奇異に感じました。もっとも、館山の子には半ズボンというものが奇妙に見えるようです。ずっとあとのことですが、高校のともだちが「東京の子どもが足を出した半ズボンをはいているのが気持ち悪い」と言っていました。我が家では逆で子どもが長ズボンなんて履くものではありませんとばかり、冬でも弟は半ズボンで過ごしていました。東京の子どもの半ズボンを気持ち悪がっていたともだちによれば、草むらの多い田舎では、半ズボンは虫刺されや蛇に噛まれるなどの危険があるそうです。へえぇ、そんなものかしらと、妙に感心しました。気候的には横浜よりはずっと半ズボンに適したいたのに。

 コートとは縁が遠のいた小学生時代を終わって、中学生になると、制服の上に着る学校指定の学生コートを買ってもらいました。私はちょっとした意地で、この学生コートを高校生になっても着ていました。 592 20061104 コート 大好き  夏の初めに買ったローライズの半ズボンは結局、外出の時に履くことはなかったなと、思いながら鏡の前で履いてみました。そこへ息子がやってきて
「ああ、エッグ・スタンドだ」
 うまい!座蒲団2枚なんて、言いたくなるくらいの絶妙のタイミングだったんですが、丸いお腹がつまり玉子ってことでしょ、それって。まったく(ぷんぷん)。

 コートはそんなことありません。だからコートが大好き。でも夏の初めにアニエスbで見つけた麻のコートは細身過ぎて入りませんでした。まったく(ぷんぷん)来年は麻のコートを注文で作っちゃおうかな。でもなかなか気に入る生地ってないのです。

 いちばん最初に着たコートは弟とお揃いでした。白と赤が霜降りになった毛糸のコートで、フード付き。フードの縁と袖口には黒いウサギの毛が張ってありました。コートを着て撮影した記念写真はカラー写真が出始めたばかりの頃のものですから、今ではもう薄茶色(セピア色)になっています。出始めの頃のカラー写真って色あせしやすかったのです。今年はフードとか襟元にフェイクの毛皮がついたコートが流行るみたいですね。 591 20061103 落ち葉の匂い  いつもは寝ぼ助の娘が朝早くに支度をして出かけて行きました。なんでも仙台へ紅葉を見に行くのだそうです。ここのところ、毎年、秋が来るのが遅くなっていますが、11月になるとさすがに寒くなってきます。飯田橋あたりでも、毛糸のマフラーをした人の姿を多く見かけるようになりました。

 デパートなどのショーウィンドーを見ていると、けっこうデコラティーブなファッションが流行っているみたいで、網タイツなんかがかなり出回っています。こういうのって流行っているときしか買えないので、今年は余分に買っておこうかしら?25年ほど前にパリに旅行したときも、網タイツが流行していたのですが、東京に戻ってみるとほとんど売ってませんでした。そういうものを東京の女性も身につけるようになったというのか、それとも流行に時差がなくなったというのかどちらなのだろうと足の装飾を眺めています。いや、落ち葉の匂いの話を書こうと思っていたのに、話がそれてしまいました。

 網タイツの話にそれてしまったついでに、思い出したことをひとつ。若い女性が網タイツをはいているのを見ると「昔の年上の女の人は意地悪だったねえ」とついつい昔を思い出してしまいます。ちょっと色っぽい服装をしたり、変わった身なりをするとじろりとした目で眺めて皮肉っぽいこ言葉を投げかけてきたりしたものです。ああいう意地悪な感覚って、なんだったのかしら?あんな目で眺められたら、デコラティブなおしゃれなんて出来たものではありません。そういう意地悪がなくなって良かったなあって思います。

 そうそう落ち葉の匂いの話。飯田橋から市谷に続く外堀の土手を夜、歩くと桜の落ち葉の匂いがします。春の花の時にはそれほど匂うということがない桜ですが、秋の落ち葉の季節にはほんとうによく匂います。桜餅のあの葉っぱの匂いです。この匂いに包まれると桜餅になった気分(笑)昼間の人通りの多い時にもきっと匂っているのでしょうけれども、夜8時を過ぎて人が少なくなった土手は、闇が甘く匂っています。

 緑色のコートに青い裏地を付けたものを注文しました。隠しのポケットを入れてもらって、名前の刺繍も入れてもらいました。もうすぐ出来上がってくるはず。注文服なんて作る人は少なくなってしまいましたが、ポレタ・ポルテよりも、なんとなく出来上がるまでの時間が楽しみです。 590 20061030 寝てくらす。  3日ばかり寝て暮らしました。おきている時間もなかったわけではありませんが、ぼうっとしてました。寝てるとしあわせ!

 お正月も寝てくらしていることが多いけれども、お正月になる前にちょっと一休み(このなまけもの!)で考えたんだけれども、散らかっているのが楽しめる家ってつくれないかしら? 一番簡単なのは、家そのものが広いことです。この場合は散らかっているのを楽しめるというよりも散らかる場所を移動させる(結局、最後は家じゅうが散らかることになるかも)に過ぎないのかもしれない。しかし、何かうまく散らかっていることが楽しめるようなインテリアなり設計なりがありそうな気がしてます。

 で、よく考えてみると(寝ながら)家の中が散らかって困るのは、物や道具がごちゃ混ぜになってしまうからです。で、寝室、書斎、台所、食堂っていうふうに空間が区切られていれば、物や道具がごちゃ混ぜになるのはかなり防げるでしょう。狭い家でもそんなふうに空間を使うことはできないかなあって思ってました。あと、空間には、物や道具を受け入れるための許容限度みたいなものがあって、それを超えると散らかっていることを楽しめなくなっちゃうんだなあとか、寝ながら考えていました。重量オーバーじゃなくて、こういうのをなんと言ったらいいのでしょう。つまり、散らかっていることを楽しめる家にするには、その許容限度を探さなくちゃけいないわけだねなあんて、寝ながら考えていても、許容限度は探せないのですが、寝ていたせいで、頭はすっきりしました。頭の中にも許容限度があるみたい。 589 20061029 耐震偽装事件と高校の必修科目未履修問題  昨年の秋に表沙汰になった耐震偽装事件といい、今度の高校の必修科目未履修問題といい、組閣が終わると、こうした広範囲に影響のでる問題が転がりだしてきます。それも、メディアを通じたリークの形が二度も続くとなると、新大臣がスタンドプレーをやっているんじゃないかしら?と勘ぐりたくなります。それとも、官僚が新大臣を困らせるために、情報を投げているのかしら?

 結局、ほんとうにところはわかりませんが、そういう勘ぐりがひとり歩きをするだけでも、行政や政治に対する信頼はそうとうなダメージをこうむることになります。私が考えるようなことは、おそらく、日本中の多くの人が考えるに違いないからです。

 必修科目未履修問題では「それにしても私立高校の数がすくないなあ」って首をひねっている人がいました。確かに。確かに。もっと私立高校で未履修がありそうな気がします。07年には大学全入時代が来るとか、いや、もう実質全入になっているとか言っている時代に「受験」を理由に履修科目を減らしていたというのもなんだか納得できない話です。学校の認識になにか時代錯誤的なものがあったのではないかしら?とつい考えてしまいます。今、校長先生くらいになっている世代ってものすごく受験が厳しかった時代に大学生になってます。受験者の数はどんどん増えるのに、大学の数が少なかった時代の受験生でした。「受験生ブルース」なんて歌が流行していた頃です。その当時の記憶って、なかなかしみ込んで離れないのではないでしょうか?

 とすると、たぶん、メディアの報道が信用されていないのです。報道が信用されないから、「受験生ブルース」を歌っていた往時の記憶で、受験用の学校を作ってしまうという事態になったのかもしれません。

 耐震偽装事件のほうはすっかり矮小化されてしまいました。たぶん、危ない建物はもっともっとたくさんあるのでしょうけれども、一部の人が大きな打撃をこうむる形で終わりになってしまいそうです。 588 20061027 現代文学とエロティシズムの変容  タイトルのテーマで横浜で講演します。今月の文芸雑誌は新潮、すばる、文芸が新人賞を発表していますが、セックスの描写が、以前と比べてずいぶん変わったなあと思うと同時に、性のモラルの変化もそこに感じます。性のモラルは日本の文学では恋愛小説を書くうえで大きな障害になっていました。また性のモラルというものが、男女差に基づいていたので、不合理な男女差別を生み出している感じも強くありました。が、ほかのことと違って、なんとかなるものではありませんでした。

 簡単に言うと何をすてきだと感じるかは、まあ、理屈ではなくて感覚の問題であり、身体的な反応だからです。昔は(昔って言ってもほんの2、30年前)は理屈っぽい女なんて、女のとしての魅力がないなって平気で言っている男性がいたものです。「あなたが魅力を感じないのは勝手です」と応戦しておくよりほかになかったのですが、今はそんなことを言う人はほとんどいないでしょう。魅力を感じないというよりも、近寄りがたいと思う人はいるかもしれませんが……。そのあたりの変化についてお話したいと思っています。人間って、頭の中にしみ込んだ理屈で、身体の感覚も変わるんだなあと驚くような気持ちになることがあります。その一方で、ただ口先だけで理屈をこねても、身体がついてこないというようなこともままあるので、その兼ね合いを眺めるにはエロティシズムというテーマはおもしろいテーマだと感じています。 587 20061025 松山に行ってました。  四国、愛媛県の松山です。そうあの「坊ちゃん」の松山で、道後温泉には入ってきました。おいしかったのはおこぜ。白い身はお刺身に。皮と肝を添えて。骨はから揚げにして、頭は麦味噌で味噌汁に。ああ、おこぜや、おこぜやって感じでした。そうそう松山は、俳句の革新運動を起こした正岡子規の故郷でもあります。

 おどろいたのはヒレステーキ。とっても上等なヒレ肉(もちろん牛)を鉄板でステーキにしてもらったのですが、最後にお好み焼き用ソースがじゅっとかかって、「あれれれれ?」でした。お好み焼き用のソースは嫌いではないのですが、あんな良いお肉にかけなくってもとい感じでした。このステーキ屋さんの人気メニューはソバメシ。熱した鉄板の上で、白いご飯と焼きそばをお野菜といっしょにじゅうじゅうといためて、これまたお好みソースをかけて出来上がり。テイク・アウトもできて、サンダルをはいたお兄ちゃんが「コンビニに行ってくるから、その間にそばめしを作っておいて」なんて注文してました。上等なヒレ肉を持っているのが、不思議な感じの庶民的なお店でした。

 町の真ん中にお城の山がデンとありました。この山がロープウェイを使って登らなくちゃならない高さ。あんな山の上のお城に住んでいたお殿様は寂しくなかったかしら?毎朝、御家来衆が登城してくるのが待ち遠しくはなかったかしら?それとも自然に孤高の気が養われて、気高いお殿様になったのかしら?そうではあっても毎朝、登城する御家来衆は容易じゃないねえというお城でした。お城の周りを路面電車が市内いたるところ150円という運賃で走ってました。電車は窓枠まで木星の古い型から、最新式まで、いろんな種類のが混じってました。窓枠まで木星の古い型のやつは、走る時

 うぃんうぃんごとごとぶううんぶんごうごう

 と賑やかな音をたてて走り回っていました。 586 20061020 外交合戦は賑やかだけど  北朝鮮が核実験をしていらい、さまざまな外交合戦が繰り広げられていて、新聞の一面の写真は日、米、韓、露、中、朝の政府高官、要人の顔が並んでいます。が、これから頻繁に会談が行われているにもかかわらず、会談の内容はさっぱり伝わってきません。こういうときは何か重要な内容が話し合われているのはまちがいないのですが、それが形になって現れてくるのはいつだろうかと固唾をのむような感じです。

 公立の体育館で警備員のアルバイトをしている息子の話ではテロ警戒の書類が回ってきているとのことでした。ガス、水道などのインフラ施設の警戒を重要視している内容だったと言っていました。

 7月に山形の鶴岡に出ているとき、北朝鮮がミサイルを発射したということがありましたが、今度は飛行機で松山です。こんな調子だときっと空港の搭乗手続きも警戒レベルがあがって厳しくなっているでしょうから、早めに出かけるようにしたいと思います。 585 20061019 甘い夜風  毎年、毎年、だんだん寒くなるのが遅くなっているようです。ここのところ、帰宅の途中で、夜の街を歩いています。歩くにはちょうど良い気温で、空気も乾き、夜風は甘い匂いがします。10月も半ばを過ぎると寒かったという覚えがあるのは、コートが好きだからです。以前、10月半ばにはコートを羽織っていたものですが、最近はコートが欲しいとは感じません。

 シルクの混じった生地のコートを注文しました。さすがに薄手のコートは真冬に着られませんが、厚い生地のコートを着ている時期よりも、薄い生地のコートを着ている時期のほうが長くなっているような気がしてます。
 そこで花柄の地紋を持った緑色のコートにブルーの裏地を付けてもらうことにしました。内ポケットにネームも入れるようにお願いしました。既製品ではなくて、せっかくオーダーするのだから、ちょっと贅沢することにしたのです。甘い夜風にすそがひらひらすると楽しいなあと、すそには少しフレイヤーを入れてもらいました。
 出来上がってくるのが楽しみです。それまでに急に寒くなって霜が降りたなんてことがありませんように。 584 20061017 せせらぎの会  「せせらぎ」の会は9年前に開かれた文章教室をきっかけにできた作文の会です。毎年、一年に一回づつ、会員の皆さんが作った文集を講評する会に講師としてお招ききただきました。その「せせらぎ」の会が今年でおしまいになるということです。会員の皆さんが10年分、歳をとられたからです。

 「せせらぎ」という名前は「けい」→「渓流」→「せせらぎ」というふうについたのだということを、最終会にして初めて知りました。一口に文章と言っても、手紙、報告書、エッセイ、小説、評論などいろいろなスタイルがあります。「せせらぎ」の会は文章のスタイルを絞ることなく、それぞれの方が思い思いの文章を書いてきた会でした。それだけに、文章を書く楽しみは書く人の個性によっていろいろあるのだなと感じさせられることの多い集まりでした。

 一年に一度、皆さんのお元気そうなお顔を拝見するのもこの会に行くときの楽しみになっていました。なくなってしまうのはとても残念ですが、会員の皆さんのなかには「豆の葉」を御覧になっていただいている方もいるようですから、また何かでお目にかかれればいいなあとせつに思います。皆さん、どうぞお元気で御過ごし下さい。ごきげんよう。 583 20061014 「買えない味」「買える味」いろいろ  タイトルは平松洋子さんのドゥ・マゴ賞受賞式二次会でくばられた冊子のタイトルと同じです。二次会のお料理が赤い小さな文字で紹介された冊子でなかなかしゃれています。以下、その内容から抜粋。

焼き鳥 銀座バードランド
トルコ風ペースト 土器典美(DEE'HALLオーナー)
クスクス     
スパイシーなえびのグリル+ファラファル
         中村あき子(料理研究家)
野菜いろいろ
 EXオリーブオイル イタリア・トスカーナ
            「ボナッコシ」
 塩 石川県珠洲市仁江町 角花豊製
 レモン 瀬戸田エコレモン
パイナップル ホットシュガーといっしょに
          平松洋子

ハイボール     銀座「ロックフィッシュ」
ビール       アウグスビール
ワイン       オーストラリア
          「パンロックステーション」
           カルベネメルロー

 ね、ちょっといいでしょ。こういう二次会って。 582 20061012 買えない味

平松 洋子 / 筑摩書房
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 平松洋子さんがドゥ・マゴ賞を受賞しました。「買えない味」は受賞作です。昨晩、渋谷の東急文化村で授賞式がありました。平松さんは紺色のシンプルなワンピースがよく似合っていました。
 二次会は青山で。こちらの方が授賞式よりもたくさんの人でごったがえしていました。正直言って、誰がいるのかまったくわからない状態。で、銀座の焼き鳥屋さんのバードランドが出張してきて、お庭で焼き鳥を焼いてました。私は羊を焼いたのをごちそうになったのですが、これが忘れられないくらい美味でした。ちゃんと羊の香りがするのです。
 「買えない味」は食べ物は誰とどんなふうに食べるのかで味が変わることを書いたエッセイ集。人間を幸福にしてくれる食べ物は「買える」ものばかりではないのです。で、このエッセイ集を読んでいると、私は子どもの頃のことを思い出すというよりも、もうこの世にいない人、祖父母とか父母とか叔母とか、そういう人たちに会っておしゃべりをしているような気がしてきます。そうそう、小さかった弟とか小さかった自分とか、雨の日にどこかに越していった雨宮さんとか、まだみんなこの世にいますけど、でももう会うことができなくなった人もそこに加わってくるみたいな、そういうエッセイ集です。 581 20061010 こんどの超漢字は  今月、パーソナルメディア社から「超漢字X」がでるということです。で、これがちょっとすごい!今まではPCのデスクを区分して「ウィンドウズ」と「超漢字」を別々に使ってました。だから「超漢字」から「ウィンドウズ」に移る場合には一旦、パソコンを閉じて、再起動させるという作業が必要でした。今度は、「ウィンドウズ」の上にかさねるようにして「超漢字」を使えるようになるらしいのです。

 感覚的には「ウィンドウズ」のアプリケーションソフトみたいですが、もちろん、エンジンは「トロン」です。で、さらに、さらに楽しみなのは、1ページに複数の原稿を印刷できるという点です。PCのワープロソフトは「原稿」と「製版」の観念が混在していて、原稿を書こうとする場合には使いにくいのですが「超漢字」では400字の原稿用紙を設定して原稿を作ることができます。で、それを紙に印刷するときは400字ではなくて複数ページで印刷できるようになると、これは修正の作業がものすごく楽になりそう。

 なぜそんなに400字にこだわるのかは、これまで幾つかの原稿を書いています。簡単に言うと400字でどのくらいの内容を盛り込むことができうるかが、直感的に解ると長編製作がイメージしやすくなります。私などは400字つめ原稿用紙を使うのが当たり前な時代に仕事をしてきましたから、大学の学生の諸君にそのことを言い忘れてしまうことがあります。400字という標準的な文字数で原稿を考える習慣をつけておくと、長いものを書くときに便利なんだと教え忘れて卒業制作の時にあわてるということが何度もありました。(今年も誰かいるんじゃないかと心配)あんまり当たり前のことってつい忘れてしまうのですが、PCを使って当たり前の学生はそもそも400字という文字数の感覚がない場合があります。それから、これも物書きの世界ではあたりまえなのですが、規定の文字数で原稿を書くというのは、一般的にはあまりやれる人が少ないようです。
 「超漢字」には原稿の進捗具合を視覚的に示すイイジゲーターを付けてもらいました。で、そのことをものを書くことを仕事にしている人に話すと一様に「それ、いいなあ」って言うのですが、文字数を限って原稿を書くことがない人には、このインジゲーターの必要性はあまり感じていないようです。文字数を意識しないと文章の構成ってなかなかできないのですが、そのへんにはあまり注意をしていないみたいです。

 それで、「超漢字X」の心配は仕事をしながら、ちょくちょくネットを覗いたりして遊んでしまうんじゃないかというところ。これまでは、再起動させなくちゃいけないという制約で、仕事の時は仕事というけじめがありましたが、その集中力を一時的に失うかもしれません。ほんとPCってなんとなく散漫に時間を使ってしまうのはテレビ以上の威力があります。という心配はありながらやっぱり「超漢字X」が待ち遠しいです。 580 20061007 十六夜の月とともに  ちぎれ雲の上に顔を出した十六夜の月といっしょに空を飛んで那覇から帰ってきました。8日は那覇の大綱引き。綱引きを見たかったのですが、8日は鎌倉で予定が入っているので、夕方の便で戻ってきました。沖縄タイムスの新沖縄文学賞の選考会でした。

 今年は8月に選考委員のお一人の岡本恵徳さんがなくなって大城立裕さんと二人の選考会でした。新沖縄文学賞は沖縄の伝説に題材をとった作品になりました。沖縄タイムスはネットバージョンもありますから、詳しくはそちらを御覧下さい。

