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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

パーティーの用意

2008年04月30日(水)

パーティーの用意でくたくた。うちを片付け。食器を買い足し。ごみを打ち捨て。植物を植え替え(これは余分か)。腕があがらない。
フイリのアオキと思って大きいいい株を買ったら、クロトンであった。がっかり。いいゲットウも買って、いままでフィロデンドロンの入っていた鉢に植え替えた。フィロデンドロンは庭の隅へ植え込み。前庭に、中の植物を、なんでも「とっとく」かんじで植え込んでるうちに、秩序がなくなり、弱肉強食になり、なんだかあたしの部屋か、あたしの頭の中のよう。
あと、フクシャを1鉢、セキチクを2鉢、インペイシェンスを1鉢。

余暇と休暇

2008年04月29日(火)

あたしの生まれ育ちは東京の裏町の町工場とか零細印刷屋がうちならび、路地で子どもらが走り回ってるようなところだったので、余暇の使い方がわからない‥‥というのは、友人たちを見ていて感じたことだ。ヨーロッパの中流階級で育った友人や金のあるアメリカの家庭で育った友人たちは、じつにのんびりと時間を過ごしているようにみえる。生活がどんなにせっぱつまっていても(40代50代の女なんてみんなせっぱつまってるし)優雅にカフェで時をすごし、ビーチを歩く。あたしは、一時間や二時間、喫茶店で友人とおしゃべりというのは、たまにならできるし(あたしにとってそれは編集者とのうちあわせで、身に染みついた行動だからだ)ディナー饗してともに夜をすごすことなら気楽にできる(それは家族のためにいつもやってることだからだ)。でもそれ以上のことはどうもできないのである。貧乏くさ。
休暇の日々もなかなか遊べない。むりやり自分を追い立てて、「バケーションにいかなきゃ」と旅館やホテルの予約をして、子どもを連れて旅に出る(ほんの2、3日)と、なんとか過ごせる。それにはスゴイ努力がいるのである。というわけで今年も夏休みの予定がなんにも立ってない。

サンタアナとお習字

2008年04月28日(月)

サンタアナ。昨日も今日も。昨日も今日も来月3日の夫の誕生パーティーの用意であちこち買い物してまわっているが、動いているだけて、鼻の穴と喉の奥がひかひかにひからびて、息が苦しくなる。家の中はやや涼しい。四十五年前の東京の真夏日のようだ。昨日、パーティー用のいい大皿を買ったが、よくみたらそれは飾り専用で「食べ物はのせないでください」と書いてあったので、返しに行ったり、なんかよぶんなこともしている。
昨日、ブックオフで、「和漢五名家千字文集成」というお習字の本を買って、その気になり、子どもの手習い用のお習字道具を持ち出して、お皿を買ったときについてくるやわらかい紙を半紙がわりに、やってみた。筆がぼさぼさだったが、とっても楽しかったのである。老後のあらたな楽しみかも。

怖いこと

2008年04月25日(金)

仕事で「童夢」が必要になり、ひっぱり出してきて読んだのだが、そしたら夜中、すごーーーくこわくなって、仕事にならなかった。「童夢」、いつもこうだ。夜半、浪人の男の子が自分の部屋で模型つくっているところを、おじいさんが後ろから覗き込む、あそこのイメージが怖くて怖くて怖くて怖くて。
きのううちで、怖いことがあった。午後7時50分頃に誰かが夫のコンピュータとそのモニターのコンセントを引き抜いたのである(時間はそのときコンピュータで操作していたもので特定した)。裏口ドアからも入れたが、犬たちを気づかせずにできるわけないし、物盗りにしては何も取っていってない。サラ子は家庭教師に行っていなかったし動機がない。トメは、直前に「手伝え」と叱られていたので動機はあるが、そういうことをやる性格ではないし、いつも叱られているから、そのくらいで報復するとはとても思えない。犬がやったとも思えない。あたしには、どのコンセントがコンピュータかわからないだろう(と夫said)。でも、「状況証拠からいったらトメしかない、絶対信じられないが‥‥」と夫はいってたが、あたしは状況証拠からいったら、夫がとつぜんボケてやって、やったことを忘れてるんじゃないかと疑っている‥‥。

片付け

2008年04月24日(木)

片付けしようとしているのだが、ぜんぜんはかどらない。何もかもステタイ、しかしステラレナイ。人生の如し。

アトピー

2008年04月23日(水)

