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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

今様羅生門

2018年12月28日(金)

 都大路の南の朱雀門には死体が打ち捨てられた様子を描く「羅生門」と誰の言っていることがほんとなのか分からない「藪の中」を合わせ黒澤明が映画「羅生門」を戦後混乱期(1950年)に撮った心境が分かる気がしてきた。1950年は朝鮮戦争勃発の年。
 今昔物語の時代の都とは違うから、そりゃ、見える場所に捨てられている遺骸はないけど。孤独死した人は大勢いて、なかなか見つからなかったりするから「今様羅生門」だ。「この男はな、生きているうちはテキトウな金融商品を老人に売りつけておったのじゃ」「なんでわしが腕時計のひとつふたつ、頂戴して悪いことがあるものか」と家主の老女が笑う。男を訪ねてきた元同僚は「では俺がもらってもいいわけだ」と家主の老女を蹴りつけた。なあ〜〜てね。
 それで、死んだ男が住んでいた家の近くに「高輪ゲートウェイ」という新駅ができましたとさ。

今日はクリスマス

2018年12月25日(火)

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 今日はクリスマス。どういうわけがサンタさんじゃなくって「トナカイさんが来る〜」と楽しみにしていたし〜ちゃんのところへトナカイさんは来たかな?マッチ売りの少女がおばあさんのお迎えで天国へ召された日。子どもの頃、持っていた「マッチ売りの少女」の絵本には七面鳥の丸焼きがお腹にナイフとフォークをさしてよたよたと歩いてくる絵があって、「おいしそう」って思っていたんだけど。叔母から譲ってもらった絵本で、叔母はその七面鳥の絵がすごく怖かったんですって。
 めいタンはミッフィーちゃんとクリスマス。蝋燭は触っちゃ駄目ですよ。

漫才・落語・話芸の時事ネタ

2018年12月14日(金)

 お笑い芸人の時事ネタがどうのこうのと言うけど。1995年4月オウム事件で騒然としていた日本へ米国から帰ってきた知人が「東京都知事は青島幸男、大阪府知事は横山ノック」と聞いて思わず「今日は4月1日か!」と叫んだと。時事ネタ扱わなかったら、こういう結果もなかったはず。良し悪しは別だけど。
 やすきよで漫才ブームをリードした横山やすしが亡くなったのが1996年1月。お葬式で弔辞を読んだ相方の西川きよしは参議院議員。師匠の横山ノックは大阪府知事。まさか「お笑いで時事ネタをあつかっていいのか、政権風刺をしていいのか」なんて騒ぎになる時代が来るなんて、あの時は想像もしなかった。 
 お笑い芸から権力の風刺を抜いたら、残るものは幾らもないんじゃないかと。そういう時代もあったのにねえ。芸人が権力の風刺もできないなって、言論封殺だなんて、言う以前です。
 漫才や落語で時事ネタを扱うことが議論になることそのものが異様。政権に批判的な時事ネタをやったらテレビから干されることはもう非常事態であることを示している。外国ではよくやっていると紹介されるが、冗談じゃない。参議院の2院クラブで寄席が開けそうな時代もあったのだから。 
 まだ20歳やそこらの人が20年前のことを知らないのは当然。生まれる前、物心つく前なんだから。
 50歳、60歳ともなれば、青島幸男の意地悪婆さんも見ている、てんぷくトリオの「パンパカパ〜〜」も知っている。やすきよの漫才に笑い転げている。談志の毒舌に呆れるなんてことがあったはず。
 それを覚えていたら。現在の社会がいかに異様な状態になっているかが分かるはずなのにけろりと忘れているのが怖い。いや忘れさせられているのが怖い。国会でどんな法律が作られてもすぐ忘れる。政府予算をデタラメに使われても忘れる。忘れさせらる。そして財布の中の禍は忘れた頃にやってくる。

千代本の話1

2018年12月03日(月)

 久しぶりの金沢八景。駅前の再開発で、瀬戸神社の一画だけが時間の流れから取り残されたように見えた。帰りは能見台から京浜急行品川行き最終の電車に乗った。隣の席で男性が百田尚樹「日本国紀」を読んでいた。ただいま。
 千代本の伯父に築地の話をして欲しいと頼んだ。伯父は昭和5年(1930年)生まれ。もうすぐ90歳。よもやま話になるから、きっとこんども話はあっちへこっちへといろいろ昔のことが出てくるにちがいない。築地の場内へ入ったことがないと言ったら連れていってあげればよかったと。
 店は閉めてしまったけど、伯母は今でも長靴を履いて築地場外に買い物に行っていると。「だって、スーパーで売っているお魚はつまらないんですもの」と。築地場外の仲卸さんが並ぶ「築地魚河岸」は9時以降にならないと素人さんは入れないのじゃないのか?と質問したら「入れるよ」と。築地場外「築地魚河岸」は長靴を履いていけば9時前でも誰でも入れると伯母の話。ま、伯母の場合は元玄人衆ですからね。「玄人と素人の区別をどうやってするのよ」と伯母が笑ったいた。なるほどね。店を閉める前は伯父に連れられて築地に仕入れに行くようになっていた。
 市場に仕入れに行った最初はいつですか?って伯父に聞いたら、先代(伯父の父)と横浜の中央市場へ行った話をしてくれた。千代本の先代は三島出身の人(お婿さんで千代本へ来た)で調整検査の時、何かの手続きをとり少尉任官したそうだ。で、市場へ少尉の長靴を履いて出かけたと。
 「朝日新聞社のところにさ、まだ貨物の線路が少し残っていたいるよ」と。そんな具合に話は転々。聞いていて「あ、そうか」と気づいたのは新橋界隈の新喜楽や金田中などのお料理屋さんは築地市場ができる前からあのあたりのあったってこと。 そういえば森鴎外の「豆まき」という短編に新喜楽が出てきたと記憶しているが、あれは市場が日本橋にあった時代の話だった。築地に市場が出来たのは昭和10年(1930年)。お料理屋さんのほうが先に出来ていたわけか。
 話はそれからそれへで、新橋の芸者衆の話になった。伯父は古いことはよく覚えている。豊洲市場にサイドがあくトラックが荷下ろし場に入れないなんて新しいこともよく知っている。なぜか真ん中が抜け落ちている。今年のうちにまた話をしたもらう約束をして帰ってきた。

戦後政治の総決算

2018年12月03日(月)

 戦争が終わって生まれた団塊の世代(S22、23、24年生まれ)が70歳を超えた。もうすぐ後期高齢者。人口のボリュームゾーンであることに変わりはない。団塊の世代というと全共闘世代と重なり、大学進学した全共闘世代のほうが目立つが、中卒の集団就職を経験した世代でもある。人数から言えば、受験戦争をくぐった大学進学組よりも、中卒で集団就職をした人のほうが圧倒的に多い。64年(S39)の東京オリンピック前の都市に働きに出た少年たちと、オリンピック後に都市部の大学に進学した青年の見た光景は、まったく違うものだったことだろう。経済の高度成長期だ。
 戦後政治の総決算と安倍総理は言う。本気で戦後政治の総決算をするなら、この終戦直後に生まれ、少年として高度成長期を担った人々の晩年が安らかに過ごせるような社会制度を作るのが、実際的な意味での戦後政治の総決算だ。15歳から税金を払い続けた人々にどう報いるのかが大事だろう。未成年でさまざまな制約を受け、選挙権もないくても収入があれば税金の支払い義務は生じる。集団就職で職につき15歳から税金を払い続けた人々を無視するような政策を打つ安倍政権は忘恩の徒の集団だ。

   
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