 金曜日に東京を出発する時は羽田の上空を分厚い雲が覆っていました。しかし、四国以南は快晴で飛行機も揺れませんでした。那覇の大綱引きがあるせいか、はたまた修学旅行の季節のためか、飛行機は満席でした。
 選考会の開かれたザ・ナハテラスのロビーでは浅丘るり子らしき人を見ました。あんまりじろじろ見るのも失礼なので、他人の空似かもしれません。でもあの小柄な体格で、目を引く存在感は女優さんならではないかしら?などと考え込んでしまいました。
 ザ・ナハテラスのあるおもろまちは那覇と首里の間にできた新都心ですが、FDS(免税売店)などもあり、なかなか賑わっています。ザ・ナハテラスがかつてのハーバービューホテルに変わる高級リゾート・ホテルで、けっこういろんな人が来ているというのは沖縄タイムスから聞いた話です。ハーバージビューホテルはもとは米軍の将校クラブでしたから、沖縄もずいぶん変わったなあと思いました。

 というわけで、那覇に一泊。土曜日の国際通りはぶらぶらと歩いて、午後の便で帰ってきました。国際通りはお土産屋さんの激戦区。韓国客のリピーターが多い沖縄ならではの競争があって毎年覗くたびに、なにやら目新しいものがあります。今年は手描きのTシャツを見つけました。金魚にしようか鯉にしようか迷ってあげくに金魚を購入しました。帰りの飛行機の窓のそとに十六夜のよく済んだ月が浮かんでいました。カメラマンの比嘉康夫さんに十五夜の沖縄を案内してもらったのはもう25年も前なのを思い出しました。

  579 20061006 大雨のお誕生日  今年こそはお誕生日のプレゼントをせしめてやろうと思っていたのですが、残念、午前中の便で沖縄です。幸い、台風は沖縄をそれているのできっと飛行機は飛ぶでしょう。自分が出かけてしまっては「お誕生日のプレゼントをもらいに来たの」なんて言うこともできません。
 ちょっと残念。えっ、誰からプレゼントをせしめようとしていたのか?って。それは内緒。 578 20061004 小林孝亘個展  「うさぎとトランペット」の公明新聞連載時の挿絵と単行本の表紙の絵を描いてくださった小林孝亘(たかのぶ)さんの個展が開かれています。

 西村画廊 東京都中央区日本橋2−10−8
      日本橋日光ビル3F
      TEL 03−5203−2800

      10月3日から10月28日まで

 3日に久しぶりに小林さんとお話してきました。今度の個展は人の顔です。ぱっちり目をあけた人の顔。片目をつぶった人の顔。肌色とグレーのトーンが美しい絵でした。絵を描くときは、色の濃淡、線の流れ、部分の配置など、人の顔(意味)よりも、そういう絵の部分と画面の関係を考えて描くそうです。でも人の顔だと、ことに目を開けた人の顔は、描いているうちにだんだん表情(意味)を帯びてくるというお話をしてました。
 時々、ほんとうに世界はいろんなふうに見えているんだなあと思うことがあります。絵を描く人には、世界は線と面の組み合わせと色の濃淡で出来上がっていると見えるらしいのです。これは画家とお話すると、ある共通した感じがあります。
 文章を書く人間は世界は意味(言葉)でできているように見えます。無意味でさえ、無意味という意味(言葉)で構成されているような気がします。
 昨年、ご結婚なさった小林さんはふだんタイにお住まいですが、来年の春までは、新しく開設される横須賀美術館での展覧会のための絵を日本で描くそうです。
 横須賀美術館の絵も楽しみです。 577 20061001 こんなことができちゃうんだ。

長谷川 郁夫 / 河出書房新社
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 「表現者」で著者の長谷川郁夫さんにインタビューしました。アマゾンにリンクできるブログを見つけてやってみました。こんなことができちゃううんだ!

第一書房創業の頃、皮装の豪華本で萩原朔太郎や堀口大学の詩集を作った長谷川巳之吉が、日中戦争勃発の頃から大川周明やヒットラーのほんを軽装本で出すようになるのは一見、矛盾しているように感じられるかもしれませんが、もともと幻視者(ビジョニスト)的な性格があった人物としては、ある意味、当然の帰結だったのかもしれません。いずれにもヨーロッパの模倣が含まれているという共通点が、それをよく物語っているように思えます。詩人が見た幻は皮装に包んで限られた人々に届け、国民が見た夢は軽装のペーパーブックで届けたというのは出版人としては、まことに正統な感覚であったと言えるでしょう。前者は選ばれた読者のためであり、後者は万人のためのものだからです。
 高級ブランドの販売と薄利多売の大衆的商品の販売の仕方の違いです。それは同時に植民地主義にたんを発した軍事拡張と軍備増強がきわめて大衆的な政治潮流であったことを意味しているように思えます。
 巳之吉は第一書房が最盛期を迎えた昭和19年に突然、廃業します。「表現者」のインタビューを終えてから著者の長谷川郁夫さんに聞きました。「巳之吉は昭和19年の正月もしくは18年の年末の時点で、日本の敗戦を見通していたかしら?」「それはそうだろうけど、それは書かなかったの」という返事でした。
 「美酒と革嚢」は資料をして語らしむるという姿勢の評伝ですが、あえて書かれなかったことがたくさんある本です。書かないことによって語られることがたくさんあると言ってもいいでしょう。詩人の夢が国民国家の空想的な夢想に大変化をしてゆくさまは、書かれずに語られたことのひとつでしょう。 576 20060930 美容院に行きたいなあ!  というわけで、明日、美容院の予約をとりました。銀座通りにある美容院に行ってます。銀座通りはデパートやミキモト、山野楽器など大きなお店が多いのですが、大きなビルとビルの間にほそっこい鉛筆ビルも建っていて、そういう鉛筆ビルのワンフロアにある美容院に行っています。いつも髪を刈って(なんという言い方だ!床屋じゃないって言われそう)くれていた美容師さんが昨年、独立してお店を持ちました。そのお店を開いた場所が少し遠かったので、今のそのお弟子さん?にカットをしてもらっています。

 美容院に行くのが楽しくなったのは何時ごろかな?もう10年くらいになるでしょうか。その前は嫌でした。行きたくないから1年くらい美容院に行かずに髪を伸ばしていた時期もありました。小学校入学前までは床屋さんが大好きだったのに、なぜかその頃は髪を切るのが嫌いでした。小学校入学前までは、家の向かいに床屋さんがあった時期があって、その床屋さんにすごく可愛がってもらっていたのです。で、何時、美容院が嫌いなって、また好きになったのかって、昨日からいろいろ思い出そうと考えているのですが、分かりません。気まぐれなんです。

 今は髪を短くしてます。耳たぶが出る感じ。耳たぶが出るとイヤリングができて楽しいのですが、イヤリングってすぐになくしちゃうしなあ。ピアスはいたそうで嫌だし、困っちゃうんです。日曜日に銀座まで出るなんて珍しいからデパートを覗いてこようと思ってます。豹柄のキャミソールが欲しい!なんでだか解りませんが、この時期、つまり虫の声が獰猛なほど響き渡る時期になるとなぜだか豹柄のキャミソールが欲しくなります。なぜ、この時期なのか解らないけれども、登校拒否のおまじないになるんです。豹柄キャミソールが。紺色のギャバのスーツのしたに豹柄のキャミソール着ているなんて誰も思わないだろうなって、そういうことを理由になんとか学校に出るわけで……。ま、そういうことです(笑) 575 20060929 ベランダの秋  ムラサキシキブが紫の実をつけています。鷹の羽ススキ(鷹の羽のような斑入り)が穂を出しました。はぜの葉が赤く染まり始めました。彼岸花が9本咲いています。市谷の土手の彼岸花より咲くのはずいぶん遅くなりました。これが我が家のベランダの秋です。

 彼岸花は以前、もうだめかなと思った時期もありましたが、球根を掘り返して、植木鉢に植えなおして養生をさせたら持ち返しました。植木鉢でもけっこう増えるということが解ったので、来年が楽しみです。

 広い庭があったらいいなあと思うこともありますが、ベランダでもけっこういろんなものができます。ただ、庭に草花を植えるというよりも、日持ちのするいけばなという感じでやるほうが良いようです。無理に球根や種から育てるよりも、花の咲いた苗を買ってきてしまうほうがいいものもあります。コスモスなども、花の咲いた苗を秋になってから買うほうがいいみたい。というのも、夏の間、ベランダの床がかなりの高温になったり、地上では吹かないような大風が吹いたりするからです。


 来年は、鷹の羽ススキの芽が出る頃に、アルミもしくは銅といった金属の円筒形の鉢を用意しようと考えています。庭よりもずっと鉢のデザインがものを言うのもベランダという場所のせいでしょう。ですから、なんとなくいけばな感覚になるのです。 574 20060928 コスモス  コスモスはおばけのように大きくなる株を持っている花です。で、子どもの時の話ですが、近所のおばさんがコスモスの株を憎憎しげに抜いていたのを思い出します。「こんなもん、はびこっちゃってしょうがない」って言っていました。花がたくさん咲いている株は無理やりに抜いていたのです。

 なんだか、もうすごく無残なものを見せられるようで今でも秋になるとその光景を思い出さずにはいられません。ええと、何がいいたいのかというと、ただただ痛ましい気がします。コスモスがではなくて、花をいっぱいつけたコスモスを抜く人の気持ちがなんとも言えず、ざらざらした感触になって私の胸の中に残っています。

 雑草はどんどん伸びるものですから、その草取りはたいへんな仕事で、大きな株になったコスモスを憎む気持ちも想像してみることは大人になるとできないことではありませんが、それざもやっぱり「ざらざら」は残ります。荒地でも大きな株に育つ旺盛な生活力と可憐な花が風にそよぐ姿のアンバランスを憎んでいたのかしらと、「ざらざら」しながら考え込んでしまうことがあります。昨日は雨。今日は良いお天気になりました。 573 20060924 ローライズ  伊藤比呂美さんのいるアメリカでも、ウェストではくスカートよりも腰骨あたりに引っ掛けるローライズのボトムが流行ってみるみたいです。で、私も持ってます。ローライズの半ズボン。でも、ねえ、腰骨で履くとお腹がはみ出しているように見えちゃって。見えるっていうか、完全にはみ出している。絶対にそれで外は歩けません。ああ、これをちゃんと着たいなあって時々、うちで着ています。来年の夏にはなんとかなるかしら?

 女の子のローライズはぺたんこなお腹でにっこり笑っているおへそを見せたいという感じかしら? つまり「お腹」をほこりたいのですが、私は別の意味がお腹が勝手に誇っているって。ま、そんな感じです。

 問題は男の子のローライズのジーンズ。どうせ足が短いなら思いっきり短く見せてやるという開き直りを感じます。すらりとした足の持ち主まで短足でよたよた歩いている。で、きれいなお腹を見せるのではなくて、お尻の割れ目が見えそうなのもあるし、おまけにダメージジーンズって最悪。大学のエレベーターの中などで、出会った時には、ズボンを下ろしたくなるし(ズボンを脱いで洗濯しなさい! と言いたくなる)まったく困ったものだ。中国の赤ちゃんがズボンを下ろさなくてもおしめを変えられる下穿きを履いていますが、あれにそっくりです。長い足がもったいない。

 時々、へんなものが流行るなあって、おもしろいようなおもしろくないような、そんなところです。来年はローライズのボトムが履けるようになっているかしら?それから今、ローライズのボトムを履いている若い人たちも年をとったら「そんなローライズなんて年寄り臭い」なんて若い人から言われる時がくるのかしら? 572 20060922 去年の選挙の怨み  去年の今頃は衆議院選挙が終わったというところではなかったでしょうか?あの選挙日本全国津々浦々にずいぶん怨みを残してしまいました。選挙というのは、結局、人の繋がりをたどって支持者を集めてまわるということですから、候補者に協力した人は候補者の当落によってあとに様々な感情が残るのが当たり前です。が、去年の選挙ほど大きな遺恨が残る選挙も珍しいと思います。

 あと数日で安倍晋三政権が誕生しますが、この政権はそれほど長くは続かないだろうと、学生でも感じています。昨年の選挙の遺恨から生まれる争いを抑えきることはできないのではないでしょうか?若い総理にとってはほとんど無理難題というような事件が次々に起きてきそうな気がします。

 それでなくても、小泉内閣の発足当初から誰が情報を流したのか納得できないような事件(金正男の密入国事件、日銀総裁のスキャンダルなど)大騒ぎしたわりには途中で立ち消えのようになった事件(マンション構造偽装事件)検察の措置に疑問が残る事件(ライブドア事件や村上ファンド事件)などなどぞろぞろありました。これからまた、そういう権力闘争が反映されたスキャンダルや刑事事件がぞろぞろ出てくると想像すると憂鬱です。マンションの構造偽装事件なんて、権力闘争にはなんの関係もないと思ってた人を突然巻き込んでしまったわけですから。そういうことがないとは限らないのです。

 ミラーマンなんてあだ名を付けられた植草一秀氏が痴漢行為で二度目の逮捕されたときは、鎌倉に出かけていてニュースをまったく知りませんでした。翌日の夕方、鎌倉駅前で待ち合わせた「表現者」の佐藤さんから教えれてびっくりしました。一回目の逮捕の時は真面目に「陰謀説」を信じている人もいました。なにか裏があるんじゃないか勘ぐりの入る事件が続くと、どれが「陰謀」でどれが「珍事」でどれが「ごく普通の事件」なのかわからなくなってしまい、疑心暗鬼が蔓延するということになりそうです。そうそう、民主党をがたがたにしたへんてこな偽メール事件もありましたが、そうしたばかばかしい事件もまた起こらないとも限りません。 571 20060919 台湾リスとかみつき亀  誰のお葬式の時だったか思い出せないのですが、鎌倉の東慶寺でお葬式があった時、参列者の間を台湾りすが平気で走り回っていたことがありました。高徳院の前にある華正楼の3階の座敷で食事をしていたときも窓辺を台湾リスが駆け抜けたので、目を丸くしました。いずれも数年前のことです。

 この夏、上郷の「森の家」のテラスで缶コーヒーを飲んでいたら、なんと台湾リスが手を出しているのです。距離は1メートルありませんでした。80センチくらいまで近づいてきて「頂戴」のポーズ。リスってコーヒーを飲むのかしら。たぶん餌をもらいなれているのだと思います。大船観音へ登る山道では孟宗竹の林の中をリスが飛び歩いていました。竹に虎ならぬ竹にリスです。長い尻尾を器用にすべすべした緑の竹に巻きつけて移動していました。なるほど尻尾はそんなふうに利用するのかという実演を見ているみたいな光景でした。

 この台湾リスの繁殖は三浦半島一帯でかなり問題になっていて駆除もされているようです。

 我が家の近辺で問題にされているのがかみつき亀。大きく育つと1メートルにもなるという亀ですが、光が丘公園に出没するそうです。名前のとおり噛み付く力はかなりな威力を持っているという話でした。息子が「かみつき亀は拾ってこないから安心して」と言ってました。でもそのうち、公園でかみつき亀に遭遇するかもしれません。 570 20060917 漢字を間違えちゃいけないね  40年ぶりに大船の「大船観音」に行ってみました。40年ぶりと言っても、前に行ったのはバスを使った幼稚園の遠足でした。その頃はバスに乗ると必ず酔ってしまうので、バスの中では例によって気絶(寝てしまうこと)していたのだと思います。大船観音は駅前にあったという記憶しかありません。肝心の大船観音の記憶はまったく消えてしまっています。

 電車の中大船駅からはいつも眺めている笑みを浮かべた白い観音様です。駅を出ると川の匂いがしました。この川の匂いを覚えているのはきっとバスの中で気絶していてぼうっとした頭で「ここはどこ?」とあたりを眺めまわしていたせいでしょう。法政のゼミ生が一緒だったのですが、そのなかの一人が「あの観音様は顔だけがでかくて身体は小さいんだぞ」と冗談を言ってました。で、実際に山に登ってみると(観音様は山の上に建っているのです)それは胸像、つまり胸から上が唐突に鎮座している観音像でした。N君の冗談は半分くらい「当たり」だったというわけです。

 階段にはさまざまな人の祈願を書いた幟がはためいていました。「身体堅固 良縁」なんて文字があって、身体が丈夫で良いお嫁さんが来ますようになんて、なんだかちょっとおもしろいねと、ゼミ生の女性に言うと「でも先生、これって良縁じゃなくて縁(えん)の字が緑(みどり)になってますよ」と指摘。ほんと「良緑」でした。「きっと良い緑さんがお嫁さんにくるんだよ」とか「いやいや、庭の植木がどんどん丈夫になって茂るようになっちゃうんだよ」とか「光合成のできる立派な身体になるんだよ」などなど、みんな、勝手なことを言っていました。やれやれ。漢字を間違えるとたいへんなことになるみたいです。 569 20060914 建築家のパーティ  SDレビュー2006のオープニングレセプションに行ってきました。展覧会の会場でのレセプションは。美術展のオープニングに似ていました。小説家の集まりよりも、建築家の集まりのほうがおしゃれで社交的な感じがしました。デザインとか美的センスが要求されるし、いろんな人と共同でする仕事なので社交性のなければやれないということなのでしょうか?

 設計は鈴木隆之氏ですが、構造計算をしてもらう建築士さんも紹介していただきました。それから会場で「施主さんです」と紹介されて、いささか戸惑いました。今まで施主というと法事の時の「施主」もしくは御塔婆供養の「施主」くらいしか経験したことがありませんでしたから。まあ、御塔婆供養もほんとうは木の札じゃなくて塔を建てなくちゃいけないんですけどね。

 リゾートホテルの設計とか下町の住宅設計に混じって月光洞のモデルも展示されていました。風景をまったく無視した建築ではなくて、周辺の環境にあわせた建築というのが、最近の流れなのだそうです。で、会場で一つ、びっくりするようなことを教えてもらいました。どうやら月光洞の縁側(濡れ縁)は開閉式になるらしいのです。それを聞いたとたん、私の頭には建築家を罵りながら、寝れ縁を持ち上げている自分の姿が浮かんだのです。だってあんな大きなものを持ち上げるなんて、想像を絶しています。くれぐれも女手ひとつで動かせる設計にして下さいとお願いしてきました。 568 20060912 雨降り。  一昨日の明け方の雷雨はそうとうなものだったようです。私はカーテンの向こうがぴかぴかしているのを夢うつつで見ていました。目は覚めませんでした。「あれで目が覚めないなんて、鈍感」って家の者に言われてしまいました。秋の長雨だそうです。

 秋の長雨と言っても、8月のはじめまで梅雨空が広がっていたのですから、今年は海の家なんかをやっている人にとっては、ほんとうに目も当てられないようなひどい年ということになるのでしょう。

 そして今日も雨でした。雨の日はなんとなく時間の進み方がぼんやりとしていて、とくに午後の時間はつかみどころがない感じがします。そのせいか、なんだかそわそわしているのに、仕事があまり進みません。 567 20060911 ゴジゴジ  「豆の葉」を読むとばかになるという話。これまでの誤字でなんといっても大ヒットは「ばかざわ」でした。管理人のペンネーム「ながしろばんり」を「ばかしろばんり」とか。あやうく表に出さずにくいとめたのは「ながしりばんり」ってものありました。これは初公開。

 それから「どちそう」ってものあったし、「ごちそう」の間違いです。ほかにもいろいろとあるのですが、笑って許して下さい。なんてダメかしら。

 漢字が苦手なうえに、この頃、老眼と乱視が進んじゃって、もうあんまり見えてないってのがほんとうのところです。ああ、眼鏡屋さんに行かなくちゃ。 566 20060910 人が減って動物が増える  政府の統計では昨年はじめて日本の人口は減少に転じたのだそうです。旅行をしていると人の住む家が増えたなあと思います。人口が増えただけではなくて、以前よりも生活が豊かになり、良い家に住むようになったことも原因しているのでしょう。これから人口が減って行くと日本の景色というのはどう変わって行くのでしょうか?