子どものときアトピーだった。少女になり、若い女になり、たくましい成人した女になって、すっかり忘れていたが、アトピー体質はどこかにくすぶりつづけていて、ここに来て、それがいきなりぜんぶぶりかえした感じ。更年期っていうよりアトピーでっせ、これは。
サンディエゴの日本食品屋のとなりに「ブックオフ」なるものができて、先日トメをつれていってきた。「バガボンド」の7巻(これだけ日本においてきた)が1ドルでかえた。あと、「Yawara」と「Happy」と「マスターキートン」のそれぞれてきとうな巻を1ドルで。あと、読みたかった「とめはねっ」第1巻は新刊につき、4,5ドル。そしてそれ以来、お習字やりたくてしょうがない。トメには「にほんごでよむからー」とねだられて「DEATH NOTE」と「Bleach」という知らない漫画を買わされた。

サンタバーバラ

2008年04月20日(日)

サンタバーバラへ行って帰ってきた。つれあいに運転させるのがコワイので、運転手としてついていった。すごく頭の切れそうな若いコンピュータ科学者たちが、とてもおもしろかった。
あたしの運転はすごい上にMINIなのでぶっちぎり、サンタバーバラ、サンディエゴが3時間。
薬は効いて、劇的に咳がとまったが、こんどは劇的に全身を湿疹がおおい、さわるとだらだらになってるし、かゆくてしょうがない。もぐら叩きのようである。
きのうまでは咳で眠れなかったが、きょうからはかゆくて眠れないのである。しかしかゆさの質はマイルドで、虫食われのような七転八倒するかゆみではない。咳対策で医者に指示された抗ヒスタミンを、こんどはかゆみ対策でのんでいる。ほとんど濫用状態。これを治すのは名医T中美津先生の鍼しかない。
名医といえば巣鴨の精神科と漢方全般「下田医院」の名医S田先生に、しつこく質問しすぎてイヤがられてしまった。「女の絶望」をしあげるために必要だった‥‥とはいえ、スミマセンでした。(読んでないだろうけど)。

とつぜんレストランガイド

2008年04月18日(金)

医者の処方してくれた薬は強くてトリップしまくり。きのう、夫の友人夫婦がイギリスから来たので、サンディエゴのダウンタウンのイタリアンレストランを、ネットのレストランガイドで探して、連れて行ったが、さいっていのレストランであった。観光客相手の張りぼてのような店。ほんとに後悔した。ネットなんかで店をえらぶんじゃなかった。いきたかったとこが改装中で、あとは知らなかったからなのである。サンディエゴのダウンタウンなんてめったにいかないし。
これにくらべたら、こないだオークランドでいったOliveto まじめだし、味はパンチがきいてて、繊細さと想像力がタップリあった。うちのそばのI Trulliも、テーブルが近すぎてやかましくてしゃべれないから、めったに行く気にならないが、料理は華やかで軽やかで、センスがいいのである。

シッコ

2008年04月17日(木)

あんまりひどいので医者にいった。前にもかいたと思うが、この国の医療制度はシッコじゃなくウンコ。でも医者個人個人は、ちゃんと人間的。でも制度そのものはウンコかゲロ。アレルギーだといわれた。なおんないつーことだ。

げっほほほほ

2008年04月16日(水)

咳はつづくがもうやめておこう。
先日病気の折、伝染るんです。とかいってつれあいが、寝場所を別にしたがったので、これ幸いとあたしが階下の客用ベッドに移動したのであるが、もう伝染らなくなったんです。が、まだあたしは階下に寝ている。咳をしても一人。つくづく素敵である。
井上論、かいたけど、ほめたりなかった。もっともっとほめりゃよかった。

げぼぼぼぼ

2008年04月15日(火)

サンタアナは過ぎたようだがまだ暑い。しかしサンタアナではないので、外に出ても息ができる。こないだ植えた植物はどれもこれも死んでしまった。サンタアナのせいである。

げほげほげほごほごほごほ

2008年04月14日(月)

終わった‥‥。

体調最悪

2008年04月13日(日)

風邪と発熱と老化と締め切りと焦燥と更年期とサンタアナの熱風が重なるとものすごい。ジツは熱は下がってるけど発熱のあとの体調がぜんぜんもどらない。このままずっと戻らないとイイナアなんて考えているあたしは今ちょーーー後ろ向き。

病床とthe Vagabonds

2008年04月12日(土)

病床で吉川英治「宮本武蔵」1巻から4巻まで(というのはそれしかなかったからだが)再読した。前、つまらなくてとちゅうでやめちゃったやつだ。病気だと出来ることもある。しかし、ぜえーーったい「バガボンド」のほうがおもしろいやんけー。時代小説で生きているうちの父(85歳)でもそういうと思う。もし漫画が読めれば、の話だが。
トメとトメの友人たちとで(全員、日系人)バンビーノごっこをする予定だったが、あたしが病気なので急遽つれあいがシェフになり、子ども3人をこき使って手打ちフェットチーネ、ピンクのシュリンプソース(生クリーム入りなのでピンク)を作った。アンティパストは7巻に出てくる「アスパラガスのグリル目玉焼きのせ」のつもりだったが、手際が悪くて、パスタのあとになってしまった。
日系人といっても、親は日本で生まれてこっちに来て日本に帰るつもりのない日本人で、子どもだけここで生まれて、家庭内言語は日本語だが、ジツは英語のほうがぺらぺらという、うちのトメと同じ環境。居場所のない感じを、ひとりひとりが違うかたちで、生まれながらにして持っている。それに、親に連れられて思わずこっちに来てしまい、居場所がなくなってしまったサラ子を加えて、四人のvagabondsであった。
祝S田N子さん、妊娠と結婚!

鬼の霍乱

2008年04月11日(金)

しめきりが‥‥。

2008年04月10日(木)

いや、むしろ、ランドセルというより、幼稚園女児の好むような赤というか、朱色にちかい「ど赤」というか。さー仕事仕事。

A井T子さん、小熊秀雄賞、おめでとう!! 

2008年04月09日(水)

インパチエンス。ツリフネソウ科。
なぜにこの植物がインペイシェンス(辛抱がない)と呼ばれているのか。わからない。それをラテン語+日本語的に、インパチエンスと訛ってるのもとてもすてき。とにかくここ数年夏になるとニチニチソウに凝ってきたが、今年はこれだ。エピデンドラムの鉢に、いつのまにか小花のインパチエンスが繁茂している。それは白花とピンク花で、いまいち、パンチがないのである。きのう買ってきたのは前から気になっていた、葉の大きい、赤い大きな花のニューギニア・インパチエンス。その赤が尋常でない。ベゴニアの赤ほど透明でなく、ニチニチソウの赤ほど饒舌でなく、フクシアの赤ほど暗くなく、ハイビスカスの赤より朱に近く、ブーゲンビリアの赤よりもっと濃く、いってみれば日本の小学一年生女児のランドセルのような赤だ。いちばん基本の口紅の色のような気もする。さー、仕事仕事。

デン助劇場

2008年04月08日(火)

ここのところwikiで、むかーーしのテレビ番組をしらべるのが楽しい。「デン助劇場」なんて、あまりのくだらなさに、見たというのを想像してただけかもと思ってたのに、ほんとうにあったんだな。あれは、くだらなかった。笑いは下品で情けなくてみじめったらしかった。あれを見ている時間が苦痛であった。しかしこうして四十年も経ってるのにまざまざと思い出せるのはどういうことだ。すごいリアリティがあった(それできらいだった、おとな世界そのもののような気がしていた)んじゃないか。漫画ばかり読んでた、あんまりテレビを見ない子だったのに、結果としていろんなものを見てきたというのがとてもフシギ。「とげ抜き」と「よろづ指南」(でもタイトル変えマス)の連載中は、しめきりになるとAmazon.comでCDかいまくっていたけど、おわっちゃったらぱたりと買わなくなった。HomeDepotの園芸コーナーにいきたしとおもへども、園芸コーナーはあまりにも遠し。きのうアレチノギクを殺戮して、ぽかんとあいてしまった一乗寺の下り松に、シソ科の藪とキク科の藪を植え付けたいのである。しかし今週はただでさえ忙しいのにトメが春休みで、たしょうは遊んでやらなくちゃならないのである。というか、いつもサラ子とばかり遊んでいるから、反省しているのである。今週いつか、トメと、水いらずで映画にいってあいす食べようと考えていた。その映画は、ケビンスペイシーとかジョニデとかいうんじゃなくて(トメはきのう友人とケビンスペイシーの出る映画をみてきた‥‥「すっごく年取ってるよ?」といっていた)トメの好きそうな、ブレークダンスとかいう、アーバン・ニンジャ系の映画。さー、仕事仕事。
‥‥と思っていたが、散歩の帰りについHomeDepotに寄っちゃって、赤緑ベゴニアの吊り鉢、白花のアンスリウム、赤花のインパチェンス、ピンクのフクシャ、白いマーガレット、白と赤のデイジー、赤のゼラニウム。吉岡の面々もこれで浮かばれるであろう。さー、仕事仕事。

バガボンドとアレチノギク

2008年04月07日(月)