 盛岡の駅前の高層マンションが出来ていました。そのマンションの記事が今朝の読売新聞に載っていました。以前、青森で駅前の高層マンションが出来たときに聞いて話では、雪国の駅前マンションは高齢の人に人気があるのだそうです。なにより、真冬の雪下ろしが必要ないというところが魅力で、これまでの家を手放して入居する人が多いのだそうです。

 人は減っても、動物は増えているそうで、今年はまた熊があっちこっちで出そうですが、鎌倉では台湾リス、ハクビシン、それにアライグマが増えているという話を聞きました。私の知人は夜、池に写った月を見ようと、池の中を覗き込んだところ、アライグマが飛び出してきたそうです。池の金魚や鯉をとって食べるのだということでした。「月とすっぽん」じゃなくて「月夜のアライグマ」なんて。鹿が増えたとか、猪が増えたなんて話も聞きます。

 地方都市で駅周辺のマンションに人がかたまって住むようになると無人になるところが当然あるわけで、そこには動物がぞくぞくと集まってくるようになるのでしょうか?私のお婆さんになる頃は、家の周囲で猪に追いかけられたり、たぬきに騙されたり、アライグマに襲撃されたりするようになっているのかしら? 565 20060910 龍泉洞  龍泉洞へは4年生の卒業合宿で行ってきました。ゼミ生から龍泉洞の写真をもらいました。私のカメラは壊れてしまって、まだ修理してません。3年も使われてはマーカーはわりに合わないそうですから、新たらしいカメラを買わなくちゃいけないかもしれません。

 鍾乳洞の不思議な感じというのはなかなか写真ではうまく撮影できないのですが、実際に龍泉洞へ行ったことがある人は、あのコバルトブルーの水が流れる鍾乳洞を思い出していただけるのではないでしょうか? 565.jpg 564 20060909 熊汁一杯1200円  「熊汁一杯1200円。売り切れました」という張り紙を岩手の岩泉、龍泉洞の前の食堂で見つけました。龍泉洞を訪れたのは二度目です。最初は二十年ほど前でした。その頃は熊汁を売っていた食堂はなかったように記憶しています。

 20年前、花巻温泉のさらにおくにある台温泉に泊まりました。台温泉は坂道に並んだ温泉で、台温泉の入り口にあったコーヒー屋さんで「龍泉洞はすごいよ!」と聞いて、出かけていったのです。鍾乳洞の中をコバルトブルーの水がごうごうと流れていました。

 龍泉洞の中には地底湖があります。覗き込むと吸い込まれそうな地底湖で、その湖を結ぶ川が縦横に流れているのです。20年前に行った時よりも、洞内の木道が広がっていました。そのぶん、流れる水が見える部分が減っているのが、少し残念でした。その昔は木道もなくて川に小船を浮かべて、洞内を巡っていたそうです。

 熊汁の張り紙のあった食堂で雉のそばを食べました。鶏ではなくて雉の肉が入ったお蕎麦です。雉の肉は鶏肉よりも脂が少なく身がしまっていました。ここに熊の毛皮がありました。熊の毛に触ったのは初めてですが、人間の髪の毛の感触にそっくりでした。で、背中の毛は柔らかく、腕の毛は固いということをお店の人に教えてもらいました。確かに腕の毛はごわごわしているのです。人間でも頭の毛のほうが柔らかくて腕の毛は固い男の人がいますが、熊もそんな感じ。こんな剛毛の腕で抱きしめられたらたまんないなあって、ああ、恐い。

 龍泉洞までは盛岡からバスで行きました。途中で稔り始めた蕎麦の畑を見かけました。コスモスの花がたくさん咲いていました。熊の食堂(いや、そんな名前ではありませんが)の人に聞いたら、今年はお天気がおかしくてコスモスは早くに咲き出したそうです。梅雨が長かったので、畑の夏の作物が実らないうちに、コスモスが咲き出してしまったという話でした。

 盛岡で光源社によってきました。塗りのおわんが欲しかったのですが、それはまた今度にして、白磁の湯のみを買ってきました。轆轤引きで、地が優しく厚い湯のみです。しばらくはこれがお気に入りになりそうです。

 それにしても熊汁ってどんな味なのでしょうか?今年は天候がおかしかったので、また里にたくさんの熊が下りてきそうです。そろそろ、熊に襲われたとか、熊と格闘したなんてニュースが流れる季節になりました。 563 20060906 安倍川の流れと大崩  静岡に行ってきました。静岡新聞との打ち合わせと連載小説の挿絵を描いてくださる宮本恭彦さんとの打ち合わせです。

 安倍川を見てきました。東海道は海岸線を走る街道ですから、川はどこもみんな河口が近くて、大きく広いです。安倍川もまたしかり。大きな堤防を持ち、河原には玉石が積み重なり、とうとうと流れています。で、その河原を見下ろすように富士山が浮かび、富士山の南側には日本平が濃い緑色で寝そべっています。雄大な眺めですね。この安倍川の岸で家康によって切支丹が処刑されたということです。

 安倍川から大崩へ。大崩は難所だと聞いていましたが、聞きしに勝るところでした。どころでも車でいける時代ですから、徒歩の時代の難所も行ってみるとさほどではないとこともよくあるのですが、大崩は恐い、恐い。静岡と焼津の間の山が大きく海に張り出しています。張り出した山が急峻な崖になって海に落ちているのです。しかも、その崖はもろい岩で出来ています。もちろん歩いても頭上からいつ岩が落ちてくるか解らないし、足を滑らせれば白い波が泡立つ海の中へ転落する危険もあります。が、曲がりくねって車道を車で走るのもスピードがあるので、歩く以上のスリルがあるかもしれません。陽が暮れてからは決して通りたくない道ですね。今はトンネルをくぐれるようになっています。そうだ、もうずいぶん昔ですが、東名の日本坂トンネルで大規模な事故があって大勢の死者が出ましたが、あの日本坂トンネルが走っているのが、この大崩のあるところです。 562 20060905 伊藤さん、ご無事で  伊藤さん、ご無事でなによりです。私は夏風邪を引いて、風邪を引いたまま合宿に行って雨に濡れて、またまた風邪がひどくなってなんて感じで、ご返事が遅くなりまして。ごめんなさい。

 息子は顔面麻痺にかかりました。なんでもヘルペスなんだそうです。帯状疱疹ではなくて、麻痺って症状が出ることがあるそうです。幸い、順調に快復しています。テレビで麻生太郎外務大臣の顔を見て「きっと顔面麻痺の後遺症だ」って家族で話してします。

 娘は沖縄へ。泳ぎに行ってます。お土産にベランダで履くサンダルとゴーヤを買ってきてくれるそうです。何にも言って来てないので、きっと無事なのでしょう。

 あ、そうそうハリケーンから台風に変わった台風12号が、帰化台風って言うんだそうですが、日本の太平洋岸をかすめてとおりすぎそうになっています。 561 20060901 店子の伊藤でございます どっどどどうどどどうどどどうの日でございます。ごぶさたいたしました。カリフォルニアです。やっとネット環境がもとにもどりました。で、また依存してるので早晩封印をするかもしれませんが。キーボードをぬらした話(何回もやりました。その時点で新しいのを買いに行く、これがひけつです)怪気炎の話(周囲のおばさんたち、N沢さん、H田さん、E元さん、I藤さん、たいてい怪気炎を上げてますよ)お掃除貯金の話(しめきり前はぐっちゃぐちゃで、そのままです)手で書くという話(あたくしも手で書くしか能が無いひとりです。。。。)も身につまされて読みました。熊本は忙しかったです。気候と家族にシテヤラレました(これも死語?)仕事というかおつきあいで、「星の王子様」と「草枕」読んだのがすごく新鮮でした。もうすぐ熊本近代文学館では漱石展があります(と馬場さんからの伝言です)こんど大きな内藤濯展もあります。 560 20060830 怪気炎  先日、車でラジオを聞いていたら「私が体験したシゴの世界」という投書を紹介していました。テレビドラマ「Xファイル」の効果音を使っていたので、てっきり「死後」の世界だと思っていたのですが、なんだかへんな感じで、うまく意味がつかめませんでした。2、3本の投書を聞くうちに「死後」ではなくて「死語」の世界だと気付きました。日常的に使う語彙が減ってしまったために、いろんな人がいろんな場面で「死語」の世界に遭遇しているのですね。

 自動車教習所の教官が「あさっての方向を見ていちゃだめだ」と教習生に注意したら「あさってってどの方角ですか?」と真顔で尋ねられたなんて話が投書の中にはありました。そうそう、そう言いました。大事な時によそみをしたり、ぼんやりしていると「何、あさっての方向を見ているんだ!」なんて叱られましたっけ。

 それで怪気炎です。昨日、人から頂戴した本を読んでいたら「怪気炎」が出てきました。おや、まあ、懐かしい。しばらく自分でも怪気炎なんて言葉は使っていませんでしたし、人の口から怪気炎なんて言葉が発せられるのも聞いていませんでした。あっちこっちで怪気炎を揚げている人はいるんですけどね。ネットの掲示板なんて怪気炎だらけで、時には掲示板への書き込みが殺到するだけでなく、関係方面をメールの嵐が襲う「炎上」なんて現象もこの頃はあるそうです。「炎上」があるなら怪気炎も死語にしなくてもよさそうなものですけど。

 時代が変わって自然に死語になってしまう表現があるのは仕方がないことですが、最近の「死語」の世界はちょっとそうした自然の流れとは違うような気がします。「死語」を少し現世に呼び戻してやらないと生活が不便で仕方がない気が私はします。 559 20060829 日大院生フィールドワーク  またまた例によって日大院生のフィールドワークです。毎年、夏休みはものすごいお天気でふうふう言ってしまうのですが、今年は天の助け。涼しくてお散歩びよりでした。もう何年か続いているので、誰がいた時にどこへ行ったか忘れてしまってます。もっとも今年は昨年、台風で流れた時のコースなので余計にわけわからんってことになりました。

 まず、山の上ホテルロビー集合。例によって例の如しでのんびり出発。この段階で、土地の高低差が解らないというので、ニコライ堂に行く予定を変更して山の上ホテルの裏の錦華公園にでました。崖になっているのです。この崖はJRの線路の方向へ続いています。で、これがもとの神田山の名残。途中でカトリック神田教会を見学したかったのですが、月曜日でお堂は閉まってました。神田教会からJRの線路際に出て、水道橋へ。水道橋からJRに乗り、電車の車内から土地の高低差と川筋の蛇行に注意を払い、御茶ノ水で中央線に乗り換え、東京駅にでました。東京駅ではまっすぐに皇居のほうを見て神田山の切り崩して埋めた日比谷入江の見当をつけました。

 それから丸の内中通りを有楽町まで歩き、有楽町のガードをくぐって晴海通りへ。晴海通りをまっすぐに築地本願寺まで歩く予定がなぜか「ライオン」でビールを飲もうと言い出した学生がいて、銀座四丁目で、銀座通りを新橋方向へ。「ライオン」でビールを一杯飲んでいるうちに、ここまで来たら、新橋に出て浜離宮に行ったほうが早いぞってなことになって、築地本願寺はパス。

 新橋で、旧新橋駅の遺構を見て、日本テレビで岡本太郎の壁画を見る。でカレッタ汐留に昇って、隅田川河口と房総半島、三浦半島などを見渡しから浜離宮へ。
 浜離宮の汐入の池に浮かんだ建物と、その背後の高層ビル群は近頃は絵葉書などにも出てくる景色になっていますが、これを皆で見て「へえ」と記念撮影。「でも、高層ビルと江戸時代の離宮の間の景色ってみんなきえちゃってますよねえ」という感想にもっともとうなずきながら、水上バスの乗り場へ。

 今年は勝鬨橋からずっと続く隅田川の橋をしっかり見物して浅草へ。まあ、そういうコースでした。風水では北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白狐それぞれを配置して都市を作るのだそうです。玄武の守る北は山があり、青龍の守る東は川が流れ、朱雀が位置する南は池もしくは海、西の白狐は道があるという地形が都市つくりには向いているのだそうです。江戸の場合は玄武は富士。青龍は隅田川。朱雀は東京湾。白狐は東海道になるのだそうです。で、まあ、その都市構造の中核になったいる地形に注意を払いながら、歩くという遠足でした。

 アテネフランセなどがある御茶ノ水と水道橋の間の崖は学生時代からお馴染みの場所ですが、これが400年も前に神田山を切り崩した跡かと思うと「なるほどなあ」ってなんだか納得しました。東京の地図って、神田も駿河台も日比谷も全部、市街地として表示されていて土地の高低差や傾斜はほとんど描かれてませんが、注意して歩くと400年前の地形ってちゃんと残っているのですね。建築物が高層化する前に描かれた文学作品にはこうした高低差は傾斜(坂道の描写や高台からの眺め、崖下の住み心地)などがちゃんと描かれています。実際に地形に注意して歩くと、そういう描かれているものが実感的に読めてくるところがこのフィールド・ワークの面白さです。 558 20060827 おそうじ貯金  2000年の秋。ちょうど「楽隊のうさぎ」の連載を終わったとき、何とか部屋を片付けたいと思いました。大学の授業を8コマやりながらの連載は正直言ってしんどかったのです。そのしわよせはむちゃくちゃな部屋となって残りました。が、2000年秋にちょっとした騒動が勃発。休暇のつもりの半年が吹っ飛んでしまいました。で、部屋をすっきりと片付けられないまま「うさぎとトランペット」の連載に突入。

 「楽隊のうさぎ」はなぜか朝日新聞連載と勘違いされていることが多いのですが、関東では東京新聞連載でした。きっと吹奏楽コンクールを主催しているのが朝日新聞だからでしょう。で、「うさぎとトランペット」は2003年4月から公明新聞連載だったのですから、その間が約2年あるのですが、とても部屋の中を片付けるなんて気力はなし。2004年3月に連載を終えて、やや焦りました。なにしろ、部屋の中に置いたものがやたらになくなるのです。散らかりすぎていた何がなんだか解らないという状態。04年から05年は、応急的な片付けに終始しました。

 今年になってからようやく片付けの効果というか抜本的な片付けで少しずつできてきました。世間にはゴミ屋敷なるものがたくさんあるのですが、ある年数が経過してしまうと、片付けるということがひどく無意味になってしまうことがあるようです。片付けるというよりも放り出すといったほうがいい状態になってしまうみたい。

 で、結論を言うと、今年の夏休みになって、ようやく片付けて効果が少しづつ、現れてきました。私はこれをお掃除貯金効果と呼んでいます。お掃除貯金効果が現れると、だんだんと利子のような具合に加速も出てくるので、少し楽になります。さて、今年の年末までにどのくらいのお掃除貯金効果が現れているのか?来年の5月にはまた静岡新聞の連載が始まるので、今年、いささか作ったお掃除貯金効果はふっとんでしまうかもしれません。なんて思ったらいやになってしまうので、それか考えないことにします。

 昔から不思議なのですが、なんで締め切りが近づくと家のなかがめちゃくめちゃになってしまうのでしょうか?自分で散らかしているとは思えない乱雑な状態になります。家族がいなくて独身の時は、締め切り→大掃除→締め切り→大掃除のくり返しでした。残りが少なくなった夏休み。なんとかお掃除貯金を増やしたいものです。 557 20060826 神田山に日比谷入江  先日、山の上ホテルで待ち合わせをしまいた。夏休みらしく、ふだんは見かけない雰囲気の宿泊客の人がロビーにいました。60代の女性のグループ。地方から東京見物でしょうか?で、その中に一人の携帯電話が鳴りました。どうも、グループの誰かが迷っているらしいのです。
「え、坂を上って突き当たりのところだよ」
 そう答えていますが、山の上ホテルは坂を登る道ばかりではありませんから、この説明ではちょっと無理な気がしました。
「山の上なんかじゃないよ。山なんかないから」
 この場合、山の定義にもよるのですが、山の上ホテルは地形的には文字どおり山の上です。ただ、周囲のビルが高いので山に見せませんが。
「階段を登るのか?降りるのか?って、階段なんかないって」
 ははん、どうも電話のお相手は女坂か男坂のあたりにいるらしいのです。しかし、階段と聞いて、電話の女性は何か建物を連想してしまったみたいでした。で、同じグループの人がみかねて迎えに行きました。

 私は昔からこの山の上ホテルのある地形が不思議だったのです。なぜ、御茶ノ水の駅から見える神田川の流れだけが渓谷の表情をしているのでしょうか?崖の上になぜ御茶の水を汲み出す井戸があるのか?江戸の初期の地形を調べてようやく納得が行きました。

 あのあたりいったいは神田山だったのです。ですから神田明神も神田山の中腹の神社ということになります。神田川は神田山の中を切り裂くように流れていたというわけで、今のJR御茶ノ水駅のホームからの眺めが渓谷風なのでした。で、神田山を切り崩して埋め立てたのが、日比谷入り江。日比谷は遠浅の入り江だったのです。

 神田山の下はもう海辺で、井戸を掘っても水は塩辛いものだったそうです。塩辛い水はお茶には使えませんから神田山の井戸でお茶に使う水を汲んでいたというわけです。御茶ノ水の駅の前の交番のわきにお茶の水の跡が今でもあります。

 切り崩した神田山の名残が駿河台で、これが山の上ホテルの建っている場所です。駿河台の名称は駿河から来た徳側家康の家来が屋敷を構えたのでそういう名称がついたそうです。

 この工事をやったのが家康、秀忠、家光の徳川三代の時代。それからもう400年もたつのですが、あのあたりの奇妙な地形には、神田山や日比谷入江があった頃の名残がまだちゃんと残っているのですね。豊臣秀吉に元からの領地を取り上げられて、関東に入るように言われた家康は、いったいどんな気持ちで神田山や日比谷入江を眺めていたのでしょうか?お城を中心に「の」の字に江戸の町を作って行くことを考えたのは家康だそうです。「の」の字の渦巻きですから、無限に大きくなる可能性があるわけです。秀吉が朝鮮を攻めて、さらに中国までもという無限の夢を見ていたい頃に家康は「の」の字に発展する町を夢想していたわけです。
 
 来年、静岡新聞で文禄慶長の役から家康がなくなる頃までの描く時代小説を連載します。その下準備なのですが、調べてみると目の前にいろんなものが開けてきておもしろいです。神田山や日比谷入江がある眺めというのは横浜の金沢八景の眺めからおおよそ推察することができます。幼稚園まで金沢八景で暮らしていましたが、大々的な埋め立て工事などが始まる前の景色をよく記憶してます。なるほど、東京湾沿岸というのは、おおよそ似たような眺めを持っていたわけだなあと思いました。
日比谷のひびは海苔の養殖するための網の「ひび」を意味しているそうです。金沢八景の平潟湾でも海苔を養殖していましたから、「ひび」を張った粗朶が海に並ぶのは懐かしい光景です。

 私の母方の実家には慶長年間から始まるバインダー式の位牌があります。金沢八景に一族が住みついたのは、慶長の頃のようです。父方は祖父の時、三河から東京の出てきたのですが、家の紋に「本田立葵」を使っていますから、何か徳川さんと縁があったのかもしれません。
あるいは徳川家康が関東に入った頃に、三河と三浦に離れ離れになったものが、300年たって知らずに隣同士に並んだなんてことがあるのかもしれません。母の実家と父の実家は隣どうしなのです。 556 20060824 喉元を過ぎれば熱さをわすれる 「羹に懲りて膾を吹く」のも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のも、同じようなものだと言えば、そう言えるのですが、なんだか、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というのは、「恥だ!」という気がします。きっと子どもの時にそう言い聞かされたせいでしょう。「羹に懲りて膾を吹く」というのは滑稽な気もすれば、困ったなあと思うこともあるのですが「恥だ!」というふうには感じません。

 日本の軍備についてや憲法九条の議論ができなかった背景には「羹に懲りて膾を吹く」ような社会的雰囲気がありました。それが崩れたのが湾岸戦争でした。が、それ以前にベルリンの壁の崩壊と東西冷戦の終結があり、その流れが影響していたことは間違いありません。後からみればベルリンの壁の崩壊は、日本の政治的タブーをも崩壊させたのだと言えるでしょう。

 日本国内の雰囲気が大きく変わったなと感じたことが三度ありました。一度目は95年の阪神大震災とオウム真理教事件の時でした。村山政権時代です。もし首相が社会党でなかれば、阪神の震災の現場にもっと早く自衛隊が出ていたと思いますか?と何人かの人に質問をしたのですが、かんり左の考えの人でも答えは「イエス」でした。二度目は山一証券が廃業した97年。金融危機の年でした。橋本内閣だったと思います。そのあと、小渕内閣で、小渕首相が急死するというアクシデントもあり森内閣から小泉内閣へという流れになりました。2000年に小泉首相が圧倒的な支持を集めた時、やはりこれは大きく変わったなと思いました。

 で、いつごろから「喉元過ぎれば熱さを忘れる」現象が起きたのか?ということなのですが、私の考えでは「羹に懲りて膾を吹く」よりも前なのではないかという気がこの頃しています。2002年のワールド・カップの時にプチ・ナショナリズムなんて言い方がありましたが、表面的にはそのあたりから、ナショナリズムの雰囲気が出てきたように見えますが、実際はそれよりもずっと前からではないかと思えるのです。最近、よく悪口を言われる「一国平和主義」とか「平和ボケ」と言われる時期に日本は特別だという感覚は強く出ていました。それが、なんと言ったらいいのか、今はもっと単純になって軽薄ナショナリズムというような雰囲気をかもし出すようになっているなと感じます。

 「プチ」までは許せるけれど「軽薄」は許せないと、たまに思いながら、その境目はどこにあるのだろうと考え込んでしまします。 555 20060821 羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く  1978年という年に大学に入りました。同じ年に群像新人賞を受賞しました。この年から文芸雑誌を原稿料を受け取る側から眺めるようになったのですが、江藤淳の無条件降伏及び戦後文学の関係する発言に本多秋吾、大江健三郎などの反論があり、論争になった年でした。
 同じ年にA級戦犯が靖国神社に合祀されていたことが翌年わかりました。東京裁判のドキュメンタリー映画を試写で見たのは1983年だったと思います。娘が生まれたばかりで、試写を見るのは身体的にかなりしんどい作業でした。具体的に言うと、乳飲み子がいたので乳房が張ってしまっうという状態でした。

 バルブ経済と後に呼ぶような好景気が兆しを見せ始めたのは1985年のプラザ合意あたりからです。1988年には昭和天皇の病状が悪化し、翌年に崩御します。バブル経済真っ只中で、天皇崩御に伴う臨時の休日にスキー場を超満員になったニュースの映像を覚えています。同じ年、韓国でオリンピックが開かれ、韓国が経済的なテイク・オフを果たしたことが、国際的に認められます。中国で六四天安門事件がおきたのは89年のことでした。同じ年の秋、ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊しました。

 こうして現在から振り返ってみると、日本国内ではさながら「羹に懲りて膾を吹く」という状態が出来上がっていたのです。極端な左翼の暴力的な運動はひとまず落着いていましたが、言論の世界は完全に左寄りになり、なんといったらいいのか?まあ、面倒なことは全部ばかにするか嘲笑するという雰囲気がありました。国外を見れば、中国は文化大革命から開放経済への道を進み始めて、大衆がそれまでと違った形の政治発言をするようになってきました。韓国でも80年に起きた光州事件の参加者の名誉回復が85年頃からなされるなどで、言論の自由化が進んできます。今の靖国神社の首相参拝を巡る問題はほとんどこのあたりで提起されているのです。

 文学は読者の心情に訴えるという性格を持った表現芸術ですから「羹に懲りて膾を吹く」状態の方向に追従して行きます。私個人としては80年もしくは85年くらいに戦後という時代はほんとうに終わったのだと思っています。私の手元にある講談社の「戦後日本文学史・年表」では昭和53年(1978年)が最後の年になっています。最後の年には私の名前も入っているので、なんとなく複雑な気持ちでこれを眺めています。

 「羹に懲りて膾を吹く」時代が終わって、冷静な議論ができればいいのですが、どうもそうではないらしいような雰囲気もあります。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というような時代が、1990年8月に起きたイラクによるクェート侵略から始まる湾岸戦争あたりから始まります。ちょっと前に「豆の葉」に書いた「空漠」という言葉が発明されたのも、湾岸戦争の時でした。「空襲」という当たり前の言葉が、同時通訳の頭には浮かばないほどの状況があったのでした。 554 20060818 ぶつぶつ  ネットの無責任な書き込みにいちいち反応していたらきりがないのは重々承知ですが、昨日、首相の靖国参拝関係の掲示板を見ていたら「靖国には、女に口を出させるな」なんて書いているばか者がいました。釣りかもしれませんけど思わず「なんたる無知」と憮然としてしまいました。たぶん30代か20代の人でしょう。あるいは10代かな。

 40代だったら、たいていは靖国の母とか靖国の妻なんていう言葉を知っているはずです。そうそう島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」もありましたけれど、ま、あれはちょっと違うか。戦争未亡人と戦争で頼りの息子を失った母親がいなかったら、靖国神社はアメリカ占領時代になくなっていたに違いないのです。私はそう思います。

 友人が新潮8月号に書いた短編小説「ブルーバード」をすごく褒めてくれました。で、褒めてくれたのに文句を言うのは気がひけるけれども、その時「やぱっり30年代ブーム」って意識しているでしょう?と言われて、意地になって「そんなことない」って否定してしまいました。人が自分が生きてきた時代について語りたいと思うのは当たり前のことで、かつ大事なことなのにブームなんて言うのが気に入らなかったのです。

 30年くらいの時間は、生きている人が過去を振り返るにはちょうど良い時間なのです。40年たつと往時茫々という具合になってしまいます。それで昭和30年代を今振り返っているのは、少し遅いのです。というよりももしそういうものを「昭和30年代ブーム」と言うのなら、実はもう30年前の昭和50年代後半にそれがありました。「じゃりん子チエ」とか「三丁目の夕日」なんて漫画が週刊アクションに連載されていた頃です。

 その少し前には戦後を振り返るということが盛んにされた時期があって、この場合の戦後は昭和20年代でした。サンフランシスコ講和条約くらいまでです。写真集などが書店に出回っていて、売れ行きもよく、私は高校生でお金がなかったので目を皿のようにして立ち読みしました。学校の日本史は明治時代で止まっていたので、珍しかったのです。

 だから今の「30年代ブーム」というのは、二度目なのです。で、これが二度目であるのには理由があると思います。一回目は古き良き時代を懐かしむためのブーム。取り戻した平和を愛しむような一回目です。敗戦後の興廃のあとに来たものを見る視線がそのにあったのでしょう。今は、現在から30年代の持っていた意味を問い直すようなブームだと見ています。同じ時代が二度回顧されるというのは、なかなか珍しい現象でしょう。そこには特異な時間間隔が動いています。

 前述の靖国に関する無知蒙昧な発言などはこういうこうした特異な時間間隔が作りだした無知であるように思えます。蒙昧のほうはご本人の責任でしょうけれども。 553 20060817 ばかサヨ ばかウヨ  ばかサヨとかばかウヨとかいう言葉が飛び交う議論を眺めてうんざりしています。なんのことを言っているのかは、だいたい見当がつくと思いますが、首相の靖国参拝をめぐる議論です。

 子どもの時「ばかって言ったら、ばかって言った人がばかなんだよ」と教えっれて、「お前がばかって言ったから、お前のほうがばかなんだ」と言い、「お前だったばかって言ったじゃないか、ばあか」と言い返されて、「ばか、ばか、ばか」「かば、かば、かば」という応酬になったのを思いだします。

 私は基本的には首相は靖国参拝すべきだと思っています。ただし、今のA級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではありません。A級戦犯を合祀した靖国神社の歴史観は戦後に日本政府の歴史観とあまりにもかけ離れているからです。そんな政府の首相が来ると言ってもうれしくないだろうというほどかけ離れています。だから、ほんとうは靖国神社が首相に来てもらわなくてもいいと断るのが筋だと思ってます。

 中国、韓国に言われたから靖国参拝をするのはけしからん式の世論調査をよく見ますが、この形の世論調査は中国、韓国の言い分をまったく無視してただ「文句を言っている」という事実だけをクローズアップしてしまいますし、へたをすると「弔いより商売だ」という俗論を定着させかねない危険を持っています。中国、韓国の言い分には戦後の外交の歴史が含まれているのです。
 中曽根元首相が言うように、首相が靖国神社に参拝出来る状態を作りだすというのが、ほんとうに政府がやるべきことなのではないでしょうか?

 「ばかサヨ」なんていう言葉を生み出した左翼はもともと唯物論に近い考え方が主流でしたから、人を「弔う」「追悼」するという点の理論には大きな弱点を持っています。「ばかウヨ」なんていわれる右翼は、心情的感情的要素が強くて「弔う」ことの背景にある論理を説明することが下手です。日本の戦後社会では理屈や理論は左翼が作り、心情や感情は右翼が代弁するという分業じみたところがありましたが、これがだんだん崩れてきたのが「ばかサヨ」「ばかウヨ」の応酬を生んでいるのでしょう。

 右翼は戦後の社会が、精神を忘れたといって嘆き、左翼は戦前を引きずったままの社会制度が残っていると戦後の社会を攻撃しました。いずれも「戦後社会」を認めていないのです。あたり前の話ですが、戦争中は武官、つまり軍人の時代ですが、戦後は文官、外交官、通商関係者の時代だったのです。靖国へ首相参拝はそうした戦後の歴史に目を向けるきっかけにはなったのでしょうか?そうだと良いのですが、自民党の加藤紘一議員の自宅焼き討ちなどの事件は「ばかサヨ」「ばかウヨ」の応酬ではすまないいやな事件です。


 こうした事件は被害者が同情をかう場合もありますが、今回はむしろ「無言のプレッシャー」を生み出す方向に作用しそうなところが恐いところです。もちろん、加藤紘一議員はこれまでと発言を変えないでしょう。しかし、それ以外のなんとなく加藤議員に賛成してみようかな程度の人々は薄気味悪さに発言を控えるようになるかもしれません。それが、この事件のもっともいやなとろこです。 552 20060814 しばらく忘れていた惨事  たぶん先週だったかと思いますが日経新聞の夕刊コラムに白石公子さんが、朝、おきてパソコンが作動しなかったらどうしようかと書いてました。ここしばらくその種の惨事を忘れていたところ、本日、午前中から大騒ぎが発生。

 お盆ということで珍しく(たぶんふだんしないことをしたせいでしょう)息子と娘がお仏壇にお線香をあげにきました。で、先月、鶴岡でいただいた華蝋燭をともそうということになって、朝顔の絵がかかれた蝋燭をともしたのです。そこまでは良かったのですが、次の瞬間、なぜかコーヒーがこぼれて(怪奇現象ではなく、私がカップに手をぶつけたのです)、キーボードはコーヒーに浸されてしまいました。

 で、キーボードの入力ができなくなって、これはだめかもしれないと、群像編集部に電話。締め切りだったんです。で、電話に出たのが担当の須藤さんではなくて旧知の山口さんで、キーボードって濡れるとだめなんですってな話をして、山口さんの体験通りの症状が出ているいましたが、値段はそんなに高くないことがわかったので急遽、買いに行くことにしました。

 で、これまた珍しく息子が買い物についてきてくれて、以前から欲しいと言っていてルーターなども買ったのが、これが二度目のトラブルの素。キーボードは動作が不安定だし、ときどきカソールが動かなくなっちゃうし、頼みの綱の息子は飲み会に行ってしまうしで、なんだかまだごちゃごちゃしています。

 東京東部では大停電があったそうですが、ううん。うちはそれどころじゃない。焦ってます。で、トロンはちゃんと動きそうなんだけど、なんだか不安でいっそのこと原稿は手描きしちゃおうかなとか、ま、その印刷が生きているうちにすり出して、途中から手描きにかえるぞって構えだけは作っておきました。

 というわけで群像の須藤さん。メールはちゃんと届いています。が、しかし、データではなくて手描き+ファックスの原稿が行くかもしれません。ああ、あとでメール書きます。それまでちゃんとPCが動いていてくれたらメール書きますが、ダメだったら明日電話します。すみません。ごめんなさい。 551 20060813 手が書く  フードジャーナリスト、というよりもエッセイストと言ったほうがいいかもしれませんが、平松洋子さんにお目にかかった話は以前、ここに書きました。現在、発売中の「表現者」8月号にインタビューが掲載されています。平松さんとのお話の中で「手が書く」ということがでてきました。「手が書くのを頭が追いかけるくらいがちょうど良い」という話です。

 手が書くというのは、平松さんのエッセイを読んでいるとお料理のレシピがしぜんに伝わってきて、お料理が出来てしまうということから出てきた話です。身体で覚えこんで納得したことを書くという意味です。例えば水餃子などは、納得が行くまで毎朝、自分で作った結果でエッセイを書いているから、読んだだけで、自然に餃子の皮つくりができるのです。この「手が書く」文章が美しいというのは昭和の文学が生み出した最大の美学だったと私は思います。

 私小説がよく読まれ、またよく書かれたのは、頭で考えて書くのではなく、肉体に刻み込まれたものを「手が書き」それを「頭が追いかける」という作業を追及した結果だったと言えるでしょう。文語文から美文へそして口語文への流れの中で、文学は欧米の文学の模倣をしなければならなかった結果として、より身体化された言葉を求める流れが出てきたのでした。その良き結果が、平松洋子さんのエッセイに現れているということになります。

 水餃子やキムチならそれで良いとして、これが人殺しになると、身体で納得して書くというのはたいへん無謀なことになります。小説家として言えば、一方では身体的な納得のある文章を求められながら、また一方ではとうてい個人としては体験しえない、あるいは体験してはならないテーマを描かなければならないというジレンマを昭和の終わりの作家は背負っていたという感慨を思えます。島田雅彦や松浦理英子さんの仕事には、扱うテーマは違ってもそうしたジレンマを感じさせられるものがたくさんあります。「手が書く」という美意識の限界点での悪戦苦闘はそこにはあるわけです。

 現在、私小説の延長の仕事をしようとしている作家が何人かいますが、それらの人々は「手が書く」ということの延長で、文章の美意識を磨いているかというと、そうではないような気がしています。それよりはプライベートな感情を書くことに魅力を見ているのではないでしょうか?一口にプライベートな感情を書くと言ってもそのスタンスはいろいろであることは言うまでもありません。が、「手が書く」という美意識とはひとまず切り離されているということをここでは書きたかったのです。

 来年、静岡新聞で、歴史小説を連載するために遠藤周作の作品を纏めてよんでいます。生前、遠藤さんは日本の文学が「手が書く」私小説に占領されていたことを嘆いていたと聞いています。広い意味での戦後の文学というものは、個々の作品としては読んでいても、全体の流れを自分なりの体系の中をおき直すことが出来ませんでしたが、「手が書く」という美意識の臨界点での戦いというイメージを持つと、何かが少し整理できるような光を見出しています。 550 20060812 デジカメ壊れちゃった。  夜中に突然、デジカメのスイッチが入るという怪奇現象が数ヶ月前から続いていました。なぜデジカメのスイッチが入ってしまうのか、原因はわからないのですが、知らない間に電源が入ってしまうので、バッテリーの電気がすぐになくなってしまいます。

 こんな怪奇現象で困っていたところ、なぜか、今度はスイッチが切れなくなってしまいました。「ON」でも「OFF」でもずっと電気が入りっぱなしの状態。こういうのってカメラ屋さんに持っていったら修理してもらえるのでしょうか?ともあれそういうわけで、写真がアップできなくなってしまいました。

 そうそう、夜中にぼうっと犬ちゃん(06年1月の「豆の葉」参照)の顔が写ったことがありましたから、怪奇現象はもう8ヶ月も続いていたのです。もっと早くにカメラ屋さんに持って行けばよかったと後悔しきり。 549 20060810 歌舞伎座立ち見  台風が太平洋の沿岸をなめるように進んで銚子沖に去った日の夕刻、歌舞伎座の立ち見に行ってきました。8月の歌舞伎座は三部制。勘三郎が出ていないのがちょっと寂しいのですが。歌舞伎の話ではなくて立ち見の話です。8月は海外からの観光客が多くて、立ち見もやっぱり外人さんだらけ。

 一幕800円なんので、日本のお芝居をちょっとだけ見ようというにはちょうどいいのでしょう。私も時々、海外からのお客様を案内したりしますけど。それで、若いお嬢さんが20人も外国人を連れて、チケットを買う行列に並んでいました。立ち見は予約もできないし、チケットはひとり一枚しか買えないので、並ぶよりほかに方法がないのですね。で、この日は、いつも立ち見の行列ができる場所は、3階席のチケット引き換えのお客さんの行列ができていて、立ち見の行列は4階に通じる階段のほうに並んでいました。

 で、私の前にはやはり金髪、茶髪、青い目の外国人のお兄ちゃんが4、5人並んでいたのですが、この人たちは巨大なピザを持参していました。いったいどこでアメリカンサイズのピザを買ったのだろう?しかも焼きたてでチーズがとろけているやつでした。で、立ち見のチケットが売り出されるのを待っている間に、この巨大ピザを食べていたんです。階段の踊り場なので雨にも濡れないし、下は絨毯だから旅行中の経費節約としてはなかなかです。なんだか感心するようなたっぷりでした。

 こんな感じだから立ち見の4階席は、笑う場所が3階までの客席とは違うのです。で、驚いたのは上海にいるはずの中国人の知り合いにばったりであったところです。親戚の男の子を連れて東京に戻ってきたばかりということでした。歌舞伎座って、思わぬ人にばったり出くわす場所でもあります。

 それで何を見たかというと、「里見八犬伝」です。かなり大急ぎの「里見八犬伝」でした。なにしろ短く切り詰めているから。 548 20060808 電車の中の広告  電車の中の広告を見ていると世の中ずいぶん変わったなあと思います。私が大学を出る頃に、電車の広告で一番多かったのは結婚式場でした。団塊の世代が結婚適齢期にさしかかっていたからです。今は大学の広告。昔は予備校の広告は載っていましたが、大学の広告はありませんでした。それから債務整理などの弁護士事務所の広告。弁護士事務所は法律が改正されて、広告を出しても良いことになったのだそうです。結婚式場の広告はめっきりと減りました。

 電車に結婚式場の広告がたくさん載っていた頃、結婚式って評判が悪かったんです。まずお料理がまずい。花嫁さんのお色直しが多すぎる。余興があまりにも素っ頓狂で演出過剰だなんていわれてました。たしかにドライアイスの煙がもくもく流れるなか、天井からゴンドラにのった新郎新婦登場なんて演出もありましたから、評判が悪くても当たり前でした。

 先月末に横浜のニュー・グランド・ホテルに3日ほど滞在していた時、中庭で写真を撮影している花婿さん花嫁さんを見かけました。韓国ではさまざまなポーズの記念撮影をする花婿花嫁をみかけましたが、日本でもそれが流行りだしているというのでしょうか。結婚式を挙げる人が少なくなったので、そういうちょっとした手間のかけられるようになっているのかもしれません。
 この頃、結婚式にお呼ばれすると、お料理がおいしくなっているのに感心します。バブル時代に上等なお料理の修業をした人が結婚式場に回ってきている感じがします。結婚式の悪口を聞かなくなりましたけど、それだけ洗練されてきたのですね。

 さびしくなったのはお葬式。葬儀会場でのお葬式が当たり前になりました。自宅から出すお葬式というのはほとんどありません。なれた葬儀屋さんの手で、さっさと運ばれて所持万端滞りなく進んで行くというお葬式になりました。まあ、やたらにけんかが勃発して、買わなくてもいい恨みをかったり、古傷がうずきだすような騒動があっちでもこっちでも起きるというお葬儀にうんざりした結果が、葬儀場を使ったすっきりとしたお葬式を作り出したのかもしれません。

 日大の卒業生の結婚式にお呼ばれしてきました。お婿さんもお嫁さんも幸せそうな結婚式でした。私の隣の席にいたお婿さんの友人が「ううん、結婚式ってちょっとびびりますね。こんなにたくさんの人の目を集めちゃうんだから」なんて言っていました。実は昔からなぜ男性は結婚式にびびってしまうのかが、私にはよく解らないのです。というか、びびることそのものに腹がたってしまうのですが、今度は、そう言っているのが元ゼミ生なので、腹が立つよりは、「どうして?」という疑問のほうが大きくなって、ちょっとだけびびるわけみたいなものが解りかけたような気がしました。まことに学生といものは、たとえ卒業しても教師をよく教育してくれるものです。あれが元学生じゃなくて、たんなる男友達だったらやっぱり今でも腹がたったに違いないのです。 547 20060807 皇太子殿下のお届けもの  いつもの花屋さんへ行きました。先週、買った越後津南町の百合の花が全部咲いて、散ったので、新しいお花を買いに行ったのです。すると花屋さんの御夫婦が、なにやら、「へえ」とか「さあ、どうしようか」とか話をしていました。「なに?なに?なに?」と野次馬根性で事情を聞いてみると、皇太子殿下からのお届けものの注文がほかの花屋さんからまわってきたとのことでした。

 お花は近くの花屋さんから届けてもらったほうがきれいなので、私たちも花束やバスケットなどを届ける時も花屋さんから花屋さんに連絡を入れてもらって届けることはよくあります。だから皇太子殿下も同じことをしても不思議ではありませんが、やっぱり、なんかどれどれ、どんなお花を届けるのかな?って気になります。