バガボンドを読み返しつづけていて、吉岡の七十人斬りをまたまた読み返し、思うところあり、外に出て、前庭のクレオメかと期待していたがどうもアレチノギクらしい幼株をぜんぶ引き抜いた。一乗寺の下り松の辺りのように死屍累々。ここに、大きな株に育つ、きれいな花の咲く何かを植えたいと思う。きのう書いたものはろくでもなかった。と地団駄をふんでももうやりなおすのはいやだ。

まだまだ

2008年04月06日(日)

ひとつ終わった。でもまだまだ。なんで仕事が遅いのか。世の中の人みんないや、てな気持ちになりかけるけど、人なつっこすぎてどうしてもそこまでいかない。

また夢とぴーちゃんのカゴ

2008年04月04日(金)

ポーランドにZと住んでいたらNちゃんが仕事で来た。それは「日本食日本文化祭り」だった。Nちゃんの車の運転をあたしがしたら、ポーランドの石の通りはやたらに狭くて、二回もぶつけてしまった。「祭り」会場では日本人がいっぱいいた。チープなつくりの「ずんだもち」をみんなで食べた。漫画も展示されてあって、「二十世紀少年」のさらなる展開篇が読めた。Hに電話をしたらやっと通じた。「あとでかけ直すけん」といって電話を切った。以上不安夢。
午前中やらなくちゃいけない仕事があるのに二代目ぴーちゃんのカゴを買いに行った。きのう落っことして割ってしまったのである。ぴーちゃんは生きていた。ぴーちゃんのベッド(緑のぬくぬくしたマフみたいなもの)もこわれてしまったので、ゆうべはサラ子の部屋にニコ(パピヨン)のカゴを入れて、その中で寝かせた。犬臭かったろうと思う。新しいカゴは小さいオウム用で、頑丈で重たい。カゴをうつしかえる作業をしていたら、タケ(シェパード)が来て、ぴーちゃんを不穏な目でじっとみつめ、なんだか危険なものを感じてぴーちゃんをカゴの中に入れると、タケがカゴ越しに獅子舞のお獅子みたいに「ぱくん」とやった。その前は、ニコに追いかけられて逃げまどってるのを見た。ぴーちゃん、今日はさんざんな目にあっている。しかし、ぴーちゃん(ホオミドリなんとかインコ)は昨日、グリーングリーン(セキセイ)夫婦のカゴに行って、グリーングリーン(雄)とカゴごしにキスをしていた。そのあとグリーングリーンはユキちゃん(雌)とカゴの中でケンカをしていた。

2008年04月03日(木)

へんな夢をいっぱい見た。Sの夢をいっぱい見たが、SがSでなく、もっと年食っていて、ひきつぶされたひきがえるのような顔しておった。Nの夢もみたが、Nは旅行鞄を抱えていた。あたしがDに「すきな人がいるの」とうちあけると、Dが息を呑むのがわかった。そんなおどろくことかい、と夢の中でばかばかしく思っていた。しかしSもNもDも、現実のSやNやDではなく、それぞれいろんな人格が合体したものらしいというのがわかった。

花曇り?

2008年04月02日(水)

逃げるように仕事しているが、暗くてかなわない。いえ、あたしが。

ベイエリアにいって帰ってきた

2008年04月01日(火)

サンディエゴからインターステイト5号線を北上するとLAの市街を抜けて山を越えてセントラルバレーに入る。直線の道が5時間つづく。山を下りて最初の宿がGrapevineである。ここに入るやいつもあの葡萄を、怒りの葡萄を思い出す。オクラホマから死にものぐるいでやってくれば、このへんなんではないか、もっと北の方か。セントラルバレーは昭和玩具の水飲み鳥みたいな石油採掘機がところどころにある。それからブドウ畑。それからアーモンド畑。年々、灌漑がされて、年々緑の畑が多くなる、ような気がしてたが、今回は立ち枯れたアーモンド畑が目について、見ていられなかった。畑全体(一見して大企業の経営する畑であるとわかる)が水をとめられて、大きさのそろった木がみんな死んでいるのである。前回ここをとおったときは、死んだ畑に、こんなに気がつかなかった。ミドリノオバサンとしては、苦痛きわまない光景であった。
カノコのパフォーマンス。一夜めは来桑のM上公一さんと二人でやった。M上さんは声とテレミンと口琴。カノコは箏とピアノ。ピアノのほうがお箏よりよかったと思う。いかれなかった三日めはお箏ですごくよくできたといってた。経験豊富なM上さんの前でかたくなってたそうた。のめりこむときほんとにあっちに行っちゃう姿が、なんというか、自分を見る感じで気持ち悪い。あたしより行っちゃってるかも。二日めは若い作曲家の作品をみんなで演奏したやつ。ピアノだった。カノコはそこにいた。そこにいたから、気楽に見られてうれしかった。

   
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