 お届けものはどうやら新盆のお供えのお花のようです。白い菊を竹篭に縦50センチ横65センチにに挿して、中央に「皇太子殿下」という木札を建てるというのが図で示してある注文書を見せてもらいました。木札の
サイズまで指定があったので、花屋さんは木を切ってトノコで磨きをかけてました。これで「皇太子殿下」の文字がしょぼかったら、情けないということで、お習字を習っている奥さんが文字を書くということでした。
「こんな字書いたことがないから、練習しなくちゃ」
ですって。

 いろんなところにお届けものをするのに、違いがあってはまずいということなのでしょうか?頼むほうも頼まれるほうも「なに、なに、なに」です。
 花屋さんは「これじゃあ、詰まんない」って言いながら指定どおりの花かごを作っていました。詰まんなくても、あっちのほうが大きかったとか、花の選び方がいいとか悪いとか、物議をかもすよりいいのでしょう。「有職故実」なんかもあるのかもしれません。 546 20060804 この頃少しヘンよ  2日前 TBSのニュース23を見ていて、サッカーの解説に、息子と娘が怒りだしてしまった。ジーコに対する尊敬も感謝の念もないというのがその理由。

 ワールドカップ直後に川口会長の「オシム」失言もなんだかヘンな感じがしたけれども、ああでもしなくちゃマスメディアの関心をつなぎとめておけなかったのかなと思ったことを思い出す。

 3日前 「亀田兄弟って嫌い」っていう娘の発言。ボクシングに興味がない娘にしてはへんな発言だなと首をかしげる。
 ボクシングの試合結果にTBSに抗議が殺到。これはたまたま偶然なんだと思うけど、またTBS。

 マナーが悪いって、そういう意味じゃ、野球の新庄もいたずらっ子みたいだけど、亀田という選手は新庄みたいな覇気が感じられなかった。身体から出てくるエネルギーが違う。ちょっとびびった感じがした。疑惑判定の試合後に見たからそう思うのかもしれない。ただし娘の発言は試合前のもの。

 ボクシングとは全然関係ないけれども、サッカー協会の新役員名簿を見ていたら、70代、60代、40代で、50代がすっぽり抜けていた。前々から気付いていたことだけど、こうもあらかさまに50代が抜けるとため息が出る。それと、スポーツ界のへんてこり現象がどのように繋がっているのか、うまく説明できないけど、漠然と「やっぱりなあ」とため息がでる。

 テレビはあきらかにネットの打撃をこうむっている。広告収入にたよってきて、視聴率を稼ぐよりほかの手を知らないというところがある。なんか観念的にテレビの創成期にあった視聴率獲とくの伝説をなぞっているのが、スポーツのヘンテコリン現象と繋がっている気がしてならない。 545 20060803 空襲と空爆  8月2日読売新聞夕刊は「東京駅復元 米が注文」の記事を一面に揚げています。「空襲によって部分的に焼失して丸の内駅(国の重要文化財)を、1914年(大正3年)当時の3階建て、丸いドーム型屋根の姿に復元する工事」をJR東日本が随意契約を行おうとしたところ、アメリカから競争入札にするようにという注文がついたという記事です。

 そのとなりには「イスラエル 期限切れ前 空爆再開」という見出し。こちらはレバノン攻撃を続けるイスラエル軍について報じた記事。

 つまり読売新聞8月2日夕刊の一面には「空襲」という文字と「空爆」という文字が並んでいるのです。
 「空爆」も「空襲」も飛行機を使って空から地上に爆撃を加えるという意味にほかなりません。
 内田百閧フ「東京焼尽」を先日、読み終えたばかりですが、そこには空襲で東京駅が燃えた日の記述もありました。空襲という言葉は、私などには女親の口からくりかえし聞かされて生々しい感触があります。
 「空爆」というのは、湾岸戦争の時、同時通訳が英語から日本語への訳として「空爆」という表現を使い始めたのではないでしょうか?ひどく違和感があり、それを聞くたびに、ひそかに「それは空爆ではなく空襲でしょう」と言い直していました。

 「空襲」が「空爆」に変わってしまう。そういう言葉の変化の間には、そこに「断絶」があることを感じざるおえません。もし「空襲」という言葉が耳に親しい単語であれば、当然、同時通訳も「空襲」という言葉が口をついて出てくるはずです。が、そういう言葉が耳から遠くなっていた表れとして「空爆」が出てきたのでしょう。

 「空襲」を使用した例では、95年の阪神大震災の時の新聞記事が印象に残っています。「神戸は空襲を受けたようだ」という文字が複数の新聞に踊っていました。この時点で、終戦から50年たっていたわけですから、現役の新聞記者で空襲を身をもって知っている人はいないはずです。私と同じくらいか、ちょっと年上くらいの記者が「耳で聞いた実感をともなった言葉」として「空襲」という比喩を思いついたのでしょう。それから16年あまり。光陰は矢の如しで、新聞の一面では「空襲」よりも「空爆」という言葉のほうが幅を利かせるようになってきています。「空爆」は「空漠」と同音なのがいやに気になってしかたがありません。

 今日、我が家い届いた本
 富岡幸一郎氏の「新大東亜戦争肯定論」
 タイトルは刺激的ですが、内容には頷けるところがたたあります。「肯定」というのは「受け止める」ということだと著者はあとがきに書いています。戦争否定の言論に対峙するための「肯定」であるとのことです。
 著者のライフワークともいうべき評論。
 東京人9月号 「占領下の東京」特集
 戦争でもな戦後の特集でもなく「占領下」というところが新機軸でしょう。今まで「戦争中」と「戦後」の間にある占領期を特集した雑誌はあまりみかけませんでした。

 私にはこの二冊は「空襲」と「空漠」の間を埋めるようとする何かの力を感じさせる表題でした。 544 20060802 娘と買い物に  封筒や便箋を鳩居堂に買いに行きたいし、修理いだしたミュールが出来上がっているって言うからとりに行きたいし、世界史年表と日本史年表を選んで買いたいし、とか、ああでもない、こうでもないと思っていたら、娘が帰ってきました。(最近、うちの子供たちは夜になっても帰ってこないこともあれば、へんてこりんな時間に帰ってきて「あれいたの!」なんて言うこともあり)買い物に行くなら一緒にいきたあって、それって財布を連れて歩くって意味でしょ。

 しかし、娘が言うには、一緒にいったほうがおもしろ服をみつけられるということで、親子でふらふら買い物に行きました。(なぜか、ここでおばあさんは川へ洗濯にという桃太郎の物語の言い回しが頭に浮かぶ)で、蒲団を買いました。ぼろぼろだったのです。敷布団が。近所の蒲団屋さんはみんな店をたたんでしまって、綿の打ち直しをしてもらえるお店が一軒も見当たらなくなってしまったのでした。仕方なくスーパーで敷布団を買いましたが、ぼろぼろとは言え、綿はどうしたらいいのかしら?どっかに蒲団屋さんはありませんかね?

 それから、娘が見つけたのは台所の水切り。新調しようということになって、気に入ったものを見つけました。これは娘が一緒じゃないと見つからなかったかもしれません。なぜって娘のほうがこうした物品を買う時、慎重だからです。彼女は気に入らないと買いません。私は妥協します。こういう家の備品を子どもが見つけてくれることに、なぜか大満足!肩の荷が下りるような気分の軽さを味わいました。で買わされちゃったんです。10000円もするジーンズ。やれやれ(なぜか、いつもめでたし、めでたしにならずに、やれやれで、この御伽噺の口調はお終いになる)

 戸外の闇の向こうから、川越街道のアスファルトをはがす工事の音が聞こえています。電線の地中化工事です。川越街道は、自衛隊の朝霞基地と練馬駐屯地があるので、アスファルトは50センチくらいの厚さで敷き詰められています。戦車が通ってもいいようにということみたいです。知らなかったのですが、戦車というのはキャタビラをはずしてタイヤを履かせることもできるのです。でも重いのには変わりがないので、道路は頑丈に作ってあるみたい。それと買い物がどう関係するかって言うと、まったく関係ありませんが、「やれやれ」っていう感じでアスファルトを引っぺがす音がなんとなくシンクロして、頭の中で響いています。 543 20060801 お母さんの買い物籠  買い物籠ってみなくなりました。どこでもレジ袋が当たり前で、手ぶらで、いや財布だけ持って買い物に行って帰りはレジ袋を提げてくるというのがいつものスタイル。家には築地で買った買出し用の籠がありますが、もっぱら調味料入れになっています。これは大から小まであってかさねられるので便利だけど、これを下げて買出しということもありません。

 あとフランフランで買った紺色のキャンバス時の買い物袋がありますが、こっちはいつのまにかスーパーファミコンが収納されています。それに冷凍食品などを入れる保温用のコーティングがされた手提げ。これはどこかからのもらいものですが、夏の買い物でお魚や冷凍食品を買う場合はけっこう重宝しています。

 私が子どもの頃は、お母さんというとカーディガンにスカート。エプロンを締めて買い物籠を下げているという絵がかかれていました。お母さんに買い物籠はつきものだったんです。八百屋さんや魚屋さんでは品物を新聞紙にくるんでくれるし、お肉屋はちょっと上等で、お店の包み紙にくるんでくれました。それらを買い物籠に入れておうちに帰ってくるというのが一般的な買い物スタイル。

 いつも台所にあった買い物籠を思い出そうとしているのですが、素材や色、形は不確かな記憶しかないのに、それがひしゃげていたのは鮮明に覚えています。買い物籠も代替わりして、幾つかあったのですが、なぜか、どれも同じようにゆがんでひしゃげてました。85年頃まででしょうか?買い物籠を下げて買い物に行くことがあったのは。バブルが始まる前までは、スーパーもありましたけれども、個人商店の結構多くて、かたちだけでも買い物籠を下げている時がありました。もう20年も前の話ですから、今の20歳くらいの人は買い物籠なんて見たこともないという人もきっといるでしょう。

 すごく小さい時に買い物籠に入って遊んでいたら、「そんなところに入っていたら市場で売られちゃうよ」といわれました。 542 20060731 今年は冷夏なのかしら?  ようやく関東も梅雨があけました。梅雨前線が消滅してしまったそうです。西のほうは関東よりも早く梅雨があけたそうですから、お野菜がなんとなく安くなってきました。熊本の伊藤比呂美さんも雨から開放されたのでしょうか?伊藤さん?元気?

 梅雨があけたと言ってもなんとなく涼しい風が吹いています。天気予報によると、来週から猛烈に暑くなるということですが「ほんまかいな?」っていう気分です。こんなで頭はぼうっとしていて、今日は約束を完全にひとつ忘れてました。ごめんなさい。

  541 20060729 とうとうまる坊主に  25日に書いた向こうの丘の雑木林と赤松の木ですが、途中まで刈り込むようだというのは私の希望的観測に過ぎませんでした。その日のうちにとうとう丸坊主になってしまいました。その写真をアップしたかったのですが、デジカメの調子が悪くて、アップできません。何が起きたのか解らないのですが、電源が入りっぱなしになってしまいます。それで、バッテリーの電気がどんどん、なくなってしまうという状態です。

 まあ、ともだちみたいな松の木がなくなって赤土が丸出しになっている崖なんて見たくもないでしょうから、写真をアップできなくってちょうどいいのかもしれません。そばを通りかかったら、大きな松の木の切り株がちらりと見えました。思っていたよりもずっと大きな切り株でした。ここに住んで25年くらいになります。50年くらいの年輪なのでしょうか?もっとありそうな気もします。でも、そばに行って確かめる気もしません。こんなふうに、消えてなくなるのを見たくなくて、目をつぶるようにして、見えなくなってしまった景色が東京近郊にはたくさんあるのでしょう。

 それにしても松の木はそれからどうなるのでしょうか?だたのごみになってしまうのかしら?前に陶芸をやっている人の話を聞いたところ、登り窯を炊くには赤松の薪がいいのだそうです。薪なんて勿体ないくらいの立派な松でちゃんと製材したら、良い板や柱が採れるでしょう。たぶん、そういうことはしないのだろうなあと思います。探す人は探しているのに、いらない人には処分するのにお金がかかるゴミになるという感じなのかなあと赤向けの崖をちらりちらりと眺めています。
 
 ことしの冬は寂しいだろうなあ…………。 540 20060725 丘の上の松の木  曇り空、霧雨、曇り空、雨、雨、雨、大雨。毎日、重ったるい曇り空が続いています。この雨降り続きのお天気の中で、家の向かいの丘の上で、なにやら工事が始まりました。昔は畑だった丘です。今の家に住み始めた頃、丘の上の畑に二宮金次郎が、あの薪を背負って本を読んでいる金次郎さんがぽつんとたっているのを見つけました。きくところによると、その畑はもともと小学校の校地だったそうです。

 畑はしばらくすると駐車場になりました。が、畑を取り囲む傾斜地は雑木林のままでした。雑木林の中に一本の赤松が幹を少しだけくねらせて立っていました。夏は緑に覆われて目立ちませんが、雑木林の木々が葉を落とす冬になると、暖かそうな幹の色と、常盤木と呼ばれるに相応しい緑の濃い色が目立ちました。
 私はこの松の木が好きでした。嫌なことがあった時にはただばんやりとこの松の木を眺めていると、気が落着いてきました。その大好きな松の木も霧雨の中で働く黄色い重機に切り倒されてしまいました。雑木林の樹木を伐採して、林の大きさを斜面の半分ほどにしている様子です。切り倒されなかった木の向こうに、赤松らしい幹が横たわっているのがちらりと見えました。
 見に行ってみようかとも思いましたが、なんだかそれも切なくなりそうで、遠く響いてくる工事の音だけ黙って聞いています。

 ここからは聞いた話になりますが、私のすむ集合住宅は谷底にたっています。いや、谷底というよりは河原にたっているといったほうがいい場所です。真ん中には川岸をコンクリートで固められた川が流れています。この川は昔は武蔵野を流れる野川のひとつだったそうです。野川というのは、ふだんは小さな流れなのですが、ひとたび雨が降ると河原いっぱいに流れ出す川のことをそういうのだそうです。ですから、広い河原があります。私の家はその河原に建てられています。緑の生い茂った河原に水があふれて流れる光景はさぞ見事だったろうと、聞いただけの話を想像してみることがあります。清らかな水には川魚もたくさん住んでいたそうです。

 松の木がなくなって、というよりも、松の木がいなくなって、さびしくなりました。もう、そろそろ、この昔は野川の流れる河原だった土地を離れて、どこかほかのところに行くほうがいい時期が来ているのかな、と小雨にもかかわらず働き続ける黄色い重機を見ながら考えこんでしまいました。 539 20060723 奥歯のカチカチ  右の奥歯を抜いたのは東京新聞に「楽隊のうさぎ」を連載していたときでした。あんまり痛くて、思い切って抜いてしまいました。それから、左の奥歯の下の歯がなぜかはれ上がったのは、いつだったか?評論家の秋山駿さんと恒例の温泉に行く会で、鬼怒川温泉に行った時ですから、かれこれ3年も前です。このときの痛みは強烈でした。が、あとから歯医者さんに聞くと、「死んでしまう人もいる」ような恐い状態だったそうで、ほんとにたまげました。

 この左奥歯下の歯の痛みに懲りて、こつこつと歯医者さんに通ったのですが「うさぎとトランペット」の連載が始まって、いつしか歯医者さんを忘れました。それより前に抜いた右の奥歯上の歯は歯抜けのまま。そうこうするうちに今度は左の奥歯の上の歯が痛み始めました。さあ、たいへん、こんどこそは、最初に抜いた右の奥歯上の歯もなんとかしなくては!と歯医者さんに通い始めたのが昨年の暮れ。ようやく、ようやく、7年ぶりに歯が全部、治りました。でも、ずっと抜けたままにした歯があったために上の前歯が、まるで「うさぎ」みたいにちょっと隙間が出来てしまいました。

 その隙間ができた前歯を歯が白くなるという歯磨き粉を買ってきて磨いています。ぴかぴかになるかしら?なぜかその歯磨き粉で歯を磨くたびに、東京會舘で遠藤周作さんと安岡章太郎さんが歯ブラシの話をしていた場面を思い出します。何の会合の時だったか?安岡さんも沿道さんもゆったりとソファに座って、その頃はまだ珍しかった電動歯ブラシの使い心地について、熱心に話していました。

 入れたばかりのブリッジはまだ口の中に納まらなくて、居心地が悪そうにしています。カチカチと文句を言っています。 538 20060720 志賀信夫さんからメール  ダンスが見たい 批評家推薦シリーズの志賀信夫さんから以下のようなメールを頂きました。このメールによると三日目の夜のステージもなかなかおもしろかった様子です。行けなくて残念。

「先日は本当にありがとうございます
 二日目、トーク本当にみんな面白かったとあとからも感想が来ました。

 あれでよくわかったという人、あれが印象に残り舞台を忘れた人までさまざまですが、初めて見た人以外にも好評でした。なおかつ二日目の打ち上げ、会場探しに走らせてしまってすみません。やはり打ち上げ会場確保は必要でした。

 三日目の森さんのソロもとっても面白かった。紋付きにゲタ、竹の筒を二つ竹馬のように操ったり、さらし首っぽいイメージを作ったりと多様。音楽がバルカンっぽい早い曲とバロック。
 三人のコラボは基本的に二日目の形だけど、阿部さん、福士さんが結構大胆にソロを主張して面白かった」 537 20060719 ダンスが見たい8 批評家推シリーズ  福士正一さん、森繁哉さん、阿部利勝さんの舞踏を二晩続けて見ました。最初の晩は阿部さんのソロと福士さん、阿部さんのデュエット。予定はでは森さんも加わるはずでしたが、都合がつかず、急遽、福士さん、阿部さんのデュエットになりました。

 阿部さんのソロでは「田植え機のダンス」がすごく魅力的でした。「一年の数日、働いてもらうために、借金をした」田植え機。田植えの様子を踊るのですが、たんに田植え機の動きを真似ているというのではなく、田植え機の動きが身体に乗り移っている感じです。お神楽に田植えの所作がありますが、阿部さんの舞踏は、現代版のお神楽みたいに、動きが明るくて軽やかです。
 身体付きも中心線がまっすぐに通るところに筋肉がしっかりと付いた感じで、現代的な身体性を感じさせます。ふつかめのアフタートークで話題になったのですが現代の農業では腰をかがめる作業というのはだんだん少なくなっているのだそうです。福士さんとのデェットの時にあったしこを踏む動作なども田植え機に通じる明るさと感じました。「明るい」というよりも「めでたい」といったほうが適切でしょう。「めでたい」身体の動きにはおかしみに通じながら神々しさもありました。土方巽の孫弟子にこんなにめでたい身体と動きと表情を持った人で出てくるというのは、私にとって大発見でした。
 
 福士さんとのデュエットでは、同じ舞踏でもこんなに異なる身体が出来上がるのかと見つめてしまいました。福士さんの舞踏はひとことで言えば「不気味」になります。でもこの「不気味」は単純な不気味さではありません。背中を思いっきりそらせた姿勢での動きは、足を消し忘れたために不自由な動きを強いられる幽霊を思わせます。もちろん、背中をそらせれば誰でもそういう感じが出るというわけではありません。荒川静香選手のイアンバウアーを見て幽霊を思う人はいないでしょう。福士さんの舞踏は身体をそらせることで雪国に住む霊(スピリット)を招きよせているかのようです。ですから、阿部さん、福士さんのデェットは「いる人」と「いない人」が組んで踊っているかのようでした。「いない人」という言い方をしたのは、不気味な幽霊みたいに見えるだけでなく踊っていると様々は霊(スピリット)が招きよせられてくるように感じられるからです。

 翌日は福士さんのソロ。前半は身体をそらせた不気味の舞踏から、中盤、何か無邪気なもの、生まれる前の赤ちゃんみたいの動きへ、進んで行き、舞台にあったオブジェ(春巻きの皮で作ったものだそうです)を観客席にばらまくところは、道路劇場で、思いがけない通行人を巻き込んでしまう場面を彷彿とさせました。福士さんの今にも手足がばらばらになってしまいそうな柔らかい身体の動きをいつ見ていても、不気味だけど触ってみたいくなります。いったいどうなっているんだろう?と子どもみたいな気持ちにさせられるのです。

 後半は森繁哉さんが加わり、3人での舞踏。森さんは腰の曲がったお婆さん。安倍さんは白いシャツのお父さん。福士さんは学生帽に半ズボンの子ども。森さんの腰の曲がったお婆さんの舞踏は、身体の底から動きたい、動きたいと突き上げてくるような衝動を感じさせるもので、独特の動きでありながら、お婆さんをリアルに観察している眼も感じさせるものでした。三人がひしひしとご飯を食べる場面では福士さんの帽子が飛ぶというハプニングもあって、開場から笑いが漏れていました。森さんが加わることで人間がひしめきあって生きている感じが、ものすごく濃密に伝ってくる舞台になっていました。3日目の森さんのソロも見たいかったのですが、残念ながら3日目はすでに予定が入っていて出かけられませんでした。 536 20060718 西五軒町  西五軒町と言ってもピンと来る人は少ないかもしれません。書籍の取次ぎ会社であるトーハンの本社のあたりです。神田川の上を高速道路が走っているさびしい場所で、トーハンや凸版印刷があります。

 その西五軒町の「神楽坂Die pratze」ヘ舞踏を見に行ってきました。神楽坂というのはちょっとなあという場所ですが、赤城神社から江戸川橋の方向へ坂を下った場所にある小さな劇場です。「ダンスがみたい!批評家推薦シリーズ 8」に青森の福士正一さん、山形の森繁哉さん、阿部利勝さんがご出演になるというので、出かけたのです。

 話は6年前に遡るのですが、青森で日韓の文学者会議を開催する時に舞踏家の福士正一さんを紹介してもらいました。福士さんは長年、道路を劇場として踊ってきた舞踏家で(しかし、青森市の職員でもあって、公務する舞踏家とおしゃっています)韓国でも踊ったことがあるというご縁で紹介していただきました。
 4年前にインドの作家とのシンポジウムを山形で開催する時にコンテンポラリーの芸術家として森繁哉さんをやはりご紹介いただいたのですが、お話を聞いてみると福士さんのお師匠さん!でした。山形大学時代に森さんのダンスを見て福士さんも舞踏を始めたのだそうです。

 森繁哉さんは舞踏家土方巽に師事したと伺っています。もともとは町役場の職員だったのですが、今は山形芸術工科大学教授。阿部利勝さんも森さんのお弟子さん。やはりインドとのシンポジウムの時に舞踏を見ています。で、舞踏の話を書かなくちゃいけないのだけれども、その前に驚くことが次々に起きたので、その話を。

 西五軒町というのも、私には西荻と並んで思い出の街で、高校を出てすぐに出版物を輸送する運送会社に務めていた私は毎朝、トーハンに電話をするのが業務のひとつでした。荷物の数の突合せです。で、時には伝票を届けることもあって、その頃から寂しい谷底の街だなと思っていました。で、その寂しい谷底の街の劇場での驚きのひとつは、評価推薦の批評家が志賀信夫さんだったことです。毎年、夏に鎌倉で飲み会をやっていた頃があるのですが、その飲み会に文芸評論家富岡幸一郎さんの大学時代の同級生ということで御一緒していた志賀さんとは思っていたかったので、劇場の前でお顔を見たときはびっくり。福士さんの舞踏を見たのがきっかけで今回の企画になったそうです。

 志賀さんと劇場前で立ち話をしていると、そこに中沢新一さんが現れて、「えっ」とびっくり。これはアフタートークショーの予定があったとのことで、プログラムをちゃんと見ていない私が悪かったのですが、中沢さん(私じゃないほう)はゼミの学生を連れて毎年、阿部さんのところで農作業をしているのだそうです。(トークで中沢ゼミ、中沢ゼミと言われるたびに私がびくんとしていましたが)
 阿部さんは農家で、中沢ゼミ(だからうちではありません)の面倒を見ているうちにだんだん舞踏に目覚めたのだそうです。

 最後のびっくりの極めつけは、一日目のステージが終わったあとの打ち上げで、鶴岡中央高校で大学の模擬授業をした話をすると阿部さんが「僕はその学校のPTA会長です」といわれたことでした。どうしてこんなに寂しい西五軒町でばらばらの玉が糸で繋がるように、いろんなことが繋がって行くのでしょう?ここのホームページに伊藤比呂美さんがコラムを書いてくださるようになったのも、もとは森さんにつないでいただいたようなものですが、その話はまた今度。それから肝心のダンスの話もしなくちゃ。それはまた明日。 535 20060717 西荻のダンテ  前からお会いしたいと思っていた平松洋子さんのご自宅に伺ってお話を聞いてきました。「表現者」の連載「眼と仕事と道具」のためのインタビューです。平松さんのご自宅は西荻窪。

 私も25年前に西荻窪に住んでいました。東京に出てきて、何の土地勘もなく住むところを決めたのですが、西荻は東京二十三区のはずれ、となりは吉祥寺で武蔵野市になります。だからちょっと家賃が安いかなくらいの感じで、そこに住むことにしました。

 久しぶりの西荻です。「このあたりの空気は変わらない」と平松さんがおしゃるとおり、新宿の騒がしさからちょっと離れてほっとした感じは昔のままです。

 インタビューが終わってから駅前の「こけし屋」でランチを食べました。郊外のフランス料理店の草分けみたいなお店で、大学生の時は編集者との待ち合わせによくこのこけし屋をつかいました。それから「ダンテ」へ。

 正直に言うとまだ「ダンテ」はあるかしら?とちょっと心配でした。JRの駅を南へでて、右手の細い路地の奥です。自転車くらいしか通れない道で、途中にある「初音ラーメン」も健在でした。「初音」でラーメンを食べて「ダンテ」でコーヒーを飲むというのが、いつもの帰り道の手順。「こけし屋」が応接間なら「ダンテ」はもっと親しい感じで、リビングというのか、自分のうちの延長みたいな、そんな感じでした。「ダンテ」では黒いカーディガンが似合う老婦人がいて、いつも本を読んでいました。その人をモデルにした人物を「女ともだち」の中に書いています。

 数年前におよそ20年ぶりくらいに「ダンテ」にコーヒーを飲みに言ったらマスターが私を記憶していたのにはたいへんに驚きました。今度も「こんにちは」です。
昔、伊豆の下田にある「中川」というお刺身を食べさせる店のことを話したことがあるのですが、今でもマスターはバイクに乗っていて、「中川」が新しく出した店にも行っているという話をしました。

 平松さんはずっと西荻にお住まいだそうです。私もあのまま西荻に住んでいたら、今頃、どうなっていたのかしら?と考えずにはいられませんでした。なんだか複雑な気持ち。こういう複雑な気持ちを表現するならエッセイよりも小説のほうがいいんだよなあと、中央線の中で考えていました。「私」や「僕」などの一人称に縛られてしまっては、表現できない複雑な気持ちです。

 西荻窪は昭和のはじめの建売住宅として開けてきた街ですが、街もだんだん歳をとるのですね。歳をとり始めて街の魅力を今の西荻窪には感じます。

 MIXIに夫馬基彦さんから以下のような書き込みをいただきました。

「いや、たいしたことじゃないんですが、西荻には昔佐々木基一さんと杉並シネクラブをやっていた頃、仲間が多くいてよく行きました。その定番コースが、ダンテ、初音ラーメン、こけしや、そして出てこないけど飲み屋「たみ」「キングクラブ」等でした。

更に、伊豆下田の中川も伊豆時代(ぼくは伊豆の山中に住んでいたことがあります)、常連でした。喫茶店なら「邪宗門」。

いやあ、懐かしい。 」

 そうそう西荻の駅のプラットホームではいろんな人の姿をおみかけしました。 534 20060714 隠れ家と暖かい雨  飯田橋に隠れ家みたいな場所を見つけました。銀嶺ホールが見えるところです。でも、外堀通りからこちらは見えません。喫茶店のテラスと言っても植え込みで往来からは隠れています。ずっと内緒にしておきたかったんだけど、ちょっとだけ人に教えてしまいました。

 学校の研究室の鍵を受付に返して外に出てみると、図書館の前のアスファルトが黒く濡れていました。おや?雨が降ったのかしら?と空を見上げたら、雨が降ったのではなくて、大粒の暖かい雨がぽつんぽつんと降っている最中でした。モームの短編小説に出てくるような雨。
昨日も夕方、同じくらいの時間にやはり暖かい雨が降っていました。夕立というには、少々思い切りの悪い雨です。寄り道をしようか、それともまっすぐに家に帰ろうか、考え考え暖かい雨の中を歩いていました。

 地下鉄じゃなかったら、まっすぐに家に帰るところなのですが、地下鉄だと陽が沈んで行く夕暮れの空を眺めることができないので、それが詰まらないんです。日暮れの空と街を見ているのが好きです。思い切りが悪い暖かい雨がぽつんぽつんと降っている街の夕闇の中に溶け込んでしまいそうになりながら、街を見ていると、理由なく楽しい気がします。

 それで例の隠れ家から外堀どおりの日暮れを眺めていよういう気になりました。 533 20060711 ジダンは何を言われたのか  四年前のワールドカップの時、四年後は息子や娘たちも大学を卒業するだろうからワールドカップをドイツまで見に行きたいなと思っていました。4年たったら、それどころではないほど、忙しくなってました。(やれやれ)とは言え、私はそれほどのサッカーファンではありません。にわかファンと軽蔑される程度の観戦者です。
 ワールドカップの時に売り出される応援用タオルはコレクションしていますが……。

 そこで、いつも試合が終わると星野智幸さんのHPを見て、その感想を楽しみにしています。今回の決勝戦では前半をライブで見てから、翌日の予定があったので、後半は寝てしまいました。というか、前半も試合の開始時間を一時間ほど間違えていました。ネットで試合開始を知って、あわてて、テレビをつけるとフランスのアンリがピッチにのびていました。これはそうとうな激しい試合だなと、その場面で思っていました。
 そうそう、アンリが気付けに茶色い小さな小瓶から何かの匂いを嗅がせてもらっている場面では、19世紀の小説に出てくるような場面を見ているような気がしました。いったいどんな匂いをかいでいたんでしょう?

 それで目が覚めてみるとジダンのレッドカード退場です。今日のニュースでもジダンが何を言われたのか?がかなり詮索されていました。星野さんはホームページでジダンの「狂気」と書いてました。そう「狂気」なのかもいしれません。サッカーがわからない私がそう書くと笑われるかもしれませんが、あのシーンを見ると神がかり的な精神の集中の中に訪れる「あらぶる神」みたいなものを感じます。

 ジダンはキリスト教徒かもしれませんが、日本の神様は柔らかいニギミタマと荒々しいアラミタマがあると考えられているのだそうです。で、ジダンとは関係なしに考えてみるとああいう場面ではアラミタマが人間の目にも見えるような形で現れる気がしました。極度の集中が生み出す「アラミタマ」が星野さんのいう「狂気」なのではないでしょうか?

 そういう私は4月からいささか登校拒否ぎみで、同時に「アラミタマ」不足を感じています。エネルギーの不足ではなくて、仕事に集中するための核のようなものがちょっと不足気味です。そのせいか、ジダン選手の「アラミタマ」が羨ましく見えます。サッカーの神様に愛されている男と言われているジダン選手ですが、神様の愛し方が少々荒っぽすぎたのでしょう。暴力による退場でもそういう神々しいものをなんとなくあの場面から感じてしまいました。 532 20060710 これがぎゃっぼと鳴くマングース人形  写真を撮らなくちゃっと思いながら、なかなか撮影の機会がなかったマングース人形です。「のだめカンタービレ」で主人公の野田恵が学園祭で着たマングースの着ぐるみがそのままぬいぐるみになっています。

「のだめカンタービレ」はこのマングース人形が出てきた音大在学中が好きです。もちろん、漫画は今も進行していて、楽しみに読んでいますが、音大大学中のわきやくたちがなんと言ってもリアルでした。それから先生たち。コンクール入賞のコーチがうまいハリセン先生とか楽譜も読めない劣等生専門の老先生とか。芸術系の大学の奇妙奇天烈さが出ていた頃がもっとも楽しかったです。その頃は、我が家には音大生もいたし、私も芸術系の大学で講師をしていましたから。

 芸術家って一般にはへんな人と思われがちですが、まあ、ふつうです。ふつうにヘンです。ふつうの学校や会社でも、少し注意深く観察していれば、そうとうへんな人がたくさんいます。が、ふつうは、そこまで観察しないし、また観察したあとでデフォルメを加えたりしません。だから「観察+デフォルメ」の入る芸術系はお話にするとおもしろいんだと思います。でも、どこの職場にも「観察+デフォルメ」のうまい人って必ずいるような気がするのですが、どうでしょうか?

 うちではこのマングース人形は「ぎゃっぼ」と呼んでいます。お腹を押すとほんとうに「ぎゃっぼ、ぎゃっぼ」と鳴きます。御天気の良い日に撮影したかったのですが、なかなかどうして毎日梅雨のために、良いお天気になりませんでした。 532.jpg 531 20060708 ノ・ムヒョンの沈黙  5日早朝に鶴岡のホテルで、サッカーを見ようとテレビをつけたら、北朝鮮がミサイルを発射したというニュースが流れていました。それからあまり新聞を丁寧に読む時間がないので、ネット検索でニュースをあさっていたのですが、ネット上の記事を多いのは、イラクの開戦が迫っていた頃の2003年の記事です。その当時、北朝鮮はシルクワームという小型ミサイルを発射しています。そのイラクでは自衛隊の撤退が始まりました。砂嵐のためにいくらか撤退作業が遅れているようですが、7月中にはサマーワからの撤退を終了するようです。

 もともと北朝鮮の核開発ミサイル問題はイラク戦争開戦の時期とシンクロしてクローズアップされていたことを改めて思い出しました。こうした動きには、どの程度の「意図」が介在しているのからは、散発的なニュースをあさるだけでは理解できないところがありますが、まったく「意図」が働いていないとも考えられません。誰の「意図」なのか、どのような「意図」なのか。そこまで推察はできませんし、あるいは神の「意図」、つまり無神論者なら「偶然」とか「歴史の悪戯」と呼ぶようなものなのかもしれません。

 朝鮮日報は韓国のノ・ムヒョン大統領が沈黙しているわけを探る記事を書いています。ちょっと目を引いたのは今年の3月に北朝鮮国内でクーデターや内乱などが起きた場合を想定した米韓の演習を行われている記事があったことです。これは「内乱」や「クーデター」というキーワードで検索したところ、引っかかってきた過去の記事です。米韓それに日本はおおよそ、そうした「不測の事態」が起きた場合の対処を考えているようです。昨日の夕刊フジは中国が中朝の国境を閉鎖し、石油のパイプライン6本のうち5本を閉じたことを報じています。これも2003年のシルクワーム発射の時に中国がパイプラインの事故を理由に石油の供給を止めたのと同じなり方なのですが、その時以上に緊張したものを感じます。ですから国連での議論の方向には強い関心を抱いています。

 日本のテレビコメンテーターは過去の事例をもとにパターナイズされたコメントを出す傾向があります。北朝鮮について言えば、パターナイズされたコメントに多少の嘲笑の色が加えられることが多いのですが、おきている事象は過去の例とよく似ていても時間の経過とともに事象の意味が変わるという点に留意したコメントは、ほとんどありません。北朝鮮については無用なあなどりや不愉快なほどのあざけりが加わるので、聞くに堪えない場合すらあります。そのような軽佻浮薄なムードの水面下で何か重大なことが進行しているようです。ノ・ムヒョンの沈黙がそれを雄弁に物語っていると考えるのは、あまりにも小説家的想像力だと言われてしまいそうですね。 530 20060706 雲、雲、また雲。  4日、飛行機で庄内空港まで飛ぶときに「視界不良のため,新潟空港に着陸するか、もしくは羽田に引き返す可能性があります」という事前アナウスがありました。西日本から東北にかけて停滞している梅雨前線の動きが活発になっているとのことでした。飛行機が上空にあがってみると、機体のしたは、雲、雲、雲また雲で、もくもくと硬そうな雲が群れを作っていました。純白の雲です。もちろん雲の上はまぶしいばかりの夏の光。さらに高いところには、秋の雲のような薄雲さえ広がっていました。

 鶴岡に行くのは20年ぶりくらい。お隣の酒田には何度か行っているのですが、考えてみると鶴岡は1988年以来です。天候がよければ庄内平野の向こうに月山や湯殿山それに鳥海山が見えるはずですが、残念ながら曇っていました。

 帰りの空港でも、今度は「空路が混雑しているので離陸が40分遅れます」のアナウスがありました。あるいは北朝鮮がミサイルを発射した影響で、通常の飛行機だけではなく、自衛隊機なども飛んでいるのかしら?と言う想像をめぐらしてしまいました。そして今度も雲、雲、雲。東京まで雲の中を飛び続けました。で、いざ、羽田に着陸しようとした寸前で、空港が混雑しているという理由で、茨城県上空で待機することになりました。通常は50分のフライト時間の空路を1時間30分も飛んでいることになりました。 529 20060704 暑くなりました。  九州は大雨だそうです。伊藤さん、どうしているかしら?東京も暑くなりました。今年は5月から雨が降り続けているので、もういい加減に梅雨明け宣言を聞きたいものです。法政大学の前の外堀の水はものすごい緑色をしています。きっとこの暑さで、藻が大量発生したのでしょう。外堀土手の泰山木の花の季節も終わってしまいました。

 毎年、6月とか7月というのは学校絡み、少年絡みの事件がおおいように思えます。6月は祭日のない月で、なんだか永遠にいやなことが続きそうな気がしてくるのでしょうか?今年もまた、なにやら、大事件続発という感じでした。それを報じる週刊誌の中吊り広告を見ながら「ああ、今年も半分終わっちゃったな」と思ったものです。気のせいか「今年も半分終わり」という文句がやたらに耳につきます。それにしても暑くなりました。 528 20060630 遊びすぎの大家です。  伊藤さん、こんにちは。いといろと災難続きのご様子ご同情申し上げます。お返事が送れてすみません。私はこの4月頃から軽度の登校拒否症状が出ておりまして、このまま行くと「危ない」ので、遊びほうけて、夏休みまでのちょっとした時間をなんとかごまかしておりました。というわけでお返事が遅くなってすみませんでした。何をしていたかというと以下の如しです。

 まず早めのバーゲンめぐり。デパートのバーゲンは明日7月1日からですが、専門店などは今週からバーゲンが始まっております。ええとまず下着専門店のバーゲン。キャミソールなどをおやすく買いましたところ、我がホームページの管理人である豆蔵君が「タンクトップ」がいいなんて言っておりましたので「私はキャミソール」と脅かしておきました。「どこかがはみでるでしょう」というのが豆蔵君の意見でした。
 次に横浜の元町でキタムラのサンダルを半額で購入。キタムラといえばバッグの専門店として有名でしたが、このごろでは靴の店も出してします。で、キタムラのカラフルなドライビングシューズが欲しいのですが、これはいつも何色を買おうか迷っているうちに買いそびれてしまいます。買い物は元町がいいなあなんて思うこのどろです。遠いから、そんなに買い物で出かけられないというところがGOODです。

 それで英語の話なんですが、まあ歌とおんなじでもう小説なんてかけなくなってもいいから、英語をしっかり学んじゃおうかな、フランス語(買い物道楽をするなら英語よりもよさそうなんで)にしようかな、あるいは、ちょっとだけ覚えた朝鮮語にしてみようかななんて気の多いことばかり考え込んでおります。このうち実現性があるのは来年、韓国から法政大学へ客員研究員として作家のカン・ヨンシュクさんがお見えになるので、カンさんを先生にしてもうちょっと朝鮮語をやってみるかなと思っています。へんな話ですが、朝鮮語ができるようになっても「小説がかけなくなるんじゃないか」という不安はこれまで感じたことがありません。
 英語よりも文法や語順が日本語に近くて、なんだか「肉感的」に覚えられるので、頭の中を記号的無味乾燥で覆ってしまわなくてもすみそうな気がしているためかもしれません。きっとイギリスの作家とフランスの作家はそれとおんなじ感じで語学をやっているに違いないと私は思っています。でも、四声がある中国語は音痴な私はそんな感じにはとてもなれません。

 というわけで、バーゲンのあとは、朝までカラオケでした。本気を歌を習いに行こうかと思っている今日この頃です。英語を習うよりも楽しそうだし……。 527 20060628 店子の伊藤でございます 22日に大家さんがいってたこと、英語つかうと小説かけないって。あれはあたしの場合たしかにそんな気がしました。ひしひしとしてこわかったです。アメリカに移住したときは(97年)もう詩かいてなかったんですが、日本語全体がこわれていってるような感じでした。それから日本語しかよまないようにして、古典よむようになって、なんだかね、たちなおりました。御詠歌うたってみようとしたらむずかしかったですよ、あんがい。こんどうたいましょう。でもカラオケには無いかも。 526 20060625 警察権力を使った権力闘争  小泉内閣は発足当初から警察を使った権力闘争の影がありました。どうちらかといえば小泉政権サイドが警察権力を利用しているなと感じることが初期には多かったのですが、ここへきてライブドア事件村上ファンド事件さらには福井日銀総裁のスキャンダルなどは反小泉政権側が警察を利用して権力闘争をしかけていると私は感じています。

 でライブドア事件から福井日銀総裁のスキャンダルまで続く流れのなかで、一貫して感じられるのは「庶民感情」や「庶民感覚」を安易に利用しようとする姿勢です。「庶民感覚」や「庶民感情」につけ込んで権力闘争で優位に立とうとする意図が感じられます。それはすこぶる不愉快な感じのものです。しかも、そこでイメージされている「庶民感覚」や「庶民感情」はかなり日付が遅れた古臭いものでしかないところが、その不快感を増幅させてやみません。反動というものは、どんな時代どんな場所にも起きるものですが、こんなにも安っぽく庶民感情につけこまれるのは不愉快きわまりなしです。

 野党がこうした権力闘争に乗って与党を叩こうとしているのも、なんとも情けない限りに感じられます。こうした不快感を感じている人は果たしてどのくらいいるのでしょうか? 525 20060622 歌が歌いたい。  陶芸家の角りわ子さんの個展に行きました。で、その会場でサンプラザ中野さんにお会いしました。娘は「ランナー」を聞くとなぜか走りださなくちゃいけないような気がすると言っています。小学生の時、運動会の入場行進の曲が「ランナー」だったからです。とは言えご本人にお目にかかるのは初めて。

 4月からやや登校拒否+遊びたいシンドロームの症状を呈していた私は、よろこんで、角さんとサンプラザ中野さんがお夕飯を食べるというので付いて行ってしまいました。サンプラザ中野さんはベジタリアン。ご著書もあります。だからごはんは正真正銘のインドカレー。これが美味しかった。その日のお昼は日本式カツカレーだったんですけど、お料理としては、まったく違う料理です。で、歌が歌いたいって話。

 一曲でいいからイメージどおりに歌を歌いたいなあって、その日からずっと思っています。カラオケで野蛮極まりない声張り上げてるじゃんっていう悪口が聞こえてきそうな気がするけど、そういうんじゃなくて、「聞こえている」とおりに歌いたい。プロの歌手なみに歌いたいなんて贅沢なことは申しません。いつも、思うんだけど「聞こえている」ようには、なぜか歌を歌えないのです。息子は「楽隊のうさぎ」を書くまでは「聞こえてないんじゃなかと思っていた」と言っています。あの小説を読んで「聞こえてはいたんだ!」と驚いていました。だから聞こえているんだってば(怒)でも、聞こえているとおりに出力(歌う)できないの(哀)。

 伊藤さん、熊本着きましたか?今度、二人ですばらしい御詠歌をうたいましょう。私はある時期までほんとうに、もし私が歌が歌えるようになったら、小説がかけなくなるんじゃないかと信じていました。でも、歌が歌えるなら小説かけなくなってもいいかもしれないってこの頃思ってます。英語が喋れるようになったら、小説かけなくなるんじゃないか?という恐れのほうはまだ消えてないんですけどね。

 それにしても歌が歌いえるようになりたい。サッカーみながら「アイーダ」を歌いたい。 524 20060621 洗濯機がやってきた。  洗濯機を買いました。全自動乾燥機つき。ここのところ雨降り続きでどうしても乾燥機つきが欲しくなってしまいました。前の洗濯機は今の家に越してきた頃に買ったような記憶があるので(このときは年末でした。どうしてそれを覚えているかというと、弟夫婦がやってきている時に洗濯機が届いたから)だいたい14、5年前です。

 よく働いた洗濯機でした。我が家で最初に買った全自動洗濯機でした。もう、この洗濯機を売ってくれた電気屋さんはありません。「なか卯」になっています。

 よく働いた、時にはドロだらけの運動靴や長靴まで放り込まれたこともある洗濯機に寄る年波には勝てず、蓋の一部が壊れてからはごうごうがあがあものすごく苦しげな音を立てるようになっていました。最近三ヶ月は、どうも汚れが落ちないということが多くなっていました。洗濯機は買うたびに機能が複雑になり、形も大きくなりました。

 家電を買うたびに、昔、見たイッセイ小形の一人芝居を思い出します。家の中の電気製品がそれぞれにひとり言を言っているという芝居です。あれをもう一度みたいのですが、今やるとすれば、ユビキタスで、ネットワーク化された家電製品の文句とか反目とかけんかなんて場面も出てくるんでしょうかねえ?

 新しい洗濯機は、お風呂のお湯も使えるみたいだし、操作を覚えるまでにはまた一苦労って、ちょっと心配。 523 20060619 ぎゃぼと鳴くマングース人形  娘がコミックス「のだめカンタービレ」16巻の特別バージョンというのを手に入れました。ぎゃぼと鳴くマングース人形です。主人公の野田恵つまり「のだめ」が音大の学園祭の時になぜかマングースの着ぐるみを着て、ピアニカを演奏した時の姿なので、マングースはピアニカを持っています。「ぎゃぼ」はのだめが驚いた時の声。お腹を押すと妙に高い声で「ぎゃぼ、ぎゃぼ」と鳴きます。

 「のだめカンタービレ」も10巻くらいまでは、書店でも品薄で、買いそびれてしまうとなかなか手に入らなかったのですが、いつのまにか、コミックスとは別にCDとかそういう周辺グッズが増えていました。マングース人形はなかなかかわいいのですが、なにしろ限定バージョンというので、娘は「お宝」扱い。写真を載せたいので撮影させて欲しいというと、立会いのもとでしか撮影させられないという返事でした。ううん、なんかVIP扱いです。「だって、よごされたら困るもん」ですって。二、三日うちにここに写真が掲載できるように、マングース人形を撮影させてもらいます。 522 20060617 一難去ってまた一難。  イラクに派遣されていた自衛隊が、ようやく来月末に撤収するという見込みが政府から発表されました。今までのところ、大きな戦闘もなければ、被害も出ていないので、あと一ヶ月、無事であって欲しいと思っていたやさきです。

 今日(17日)の昼頃から北朝鮮でミサイルへの燃料注入の準備が進んでいるというニュースが通信社、新聞社が横並びで報道をはじめました。北朝鮮というのは6月頃に、毎年もっとも食料が不足するのだそうです。去年の秋の備蓄が底をつき、今年の収穫にはまだ少し早いという時期にあたるということです。ですから、6月は剣呑な月だと聞いたことがあります。

 これはいったいどのような進展を見せるのか今のとろこ予断を許さない状況です。

 イラクの自衛隊撤収や北朝鮮のミサイルとはくらべものにならない事象ですが、毎年6月は大学のゼミでは、教員のどきもを抜くような事件がおきたり、ため息をさそうような発言が転がりでたりする時期でもあります。裏を返せば、ゼミが軌道に乗る時期なのですが。
 でゼミ生のほとんどが「専守防衛」という言葉そのものをしらなっかったのです。文学部日本文学科ですから外交や防衛に感心が薄いというのはいたし方ないのかもしれませんが(1945年以降の現代文学を学ぶには外交の歴史を知らなければいけないのですが)、それにしても、これはちょっとショックでした。

 ここ数年、防衛論議はさかんにされていますが、「専守防衛」はその論議のかげで忘れられようとしているようです。比喩ではなくて言葉そのものを知らない大学生が増えているのは事実をして受け止めていいでしょう。
 なんだか北朝鮮のミサイルよりもこっちのほうが難儀に感じられるのは、学校で先生なんかしているせいでしょうか? 521 20060616 歩行者どうしの衝突で損害賠償  93歳のお婆さんにぶつかった27歳の女性が、お婆さんから損害賠償を求められ、裁判所がそれを認めたという新聞記事がありました。お婆さんは足を骨折し、それで車椅子の生活をよぎなくされたので、家の改築費用も賠償額の中には含まれたそうです。

 それで思い出したのですが、去年から今年にかけて飯田橋の牛込見附の交差点で、私は二度も女子高校生と正面衝突しています。どちらかがよければ、衝突はしないわけですから、いちがいに女子高校生が悪いとはいえませんが、二度ともあまりに無防備に真正面から近づいてこられて、ごつんと衝突してしまいました。で、さらに驚くのは、目から火花が出るほどの衝突をしたのに「ごめんなさい」とか、そういう対応はなかったのです。
 最初の人はともだちとおしゃべりをしていて、何事のなかったかのようにそのまま、おしゃべりを続けながらJRの駅の方向へ歩いていってしまいました。ともだちもぶつかったことを気に留めた様子はありませんでした。
 二度目の時は壁か何かにぶつかったみたいに「あいたたた!」と言いながら行ってしまいました。不注意でぶつかるまでは両方悪いと思うのですが、ぶつかったあとのなんというか、対応があまりにこちらの存在を無視していたので唖然としました。もしかすると、昨晩のうちに私はもう死んでしまっていて、幽霊になっているから分からなかったのかしら?と疑念を抱きたくなるくらいです。いったい、どうしてこんなことが二度もおきるのでしょうか? 520 20060612 眠いついでに  どうも新幹線「のぞみ」に乗ると気絶したみたいに眠ってしまう。鈴木隆之さんが京都精華大学に呼んでくださって、都市とか建築と文学の関係の話をしてきました。で行きは新幹線「のぞみ」。寝てました。名古屋を出たところで目を覚ましたら、スーツの衿によだれがついてました。ありゃ、まずい。と思いつつまた寝ちゃって、目が覚めたのは京都駅。今の京都駅は鈴木隆之さんの先生の原宏さんの設計だそうです。

 街並みがあまり美しくないって話になったのですが、美観の点から言うと建材の質がけっこう響いている気がします。30年前に修学旅行で来た京都は持ってきれいでした。木造建築がだんだん朽ち果ててきて、新しい建材で建てた建物は一棟一棟はきれいでも、全体でみると統一感がまったくなくなってしまっているから、街並みが美しいとは思えなくなってしまっています。

 建築の話のついでに思い出しましたが、京浜急行の金沢八景駅の裏には昔から茅葺屋根で有名なキムラさんの御家があります。茅葺屋根って、消防法では許可にあんらないのだそうですが、今でも茅葺です。が、萱が手に入りくいらしく、たいぶ、すべり落ちてはげているのを数日、前に見ました。以前、鈴木さんと見に行った千葉の水田家も、茅葺にするためにものすごくお金がかかっただけではなくて、萱そのものを集めるのに人手と時間がかかったと聞きました。昔風の木造建築茅葺の家を建てようとするとたとえ消防法をクリアしてもなかなかたいへんだということでしょう。

 で、帰りの新幹線「のぞみ」。どのあたりか、麦をたくさん作っている場所があって、麦秋の名のとおり、今は刈り入れの季節で、麦を刈ったあとの田んぼで遅い田植えをしていました。で、ここから先は名古屋に停車したのも知らずにまた爆睡。目が覚めたのは新横浜でした。「のぞみ」ってどうしても寝てしまうようになっているとしか思いようがありません。 519 20060609 身体の芯のとろりとした眠り  身体の芯にとろりとした眠りがある。片栗粉を溶いて作った餡か、葛餅みたいな眠りの塊。それがとろりとろと溶けている感じが最初にしたのは、昨日、おすしを食べて地下鉄に乗ったときだった。

「長い間、ごくろさまでした」という声がどこからともなく聞こえて、それは自分が誰かに言っているのか、誰かから自分に言われているのがよく解らなかった。まるで遠いところで輝いている電光掲示板の文字をぼんやりと読んでいるように聞こえてくる声だった。

 とろんと眠くなる。今日、学校へ出てゼミの時間に「先生!」と言われてはっと目を覚ます。たぶん、寝ていたのだ。授業中。なんだか水羊羹になったみたいな眠気で、ゼミで発表する学生の声は聞こえていたんだけけれども、それが水羊羹を来るんでいる半透明な葛の膜の向こうから聞こえてくる感じだった。

 地下鉄の中で聞いた「長い間、ごくろさまでした」の声が葛引きの餡みたいになって身体の芯で固まって、それからまた日常的な時間の中でとろりとろりと溶けている感じ。ほんとに遠くの電光掲示板でも眺めるように「長い間、ごくろさまでした」という声がとろりとろりと溶けて行く。 518 20060607 魚の皮の香り  おすしを食べました。ちゃんとしたおすし屋さんのカウンターで。魚の皮って良い香りがするもんなのですね。生臭いなんていうけれども、鮮度の良い魚をちゃんと料理すると、ほんとになんとも言えない香りがします。それから酢で締めるとこの香りすばらしく素敵になります。

 横浜の元町を歩いてきました。元町ってもともと舶来品を扱っている町だったのですが、個人商店の多い通りって別に何も買わなくてもウィンドー・ショッピングが楽しいです。デパートのウィンドーと何が違うのだろうと考えて見ましたが、うまく言えません。おすしやさんのカウンターと回転寿司の違いかな?それとも違うし……。個人商店や専門店が並ぶ街がだんだん少なくなってしまったので、元町が楽しくなりました。知人と一緒に歩いていたのですが、ついついショーウィンドーを覗き込んでしまいました。お葬式の帰りで喪服だったんだすけどね。

 で、ちょっと生臭いものが食べたくて、知人と別れてからひとりでおすしやさんに入りました。魚の皮ってすばらしく良い香りだなあって、改めて思ったのはそのせいかしら?42歳でなくなった父の姉。つまり伯母のお葬式でした。78歳でした。父がなくなった時、伯母は43歳で今の私よりも若かったんだなあと思うと、ヘンな気がしました。それから元町で知人にあって、知人と渋谷で別れてから新宿にでて、一人でおすしを食べて帰ってきました。 517 20060606 バラの花を刈る  今年は季節の変わり方が少しヘンだったのですが、それが幸いしてか、ずいぶん、ベランダのバラの花が長く咲いてしました。今日、バラの花を刈りました。

 バラには丸い実がつきます。バラの実は赤く熟します。熟したバラの実でお茶がつくれるのですが、実が赤くなるまで木に置いたままだと、秋に咲く花が小さくなってしまうのです。秋にもまた花が咲くように、実があおいうちに刈り取りました。

 名残の花と青い実を刈り取ったばらは、なんだか涼しげでこれはこれで、お祭りのあとの寂しさみたいでいいものでした。夏に咲く花の苗を植える時期を逸してしまったので、何か花が咲いている苗を買ってきてさびしくなったベランダに植えようと思います。イソトマとかブルーデージーなんかがいいかしら。 516 20060605 柳のまな板  小料理屋さんでみかける白い木のまな板は柳で出来ているのだそうです。柳はあまり太くならない木なので、料理屋さんにあるような大きさのまな板をつくるのは随分と費用がかかるだろうと思います。

 で、柳のまな板を買いました。お料理屋さんにあるみたいな大きなやつではないけど、家庭用としてはややおおきなまな板です。けっこう高価でした。でも包丁がすとんとまな板の表面に下りるときの感触が柔らかくてとても気持ちがいいです。

 柳といえば折れないので、お正月のお雑煮のお箸は柳のまる箸を使います。色の白いからおめでたい感じがするのですが、まな板くらいの厚みがでると感触はまた格別です。ああ、台所を掃除する時間が欲しい! 515 20060604 登校拒否  池袋のリブロから本が届いた。木曜日の夕方に買って配送を頼んだ本だ。大学のゼミのテキストに使う文庫本を探しに行ったついでに、アナトール・フランスの小説集とバタイユの著作集を見つけてついつい買ってしまい、あんまり重いから配送を頼んでおいた。

 地下鉄有楽町線の江戸川橋の駅は壁面がピンクとブルーに塗りわけられている。たぶん、護国寺や飯田橋と勘違いして降りてしまう乗客がいるから、壁をそんなふうに塗りわけたのだろう。この4月からこのピンクとブルーの壁を見るとことんと寝てしまうということが何度もあった。目が覚めるのは市谷であったり、ひどい時には桜田門だったりする。ははん、これは登校拒否の症状が出ているなと内心で感じていた。ひどく不思議な眠り方で、江戸川橋だと思ったとたんに眠ってしまうのだから。5月になってどうにか登校拒否の症状が治まってきた。つまり江戸川橋のホームを列車が滑り出しても、眠気を襲って来なくなったということ。

 登校拒否の薬は「本」。結局、フランスの小説が好きだったのだなと思う。なんだ、かんだと言っていちばん楽しんで読んだのは、とゆうより夢見るように読んだのはフランス小説だったんだなあと、この頃思う。夢の見たくない日は日本の小説を読んでいたので、日本の小説は別格。それからバタイユやロラン・バルトなどの評論やエッセイ。そんな本がいっぱいあっても、なかなか高価で手に入れられなかったし、読んでもわけがわかんなかったし、それやこれやで、持ってなかったり、うんざりして古本屋に売り払ったりした本をまた買いあさっている。気まぐれに。で、また学校をサボって本を読んでいたいなあという気になっている。

 毒は毒を持って制すではないけれども、学校サボって本を読んでいたいなあと思って本を買いあさるほうが、江戸川橋の駅で気絶したみたいに眠ってしまうよりはやや実害が少ないと、思いたい。 514 20060602 君が代の替え歌 【詞】
 Kiss me, girl, your old one.
 Till you’re near, it is years till you’re near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon’s seeing the mad and dead.
 【訳】
 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

 よく出来ている! 513 20060531 うわさには聞いていたけど  うわさには聞いていたんですが、税金について、今年はいろんなことが起きるのが分かりました。どうもぼんやりたるんではいられません。偶然なのですが、今年はいろんな税金の納税義務が重なってしまったのです。そういう年ってあるんですね。

 税務署のほうとお話をしたら「今年は重なっちゃったんですねえ」とあちらもやや呆れ顔でした。で、どうやって払うんだという問題が生じるわけで、そこはまあなんとかするより仕方がないでしょうということで。

 なんだか歯がゆい書き方ですが、税務署のほうも考えていて、納税の時期をそれぞれ税金の種類に応じてずらしているのです。そのずらした結果が、うちの場合は同じ年に集中しゃちゃったってことなんですね。まったく。やれやれだ。こういうことがあるって噂には聞いていたのですが、びっくりです。なにしろ自分で使ったお金じゃないから、自覚がない。あとから、ただ、ただ、びっくりです。

 今日の占いを見たら金運のところに「お金に足が生えたよう」とありました。使わなければなくならないって思っていたんだけど、使わなくてもお金に足が生えることってあるんだ。でも、いったい誰が「オアシ」なんていう言い方を考えたのでしょう。うまい言い方だなとこれも感心。

と、ここまで書いたら、ネットのニュースで架空の役所の名前を使った振込み詐欺の督促状が青森県で10件もみつかったというものがありました。ひどいなあ。うちに来た税金の納付書も振込み詐欺ってことはないだろうけどねえ。 512 20060529 今月はちょっと(アダプタと) アダプタ 今月はちょっとたるんでいますね。
私    だって雨ばかり降っているんだもん。
アダプタ お天気のせいですかね
私    ええとねえ、魂があこがれ出ちゃってるって感じかな。遊びにいきたいってね。
アダプタ 魂が抜けちゃっているの?
私    ばか言わないの。魂が抜けていたら、死しゃっているじゃない
アダプタ じゃ、そこにいるのは幽霊?
私   だから、魂があこがれ出ているの。魂の「お」はちゃんと繋がっているから、大丈夫。大丈夫。
アダプタ だから先週の日曜日も今週の土曜日に競馬場に行っちゃったんだ。
私   しっ。それは内緒。内緒。原稿がぜんぜん真に会ってないんだから。
アダプタ ほんと気合が入ってませんでしたよ。
私   こんなに気合が入らないのも珍しいと我ながら思ってます。魂の尾を切れなかったけど、緊張の糸がぷつんって切れたんだね。
アダプタ でもダービーをとったじゃないの。僕にも何かおいしいものを食べさせて下さい。
私 豚用ペレットを買ってあげます。
アダプタ ええっ。ペレットよりミルキーがいいなあ。 512.jpg 511 20060527 なんだか、落ち着かない。  お野菜がじわじわ高くなっているというニュースが出ていましたが、今日の東京はまた雨です。白い雨。先週の日曜日は東京競馬場へ「オークス」を見に行ってました。重馬場にならなければいいけどって考えていたのを覚えていますから、やっぱり土曜日は雨が降っていたのです。翌日の日曜日はよく晴れて、馬場も「良」の表示でした。

 ご存知のとおりカワカミプリンセスが49年ぶりに無配のオークス馬になりました。49年ぶりって凄いなあ。私が生まれる前だのも。ええと馬券の「コイウタ」にかけていて、途中で競争中止。ま、残念でした。

 一年ばかり競馬場に行く暇もなかったのですが、ひさしぶりに行ってみると馬の名前が以前よりも分かりやすくなっていました。「コイウタ」なんて分かりやすい名前の馬が出てくるのは久しぶりだなあって思っていたらこれは歌手の前川清氏が馬主だとのこと。なるほど。名前で走るわけではないけど、あんまり長い名前は、覚えられなくって。競馬馬の名前はカタカナで9文字までと決まっているのですが、9文字とは思えないような長いという印象の名前があるのです。覚えやすい名前の馬が増えてくれると楽しいんですけどねえ。

 あしたはダービー。競馬場も近頃、入場者が減っているとは言ってもダービーは大混雑でしょう。今年はダービーもオークスに負けないくらいの大混戦だそうです。
こんな雨が降っちゃうと重馬場になって、またまた番狂わせがでるのかなあって、なんだか落着かない。 510 20060524 すごい雷雨でした。  いいお天気だから原稿を書き終えたら歩いて買い物に行こうと思っていたら、すごい雷雨になりました。おとなりの練馬区では床下浸水したり、水没した車に閉じ込められて消防隊に助けてもらったおばあさんもいるとのこと。先週の土曜日といい、今日といい、まったくなっていうお天気なのでしょうか。

 マンションのエレベーターの中で、いつも荷物を届けてくれる宅配便さんとばったり出会いました。今日のお届け先はうちではなかったみたい。「いやあ、嫌な季節になりますよ」と言ってました。夏はほんと荷物を運ぶ仕事に人にはたまらない季節です。「ほんとにちょうど良いお天気というのは、ほんの一週間あるかないかですね」と言ってました。

 車の名前が出てくる小説を書きました。新潮の8月号に乗ります。これからちょっと手直しというかお化粧直しをするつもりです。昔の道路の感じって書けそうで、なかなか書けません。日本全国、山の中まで舗装してしまいましたから、身体がでこぼこ道や砂利道の感触を忘れてしまったみたいです。

 雨はまだ降っています。今夜いっぱい降り続くのかしら?雨の音がよく聞こえてきます。 509 20060523 ばれちゃった? 「先生、話がかみ合ってないとものすごく恐い顔しますね。気が短いし」って言われました。もとゼミ生に。
 家に帰ってその話を娘にすると「学校はまだましだって言いたい。家じゃあ、もっとすごいんだから」と言われてしまいました。で、出てきたのが「ヨーグルト頭」発言。

 「そのとろとろと溶けたヨーグルトみたいな頭であたしの周りうろつくな!」と文句を言ったことがあるのです。「お前なんか、日向のヨーグルトみたいな頭をしてくせにつべこべ言うな!あったまりすぎてもうすぐ腐りそうじゃないか!」と言った具合。
 娘に言わせると「あれはひどいよ。あれはないよ」ということでした。省略していますが、日向のヨーグルト発言のあとには、ヨーグルトが腐って行くプロセスが匂いの描写つきで入ったもおのだから、まあ、かなり襲撃力があったみたいです。

 学校にいるときはあんまりそういう罵倒って出さないようにしているんですけどね。ぴりぴりするのは出ているみたい。「先生、出ているなんてもんじゃありません。ぴりぴりです」やっぱり、ばれちゃっているんだ。 508 20060522 ナイトクラブとライブハウス  (土曜日の続き)結局、演歌が売れなくなった時期と純文学の衰退が言われだした時期ってかぶるんだなあと、オリコンのヒットチャートを見ながら考えていました。叙情性の変化ということから考えたことなのですが、歌謡曲ほど通俗的な叙情の変化を示すものはないと思ったのです。もっと音楽ができたら、全体の印象をリズムやハーモニー、メロディーにわけて、その変化を具体的に論述できるのに、ちょっと残念です。楽典をもう少し勉強したい気がします。

 で、話はナイトクラブに戻りますが、ナイトクラブがなくなっていったのと入れ替わりにライブハウスが登場してきます。ナイトクラブは絵看板を見るだけで、へえ、そんな場所があるんだという程度の知識しか持ち合わせていませんでしたが、ライブハウスのほうもまあ、人からそういう場所があるんだと話に聞くだけです。もっと音楽の才能があったら、バンド組んでライブハウスに出たいなんて企てたかもしれません。こっちは楽典の勉強と違って本を読めばなんとかなるというものではなくて、生まれついた才能がいるみたいです。カラオケでさえ人迷惑なのに、ライブハウスなんてとんでもない。

 で、ナイトクラブとライブハウスでは、何が違うかというと、観客と演奏者の距離です。ナイトクラブでは演奏者はプロ。ライブハウスは演奏者がアマチュアをいうことも珍しくありません。つまりライブハウスのほうがプロとアマチュアの境目が曖昧だということになります。こうしたアマチュアとプロの境目が曖昧になるという現象はなにもナイトクラブやライブハウスだけでなくさまざまな文化活動の局面で見られるものなのですが、そこにつかまってしまうと、議論は「質が低下した」という嘆きで終わってしまいます。ナイトクラブからライブハウスへの移行という「比喩」はもう少しいろんな面白いものをもっている気がします。

 叙情性の変化をいうことを考えた場合、もうひとつ興味を引くのは、エロテシズムの変化です。歌謡曲なんてものは、手っ取り早く色っぽい気持ちにされるのが目的だと言ってしまえば、あんまり簡単な結論かもしれませんが、そういう効果があることは確かです。で、どんな曲や歌詞を耳にしたら、色っぽい気持ちになるのかは、どんな歌謡曲が流行っているかの現れてくるわけです。同時にそれをどんな場所(雰囲気)で聞きたいかということも重要な要素になってきます。ナイトクラブとライブハウスという「比喩」はそうしたことを考える手がかりも与えてくれる「比喩」です。 507 20060520 そら豆 ナイトクラブ  そら豆は天豆と書きます。なぜ天豆と書くのかというと豆の鞘が天に向かって育つからだそうです。写真は大原の田んぼのふちで5月のはじめ頃い撮影したそら豆です。房総では、米の裏作(冬の間の作物)としてそら豆を作ってました。ですから田植えが始まる頃に、そら豆の収穫があります。

 最近は鹿児島産のそら豆が2月頃から市場に出回って関東のそら豆が出るころには、もうそら豆は売れないのでしょうか?あまり房州産のそら豆を見かけなくなりました。水田の裏作としても出荷するほど作ってはいないのかもしれません。

 そら豆とナイトクラブはぜんぜん関係がないのですが、今朝、目が覚めたら、新宿東口の線路沿いに映画館の宣伝看板とナイトクラブの宣伝看板があったのをひょいと思い出しました。何時頃まで、あったのかな?ナイトクラブの看板はたいてい出演者のリアルな似顔絵で、青江ミナとか五木ひろし、森進一、クールファイブなんて人の顔が大きく描かれていました。それから、石川さゆりとか都はるみ、森昌子の顔もありました。

 森進一は鹿児島から集団就職で東京に出てきたという経歴を週刊誌か何かで読んだことがあります。年齢的にはもうすぐ定年を迎えるという団塊の世代。都はるみも団塊の世代かな。中上健二が小説「都はるみ」を書いていますが、それは世代的な近さから書かれたものだと私は思います。森昌子は山口百恵、桜田淳子と一緒に中三トリオを呼ばれた時期もあって、これは私よりも1学年上。今となれば同じ年みたいなものです。石川さゆりも中三トリオを同じ年齢。山口百恵が主演した「伊豆の踊り子」の映画で肺病で死んでしまう少女の役で出演したました。
 
 歌手のショーがあるナイトクラブなんて学生のは縁がない場所で、いつもその大きな看板を横目に見ながら、新宿を歩いていました。1980年にはまだその看板があったのを覚えています。紀ノ国屋ホールに芝居を見に行くために、東口を歩いていたある光景を記憶しているからです。80年代半ばにいわゆる演歌が売れなくなっった時期があって、そのあとのバブル期に新宿のナイトクラブは姿を消してしまったのかもしれません。今になって思い出していると、私と同じ世代までの歌謡曲の歌手はプロの仕事のひとつとしてナイトクラブのステージの経験があるのです。たぶん、それ以後はそうしたステージの仕事は激減したに違いありません。

 ちなみに85年という年はオリコンのヒットチャートに2週以上続けて1位をキープした歌謡曲がなかった年です。

 「豆畑の昼」という作品を書くときに、叙情性の変化を調べる指標にオリコンのヒットチャートを使いました。変化は確かに85年を境におきていました。ナイトクラブの話は、昨日のゼミの話の続きで、そら豆の話は夢の中でみた田んぼの景色から出てきました。そういうわけで今朝は頭の中がふた色に分かれています。 507.jpg 506 20060517 アダプタと アダプタ ああ、忙しいですか?
私    まじめに考えたら、すごく忙しい。
アダプタ 考えないと忙しくないの?
私    何かをしなくちゃいけない直前まで忘れているから。そうすると、まあ、ごまかせるわけです。
アダプタ 自分をごまかすというやつですね
私    そんなことを言うとまた机の奥になげこんゃうからね。うるさいやつだなあ。
アダプタ どうぞご勝手に。机の奥って住みやすいんですよ。けっこうともだちもできるしね。  506.jpg 505 20060516 今年もバラの季節  今年もバラの季節になりました。同じバラ科でも桜の花だとみんなでうきうきという感じですが、バラはひとりでウキウキという感じです。ご近所にもすばらしいバラが咲いているのですが、なかなか写真を撮ってきれいに写る晴れた日がありません。この赤いバラはうちの庭に咲いたものです。 505.jpg 504 20060515 警察の大衆迎合と共謀罪  小泉内閣が成立した頃、ポピュリズムつまり大衆迎合的だという批判がしきりになされました。そうした傾向がまったくないわけではなかったのですが、経済政策ではあまり大衆迎合的なものは感じませんでした。が、小泉内閣が終わりに近づいて現在から振り返ってみるともっともその傾向が強く現れたのが警察関係でしょう。小泉内閣になってから、何か騒ぎが起きると必ず警察が登場して、マスコミの関心が消えるというパターンが続いています。言論がおおかみ少年状態になっていて、おおかみが来ていないのに「おおかみがきたぞ」と叫び、ほんとうにおおかみが来たときには、聞いてもらえないどころか、声もでなくなっているという具合に見えます。

 鈴木宗男事件、辻元清美の秘書給与流用事件、ライブドアの風説流布など次々に逮捕者が出ています。耐震偽装事件に至っては、関係者が逮捕はされたものの、全て別件逮捕という状態です。鈴木宗男も辻元清美も国会議員に戻っていますし、ライブドア事件はこれから公判が始まれば堀江貴文と検察の間でかなりもめることが予想されます。耐震偽装に至っては、果たして耐震偽装そのもので立件できるかどうかかなり疑問です。「なんだか逮捕されたので、これで悪い人がつかまってめでたしめでたし」という素朴な庶民感情を利用されているようで、気持ちが悪い事件ばかりです。
 それでも、司法がそれなりに機能していれば、法治国家の原理原則はかろうじて守られることはできるのかもしれません。

 今週、国会では「共謀罪」についての論議がされるとのことですが、もともとは国際的なテロや麻薬取引を規制するために、作られる法律です。が、政府はこれを犯罪予防としても使おうとしている意図があります。振込み詐欺の予防などに適応しようとする意図、市民運動の行動を規制しようとする意図などを感じます。一方、言論の世界では盗聴法や個人情報保護法の時のような、危機感が少ないのはなぜでしょうか?

 「悪い人が逮捕されてめでたしめでたし」というような素朴な庶民感情をもっている人々はその反面で、おどしに弱いのです。だから「何々罪」になるぞとおどされると、そうした罪が適応される要件が備わっているかどうかなど関係なく、おびえてしまいます。弁護士などの専門家がいれば、そうしたことはある程度、防げるかもしれませんが、ライブドア事件や耐震構造偽造事件のように警察の恣意が強く働くとなると、それも信用できません。
 
 それから、マンションを作るとか道路を通すとか、そういった事業に伴う紛争をいろいろ見ていると、お金と社会的地位があって、法律や行政に明るい人が住んでいる地域と、お金も乏しければ社会的地位もない人が住んでいる地域では、いろいろな条件を交渉する場合、あきらかに前者が有利です。知恵も金も人もいるという状態が出来上がっているのですから。そういう不公平を見てきました。そのうえに今度の国会に提出されているような共謀罪などできたら、もっとろくでもないことになるでしょう。

 私は盗聴法の時も、個人情報保護法のときも、反対の署名を求められましたが、署名しませんでした。今度は誰もどの団体も反対の署名を求めてはきませんが、反対を表明します。刑法上の罪は犯罪が行われて初めて問われるという大原則は守られるべきです。犯罪予防は安易に刑法に頼るべきではありません。 503 20060514 真夜中に飯田橋から御茶ノ水まで歩く  ゼミ飲みでした。で、そのあとカラオケをやろうということになって、ごちゃごちゃしたあげくに、やすいカラオケがある御茶ノ水まで歩こうってことになりました。歩きました。飯田橋からお茶の水まで。

 東京に住んでいると交通機関を利用してしまうから、なかなか地理が頭に入りません。だから、地理感覚から言えば、こんな大都会にいても、田舎の山の中の小さな村に住んでいるのと変わりがないのかな(自分の身の回りしか知らない)と言う状態になっていることがあります。で、ゼミの諸君は「歩こう」と言った「たとんに御茶ノ水って遠いのかしら」「それどこ?」っていう反応だったのですが、まあ、歩いてしまいました。真夜中ですからゼミの体力旺盛の若者が周囲を囲んでいてくれなければ、歩く気になれなかったでしょう。

 バブル後の長い不況なんて、よく言いますが、バブルの時よりもそのあとの不況時代のほうが都心の再開発が進んでいるのを、歩きながら目の当たりにしました。昭和30年代から40年代に建てられた木造モルタル作りの建物や、天井の低い小さなビルがすっかりなくなって白い壁を持つ大きなビルと、なんだかまだ街に馴染めない様子の木が生えている広場に変わっていました。古い建物は、新しい建物の威容に羞じるように闇に沈み込み、新しい建物は夜の闇の中でさえ、街との折り合いがつけられずに浮遊したがっているようでした。

 闇の中で浮遊したがっているような新しい建物の傍らを通り杉ながら、考えたことは、私が学生時代に見た街は戦争の焼け跡から立ち直って、ほっとした表情を見せている街だったのだなと、改めて思いました。その時は年齢が若かったためかもしれませんが、街が見せる充足感をそうした流れの中で感じ取ってみることができませんでした。私が大学生になったのは戦争が終わって33年目でした。それからまた27、8年の歳月が流れたのですが、新しく出来た街は、個人の充足感よりも、組織の力を感じさせるもので、そこが何か浮遊感に繋がっているのかもしれません。再開発されたビルの上部には人が住む分譲マンションもあるようですから、これからほんとうに平和な時代の東京の味が生み出されてゆくのでしょう。

 日大図書館もすっかり新しいビルになっていました。レンガを積んだような厳しい建物から、ガラスを多様した軽やかな建物に変わっていました。昔の建物が知識や理性の厳しさを表したものなら、新しい建物は、知識も理性も誰にでも利用できるものですと言っているような感じです。日大に通っている娘に聞いたら、新しい図書館はすごくつかい易いということですが、街の人は寂しがっているよと言う話でした。それから、新しい図書館はその外見とは違ってずいぶん丁寧なセキュリテーシステムが整っているということでした。 502 20060512 雲丹の貝焼き  岩手県や宮城県にも同じ雲丹の貝焼きがあるそうですが、青森の市場で買ってきた貝焼きです。貝焼きと言っても、蒸した雲丹です。はまぐりの底までびっしりと雲丹が詰まっています。これひとつで、雲丹ご飯を4合以上炊けます。もうすぐ、雲丹の季節。でも貝焼きは冷凍保存できるから一年中買うことができます。1個700円は安い! 502.jpg 501 20060511 大家さん、大家さん(伊藤です) 200回おめでとうございます。

きのうルクツゥンで大家さんのおかきになったSAYURI評読んで、あたしも感想かきました。伊藤製作所をのぞいてみてください。お茶もお菓子も用意してございます(こないだ日本で「通りもん」買ってきたんですよ)。

こんにちは。ああぁ、200回じゃなくて500回なんですけど。ま、いいか。あとで、そちらにお茶を頂きにきますね。(中沢)

こりゃまた失礼をば、いたしましたっ。祝500回。(伊藤) 500 20060510 アダプタとおしゃべり アダプタ あー、「豆の葉」が500回になりましたね。200回のときみたいにお祝いしないんですか?
私 ええとねバンザイの絵文字の書き方を忘れちゃったの?
アダプタ 何でも忘れちゃうんだね
私 忘れるのは人間の持っている優れた能力だからね
アダプタ でもごはんを食べるのを忘れたりしないね。
私 だからあなたの立ち姿に似て来ちゃったじゃない。

アダプタ 伊藤さんがお祝いを言ってくれました。500回なのに200回と間違えているけど。
私 ここもそれだけ賑やかになったってことでしょう。お祝いを言ってくれる人がいてうれしいもん。
アダプタ 僕もお祝いをいいます。
     500回おめでとうございます。
私  アダプタ君、ちょっとのんびりしすぎ。そういえば豆ちゃんはどうしているんだろう?
アダプタ マージャンしているんじゃないかしら。 500.jpg 499 20060509 海に突き出した突堤  上総一ノ宮の海岸にできた突堤です。侵食を防ぐためなのだそうですが、兼官としてはあまり美しくありません。こうした突堤が何本も海に突き出しています。 499.jpg 498 20060508 青紅葉  下布施の土地は大きな木が生えているところという条件で探しました。大きな木ってどのくらいの大きさかってのはあまり考えていませんでしたから、大岡玲さんに「木の上に風呂場が作られようなやつね」と言われた時はちょっとびっくり。そんなバオバブの木みたいなのを考えていたわけではありません。

 これから苗木を植えても、木が大きくなる前に私が死んでしまうかもしれないから、もう育った木があるところがいいと考えたのです。で、みつけたのは紅葉の木のある土地。今は青紅葉です。紅葉は低木でそれほど大きくはならないのですが、幹が太くなるまでには相当な時間がかかります。敷地の中にはかなり弱った桜の木もありますが、こちらは本体は病気にかかっていますけれども、わきから若い幹が伸びていて、それがけっこう太くなっていました。

 紅葉の木のわきに風呂場があったのだそうです。でお風呂に入りながら紅葉を眺めるのが、この土地の持ち主の楽しみだったと聞きました。木の上じゃなくて木の下です。 498.jpg 497 20060507 ほんとはかわいいアダプタ  嵐の夜です。風が騒いでいます。昼間、銀座のデパートでポロシャツを選んでいたら、店員さんたちが「嵐だって」と話していました。いいお天気なのでにわかには信じがたかったのですが、予報どおり嵐になりました。

 昨日のアダプタは写真のボールペンと比べてもらえれば解りますが、ほんとはこんなに小さいんです。おまけに一人(一匹?)では立つこともできません。いつも机の上で、ぶつぶつ言いながらうろうろしています。いったい、何時こんなところに移動したんだろうって思うくらいに妙なところにひょこっと立っていたりします。 497.jpg 496 20060506 おじゃまします!  行方不明になっていたアダプタを見つけました。よく見て下さい。鼻がちゃんとアダプタになっているでしょ。で、このアダプタにそっくりな私の写真(非公開)が家に一枚あるのです。雪の中でベージュのコートを着ているやつ。で、このアダプタはいったい何の景品だったか忘れちゃったのですが、家じゅうで「あまりに似ている!似すぎている!」というので、すっかりマスコットになっていたのですが、ある時、子どもたちが「似ている」を連発するのに頭にきてから行方不明になっていました。

 自分で言うのはいいんですけどね。ううん、お腹のあたりとか、ぼんやりした立ち方とか、ぴょっと延びた短い足とか。ま、似てます。でも他人(たとえ子どもでも)が言うと、これが腹が立つんだなあって。

 で、机の引き出しからころっと出てきました。「おじゃまします」って感じで出て来たのです。 496.jpg 495 20060505 田んぼの夕景  日がかげりはじめていたので、どうかなと思ったら案の定、暗い写真になってしまいましたが、下布施の土地の前は